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網野善彦追悼・補遺(PUBLICITYNo.867)
http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/965.html
投稿者 シジミ 日時 2004 年 3 月 01 日 22:43:56:eWn45SEFYZ1R.
 

(回答先: 網野善彦『日本の歴史をよみなおす』正続 投稿者 へなちょこ 日時 2004 年 2 月 28 日 21:46:45)

http://www.emaga.com/bn/bn.cgi?7777

件名:【Publicity】867:網野善彦追悼・補遺/日本が協議すべきは、北朝鮮よりも中国

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PUBLICITY
No.867(2004/03/01/月)

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「PUBLICITY」(パブリシティー) 編集人:竹山 徹朗
E-mail:
freespeech21@infoseek.jp(こっちにどうぞ)
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        ◆◇今号の目次◇◆


【めでぃあ・オフノート】
▼網野善彦追悼・補遺

【転載】
▼神浦元彰(軍事アナリスト)の「J−RCOM」
日本が協議すべきは、北朝鮮よりも中国


        ◆◇     ◇◆


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【めでぃあ・オフノート】  

▼あー危なかった、うっかり「2月30日発信」にするところ
だった。


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ところが私たちは、前にいった、あの見えない力に、見えない
意志に、しばられ、強制され、盲目にされている。私たちは盲
目にならされてしまっているのよ。

ただこの一瞬の光を見た人たちが、見えない、この長城のよう
な力にむかって、両手で叩きつづけるのね。

その一人の力が、どんなに無力であったか、私たちは知ってい
るわ。でも私が死んだら、私のかわりに誰かが、その誰かが死
んだら、また誰から、その見えない壁にむかって、叩きつづけ
るべきなのよ。

そうよ、この人間を否もうとする意志に対して、ただこうする
ことによってだけ、人間であろうとする意志が生きつづけるの
よ。ただ、この意志だけが、一人一人の〈死〉をこえて、生き
つづけるのだと思わなくて?

人間を否定する意志(これはあらゆる形で現れているわ)に対
して、それは人間の空間をつくろうとする意志なのね。そして
ただ、それだけが個人的〈死〉を聖化することができるのだわ

マーシャ、ごらんなさい、なんと多くの生命が、このむなしい
雪の原で、燃えつく砂漠で、人知れず、意味も知らず、暗闇に
沈むように消えていったことかしら。

いいえ〈人間〉という形をきざみだすのにすら、どのような眼
くらむような歴史の大河のなかに、無数の死が、無意味にただ
よっていることかしら。

でも、それをこえて生きつづける意志を信じなくては――その
意志が支えつづける〈人間の空間〉を信じなくては、〈死〉は
永遠に個別的な、偶然のものにおとしめられるほかないのよ
……。

辻邦生『廻廊にて』p210−1、新潮文庫
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▼追悼の「補遺」ってのもひでえ言い方だが、全国紙が軒並み
「網野史学」と書いていたので、ちょっと。

これからいろんな雑誌等で追悼特集がたくさん出てくるだろう
が、なぜ、網野氏の研究が「史観」ではなく、「史学」と名づ
けられてしまった――そう、既に名づけられてしまったのか。

友人と話し合った内容を、今後の推測として書いてみる。

といってもすぐに終わる(^_^;)。

一般的な言い方と、研究内容に即した言い方があって、一般的
には、「権威づけ」のためだろう。

しかしここでは一言で終わらせず、まず、研究内容に即して考
えてみる。

▼網野氏は荘園研究を通して、いわば当時の権力者たちの“財
源”のしくみ、支配のしくみの解明に取り組んだ。

その試みは、明治の「壬申戸籍」成立以来歪められて来た、民
衆の生活の実像を照らすことにつながり、いわゆる「米作中心
・農業中心」の社会・経済の在り方を根本的に覆すこととなっ
た。

(正直、今まで読んできた歴史書で、「日本は稲作中心の・・
・」という世界観の前提で書かれた書物が、紙屑に思えてくる
ほどだ。)

これによって、列島社会の【“支配―被支配”関係ですら、時
代や地域によっていかに多様であるか】をも証明したのである。

そして、既存の、現存体制を突き抜けることのできない学問の
枠組みのありようを、経験的に見切ったのだと思う。名刺に何
の肩書きも無いのは、その表徴とも言えよう。

学生運動への参加を経た若き日の研究は、結果的に、日本の支
配構造の、いわば「下部構造」を明らかにする営為になった。
そして網野氏は、さらに突き抜けた。

すなわち、「日本史を変えた」のだ。

▼日本史を変えた、という言い方で言えば、ぼくが知っている
かぎりでは、古田武彦氏の研究が最も根源的かつ先鋭的であり
、天皇制とそれに拠りかかるすべてを、直裁に、誰が読んでも
納得できる論理によって、根っこから崩し、破砕している。

