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支配層と庶民層
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投稿者 あっしら 日時 2004 年 3 月 23 日 06:13:28:Mo7ApAlflbQ6s
 

(回答先: Re: 「愛人関係」の継続には異論はありません 投稿者 まっくす 日時 2004 年 3 月 22 日 01:58:45)


まっくすさん、レスありがとうございます。
重大事件の発生もあり、思うがままに書いた半端な説明になっていますがご容赦ください。
私も、都市消費生活者のイメージが付きまとう“市民”という言葉は嫌いです。


まっくすさん:「私は支配層の感性がまったくこれら庶民層と違うとは考えないんです。恐怖に支えられた人は、エロスの影に怯えざるを得ないですから。この点などはいかがお考えですか?」

性的感応性や自然感受性などについては、時代規定性のほうが強く、支配層のそれと庶民のそれはそれほど違わないというか、支配層のそれに庶民が引き寄せられる(憧れたり志向する)ものなので似ていると思っています。
華やかで奢侈的なものに魅かれるのも、「わびさび」やミニマリズムに傾倒するのも、支配層の分化した感性のそれぞれに影響を受けていると見ています。(支配層の女性と男性それぞれに特徴的な傾向と言ってもいいかもしれません。女性的感性を好む男性やその逆も珍しいことではありません)
どのような女性を美と感じるのか、どのような生き方をカッコイイと思うのかなどを考えると、支配層のそれに庶民層がどれほど引き寄せられているかがわかると思います。

前に書いたことがありますが、世界支配層最上位の人たちは、都会的享楽に現を抜かしているのではなく、田舎っぽい場所で淡々と暮らしているように見える生活を送っていると想像しています。

しかし、支配層の世界観/価値観は、感性レベルと違って、私(庶民層)のそれとは驚くほど断絶したものであろうと思っています。

先に何があるかよくわからないが生きるために生きていくという庶民層のそれと、自分達の絶対的優位性を維持するために先を用意しようとする(用意できる)支配層のそれは、根底的に違うはずです。
庶民層は自分を手段として自分の目的を達成しようとするものですが、支配層は他者を手段として自分の目的を達成しようとするものです。このような思考様式の違いが恒常的であるなら、自ずと、見える世界や物事の価値性も違ってきます。

支配層の恐怖は、他者を手段として自分の目的を達成できる位置から引きずりおろされることです。
そのために、庶民層を自分達の感性に引き寄せ、手段化された庶民層がそうは受け取らずに自由意志で目的的に生きているという“錯誤”で喜々として手段化される道を歩む仕掛けを施しています。

支配層の下っ端というか庶民層の上層と言ったほうがいいのかわかりませんが、その程度のレベルにある人たちは、他者を手段として自分の目的を達成するというだけで、先を用意できるわけでも制度的構想をかたちにできるわけでもありません。そのレベルの人たちは、思いはどうであれ、大枠で言えば庶民層です。
そして、そのような庶民層的支配層が庶民層に見える支配層だと思っています。

まっくすさん:「イメージはよくわかるのですが、"彼ら"に本当に「ためらい」はないのでしょうか?私が古臭いのかもしれませんが、何と言っても資本制の中には人間性の酸いも辛いも全部ひっくるめたものが入っていて、いくら向こうが冷めていても、人間がそうやすやすとこの埒外へ出て行けるような気がしないのですが・・・たとえば、新世界秩序とは既存の感性など放棄せざるを得ないほど、我々庶民が籠絡され、スポイルされる(つんぼ桟敷で嬉々としてご奉仕する)というイメージですか?」

ポスト産業資本制は「明るく自由な社会主義」だと庶民層に受け止められる世界だと思っていますので、既存の感性を放棄せざるを得ないような奴隷的な状態になるとは思っていません。

現在の資本制が強欲な企業(資本家)のためのものだと考えているような人には、それが消え去った、生活は楽ではないけどみんながともに頑張っているいい社会だと思えるもののはずです。
国債の利払いがどこに消えていくかなんか今でもそれほど考えていないのですから、「明るく自由な社会主義」においても、それがごく少数の支配層(国際金融家)の手に渡ることを気にするひとはそれほどいないでしょう。

所得格差もあるし、性風俗を含め憂さ晴らしもできるし、民主的政治制度も存続しているはずですから、「庶民が籠絡され、スポイルされる(つんぼ桟敷で嬉々としてご奉仕する)というイメージ」とは程遠いと思っています。

まっくすさん:「確かに今更コスト高の奴隷制など敷くわけもないですが、かといって日本人がそうバカとも思えません。私は敢えて今の中途半端な、覚悟のない状態を「愛人関係」と呼んだのですが、本心は「どうせなら籍を入れてしまえ」くらいに思っているのです(笑)。日米の出会いは人類史の運命だなと感じて、長い年月をかけてアメリカ人に「わびさび」を教えてあげるのがいいかと。向こうが戦略なら、日本は無手勝流という感じです。何せみんながユニークだと言ってくれている以上、そこにこだわんないとそれこそ未来はないですから。少なくても庶民レベルでは、向こうさんにも「その気」が漂っていきているように感じているんです。なんでここまで躍起になって日本を囲い込もうとしているか?私には"彼ら"にも疲れや焦りがあるのかなと。」


米国の庶民層と日本の支配層&庶民層は同じ立場ですから、その間に愛人関係を取り結ぶのは困難です。“彼ら”は「分断と対立」が身を保全するための鉄則だと思っていますから、日米のそのような関係を許容しません。
日本が一方的に愛人関係を求めることになる相手は米国の支配層です。

「ここまで躍起になって日本を囲い込もうとしているか?」は、日本にしかない力が必要であり、日本はその要請に抗うことをしない(できない)と思っているからではないでしょうか。
年間20兆円以上もの資金を融通させても平気な国は日本以外にありません。
中国やロシアにあるラインを超えた要求を出せば、それはなんと言われてもできないとはねつけられますが(国民レベルでも)、日本はいざというときに抗う能力がないことを政府も国民も“本能”的にわかっているので受け容れると思われています。

ドイツやフランスも、どういう裏があったにせよ、イラク攻撃でノーの意思表示をしました。
2002年から2003年にかけてのイラク問題での態度決定は日本にとって大きな転換点だったと思っています。
まっくすさんも書かれているように、転換点で「日本は今やイギリスより重みのある経済大国」である条件を活かし切れなかったことを無念だと思っています。

まっくすさん:「であるがゆえに、あっしらさんの「開かれた共同体」構想に敢えて「エロス」という概念をぶつけ、もう少しぶっちゃけた段階から議論していけないかと考えたのです。できればもう少し「国民経済主義的国家社会の歴史過程のなかでわかるもの」という部分を敷衍していただけないでしょうか?」

この部分はうまく説明できるかどうかや長い説明になるかもなどと思っているので、別の書き込みにさせていただきます。

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