★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ33 > 930.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
ジョン・ケリーのユダヤ的出自 中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)
http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/930.html
投稿者 エンセン 日時 2004 年 2 月 27 日 14:41:52:ieVyGVASbNhvI
 

 
ジャネット・ジャクソン事件とムーブオン 中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)
http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/756.html
ジョン・ケリーをめぐる女性たち 中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)
http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/875.html

の続きです。未読の人はお読みになってから、以下を。


ジョン・ケリーのユダヤ的出自


2004年02月26日(木)
中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)

 前稿「ジョン・ケリーをめぐる女性たち」
http://www.yorozubp.com/0402/040221.htm
を書いたあと、ケリーに関するより詳しい情報を入手することができたので、それに基づいて前稿に補足と訂正を行ないたい。主たる出典はインターネット百科事典Wikipedia: http://en.wikipedia.org/wiki/John_Kerry である。たいへん興味深い詳しい情報なので、英語のできる方はぜひご自分でお読みいただきたい。そのほかの情報源もまじえて、以下にケリーの出自について述べてみたい。

 ジョン・ケリーはユダヤ人の血をひいていた。

 ケリーの父方の祖父は、フリッツ・コーンというチェコ(当時はハプスブルク家オーストリア帝国の一部)生まれのユダヤ人であった。このことを明らかにしたのは、今年2月2日の『ボストン・グローブ』紙である。グローブ紙は、2002年、地元出身の上院議員が大統領選に出馬する予定と聞いて、ケリーの先祖の調査を行なったのであった。

 ケリーという名はアイルランド系だと思われていたが、祖父のフリッツ・コーンがオーストリア在住当時、カトリックに改宗し、フレデリック・ケリーと改名したのである。フリッツは1873年生まれであるが、彼の生きた時代は、ヨーロッパで反ユダヤ主義が高まった時代であった。シオニズムの提唱者テーオドール・ヘルツルは1860年生まれ。ヘルツルの死後、中欧におけるシオニズムの指導者になったマルティン・ブーバーは1878年生まれである。

 ハプスブルク帝国の主流派宗教はカトリックであった。反ユダヤ主義を避けるために、コーンがカトリックに改宗したのは当然の選択であった。1902年にアメリカに移住したフレデリック・ケリーとその妻イダは、子供をカトリック教徒として育て、自分たちのユダヤ的出自を隠蔽した。ヨーロッパの反ユダヤ主義に苦しんだユダヤ移民の中には、こういう人々が少なくない。

 フレデリックは、息子リチャード(ジョンの父親)が6歳のとき、銃で自殺した。原因は事業の失敗である。

 父を失ったリチャードの幼少期、青年時代は苦労が多かったものと思われる。そのリチャードがどういうわけか、名家の令嬢ローズマリーと結婚することができた。

 リチャードの妻、つまりジョンの母は、ローズマリー・フォーブス・ケリーといい、フォーブス家の娘としてパリで生まれ育った。フォーブス家は、雑誌『フォーブス』でも有名な大財閥である。二人は、リチャードがブルターニュ地方のサンブリューという海岸の町を訪れたときに知り合った。

 母方の祖父のジェームズ・グラント・フォーブスは上海生まれの銀行家で、その妻はマーガレット・ティンダル・ウィンスロップである。ウィンスロップ家は、イギリスからマサチューセッツに入植したピューリタンの一族で、アメリカの名家中の名家の一つである。この家系は、フランクリン・ルーズベルト、ジェーン・アダムス、カルヴィン・クールリッジ、ブッシュ大統領一族とも縁戚関係になる。

 ケリー家とフォーブス家の家格の違いを考えると、この結婚はきわめて不自然な感じがする。二人がなぜ結ばれることができたのか、その間の経緯は今のところ謎である。

 ジョン・ケリーが親戚から、自分の祖母のイダがユダヤ人であるということを知ったのは1980年代の終わりであった。彼は自分の出自を知りたいと望み、オーストリアに行ったおり、ケリーという名のユダヤ人を捜したが、当然見つからなかった。1990年代の終わりになってジョンは、癌で死期が近づいた父リチャードから、祖父が自殺したことを教えられ、衝撃を受けた。

 不思議なことに、ジョンの弟のキャメロン・ケリー(法律家)は、ケリー家のユダヤ的出自を知らずに、ユダヤ女性と結婚し、すでに1983年に自分もユダヤ教に改宗していた。先祖の血に導かれたとしか言いようがない。

 ちなみに、民主党の候補者であったリーバーマン、クラークもユダヤ系。ディーンは夫人がユダヤ系で、子供はユダヤ人として育てているとのことである。アメリカにおけるユダヤ系の強さにはあらためて驚かされる。
http://www.dsz-verlag.de/Artikel_04/NZ09/NZ09_2.html

 父リチャードは第二次大戦中はパイロットに志願したが、戦争後は外交官になった。ジョンは父とともにスイスとフランスで数年過ごし、フランス語に堪能になった。

 学生時代、ケリーはジャックリーン・ケネディの妹とつきあい、彼女を通してケネディ大統領と個人的な面識を得た。ジョン・フォーブス・ケリーのイニシャルは偶然にもJFKで、ケネディ大統領のそれと同じになる。彼はJFKと署名するほど、ケネディに憧れていた。

 アメリカの大統領はこれまで大部分が、白人男性のプロテスタント、いわゆるWASPで、カトリックのケネディ大統領が唯一の例外であった。2000年の大統領選挙で、ゴア候補がユダヤ系のリーバーマンを副大統領候補に指名したとき、大きな驚愕を招いた。もしケリーが大統領になれば、アメリカ史上初のユダヤ系大統領ということになる。もっとも、ケリーはカトリックなので、ユダヤ人とは言えないであろうが。いずれにしてもWASPではない。彼のユダヤ人としての血筋とカトリック教が、選挙戦にどのような影響を及ぼすか、興味深いものがある。

 ケリーはエール大学時代、「スカル・アンド・ボーンズ」という学生組織に加わって、のちにアメリカ上流社会のメンバーとなる人々と知己になった。このグループの友人の一人を通して、最初の妻ジュリア・ソーンと知り合った。(この学生組織については、あとで詳しく触れたい)

 さて、Wikipediaの情報の執筆者によれば、「ニュースマックス」が掲載した、ケリーとジェーン・フォンダが一緒に写っている写真は、デジタル的に作成された偽写真である(元の写真を撮った写真家が証言)。さらに、ジェーン・フォンダはこの反戦集会に参加していないとのことである。ケリーを攻撃するために、こうした嘘の情報がインターネットを通じてばらまかれているそうだ。

 だが、「ニュースマックス」はこの写真をまだ撤回していない。

 この写真に触れていることから、この記述がごく最近書かれたものであることがわかる。Wikipediaの情報は、全体的に見てケリーに好意的な立場で書かれている。虚実いりまじった激しい情報戦が行なわれていることはたしかで、Wikipediaの記述も情報戦の一部なのであろう。(続く)

 中澤さんにメールは mailto:naka@boz.c.u-tokyo.ac.jp


http://www.yorozubp.com/0402/040226.htm


 次へ  前へ

Ψ空耳の丘Ψ33掲示板へ



フォローアップ:


 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。