網野氏は、古田氏ほどラディカルとは言えないかもしれない。

しかし、それは、各人の拠って立つ立場の違いだろうし、生き
方のセンスの違いだろうとも思う。前号で、網野氏の日本研究
が、日本の根源を撃つ方向を「孕んでいた」と書いたのは、そ
うした意味合いからであった。獅子は群れず。あまり関係ない
が、古田氏と網野氏とは何回か手紙のやりとりがあったと、古
田氏から直接うかがったことがある。

従来のパラダイムを覆す力を持つ研究内容を、既存の学問のパ
ラダイムに対置するため、当事者の名前を冠して「学」と名づ
けようと望む人々の心の動きを、ぼくは完全否定しない。

誰だって、真実に気づいた後は、見失わないように、その真実
の力と象徴の在処を示しておきたくなるものだから。自由と抵
抗のために、橋頭堡は必要だ。

古田氏を慕い、研究する人々は、自らのグループを「古田史学
の会」と名づけている。もちろん「学」と名づける意味解釈の
違いがあると思うし、古田氏自身は、あんまりそういうことに
拘る人柄ではないとお見受けした。

だからこそ、「史学ではなく、史観です」と断言した網野氏の
一言には、彼の生の過程が深く刻まれているとぼくは読みとる
。「依然として、学界のなかでは少数派ですよ」と、口にされ
ていた姿が浮かぶ。

網野氏にとって“敢えてした”史観との名づけは、「一個人の
、ものの見方、考え方」程度の意味合いであると思う。そのよ
うな規定には、当然、哲学や論理は内包されるが、「権威」は
発生しにくい。

もっとも網野氏は、んなことを小難しく考えてアタマで言った
わけではないだろうな。いわば、カラダが発した言葉だったよ
うな気がする。

▼ぼくの性急な友人は、網野氏と並んで渋谷駅前のモヤイ像前
を歩きながら、日本の政体について、連邦制や共和制、共産制
などについて、性急に話しかけていた(喫茶店に入ってからに
しろっちゅーに)。

網野氏の態度は一貫していた、それは、「それぞれの政治体制
に、大いに学ぶところがある。しかし今はまだ、日本に最も適
した政体を、速断できる状況ではない」と。

それは学者としての彼なりの誠実さであり、本人にとっての何
らかの切実な経験があっての態度であり、人としてのやさしさ
だったと感じた。

ぼくはその後、フランス革命をどう評価するかと聞かれて「2
00年前の出来事を評価するためには、今はまだ、はやすぎる
」と答えた周恩来の逸話を想起した。

網野氏は“私にはもっともっとやりたい仕事が山積している”
と言わんばかりの勢いで瞳を輝かせ、特に、列島各地の「地方
史」の研究を、もっともっと充実させねばならない、と語って
いた。

▼それぞれの郷土から列島を相対化する――それは途轍もなく
果てしない展望である。しかし、どこでも始めることのできる
研究でもある。地方史研究の重視は、網野氏の長年の経験から
の直観だったのだろう。

たしかに、政治を云々しているヒマはなかった。彼にしかでき
ない仕事が、ほんとうに山のように残されてしまった。後継者
は、今はおそらく極めて少ないと思う。

最初から、今のような考えを打ち出そうとしていたのではなか
った、とも語っていた。調べれば調べるほど、新しい物事が見
つかったのだ。どんどん見つかる宝の山を、ほんとうに楽しそ
うに、慎重に、歩み耽っているかのようだった。

今までの教科書を根こそぎ書き直さなければならないところま
で、視野は開かれていた。しかし、個々の、丹念な後付けが必
要だ。それは到底、一世代でできることではないことも、見通
していた。

次々と掘り出されていく事物を借りて、「知っちゃったものは
仕方ないですよね」と笑いながら、網野氏はほとんど一つのこ
とを、何度も何度も主張し続けた。

「日本」という概念は、皆が思いこんでいるほど、確固不抜の
代物ではない、と。


▼喫茶店で語り合う前の、その日の講演で、「みなさん、日本
という国号は、“変えてもいい”んですよ?」と、政治的ラデ
ィカルさを鋭く内包する発言もされていた。

性急な友人は道すがら、言質を取るように訊ねた。

「先生が天皇・日本国号の成立年代に拘(こだわ)るのは、そ
れらに“始め”を設定して、つまり、“終わり”を炙り出そう
と言う戦略ではないですか?」

網野氏は、少し顔を引き締めて、「そう、と、言えますね」と
、おだやかな口調で応えておられた。

▼今後、最も恐れることは、列島各地で盛り上がりつつある、
郷土の地方史、社会史を研究する動きが、網野氏を失ったこと
によって、弱体化し、かつ、精彩を欠く事態である。この傾向
には、冒頭に書いた「偉人の権威化」という「善意」も加勢す
るに違いない。

