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「あえてする日常へのコミットメント」へ──Mr.Children『シフクノオト」
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投稿者 まさちゃん 日時 2004 年 4 月 01 日 14:36:47:Sn9PPGX/.xYlo
 

◆ 「あえてする日常へのコミットメント」へ──Mr.Children『シフクノオト」
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=89
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【禁じられたミメーシス】
■音楽にとって歌詞とは何か。永遠に論争的な話題だろう。桜井和寿がそうだったように
誰でも中学時代(思春期前期)あたりから音楽に興味を抱くようになる。歌詞に惹かれる
というよりも、声をも含めて、旋律や韻律の引き起こすミメーシス(感染)によるだろう。
■私は中学時代(70年代前半)からピンクフロイドやキングクリムゾンなどのプログレッ
シプ・ロックに耽溺した。当時のプログレはインストルメンタル部分が異様に長かったが、
私はそれが大好きで、そこにボーカルが入ってくるとスッと醒めてしまうことが多かった。
■とりわけ私が苦手だったのが愛だの恋だのと歌うタイプのもの。辛うじて耐えられたの
が風や光や匂いを歌うもの。今でも音楽好きの高校生や大学生と話すと、同じような嗜好
をもつ人が意外に多いことが分かる。社会システム理論的には、理由はハッキリしている。

■コミュニケーション可能なものの全体を「社会」といい、ありとあらゆるものの全体を
「世界」という。未開社会の人や、子供たちにとっては、「社会」と「世界」は混融する。
アニミズムが典型だが、動物から木や石まで、あらゆるものがコミュニケーション可能だ。
■でも至福の時間は続かない。思春期前期にもなると「社会」と「世界」を分離させられ、
「社会」を生きろと強制される。人間関係へと制限された「社会」の外側には、コミュニ
ケーション不可能な事物からなる「世界」が拡がる──そうした世界観を強制されるのだ。
■その期に及んで「蝶よ花よ」などと「世界」と「社会」を混融させる者は、少女趣味か
ら逃れられない輩として小児扱いされる。だが思春期前期の若者たちは「人間以外は全て
事物」といった世界観に耐えられない。「社会」ではない「世界」にも揺り動かされたい。
■「社会」の外に、コミュニケーション不可能なものからなる「世界」が拡がるとの見方
をプラトン的世界観と言う。プラトン以前のギリシア人は、人間以外の諸事物とコミュニ
ケーションして揺り動かされたが、プラトンはミメーシス(感染)と呼んでこれを戒めた。
■それで言うなら、思春期になった若者は、大人から禁じられたミメーシスの快楽を放棄
しきれないどころか、禁じられるがゆえに切望してしまう。だから音楽への偏愛が生じる。
ヘタな歌詞は「世界」から「社会」へと人を引き戻してしまうので、嫌われるのであろう。

【イノセンスなのかナルシスなのか】
■さてそんな思春期の私がなぜか『ひこうき雲』『ミスリム』の荒井由実の歌には惹かれ
た。見事な楽曲構成もあるが、「愛だの恋だの」を歌うよりも「蝶よ花よ」的な世界を歌
い、「社会」に没入し切れずにミメーシスに淫する感受性を肯定してくれたからだと思う。
■同じ感受性は今も続いている。私がミスター・チルドレンを好むのは、キャッチーであ
りながらゴツゴツした楽曲の良さもあるが、人間関係からなる「社会」に没入しきれない
ディタッチメント(距離化)的な感受性が桜井和寿の歌詞に刻印されていることが大きい。
■そうした感受性が前面に出て来るのは、5thシングル「Innecent World」(94.6.1)あ
たりからだ。小林武史プロデューサーから「そろそろ桜井和寿という人間が今歌うからこ
そ説得力があるような歌を作ってもいいんじゃないか」と言われて作った曲だったらしい。
■以降の彼の曲は、とりわけヒット曲は例外なく、ディタッチメントの感受性を刻印した
ものとなる。彼の曲が「メンヘラー」「メンヘル系」の若者にウケがいいのも同じ理由で、
「社会」に没入しきれない──ある意味で大人になりきれない──感覚を歌うからなのだ。
■この感覚は、桜井和寿の風貌ともマッチするイノセンス(少年っぽさ)として表れて人
気要素となる一方、別の側面では、ナルシスチック(自己愛的)な自意識のこねくり回し
だと受け取られ、メンヘラー人気と裏腹に「健全な常識人」にとって不人気要素となった。
■実際私の周囲には4thシングル「Cross Road」(93.11.10)までのミスチルは好きだ
が、それより後はウザくて嫌いになったという二十代が少なくない。だがイノセンスとし
て好かれようがナルシスとして嫌われようが、彼の歌詞が高度な達成であるのは否めない。

