|  
        | 
      
| Tweet | 
 
-------------------------------------------------
◆ 亜細亜主義の可能性 〜国家を操縦する導きの糸〜
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=45
-------------------------------------------------
8月18日朝日新聞夕刊に掲載された論説です。
■世の中にはベネディクト・アンダーソンを誤読して「国民化の歴史を振り返り、国民幻 
想を相対化せよ」などと語る輩がいる。「ボーダーレスな時代だから国民国家にこだわっ 
ていては駄目だ」と言う。時代錯誤だ。 
■私たちは領域的にも力の大きさ的にも国民国家=ネーションステイトを超える主体を持 
たない。私たちが世界を変えようと思ったら、ネーションステイトをハンドリングするし 
かない。 
■私がかねて「自立した国民として思考停止に陷らず、ステイト(機構としての国家)を 
ハンドリングせよ」と呼びかけ、政治家や役人にロビイングしてきた。私はネーション幻 
想(幻想共同体としての国家)に身を委ねているか。ありえない話だ。 
■愛国心とは何か。国という言葉が誤解の元で日本人はすぐステイトを愛することだと思 
う。ここでの国はパトリの訳で、ステイトが守るべきナショナルヘリティジ(国民財産) 
の意味。国家が守るべき社会のことだ。 
■ゆえに愛国者は、国家が社会を、ステイトがネーションを守らないなら、国家=ステイ 
トに文句を言い、操縦せねばならない。現に国家への命令である近代憲法は、国民とナショ 
ナルヘリティジを守るよう厳命する。 
■国家が守るべき社会とは何?「幻想共同体としての国家」が確固として信じられる国民 
国家の黎明期と違い、今日のそれは一定の地理的領域内の「生活の事実性」に拡張される 
べきだ。 
■社会がボーダレス化したならボーダレス化した社会における「生活の事実性」から国民 
が得る利益を守るべく、国家は機能しなければならない。国家がそうした責務を果たすよ 
う国民が監視し、操縦する必要がある。 
【国粋主義とは本来無縁】 
■さてフランス第三共和制から帝国主義の時代にかけ、国家はそうした義務を果たすには 
脆弱すぎたり凶暴すぎたりするとの意識が高まる。そこで一方で、凶暴すぎる国家を否定 
し、中間集団ネットワークに義務を託する「無政府主義」が生じた。 
■他方で、脆弱すぎる国家同士を、文化的類似性をベースにしながら経済的・軍事的に連 
携させようとの動きが、欧州列強に屠られる可能性に脅える日本に生じた。「亜細亜主義」 
だ。 
■亜細亜主義は、戦後日本とアジアでタブー視された。本来は国粋思想とは無縁だった亜 
細亜主義が、帝国主義的大陸進出の正当化に用いられ、挙げ句は大東亜戦争のご都合主義 
的な正当化ツールに堕したからだ。 
■亜細亜主義は見直されるべきだと四年前から主張している。契機はシアトルのWTO総 
会。あらゆる領域で急進するアメリカ製グローバル化に対し、世界中の人々が異議を申し 
立てた。スローライフ運動が広がって、EU統合も弾みがついた。 
■日本国民だけがこの一件の意義を理解しなかった。他方90年代に日本の経済力は凋落、 
韓国・台湾・中国などが急成長した。アメリカ一人勝ちのグローバル化に抗すべく、弱者 
連合の思想である亜細亜主義の本義が活かされる時が来たと感じた。 
■亜細亜主義には思想的な積極性がある。「脱亜論」の福沢諭吉は朝鮮維新政変たる甲申 
政変が失敗するまで亜細亜主義者だった。政変失敗でアジア諸国が足手纏いになると感じ、 
一国近代化論に転じた。亜細亜主義者とは情勢判断で分岐しただけだ。 
■明治十年頃まで藩閥政治が続いた。「日本」という虚構を多くは信じていなかった。に 
もかかわらず、虚構への貢献を通じて自ら(の藩)を立てんとする志士がいた。そんな時 
代、岡倉天心が、同じ虚構なら「日本」よりも「亜細亜」だと言った。 
■ことほどさように亜細亜主義には、ナショナルなもの(幻想共同体としての国家)を相 
対化してもなお残る「国民国家をいかに操縦するか」という課題に向き合おうとの意趣が 
ある。私たちが学ぶに足る視点がある。 
【盟主のいない弱者連合】 
■「文化を下敷きにした軍事経済ブロック」と言えば、皮肉にもアジアならぬ欧州が 
EEC、EC、EUへと進化させた。そこには軍事的安全保障のみならず、食料安全保障、 
エネルギー安全保障、IT安全保障、文化的安全保障の視点が内在する。 
■アジアはそうした繋がりをまだ持たない。ポイントは欧州が突出した盟主を作らないよ 
う努力した点。大東亜共栄圏は、列強搾取から東亜を守るとの大義にかかわらず、飽くま 
で日本が盟主。域内の、強者/弱者、搾取/被搾取の関係は自明だ。 
■教え子であるアジアの留学生らは亜細亜主義というと激烈な反発を示す。だが日本が盟 
主でない、盟主のいない弱者連合ならどうだと問いかけると、強い興味を示す。韓国の留 
学生らは、ならば韓国の政治の流れは亜細亜主義の方向だとまで言う。 
■問題は、天心の言う「亜細亜は一つ」の一つさをどう構想するか。天心の一つさは、欧 
米列強という脅威を前提にした、あえてする幻想に過ぎない。幸い今のアジアの若者らに 
は、漫画・アニメ・音楽等のサブカルチャ 
ー・ネットワークが存在する。 
■欧州映画はアジア映画に座を譲った。単なるノスタルジーでなく、人と人、人と場所と 
の必然的な結びつきを求める気持ちが──三島由紀夫ではないが入れ替え可能な偶発的存 
在に堕するのを回避しようという気持ちが──動きに拍車をかける。 
■弱者が弱者を嫌悪し、暴力や戦争に憧れる「ぷちナショナリズム」も散見する。フロイ 
ト的に言えば全能感の断念に失敗した虚勢不全がもたらす小児病。繰り返す。私たちが自 
立した国民として思考停止を排し、国家を操縦するべきときが来た。亜細亜主義が導きの 
糸となろう。 
 
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。