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第1回口頭弁論 訴えにあたって ジャーナリスト斎藤貴男 [住基ネット差し止め訴訟を支援する会]
http://www.asyura2.com/0401/it05/msg/450.html
投稿者 なるほど 日時 2004 年 4 月 30 日 10:18:14:dfhdU2/i2Qkk2
 

(回答先: 住基ネット差し止め訴訟[訴訟を支援する会ニュース]【原告・斎藤貴男さんの話等】 投稿者 なるほど 日時 2004 年 4 月 29 日 13:31:55)

私こと斎藤貴男は、本年7月26日付けをもって国などを相手取り、住民基本台帳ネットワークの稼動差し止めを求める訴訟を、この東京地方裁判所に提起した者です。提訴の理由はこの住民基本台帳ネットワーク(今後は住基ネットと略させていただきますが)、日本国民一人ひとりに11桁の番号を割り当て、これまで各市区町村がそれぞれの行政管内で管理していた住民票データとともに全国の都道府県および市区町村、さらには総務省の外郭団体である財団法人地方自治情報センターを結んだコンピュータ・ネットワーク上を流通させるという仕組みが、日本国憲法に著しく違反していると考えたためでありますが、法律的な議論は代理人弁護士にお任せするとして、ここでは私自身が、なぜ、住基ネットに対して、危機感を抱くに至ったのかをお話しいたします。
私はいずれの組織にも所属せず、社会的な事象を取材・執筆することで生計を営む、フリー・ジャーナリストです。住基ネットの問題についても、当初は職業的な関心から取材を進め、次第に全体像が見えてくるという過程を辿りました。人間は多様な生き物ですから、同じ取材をしても感じ方、受け止め方は干差万別と存じますが、この場合も、客観的な事実を取材、検証し積み重ねていく作業に加えて、私なりの来し方、バックグラウンドといったものが大きく影響していることは否めません。そのあたりについては、おいおい述べていきたいと思います。
 住基ネットなる国家的プロジェクトの存在に私が初めて触れることになったのは、1997年春頃、大手出版社である講談社が当時発行していた月刊誌『Views』の編集部に依頼され、3ヶ月にわたって連載する予定で、いわゆるプライバシー問題の取材を進めていた時でした。編集部の興味は、どちらかといえば民間企業のダイレクト・マーケティングに伴うプライバシー侵害にあり、その点についても私は記事にしたのですが、 旧自治省が住基ネット構築を法制化する改正住民基本台帳法案を、国会に提出する準備を急いでいた折り、このテーマを掘り下げていった結果、否応なくこの問題にたどり着いてしまったのです。
 ものの順序として白状いたしますが、私は当初、住基ネットの犯罪性、違憲性について、たちどころに問題意識を抱いた、というわけではありません。遡れば1960年代の末から70年代初頭にかけて、当時の行政管理庁が中心となって国民総背番号制度の導入計画を進めたものの、マスコミや労働組合をはじめとする国民的猛反対の前に潰えたという歴史的事実を承知してはおりました。ただ、なにぶん小学校時代のことで記憶はあいまい、何よりも私たちの日本政府が人間一人ひとりを番号呼ばわりするなどと、そのような非人間的な行為を行うはずがない、万が一再び同様の試みが見られたとしても、民主的な社会がそのような愚挙を許しておくはずがないという、今思えば何らの根拠も伴わない、甘すぎる確信を勝手に抱いてしまっていたからです。
 ところが現実に、この時、旧自治省は、いや日本政府は、30年前に潰えたはずの国民総背番号制度への野望を、今度こそ現実のものにしようとしていたのです。自民党政治家はもちろん、中央官庁、関係する地方自治体、関連企業、研究者等々、毎日のように取材に走り回って、嫌というほど思い知らされました。
