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江戸時代の大飢饉は何故防げなかったか?
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投稿者 スパルタコス 日時 2004 年 4 月 07 日 11:08:49:mom5b2vMCpk96
 

江戸時代は平和な時代であり、耕地面積の拡大、道路や航路などの交通網の整備、農具・学問の発達、サツマイモの栽培が奨励され、食糧備蓄・救済小屋の建設、幕府の倹約令にも関わらず、餓死者を出す大飢饉が2度も起きた。享保の時の薩摩芋栽培がどれだけ広がったのか分からないが、生活水準が江戸初期より江戸末期の方が上がってなければおかしいとも思うのだが、自然条件の過酷さに農機具・肥料の発達が追いつかなかったといえるか。商人の米買占めなど、今の「北朝鮮」を思わせる事態も起きている。ただ、米買占めは非難に値するかも知れないが、商人も生活があるし、絶対的に何年間も不作が続いた場合、ある程度は備蓄しておきたい所はある。
蓄えていた米を全て放出してしまった後、米が入らなくなるというのは恐い。享保の大飢饉は一番長くて10年間続いたので、非常に危機的な状況になったと思う。そもそも幕府の財政が危機的になったからこそ、緊縮財政をやり、新田開発を奨励したというのに、この有様では、一体どうすれば良いのか分からない。お手上げである。
まあ、江戸時代の飢饉の原因はあんまり日本が多くの藩に分かれていた事は交通網の発達など見ても、関係ないような気もします。無論、全国一元化した支配の方が飢饉に対処しやすい面もあるでしょうが、中央集権が必ずしも飢饉に苦しむ人民を救わないのは、今の中国・北朝鮮のアパルトヘイト政府を見ても明らかだと思います。
それよりも深く調べてないので申し訳ないが(^^;)、農機具・学問の発達が異常気象に勝てなかったのが原因でしょう。鎖国政策の限界は知識人にも認識されていたと思います。しかし、では、どうやって諸外国と付き合うべきなのか。江戸の知識人・支配層の悩みは尽きない。
これまでは、武士階級というのは、知識人や官僚ではなく、戦争をするだけの人々であった。しかし、いざ平和な世の中になり、武士が知識人や官僚になって見ると、成長の限界というものを感じるようになったと思います。これまでは、大規模な飢饉が起きても割合ほりっぱなし、せいぜい戦闘を中止する程度だったと思うのですが、いざ世の中をとらえるようになると、荒々しいいくさにしか頭になかった頃にはない庶民の苦しみや全ての農民を養えない農村の生産力の低さ、など目につくようになったと思います。同じ武士と言っても、鎌倉・室町の頃の取るだけの武士とは違い、年貢を取るだけでなく、統治する者の義務・責任みたいなのが生まれてきたのではないでしょうか。厳しい年貢の取立て自体は弥生から桃山までずっとあったでしょうが、江戸時代には単純に取れば良いとは思えなくなってきたはずです。それは、貿易論であり、危機感理論であり、経営論であり、近代化論につながってくると思います。

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