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連載第八回 社会秩序の合意モデルと信頼モデル(MIYADAI.com)
http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/138.html
投稿者 まさちゃん 日時 2004 年 1 月 07 日 12:59:55:Sn9PPGX/.xYlo
 


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連載第八回 社会秩序の合意モデルと信頼モデル
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=25
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■連載の第八回です。前回は「選択前提とは何か」をお話ししました。「選択前提」とは選択に論理的に先行する条件のことで、さらに「選択領域」と「選択チャンス」と「選択能力」に分けられました。それぞれ不自由とは何かを考えると理解しやすいと言いました。


■選択するには、選択肢の束が与えられている必要があります。これが選択領域です。未開人は飛行機に乗るという選択領域を持たないので、飛行機に乗るという選択ができません。その意味で不自由ですが、初めから選択肢を知らないので、不自由感はありません。
■選択領域が与えられていたとして、現に選択するという振舞いが許容されていないと選択できない。これが選択チャンスです。飛行機に乗るという選択肢が思い浮かんでいるのに貧乏で乗れないなら、選択チャンスが欠落しています。この場合は不自由感があります。
■選択領域も選択チャンスも与えられているのに、効用の計算能力を欠いたり効用計算の基礎になる価値観を欠いては選択できない。つまり選択能力が必要です。モノが豊かになった結果どれを選んでいいのか分からなくなるなら、選択能力の欠落が問題になっています。
■選択は後続する選択に選択領域を開示しますが、選択Aが開示する選択領域を前提に選択Bがある場合を「選択連鎖」と言いました。選択連鎖を幾重にも組み上げて選択能力を上げるメカニズムが、個人においても組織においても採用されていることを紹介しました。
■典型が目的手段連鎖。組織とは、目的を手段へ、手段を下位手段へとブレイクダウンする選択連鎖のツリー上の展開によって複雑性を縮減する(確率論的にありそうもない状態を維持する)システムです。社会が全体としては組織ではあり得ないことも、言いました。

【選択前提と暗黙の前提との差異】
■連載を通じて、社会とは「コミュニケーションを浸す暗黙の非自然的な前提の総体」で、社会学の特徴は「前提を遡る思考」にあると言いました。コミュニケーション(システム理論は「選択接続」として定義します)とは「異主体間の選択連鎖」だとも言いました。
■相手の選択で開示された選択領域を前提に自分が選択し、自分の選択が開示する選択領域を前提に相手または別の人が選択するという連なりがコミュニケーション。すると「コミュニケーション内部の選択前提」と「コミュニケーションを浸す前提」との関係や如何。
■デュルケームは「契約の前契約的前提」を考察するのが社会学だと言います。契約が前提となって次の契約が生まれる。そういう選択連鎖を考察する学問(経済学)とは別に、「契約が必ず契約によっては生み出せないものを前提すること」に注目せよと言うのです。
■次回には「コミュニケーションを浸す暗黙の非自然的な前提」が予期ないし予期構造という形を取ることを説明します。次回の準備のために、今回は「暗黙の非自然的な前提」をイメージメイクするべく、合意モデルと信頼モデルの差異について、詳しく説明します。
■社会の秩序──確率論的にありそうもない状態──が如何にして可能かとの問いは周知の通りホッブズを嚆矢とします。放っておけば万人の万人に対する闘争になっても不思議はないのに、なぜそうならないか。出発点に自然権の譲渡があるからだとホッブズは言う。
■今日的な社会システム理論は絶対にそうは考えません。社会の秩序の出発点には(自然権譲渡などへの)合意があるという思考。これはしかし、秩序のありそうもなさを、合意のありそうもなさと転送しただけで、合意自体がありそうもない以上、解決になりません。
■今日の社会システム理論は「社会の秩序が如何にして可能か」という問いに、「合意モデル」ではない全く別のモデルで答えます。この別のモデルの意味をよく理解すれば、「コミュニケーションを浸す暗黙の非自然的な前提」というフレーズの意味が明確になります。
■パーソンズ(1902-79)の社会システム理論までは「合意モデル」を採用していました。これは彼が経済学の均衡システム理論をベースに思考していたことに関連します。これに対し、ルーマン(1927-98)が定常システム理論をベースに思考し、別のモデルを採用することになったのです。