 政府はこの間もずっと、水面下での準備を進めていたことが、私の取材で少しずつわかっていったのです。グリーンカード制度を糸口にしようとしては失敗するなどの経験を重ねた末、政府は、政府税制調査会の答申を受けた形で、89年には内閣内政審議室に13省庁の局長クラスから成る「税務等行政分野における共通番号制度に関する関係省庁連絡検討会議」を設置しました。共通番号制度とはさまざまな行政目的の個人番号体系をやがてひとまとめに、要するに国民総背番号制度として国民を一元管理していく目的に相違ありません。実際、3年ほどもすると各省庁は、ICカードに絡む多様なプロジェクトを立ち上げ始めました。詳しく説明している時間は与えられていませんが、この90年代前半、たとえば旧運輸省なら鉄道の自動改札機を通るカードを全国共通化し、駅構内のキオスクや食堂、周辺を走るタクシーにも使わせるようにするプロジェクト。旧通産省は各地の商店街にIC内蔵のポイントカードを発行させ、旧建設省は地方から出稼ぎに来ている建設作業員をICカードで管理するプロジェクトを始めるようになっていきます。この際、肉体労働に邪魔なものを持ちたがらない彼らに携帯させようと、飯場に置かれた清涼飲料水の自動販売機にこのカードを差し込むと通常より5円安く買えるようにしたという話を建設会社の担当者に取材した際、私は、その人間というものをあまりに小馬鹿にした態度が恐ろしくなりました。なお住基ネットを司る旧自治省はこの時期、全国いくつかの市区町村に補助金を出して、IC内蔵の市民カードを発行する実証実験を進めています。言うまでもなく、今日の住基ネットの次なる段階、来年8月から始められるICカードの交付をにらんだ準備です。私がこれら各省庁のICカード・プロジェクトを承知した97年頃には、そしてバラバラだった各プロジェクトのICカードのスペック(技術仕様)が、旧通産省とNTTデータ通信の主導で設立されたICカードシステム利用促進協議会(略称JICSAP)などを通して統一されていく渦中にありました。私はその総会の現場なども取材することで、国民総背番号制度に対する彼らの不退転の決意、いかなる反対にも耳を傾けることなく強行しようとする強大な意志を見ていたのです。
 94年になると、旧自治省が住基ネットシステム導入を正当化するための「研究会」を発足させます。翌95年に答申が提出され、これがあまりにも露骨な国民総背番号制度を狙ったものだという批判が出されると、旧自治省は批判を加えた全国紙各紙の論説委員クラスを委員に就任させた第2次の「研究会」、「住基ネットシステム懇談会」など、次々に新しい組織を編成していきました。委員の恣意的な選定など、問題は山ほどありますが、ここではこれ以上は触れません。ただ、「懇談会」に参加し、後に県レベルでの実験を買って出た県知事に取材した際、「サラリーマンなんか、今だって、どうせ国民総背番号制度をやられているようなもんなんだ」と笑っていたこと、NTTの幹部の方が、「住基ネットで交付されるICカードは、今に国内版のパスポートになる」 と語っていたこと、ICカードに関するシンポジウムに登場した、ICカード技術の理論的支柱といわれる大学教授が、「これによって社会全体の生産性を高めなければならない」と語っていたのを、今でも悪夢のように思い出すことがあるとだけ、お伝えしておきたいと思います。行政の長が人間に向かって『どうせ』 とはなんだ。生まれ育った国でなぜパスボートを持たされなくてはいけないのか。企業ならぬ社会全体が高生産性を最大の価値とするなら、病人や高齢者は無駄な存在として排除されることになるのか。私は取材者としてというだけでなく、魂を持った一人の人間として、この国の政府や企業が向かっていく先にある社会を見た思いがして、ますます恐ろしくなっていきました。
 講談社の『Views』は結局、私の2回目の原稿を載せてくれたところで廃刊になってしまいました。それでもこの問題から目をそむけるわけにはいかなくなっていた私は、『Friday Special』『文藝春秋』『日経トレンディ』など、機会をとらえてはさまざまな媒体で住基ネットやその周辺の取材を積み重ねていきます。改正住民基本台帳法が、国会でほとんど強行採決されることになるのは、99年の夏でしたが、私はこの年の1月にはそれまでの雑誌記事などをまとめ加筆修正を加えた『プライバシー・クライシス』を文藝春秋から刊行し、5月には国会審議中だった衆議院地方行政委員会に招かれて、住基ネットの危険性について意見を申し述べる機会をいただくことができました。その時に、与党の方々がとった態度は最低でした。質問と称して、延々と私への誹謗中傷が加えられました。
