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投稿者 あっしら 日時 2004 年 1 月 08 日 18:06:14:Mo7ApAlflbQ6s
 

(回答先: あっしらさんへ;お金(マネー)の全歴史書を読んだのですが、わからないところがいくつか、宜しければ教えていただけないでしょうか。 投稿者 オニオン 日時 2004 年 1 月 08 日 04:07:42)


オニオンさん、こんにちわ。


オニオンさん:「この本では古代ギリシャでは銀行業はあったが、信用手段は無かったためその経済は貴金属量の限界を超えることは無かったとありますが、カルタゴやローマはどうだったのでしょうか。カルタゴは非常に豊かな国であったと聞いていますし、ローマはパクスロマーナと言うくらいですし経済的にも繁栄していたのだと思います。ただ何冊か本を読んでも両国が紙幣や卑金属貨幣の発行や、信用創造をしていたというような決定的な内容が見受けられないのです。もしこのことについての資料があるなら教えてください。
 イスラム世界では10世紀以前に信用創造を行える銀行業が存在し(ムスリムではなくキリスト教徒による運営)たとあり、且つヨーロッパに銀行業ができたのは11世紀以後とありましたが、これに十字軍は絡んでくるのでしょうか。またこのイスラムの銀行家と、その後のヨーロッパの銀行家の間には繋がりがあるのでしょうか。」


● カルタゴや古代ローマと貨幣

古代ローマはともかく、カルタゴに関する(公開されている)資料はきわめて少なく、統治構造や経済制度そして宗教形態に関する詳細が不明です。

「紙幣や卑金属貨幣の発行」が組織的に行われた最初の地域は中国のようです。
紙幣は10世紀から国家機構が発行し、外国の貿易商も、貴金属貨幣を紙幣に両替して中国商人と取り引きさせられていたそうです。
中国はご存知のように銅銭という卑金属貨幣を主力しており、日本を含むアジアにもその影響が及んでいます。
紙幣及び卑金属貨幣はそれ自体の価値性ではなく価値尺度の表徴性に依拠した貨幣で、国家社会の組織性や交換の連鎖的密度と持続性を基礎にしてはじめて成立するものだと考えています。

逆に言えば、国家社会の組織性が乏しかったり、交換というより交易を主とする地域では、紙幣や卑金属貨幣は成功しないはずです。
受け取った紙幣や卑金属貨幣を次の支払手段として使おうとしたとき、それを受け取ってもらえない可能性があったり、蓄蔵しても統治者の交代で無価値になったり(紙幣)、価値が大きくなればとてつもない量になる(卑金属貨幣)ものに“信”がおけないのは金持ちの常です。
また、銀行家や商人がその経済社会の貨幣的富を支配しているときには、その価値を薄めてしまう紙幣や卑金属貨幣の発行を好ましいものとは思わないはずです。(統治者に影響力を行使できるのであれば、そのような発行をさせないように動くでしょう)

近代産業や近代国家のように、膨大な貨幣投入による生産手段の構築や軍事を含む国家機構の構築をもって、投入した貨幣量を上回る膨大な貨幣の流入をはかるわけでもない前近代において、貨幣に対する需要が近代ほどあったわけではありません。
貨幣を必要とするのは商人や銀行家であり国家機構(統治者)で、国家社会の主たる構成者である農民や遊牧民は自給自足的な生活をしていました。
貨幣に対する需要(借り入れ欲求)は、貨幣を手に入れそれを使うことでそれを上回る貨幣が手に入れられる予測が立つときに起きるもので、貨幣を使ってもそれに満たない貨幣しか手に入らないと予測したときには起きないものです。


カルタゴは典型的な海洋商人国家であり、国際交易を富の源泉としていました。
徐々に後背地で農業経営を拡大していきましたが、基本的には外国都市Aと外国都市Bの交換を仲立ちする交易で稼いでいたわけですから、その権益がある限り、カルタゴ自体がそれほど貨幣量を必要とするわけではありません。仕入れと販売で時間差はありますが、利鞘が入って貨幣量が増えるという事業活動です。(権益を維持するための軍事力増強にはお金がかかります)
銀行業として必要な機能は、商人が蓄積した貨幣の預かり・貨幣が一時的に不足している商人への貸し出し・遠隔地に対する支払手段としての為替決済といったものだっただろうと推測できます。
為替機能も、為替証書が支払手段になるといった信用創造につながるものではなく、商人が貴金属を輸送する負担を軽減するものであったろうと思います。

