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Re: バランサーとしての「天皇さま」
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投稿者 まっくす 日時 2004 年 4 月 07 日 18:42:34:1gyEqZlfbcB1s
 

(回答先: Re: Re:「 (微笑み) 」・・・・人類のあたらしき社会の未来を願う・・・その姿(前提編) 投稿者 鼻曲がり 日時 2004 年 4 月 07 日 15:59:59)


鼻曲がりさん、こんにちは。

私はせっかちで、過程をはしょった書き方をすることがよくあります。
順を追って説明してみます。

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本来の人間の生き方は全ての人たちの合意のもと
最小限決め事ができる社会のことです、
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はげしく同意します。

私の理想とする社会も、法律など存在する必要のないほど、
健常(骨)で、清楚(筋)で、熟成(肉)された社会、
生きているだけで自然とうれしさのこみ上げてくる世の中です。

微力ながら、「法」で締め上げる体系から、締め上げる必要性が
薄まっていくような手段を追求しているのも、そのようなうれしい社会に
住みたいと願っているからです。

資本主義社会の「法」は過酷です。鼻曲がりさんの仰るような「不正」が
根幹に据えられたまま「合法化」されているからです。

「不正」を指摘する当たり前の事が、いまも右、左、中道という三種類の
「コード」でしか演奏できないこと事態、きゅうくつです。

この阿修羅でも「コード」の強制力は強く、あっしらさんとのやり取りの中でも、
私は「コード」の存在を意識せず演奏することができていません。


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つまり人が人の上に立たない社会、それは平等な社会です。
平等とは・客観的比較のもと満足できる状態。つまり平等と
いうときには、他者との比較があります。ただ単に
主観的比較ではなく、客観的な中での比較ということです。
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平等。

この言葉には、人類の怨念がこめられています。

私の中では、主観と客観の区別はあまり重要ではありません。
客観とは、他者が自分をどうとらえるかを自分なりにくみとる事に
他なりませんから、「写し鏡としての主観である」と言えます。

鼻曲がりさんの仰る「平等」もこのように翻訳し、
おのおのが主体的に自由に振舞える社会と理解しました。

西欧的な文脈での「平等」には、神の庇護の元で万人が平等という
建前があり、人間同士の交渉はフラットな地平にコード化され、
「コード」(法)のもとで相互対立的に生きるよう仕向けられています。
これが本源的な自由であるはずがありません。

私の理解する「平等」は自由と相反するものではありませんが、
このように「コード」化された世界で「平等」を推し進めれば、
むしろ自発的な自由は抑圧され、自我の殻の中に拘束されます。

私が「技術」(道具)としての「お金」にこだわっているのは、
「お金」が以上の意味での「コード」化に仕える存在として、
全地球的な相互交渉を媒介(すなわち規定)している事態を
異常と見なすからです。「お金」は本来、他者とのやり取りを円満に
進めるための道具でなければなりません。


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横道にそれてしまいましたが、私が知りたいのは前文に
出しましたように
≪その中で「天皇さま」が(実は日本ではなく)世界の"穴"と
してご活躍になるときが近づいているのかもしれません。≫
というくだりだけです。
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話せば話すほどヤボになる(現状「右」という「コード」に分類される)ので、
理屈のみ書かせてもらいます。

以前別のところで書いた指向性の相違(マイナス族とプラス族)は、
西洋=非西洋の問題ではなく、人間の属性にかかわる問題です。
あらゆる国家、人々、環境が相互間で、また各々の内部で抱えている問題です。

その結果として現れる対立をやわし浄化する存在(=非存在)は、
どうやら世界中を見渡しても、「天皇さま」(=空としての実在)しかありません。

「天皇さま」は、人間のプラス・マイナスの属性を調整する「機能」の比喩として
使っています。近代化を遂げつつ、このような調整機能を温存してきた日本という
「くに」には、きわめて中庸なバランス感覚が流れていると思います。
このバランス感覚が近い将来、どうしても世界に必要とされるという確信に近い
感覚が私の中にはあります。

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