 私が国民総背番号制度の恐怖を語る時、逆に質問されることが珍しくありません。なるほど住基ネットは確かに国民総背番号制度へと展開されるのだろうし、政府による人間の一元管理、監視に繋がるだろう。だが、だからどうだというのか。サラリーマンである自分たちは管理されることに慣れっこになっている、斎藤さんはフリーだから、わがままで自分勝手なだけじゃないのかね、と。
 とんでもありません。国民総背番号制度とはサラリーマンの社員管理などとは次元の異なる問題だから批判しているのですが、敢えて私自身の特殊性を述べるなら、つまり私が住基ネットにどうして訴訟まで起こさなくてはならないほどの恐怖や危機感を覚えるのかといえば、それは行政による監視というものを、ほんの一端ではありますが、直接垣間見たことがあるからでした。
私の父は、1956年12月から78年2月に亡くなるまでの20年余り、ずっと警視庁公安部の監視下に置かれていました。地元の自民党都議の後援会に付き合いで入会していた以外には、何らの政治活動をしていたわけでもありません。明治末年に埼玉県の農家の八男坊として生まれ、尋常高等小学校卒の学歴しかない零細な鉄くず業者でしたから、彼らにマークされなければならないような人物では、これっぽっちもありません。ただ、戦時中に旧満州の関東軍特務機関で一兵卒をしていた関係で戦後シベリアに11年間も抑留されていた、それだけの理由で、帰国後も、祖国の警察にそのような扱いを受け、そのまま亡くなっていったのです。本人にも母にも聞かされました。戦死された方々には及びもつかないことも重々承知してはおりますが、どんなにか悔しかったことでしょう。
 私自身は、父の死後2年目の1980年に迎えた就職活動で、ことごとく失敗を重ねさせられました。多くは私自身の才能の不足が原因ではあったはずですが、どうしても納得できなかったケースがあります。某大手メーカーに入社試験の受験を乞われて面接を受け、内定も受けながら、土壇場になって理由も示されないまま取り消されてしまったことでした。どうしてなんですかと電話で問いただす私に、それまで「ウチに来いよ」と可愛がってくれていた大学の先輩が、手のひらを返したように冷たくなっていた時の悲しさが、今でも忘れられません。
 住基ネットの取材をするまで、なぜあのような扱いを受けなければならなかったのかはわからないままでした。今でもはっきりしたわけではありません。ただ、元公安警察官に取材する機会があった際に、その話を持ち出したところ、「そりゃ斎藤さん、少なくともそのメーカーは無理だったよ。シベリア帰りの息子じゃ」と一笑に付されたのでした。
 いえ、昔のそうしたことを今さら云々した
いのではありません。メーカーへの入社はできなかった私ですが、より強い志望を持っていたジャーナリズムの世界に身をおくこともでき、結果的に満足もしています。ですが、国に徴兵されて戦地に赴かされたために虜囚とされた人間に対する、これが仕打ちなのでしょうか。私自身の体験については、証拠があるわけでもないし、日本には今なお理不尽な差別や偏見があふれていて、それに比べればささやかすぎて情けなくなってしまうくらいですから、これ以上は言いません。ですが、先に発覚した防衛庁の情報公開請求者リスト事件の例を待つまでもなく、常にこの種の危険性がつきまとう治安当局が、国民総背番号制度という強力すぎる武器を保有してしまったときに、はたしてどのような社会が訪れるのか、私にはやはり、わかってしまうのです。
 国家権力とは悪辣なものだと決め付ける気も毛頭ありません。ただ、お互いつまらない、たいしたことのない人間同士。片方だけが一方的に強い立場になれば、どのような事態が訪れるのかを常に見通すことのできる想像力が忘れられてしまっては、社会は監獄に等しくなります。これだけは譲れません。