【二重の偶発性と、合意モデル/信頼モデル】
■理論転換のキーワードは「二重の偶発性」。この概念自体は別の回に詳述しますが、一言でいえば「他人がどう振る舞うか分からない」ことです。なぜ「二重の」なのか。それは「明日天気になるかどうか分からない」という偶発性と比較すると、よく分かります。
■明日の天気は私が泣いても喚いてもどうにもなりません。ところが他人の振舞いは私の振舞い次第で変わります。ただし私がアクトすると他人がどうリアクトするのかはハッキリしない。偶発的な私の振舞いに偶発的な他者の振舞いが不確定に依存するという訳です。
■「視界の相互性」と言いますが、相手にとっても事情は同じと推察されます。とすれば、二重の偶発性は如何に克服されているか。それこそが「社会の秩序は如何にして可能か」の問に答える要で、かくしてホッブズ問題も一挙に解決するとパーソンズは考えました。
■パーソンズの回答は「価値の共有」です。初めから価値を共有しているので、他人の振舞いが一定の期待値内に収まるのだと言います。合意モデルの典型です。秩序のありそうもなさを、価値合意のありそうもなさへと転送しただけで、問題の先送りをしています。
■そこで凡庸な者たちは、価値合意の均衡理論を組立てようと苦闘しました。ところがルーマンは一言「ありえない」と一蹴します。70年代初頭の論文で「二重の偶発性が、自然権譲渡や価値合意によって出発点で消去されるだって? 馬鹿げている」と宣言しています。
■彼の考えでは実態はこうです。二重の偶発性は消去されえない。文句を言っても刺し殺されないと言えるか。お金を出したら「牛肉の」ハンバーガーを渡してもらえるか。誰も分からない。何もかも偶発的なままなのに我々は文句を言い、ハンバーガーを買うのだと。
■我々が文句を言い、ハンバーガーを買うのは、権利譲渡や価値合意によって、刺されたり猫肉を売られたりすることはないと確信できるからでは、絶対にありえない。二重の偶発性は、信頼と法的メカニズムによって、消去されずに乗り越えられるのだ、と言います。
■生活世界は信頼に満たされています。信頼は根拠のない循環です。自分は刺されないと根拠なく信頼し、知らない人に文句を言う。偶々刺されなかった「ので」再び刺されないと信頼し、また知らない人に文句を言う。その繰返し。信頼に出発点の合意はありません。
■現に信頼は時折破られます。それを誰もが知っていて、でも信頼する。そこには法的メカニズムも効いています。もし何かあってもたいていは(!)強大な物理的実力に支えられた法システムを呼び出せると、我々は信頼する。むろんこれとても確実ではありません。
■問題は、根拠のない信頼が、いつ何どき人が信頼しなくなるかも分からないのに、曲がりなりにも継続するための、絶えざる条件です。信頼は偶々破られなかったという事実性と共にあります。出発点で譲渡したり合意すれば信頼が担保される…わけがありません。
■信頼が典型ですが、私たちのコミュニケーションは、コミュニケーションの中で確認していないどころか、そもそも論理的に確認できない前提に支えられています。 この前提が如何に維持されるか。それが「社会秩序は如何にして可能か」への、今日的な答え方です。
■自然権譲渡や共有価値を持ち出し、出発点で課題を解決する、均衡システム理論的「合意モデル」から、永続的に解決することのない課題を抱えながら、不確定性の中で辛うじて自己を維持する、定常システム理論的「信頼モデル」への転換の意味がそこにあります。

【合意から信頼そして監視へ〜現実的含意を確認する〜】
■別言すると、均衡システム理論から定常システム理論への移行は、社会秩序の可能性を、出発点での合意ではなく、辛うじて絶えることのない信頼に求めることで、社会契約思想を明示的に廃棄することを意味します。社会システム理論はヒュームの伝統に連なります。
■合意モデルと信頼モデルの対立は、「良き社会」をめぐる対立をも派生します。合意モデルは、人々が規範や価値に合意しているのが「良き社会」だと考えます。信頼モデルは、より低負荷に、わざわざ合意せずとも信頼を維持できるのが「良き社会」だと考えます。
■例えばリベラリズムの立場──自由を支える前提の維持を重視する──に立つ論者でも、合意モデル派は道徳・規範的な価値合意を重視し(パーソンズやハーバマス(1929-))、信頼モデル派は合意を節約してもうまく回る仕組みを重視します(ルーマンやボルツ(1953-))。
■また合意モデル派は「政治への自由」を重視し、「全員投票に行くべきだ」とデモクラティズム(民主主義)に傾きがちです。他方、信頼モデル派は「政治からの自由」を重視し、「社会を信頼して投票しないのもOK」とデモクラシー(民主制度)に傾きがちです。
■最近でも住基ネット不参加(正確には個別方式)などリベラルで知られる自治体首長が、住民の声に応え、青少年の深夜外出を親への罰則付きで禁じる条例を提案したのは驚くに足らない。彼は道徳的責務の在処を示すために、こうした条例化は不可欠だと主張します。
■「法と道徳の分離」という近代法の大原則に対する無知を、嘲笑することもできますが、ここではむしろ「合意モデル派のリベラル」が、住民の声を天の声とするデモクラティズムゆえに、道徳的合意事項が多いほど社会が安定するとの錯誤に陷り易い点が要注意です。
■定常システム理論に依拠し、秩序の信頼モデルを採用する社会システム理論は、成員が絶えず政治動向をウォッチしていないと道を誤る政治システムを健全とは見倣さぬどころか、むしろ投票する者が増えることで却って政治システムが道を誤る可能性を危惧します。
■合意によって出発点を確認しないと先に進めないようなシステムにはもはや退却できません。昔のムラ社会じゃない。そんなことをしていたら電車に乗るだけで朝から晩まで時間がかかります。合意を節約して知らない人を信頼するからこそ近代社会が成り立ちます。
■とはいえ、そこに最大の弱点があります。信頼は、信頼が破られないという事実性に依拠するので、現に大きく破られれば、信頼はもはや持続可能ではなくなる。その意味で信頼は事故や攻撃に弱く、特に高度技術社会では、ベック(1944-)の言うように脆弱さが際立ちます。
■社会の複雑化に合わせて社会システム理論は「合意に基づく自由」から「信頼に基づく自由」に図式転換しました。その信頼の脆弱さが露呈したので現実社会は「信頼に基づく自由」から「監視に基づく自由」へと転換しつつある。それでいいのか、ということです。
■今回は、コミュニケーションの接続を可能にする選択前提とは別に、コミュニケーションを浸す暗黙の非自然的な前提という初回に提示した概念に戻って、信頼概念を題材としつつ、暗黙の非自然的なあり方をイメージメイクしました。次回は「予期とは何か」です。

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