古代ローマは、帝政期に常備軍が主力になるまで自営農民の兵役が基本であり、商人や銀行家が軽んじられていたことから、国家として貨幣への需要はそれほど高くなったはずです。帝政期は、軍事力の維持・「パンとサーカス」・享楽志向で膨大な貨幣需要が生じ銀行業も盛んになりましたが、支払いは貴金属貨幣で行われていたので、銀行家はともかく国家としていわゆる信用創造でそれを補ったわけではないようです。

カルタゴや古代ローマでも、銀行家が私的に信用創造を行っていたことが間違いないと思っています。

「両国が紙幣や卑金属貨幣の発行や、信用創造をしていたというような決定的な内容が見受けられないのです。もしこのことについての資料があるなら教えてください」については、ありやなしやを含めて今答えることができません。


● 銀行業と信用創造


まず、銀行業の業務範囲をどう捉えるのかという問題がありますが、貸し出しだけであれば金貸し業ですから銀行業とは言えません。
信用創造の端緒は、自己資本(銀行家の貨幣)ではなく、預かり金を貸し出しに流用することだと考えています。
預けた人は蓄蔵していると思っている貨幣が、貸し出しを通じて使われることが信用創造の始まりだという見方です。

為替証書が支払手段として通用するとしても、その裏付けである貨幣がきちんと保管された状態になっているのなら、貨幣が移動しないだけで信用創造とは言えません。
為替証書が支払手段として流通する一方で、その裏付けである貨幣までもが支払手段として流通している状態が信用創造だと思っています。

信用創造の弊害は、100しかない貨幣があたかも300や500あるかのように使われることで、300−100や500−100の貨幣がある人のものになっているはずなのに清算して貨幣にしようとすると実はそれに相当する貨幣はないという事態が起きることです。

預け入れ金を持つ銀行家はそれをなんとか勝手に使って利益を増やしたいと思い、信用創造の結果起きる払い戻し不能を予測する預金者はそれをさせたくないと思うはずです。

銀行家が公の信用創造手段である紙幣の発行を歓迎したのは、自分たちがそれを発行できる特許を国家(支配者)から得たのちです。

● 問い2

「イスラム世界では10世紀以前に信用創造を行える銀行業が存在し(ムスリムではなくキリスト教徒による運営)たとあり、且つヨーロッパに銀行業ができたのは11世紀以後とありましたが、これに十字軍は絡んでくるのでしょうか。またこのイスラムの銀行家と、その後のヨーロッパの銀行家の間には繋がりがあるのでしょうか」

銀行業の発生は古代バビロニアと見られていますから、その地を中心にしていたイスラム世界は銀行業務を知っていたはずです。
ただし、イスラムは利息取得を禁止していますから銀行の利益源である貸し出しができず、両替や為替決済などに特化し、貨幣的富を蓄積している人たちは交易や投資にそれを振り向けていたはずです。

ヨーロッパに銀行業ができたのは古代ローマ時代だと思っていますが、ヨーロッパ内で銀行業務が求められたのは、農業改革が進み余剰生産力が生じた11世紀以降だと推定してします。
余剰生産力が“大市”と呼ばれる交易拠点を生み出し、それが、両替・信用供与(貸し出し)・為替決済といった銀行業務を要請したと見ています。
このような銀行業務を担ったのはジェノヴァの銀行家とされていますので、十字軍とは直接関係なく、古代オリエントから継承し支配者向け貸し出しや地中海交易のために維持されていた銀行業がヨーロッパ内経済社会でも花開いたというものでしょう。(ジェノヴァの銀行家は、ヨーロッパ人ではなく、ヨーロッパに定着したセム系の人たち(キリスト教徒)だと推測しています)

農業改革が進み余剰生産力が生じたことが、十字軍という大軍事行動を可能にしたと考えています。


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