 さて、住基ネットの取材を進めれば進めるほど、私は取材先、それも推進する側の人々に泣きつかれて立ち往生することが増えていきました。「こんなものが稼動してしまったら、日本国民は奴隷にされてしまいます。斎藤さん、がんばって書いてください」と言ってくる人が珍しくないのです。そんなことを言われても、こちらは所詮、一介のフリーライター。僕なんかに頼んでいないで、あなたは官庁か大企業の中枢で意思決定に関わっている立場なのだから、中から覆してくださいよと返してみても、もはやどうにもならないのですと、皆さん口を揃えていた。なんと無責任な、と最初のうちは腹を立て、詰め寄ってもみましたが、そうすると彼らは開き直ってしまう。「だって、国民は誰も住基ネットに反対しなかったじゃないですか。自ら国家の奴隷になりたがっているんでしょ」「斎藤さん、今さらそんなことを言われるなら、どうして改正住基法の成立のとき、もっと体を張らなかったの。私はあくまでも公務員、国民の総意に従うだけ。潰すのはあんたがたの商売でしょ」……。嫌でたまらないことをやらされて逃れられないとき、人は自らを正当化するようになります。彼らの代弁者を買って出るつもりもありませんが、私の取材の正しさが、取材先とのそうした緊張関係によって、裏付けられた思いはしました。
『プライバシー・クライシス』と題して一冊にまとめたあとも、私の取材は続きました。これはかなり異例のことです。取材と執筆という職人的行為の先にはあまり興味のない私は、書いて本にしてしまった後々までもひとつのテーマにこだわることなど、ついぞありません。ただ住基ネットの問題だけは、放置しておけば私たちの人間としての尊厳に関わってきますので、必死でした。
 他のさまざまな監視システムの取材も重ねました。犯罪に関係ありと看做されれば警察が電話の盗聴も、ファックスや電子メールの盗み見も許される通信傍受法。全国約700もの幹線道路や高速道路で車の移動状況を監視しているNシステム。新宿歌舞伎町など繁華街で人間そのものの行動をすべて記録しようとする警察の監視カメラ網。そして住基ネット稼動に伴い割り振られる11桁の住民票番号がこれら監視システムのマスターキーとして活用されていくのは、火を見るよりも明らかです。現代のこの国で構想されている監視社会は、それを運用する立場の人々にとっては安全をもたらすものなのでしょうが、私や、かつての私の父親のような、戦争になれば有無を言わさず駆り出されるような立場の者にとっては、人間としての自由や尊厳の剥奪を意味しています。
 警察の監視カメラは今や、全国至る所で設置されるようになってしまいました。 コンビニエンス・ストアは交番に次ぐ第2の防犯拠点と位置づけられ、名古屋では警察予算で監視カメラが導入され、店内外が常時警察に見張られています。
 監視カメラの恐ろしさは、顔認識システムと呼ばれるハイテクノロジーと結びついたとき、最大限に発揮されるでしょう。人間の顔には生涯不変のポイントが20数か所もあるそうで、カメラで得られた人間の顔の映像からこれらを抽出し、顔写真データベースと照合すれば、ほんの数秒でその人間がどこの誰であるかを特定してしまうという技術です。すでに英国ロンドンでは市内中に監視カメラが張り巡らされ、この顔認識システムと連動しています。私の取材によると日本でも関係当局やメーカー各社が調整を進めていて、もはや時間の問題のようですが、そうなってしまえば、あらゆる人々の行動は、すべて警察に監視されてしまうことになってしまいます。悪いことをしていなければ平気と考えている人が少なくないようですが、不敬罪や姦通罪の例を持ち出すまでもなく、何が悪くて何が悪くないのかは、時代によっても変化するわけで、今のところは犯罪とされていなくても、先々どうなるかわからないものはいくらでもあります。たとえば福田康夫官房長官は、例の有事立法の国会審議に当たり、思想信条の自由も制限される旨、発言しています。人間が自由にものを考えること自体が罪悪だとされる時代がやってくる可能性がきわめて大きいのです。