この傾きは残念ながら、相当程度、避けられないと思う。しか
し網野氏は、自身が最も恐れていた研究の党派化やタコツボ化
の危険性を極力消し去って、逝かれたのだと思う。

群れぬ小さな獅子たちが互いに孤立せず、連なりあったとき、
日本史の教科書は書き換えられるだろう。

網野史観における地方史の重視は、自らを権威化する動きを頬
笑みながら峻拒した振る舞いと、ほぼ完全に重なると考える。

そのことを、書き残しておきたかったのである。

ぼくが忘れることのできない小説の一節を、冒頭と末尾に紹介
して、あらためて、網野善彦先生への追悼の意をあらわそうと
思う。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
あなたが生きたということ――それ以上にあなたを満足させる
ことはなかったのだから。

あなたの欲した作品は完成しなかったかもしれない。あなたの
絵は屋根裏で忘れられているのかもしれない。

しかしそういう偶然をこえてそこに〈あなた〉という生きた、
見開いた空間があり、そこに空や夜や花や人々のささやきが、
水に映るように、うつっていたということ――それ以上に、完
全な作品がありうるだろうか。

マーシャ、あなたは少くとも〈あなた〉という見事な作品とし
てそこにいる。そうなのだ、あなたのような死だけが憐憫を必
要としない。

死がその宿命を成就するものであるとしたら、私はためらいな
く言う、マーシャよ、それはあなたのような死なのだ。

辻邦生『廻廊にて』p218−9
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


▼偶然をこえる力は、死を知ってなお生きる者に与えられる。

【転載】
神浦元彰(軍事アナリスト)の「J−RCOM」
〜激動する世界の最新軍事情報を発信〜
http://www.kamiura.com/new.html
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■タイトル
エネルギー 中国、日本と争奪戦 
大慶油田で輸出ストップ 高度成長で海外依存強まる
(読売 2月26日 朝刊)

■要約
今年になって中国政府は、73年より続けてきた大慶油田の日
本輸出を停止した。

これは04年〜05年の輸出条件を決める交渉で、1バレルあ
たりインドネシア産より6.3ドル高い値段を示した上、年間
50万トンと大幅に輸出計画を縮小したので交渉が決裂した。

こうした動きは中国が深刻なエネルギー不足に陥り、資源確保
に必死になっている表れと見られる。

また中国の国家発展改革委員会によると、03年の電力不足は
1千万`hで、急激な自動車の普及でガソリンも不足している
という。今後、中国の高度成長で海外依存が強まる。日本は0
3年に中国全体から9112万トンの石油を輸入している。

■コメント
この記事ではインドネシアの天然ガス輸出で、日本の三井物産
が買い取る契約したものを、中国が先買い権を行使して三井物
産の購入分を買い取ったという。

またロシア・東シベリアからの石油パイプライン建設でも、中
国はルートをめぐって日本と争奪戦を繰り広げていると報じて
いる。

いよいよ日本と中国の間で、石油獲得をかけて激しく競合する
時代が始まった。中国発展の最大のアキレス腱は、民族問題な
どではなくエネルギー問題であることが明確になってきた。現
代中国という巨大な象が、巨大であるがゆえに食料の確保に苦
しんでいる。

これを単純に見て、エネルギー争奪戦で中国と日本が軍事力で
争うという人がでるだろう。

私はそのような見方に懐疑的である。それこそが中国の自殺行
為であるからだ。

中国が圧倒的な格差のある米国との軍事力との競争にでないの
は、軍事力で確保できる権益に限界があることを知っているか
らだろう。

強力な海軍を育て南沙諸島に進出しないで、メコン河を整備し
て東南アジアに経済進出を狙っている。反共組織であったAS
EANも、中国の経済進出に手出しが出来ない状態になった。
これが中国の世界戦略である。

近い将来、朝鮮半島も中国の軍事力でなく、経済力で覆い尽く
される日が来るだろう。

中国にとって6カ国協議とはそのための1歩なのである。

これに対して、日本はどのように対応するのか。短、中、長期
の戦略で6カ国協議を考える必要がある。

日本が協議すべきは北朝鮮ではなく中国である。
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