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アメリカの夜
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投稿者 baka 日時 2004 年 2 月 14 日 22:21:00:RQJEnV9HbG4Tk
 

(回答先: Re: 興味深いです 投稿者 乃依 日時 2004 年 2 月 09 日 03:07:19)

乃依 さん、こんばんは。

「相変らず情報操作という「アメリカの夜」(人工的な夜を指す映画用語)が私たちの目をくらませようとしている今、私たちは目覚めていたい。」(「夜と霧」新版 訳者あとがき)

 フランクルの「夜と霧」は、生きる指針になりうるものです。以下に、「夜と霧」より関連するとbakaが思った箇所を抜萃しました。(「収容所」を世界に置き換えて読んで頂ければと思います。)

>[逃げ水を追いかけ続ける日々]

 凡庸なわたしたちには、ビスマルクのこんな警告があてはまった。「人生は歯医者の椅子に坐っているようなものだ。さあこれからが本番だ、と思っているうちに終ってしまう。」
 これは、こう言い替えられるだろう。「強制収容所ではたいていの人が、今に見ていろ、わたしの真価を発揮できるときがくる、と信じていた」
 けれども現実には、人間の真価は収容所生活でこそ発揮されたのだ。

>[我われは幸せになるためには、いつも何かをしなければならないと思っている。たぶん、そんな風な教育が資本主義の基本なのだ。豊かになるためには技術を身につけなければならないし、それなりに社会人として懸命に働かなければならない。社会から認めてもらうには、やらなければならないことが山ほどある。]

>[当然お金もそれなりに稼がなければならないし、時代の流れから落ちこぼれないために、いろんな物を次々と消費しなければならない。その上自分の属するささやかな組織の中で調和していくために必要な決まりや慣習が、それなりに掃いて捨てるほどある。そんな具合に自分の住む社会で幸福で豊かになるためには、どうしても外に向かって様々な物質的な物を求めなければならない仕組みになってしまっている。]

>[その結果として、何らかの目標が達成できるまで、幸せは、しばらくお預けということになってしまう。いつも楽しみは現在から、目標を達成できるまでの未来に先送りされ、目の前からはかなく逃げていってしまう。]

 ここでだれしも、テヘランの死神という昔話を思い出すのではないだろうか。
 裕福で力あるペルシア人が、召使いをしたがえて屋敷の庭をそぞろ歩いていた。すると、ふいに召使いが泣き出した。なんでも、今しがた死神とばったり出くわして脅された、と言うのだ。召使いはすがるようにして主人に頼んだ、いちばん足の速い馬をおあたえください、それに乗って、テヘランまで逃げていこうと思います、今日の夕方までにテヘランにたどりつきたいと存じます。主人は召使いに馬をあたえ、召使いは一瀉千里に駆けていった。館に入ろうとすると、こんどは主人が死神に会った。主人は死神に言った。
 「なぜわたしの召使いを驚かしたのだ、恐がらせたのだ」
 すると、死神は言った。
 「驚かしてなどいない。恐がらせたなどとんでもない。驚いたのはこっちだ。あの男にここで会うなんて。やつとは今夜、テヘランで会うことになっているのに」

>[もちろん、これらの発想には罠がある。何故なら、世の中は常に儘ならないものだから、だ。それらの目標を、何らかのトラブルが起きて達成できないかもしれないし、まだ手にもしていないものを手に入れないと幸せになれないと思うことは、まず何よりも自分で幸せを創造する能力を放棄することになってしまうからだ。]

>[幸せになりたければ、安定したければ、愛されたければ、成功者になりたければ、まずこれこれのことを達成し、これこれの資格を獲得しなければならない。そんなふうに我われはマインドコントロールされ、騙されてきた。]

>[いま資本主義の権化、アメリカ主導の世界 (パックス・アメリカーナ)がほとんどパーフェクトに確立されようとしている。その上世界中の国々がアメリカのような国になろうとしている。つまり、経済主権をしっかり持った国ということである。きれい事を抜きにした世界の経済主権は原子力産業と兵器産業と麻薬産業である。地球全体をひとつのカラーに染め上げようとするグローバル思想、つまり、それが略奪と専制によって不動の国家を構築するための基本思想なのだ。]

 人間はなにごとにも慣れる存在だ、と定義したドストエフスキーがいかに正しかったかを思わずにはいられない。人間はなにごとにも慣れることができるというが、それはほんとうか、ほんとうならそれはどこまで可能か、と訊かれたら、わたしは、ほんとうだ、どこまでも可能だ、と答えるだろう。だが、どのように、とは問わないでほしい......。

>[ようするに、欧米にとって兵器と麻薬はドル箱産業なのであり、国家を支えている基本構造なのである。とくに民主主義とアメリカンドリームは、あくまでショー的な見せかけで、引き剥いた話、お金を独占する者はさらに金持ちになり、底辺では 300万人ものホームレスが虫けらのように人知れず息を引き取っている。そしてその2ヵ月後には、アメリカンドリームを夢見た新たな移民300万人を、自動的に他国から仕入れる仕組みになっている。これを際限なく繰り返せば、すべてはうまくいくってわけなのだ。これが資本主義の権化、アメリカ合衆国の偽らざる姿といえる。兵器や麻薬が消費されてお金を大量に生み出されるためには、どうしても戦争を起さなければならないし、人間の一生のサイクルをかなりスピードアップして消費されなければならない。そんなわけで麻薬や戦争は「死の産業」として、資本主義社会には必要不可欠なものなのだ。]