 監視社会と言いましたが、英国の作家ジョージ・オーウェルの名作『1984年』に描かれたような近未来と、現在の日本が進んでいこうとしている社会とは、少し趣が異なります。『1984年』は、この種の話題になるとしばしば引き合いに出される小説ですが、ここに描かれた、全知全能の独裁者ビッグ・ブラザーがすべてを監視し支配するという、いわばスターリン時代の旧ソ連のイメージに対して、現在の日本の監視社会化は、国家権力による同様の人間支配という構図に加えて、監視によって得られる個人情報はビジネスにも利用させようと考えられている点が違うのです。監視社会に反対するある集会で、ビッグ・ブラザーというところを「ビッグ・マザー」と言い間違えてしまった方を私は知っていますが、母なる監視の海に囚われてしまうという意味で、こちらのほうが実態に近いということになるのかもしれません。
 5年に及ぶ取材で知った実例の数々を挙げればきりがありませんが、取材の時の様子も含めて、ひとつだけ例を挙げることにします。国土交通省などいくつもの官庁によって横断的に進められている、ITS、高度道路情報システムというナショナル・プロジェクトを取材したときのことでした。ITSの中には、自動車のナンバープレートにICチップを埋め込み、道路側に設置するアンテナと交信させて車両の運行をコントロールしようという計画があって、私はここで使われる電波を所管する旧郵政省に出かけて、担当者にこんな話を聞かされました。「アンテナは道路に10メートルから30メートルの間に1本は設置して、すべての車両と常につながっている状態に持っていきたいですね。そうなれば斎藤さん、相手が車だけである必要もないと思われませんか。皆さん携帯電話をお持ちですから、アンテナとこれとを電波で結べば、いろんな情報を、それぞれの位置に合わせて送ることができるじゃないですか」と。位置に対応したいろんな情報とは、つまり、その携帯電話を持った人間の近くにある店舗のコマーシャルです。車と違って恐ろしいのは、誰と誰とが一緒にいて、その2人はどういう関係であるから、どんなコマーシャルを流すかと、そんな判断さえも可能なシステムだからです。そんな計画を旧郵政省、すなわち旧自治省と合併した総務省が推進しようとしているのです。人間関係まで国家が監視し、そのまま商売の道具にしようというのです。
 実際、アンテナを張り巡らせる以前に、現状でも似たようなことを始める企業も出てきました。日本マクドナルドはこの春、携帯電話の位置情報を把握できるGPS(全地球測位システム)機能のついた携帯電話を販売しているKDDIと組んで、山手線の内側にいる消費者の携帯電話に最寄りの店舗のコマーシャルを流す実験を重ねました。日本では実験ですが、アメリカではすでに現実になっています。ワイヤレスCRM、カスタマー・リレーションシップ・マネジメントといい、当然のことながら、人間の自由と尊厳を犯すシステムだと批判されています。アメリカでは社会保障番号、日本では住基ネット、国民総背番号制度が連動していく前提で、すべてが進められていることはいうまでもありません。
最後に他の取材との関係で、ひとつだけ述べたいと思います。私は一昨年11月にやはり文藝春秋から、『機会不平等』という本も出版したのですが、ここではいくつもの事実を示して、構造改革による貧富の差の拡大、封建時代にも似た身分社会が作られていくと指摘しました。特に教育改革については1章を割き、いわゆるゆとり教育がエリート教育のための原資を生み出すためにふつうの子供の教育機会を奪う試みであることを、他ならぬ文部相の諮問機関である教育課程審議会の前会長から聞き出すなどして、教育界などで大きく波紋を広げた仕事であると自負しています。また、一連の労働市場改革では、雇用上の立場のちがいが身分格差にもつうじてしまい、深刻なセクハラ事件などを誘発しています。現在の日本社会は、人間は平等であるという建前、理想を一気に捨て去ろうとしています。そのような時代の中で、人間が権力によって番号扱いされてしまうことの恐ろしさを、私は訴えたい。
 戦争との関連については、あえて申し上げません。言えば私は、またつまらないレッテルだけを貼られて排除されるのでしょう。しかし、人間を番号扱いできる社会がどのような方向に向かうのかは自明です。そのことだけ強調して、私は本日の話を終えたいと思います。

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