【固有の履歴ゆえに固有の志向を持つ私】
■桜井のディタッチメントな歌詞世界は、(1)陰と陽、光と影、夢と現実、虚と実、本当の
自分とウソの自分…といったダイコトミー(二項対立)を示しつつ、(2)どちらかを一方的
に肯定するよりもむしろ1/f的に揺らぐ、といった説話論的構造を持つ点に特徴がある
■その上で、(3)そうした揺らぎは多くの場合「即自(感じる自分)」と「対自(考える自
分)」との間の振幅として描かれていて、かつ、(4)そうした揺らぎを謂わば「人間の摂理」
として肯定することでディタッチメントな感覚を醸し出す、といった構成になっている。
■これが高度な達成なのは、他のミュージシャンによる歌詞世界と比べれば一目瞭然だ。
ある時期以降、日本のミュージシャンの歌詞から主語が消えた。形式的には私という主語
があっても、それは私としての私というより誰でもいい私であり、入替え可能な私なのだ。
■拙著『サブカルチャー神話解体』で「15秒CF的なもの」と記したが、たいていの歌詞
はトレンディドラマ的な「ありがちシーン」を描く。「固有の履歴を持つがゆえに固有の
志向を持つ私」は一切登場せず、そういう時間的物語の代わりにシーンの断片があるのみ。
■「あるある」的な頷き合いを可能にする「主語の消去」「フラグメント(断片)化」は、
山下達郎のシングル「クリスマス・イブ」辺りから急拡大するが、前掲書では「松任谷由
実=主語あり」と「ドリームズ・カム・トゥルー=主語なし」の差異として示しておいた。
■こうした現在主流の「主語なし音楽」と比べれば、桜井の歌詞は、それがナルシスであ
ろうがなかろうが、先の小林武史の台詞ではないが「桜井和寿という人間」に固有に帰属
するものとして聞こえる。これは、現在の音楽シーンにおいて圧倒的に肯定されるべきだ。
■実際、昨年のオリコン・シングルチャート・ベスト20の歌詞を詳細に検討してみると、
「固有の履歴を持つがゆえに固有の志向を持つ私」を描くものは、桜井和寿の病後復帰第
一弾である24thシングル「HERO」(02.12.11)だけ。残りは全て「主語なし音楽」だ。

【ディタッチメントからコミットメントへ】
■新アルバム『シフクノオト』だが、桜井の歌詞をナルシスチックでウザったいと遠ざけ
てきた人にこそ聴いて欲しい。桜井が一皮向けているからだ。例えば二曲目「PADDLE」
はどうか。小品だが、まっすぐなポジティブさは、デビューしたばかりのバンドみたいだ。
■三曲目の25thシングル「掌」はどうか。PVの血まみれを含めて劇場版『エヴァンゲリ
オン』のシンジとアスカが首を絞めあうような歌詞世界だが、繰返される「ひとつになら
なくていいよ」という呼び掛けが、エヴァの疎外感と対照的に救済感をもたらしてくれる。
■四曲目の同じく25thシングル「くるみ」はどうか。自分自身のボタンの掛け違えは悲劇
でも、余ったボタンホールから音楽が生まれ、他の人たちを揺り動かす。とすれば、ボタ
ンの掛け違えもまた良し。そのようにして歴史は回る。まさしく終わり良ければ全て良し。
■六曲目の「Pink〜奇妙な夢」はどうか。恥じらいがあった昨日の君より汚れた今日の君
のほうが愛しい。黄ばんだり黒ずんだりしたほうが愛しさは増える。汚れやひび割れこそ
が入替え不能な歴史を刻む。「くるみ」同様、長い時を生きていた者だけが歌える内容だ。
■八曲目「空風の帰り道」はどうか。花や草木を見てみよう。存在するということが奇跡
だ。確かにあらゆる苦難がある。しかしだからこそ、存在するということの奇跡に開かれ
よう。別れてもいずれ会える。日は暮れてもまた明ける。この摂理自体が奇跡ではないか。
■九曲目の23rdシングル「Any」。自分の中の暗闇を無理矢理ほじくり出してもがいてい
た。懺悔の歌だ。期待外れは間違いじゃない。後でどんな意味を持つかは自分次第。世の
摂理は人知を超える。ことの良し悪しは軽々には判断できない。「くるみ」に似た内容だ。
■十一曲目のラジオ限定公開「タガタメ」。ありきたりの日常を誰もが同じように生きる。
かと思えば子供が殺傷される悲惨さ。でも公園に行けば別の世界が回る。悲惨な事件と公
園と日常。まるで別世界のようだが全ては連鎖している。日常にコミットするしかない。
■十二曲目の24thシングル「HERO」はどうか。昨年の最大の話題はイラク攻撃だが、こ
れに触れたチャート入り曲を探すとラップ以外は「HERO」だけ。ちなみにアフガン攻撃
は桑田圭祐が「ROCK AND ROLL HERO」で米国批判を展開する。あまりに少なすぎる。
■「HERO」は米国批判ではない。「声を上げろ」でもない。逆に「私よりも公が大切」
といった小林よしのり的言説の逆を行く。人は私生活主義を批判する。でも私生活はこん
なにも豊かだ。戦争批判の「HERO」(公)じゃなく、君の「HERO」(私)になりたい。
■むろんアイロニーだが、これに象徴されるようにアルバム収録曲に共通のトーンがある。
今までは、考える自分によって感じる自分をズラし、ディタッチした。今回はいったんディ
タッチした後「あえて」感じる自分へと戻り、コミットしようとする。大きな翻身である。
■その結果、ナルシスチックな自己撞着を大きくブレイクスルーした。昨年の小脳梗塞で
のダウンから半年後に「HERO」で復活した桜井は、「社会」に没入しきれないネガティ
ビティから、あえてする日常肯定のポジティビティへと翻身し、一挙に深さを増したのだ。

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