 そのとき、貨車の扉が引き開けられ、よくある縞模様の服を着た被収容者がどやどやと乗りこんできた。丸坊主にされてはいるが、栄養状態はきわめて良好なようだ。いろんなヨーロッパの言語をしゃべっている。そろって陽気そのもので、この瞬間この状況ではどことなくグロテスクな感じがした。溺れる者は藁をもつかむ。このとき以来、何度も苛酷な状況を乗り越えさせてくれたわたしの性来の楽天主義は、この事実にしがみついた。

>[一方日本では、小泉首相の見当違いな経済政策の犠牲となって多くの中小企業が次々と倒産している。そんな状況を、待ってましたとばかりに外資系の不良債権ビジネスグループと弁護士連中等は、雨後の竹の子のように会社が潰れるのを、いまかいまかと涎をたらしながら、まるでハイエナのように待ち焦がれている。]

 わたしたちはまだなにも知らなかったのだ。彼らは「エリート」だった。アウシュビッツ駅に - 何年ものあいだ - 毎日何千と送りこまれる人びとを出迎えるために選ばれた、例の被収容者グループだったのだ。

>[これが資本主義社会の現実なのだ。]

>[ ところで、もう一度話を心の幸福の問題に話を戻すと、しなければならないことがあると信じている間は、どうしてもそれが何なのかを知ろうとし、次にそれを実現しようとして悪戦苦闘してしまう。その奪い合いの果てに、必ず葛藤が起きることになる。目に見えるものに価値をおく世界では、目的達成こそが真理となる。生き甲斐を目標達成におくと、結果的にその旅の過程では、ずっと満たされない思いでいなければならなくなる。]

被収容者は、行動的な生からも安逸な生からもとっくに締め出されていた。しかし、行動的に生きることや安逸に生きることだけに意味があるのではない。そうではない。およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。

収容所を生きしのぐことに意味などない。抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから。

>[お陰で今日もまた雑多な仕事に小突きまわされ、ほとんど無意味と思われる会議に延々と付き合わされる。さらに成果があがっていない等と勝手に決めつけられて、無神経な上司に、人目も憚らないで大声で怒鳴られる。挙句の果てに、陰湿な表現でリストラまで匂わされて、まるでぼろ雑巾になったような気分におちいってしまう。終いには、自分自身がミイラのようになってしまったかのように思える頃、ようやく退社の時間をむかえる日々。]

>[結局のところ、毎日がそれの繰り返しだったりする。大なり小なりはあっても、サラリーマンとはそんなものかもしれない、と思い込む。そんな風な、ソンビーになったかのような日常からついに引退する日を、誰もが心待ちにしてしまう。]

>[そして当然の成り行きとして、その時こそ、素晴らしく快適な理想の日々が送れると、誰もが本気で信じ込む。]

>[しかし残念ながら、それもまたとんでもない勘違いといえる。それで手に入れることができるのは頻繁な医者通いと、まるでヴァーチャル空間を彷徨っているような空虚感だ。そしてもしあなたが運の悪い星のもとに生まれていれば、ガンによる死の宣告ということさえ有り得るのだ。]

勇敢で、プライドを保ち、無私の精神をもちつづけたか、あるいは熾烈をきわめた保身のための戦いのなかに人間性を忘れ、あの被収容者の心理を地で行く群れの一匹となりはてたか、苦渋にみちた状況ときびしい運命がもたらした、おのれの真価を発揮する機会を生かしたか、あるいは生かさなかったか。そして「苦悩に値」したか、しなかったか。

>[こんなこと、皆にわかに信じないかもしれないけど、人間の生命システムが組み込まれている我われの DNAは、ちっとも快適さを求めていない。むしろスリルと冒険を求めているらしいのだ。何故なら、そうでなければ種として進化していけないからだ。進化できなければ、その生命体は環境の変化に柔軟に対応できなくなって、種としての存在意義を失う。それはそのまま種の絶滅を意味する。]

>[宇宙の法則は、過酷なくらいシンプルに設計されている。アメーバーであろうがネズミであろうが、化学実験データーによると、ひどい扱いを受けた方のアメーバーやネズミの方が、明らかに成長が早く、もちろん動きもエネルギッシュなのだ。逆に、快適で何のストレスも与えられなかったアメーバーやネズミの方が、その成長と繁殖にもっとも適した状態を常に維持したにも拘らず、快適で何の変化のない環境でいると少しずつ衰弱し、しまいには死んでしまうことが証明されたのだ。]

 人間にはなんでも可能だというこの驚きを、あといくつかだけ挙げておこう。収容所暮らしでは、一度も歯をみがかず、そしてあきらかにビタミンは極度に不足していたのに、歯茎は以前の栄養状態のよかったころより健康だった。

>[ そんな訳だから戦争が起こると、逆にその国の国民の自殺率が急に低下したり、国民の生活を国家が保障している社会保障先進国のデンマークやスウェーデン等が世界で最も自殺率が高いというのも、まあ、これで何となくうなずける気がする。]

 ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度T転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。(中略)生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を充たす義務を引き受けることにほかならない。

 苦しむことの意味が明らかになると、わたしたちは収容所生活に横溢していた苦しみを、「抑圧」したり、安手のぎこちない楽観によってごまかすことで軽視し、高をくくることを拒否した。

 自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するのかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。

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