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民衆のアメリカ史を記す [ル・モンド・ディプロマティーク]
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投稿者 あっしら 日時 2002 年 2 月 18 日 23:01:54:Mo7ApAlflbQ6s
 


ハワード・ジン(Howard Zinn)
歴史家

訳・逸見龍生

 2003年12月1日、ハワード・ジンの著作『民衆のアメリカ史』の功績に対して「ル・モンド・ディプロマティーク友の賞」が授与された。同書はアメリカで100万部以上も売れている。彼は受賞記念講演で、その知的な構想について詳細に語った。自国の社会闘争に加わり、公式の歴史の偏りを痛感するジン教授の胸中には、アメリカの民衆が自分たちの闘いの記憶を取り戻すことへの願いがある。[フランス語版編集部]


 1970年代の終わり、[『民衆のアメリカ史』の執筆の]計画に取りかかろうと決意した頃には、歴史学を講じて20年が過ぎていました。当時、私はアトランタにある黒人女子大学、スペルマン・カレッジの教師であり、それまでアメリカ南部の公民権運動に参加したのを皮切りに、続く10年間ずっとベトナム反戦闘争に身を投じていました。ただし「中立的立場」という点からするならば、講壇に立とうが、ものを書こうが、歴史家の実践にこうした経験が大きく寄与するわけではありません。

 もっとも、私の批判精神は、ずっと前から鋭く研ぎ澄まされてはおりました。ニューヨークの労働者階級に属する移民家庭で受けた教育や、海軍造船所での3年間の仕事、そして第二次世界大戦中は、空軍爆撃手としてイギリスを飛び立ち、フランスの大西洋岸を含めヨーロッパ各地に爆弾をばらまいた経験があったからです。

 終戦後すぐ、数百万の退役軍人は高等教育を無料で受けられるようになり、私もその恩恵を被りました。こんな機会でもなければ、労働者の子女には、とても授業料を支払うことはできなかったでしょう(1)。歴史学の博士号はコロンビア大学で取得しました。だが自分自身で培った経験のおかげで、私はアメリカ史の多くの重要な要素が、大学での勉強ではなおざりにされていることに気づかざるをえませんでした。

 教育と執筆の活動を始めたときも、「客観性」なるものには幻想を抱いておりませんでした。それは特定の視点を表明するのを避けるということですから。私は知っていました。歴史家(またはジャーナリスト、あるいは誰であれ物語を語ろうとする人間)は、無限の数の事実から、提示すべきものと省略するのが妥当なものを選り分けざるをえないということを。こうして、意識するかしないかは別にして、自分自身の関心のありかをそこに反映させるのだということを。

 アメリカの教師や政策決定者のなかには、生徒や学生は「事実を学ぶ」べきだと言いつのる者たちがいます。それで思い出されるのは、ディケンズの小説『ハード・タイムズ』の登場人物の、あのもったいぶったグラドグラインドです。若い教師を叱りつけて「事実しか教えてはならぬ。事実、事実だ」と言った人物です。だが、教師や著述家、あるいは誰であろうと、彼らの提示する「事実」の裏には、ひとつの判断が隠れています。この事実は重要だが、あとは無視してもかまわない、という判断です。

 私の目には根本的に重要なものと映るのに、アメリカ文化を支配する公式の歴史のなかには見つからない主題がいくつかあります。こうした脱落は過去のイメージを歪めますが、いっそう悪いことには、現在の事柄についても過ちを引き起こします。

 社会階級という概念を例に取りましょう。(教育、政治、メディアに見いだせる)支配的な文化に従えば、われわれの社会には階級など存在しません。利害関係はただひとつ、万人に共通の利益があるだけです。合衆国憲法の序文には、<< We, the people >>(われら人民)という表現があります。しらじらしい表現です。1787年、この憲法を起草した55名は、みな白人で、裕福で、奴隷を抱えた主人であったり、商売を営んでいたりしたのですから。彼らが心に決めていたのは、自分たちの階級の利益を擁護してくれる権威を据えることでした。

 金持ちや強者たちの要求に奉仕するこの統治機構は、今日にいたるまで、アメリカの歴史を貫いてきました。日常的に用いられる言葉づかいを聞いていると、万人(つまり富裕層、貧困層、中産階級)にとって共通の利益があるのではと思い込まされてしまいます。国民について語るときには、みなという言い方が使われます。大統領が満面の笑みを浮かべて、われわれの経済は「うまく行っている」と述べるとき、生き延びるのに汲々としている5000万人のことなどは念頭にありません。これはつまり、中産階級はまあまあというところで、国富の40%を所有する人口の1%が順風満帆だ、ということなのです。

 「国益」と呼ばれるベールの裏に隠されてきたのは、いつだろうと統治者階級の利益でした。政府首脳が自分たちの政策を正当化しようとして、「国益」なり「国の安全保障」なりを口にするのを聞くたびに、私は、自分自身の戦争体験、それにアメリカのあらゆる軍事介入の歴史を思い起こしては、疑念をかきたてられるのです。1950年、ハリー・トルーマンが朝鮮半島で、いわゆる「警察行動」を開始して、200万人が犠牲になったときも、リンドン・ジョンソンとリチャード・ニクソンがインドシナ半島で、それと同じくらい多数の死者を出した戦争をおこなったときも、1983年、ロナルド・レーガンがグラナダに侵攻したときも、1989年、現大統領の父親がパナマを攻撃し、その2年後にはイラクを攻撃したときも、1993年以後、今度はウィリアム・クリントンがイラクを空爆したときも、こうしたたぐいの正当化の言辞が聞かれました。

 そして今度は「新たなブッシュ」が、イラクの侵攻と空爆は「国益」にかなうと説いています。ばかげています。かくのごとき言葉がアメリカで容認されてしまうのも、ひとえに政府とメディアの数々の嘘がこの国全体を覆っているからにほかなりません。「大量破壊兵器」に関わる嘘。イラクとアル・カイダの結びつきに関する嘘。今日ジョージ・W・ブッシュの支持率が低下しているのは、ごまかしにごまかしが重ねられてきたことに気がつき始めたアメリカ人が増えてきたからです。政府と大手メディアがいかに緊密な協力態勢をとっていても、です。こうした協力ぶりは、一般的に言って、民主国家よりも全体主義国家を思わせるものです。

 戦争は短期間で終結し、痛みもないという見通しは消し飛びました。数百名の米兵が死に、1000名以上、ひょっとしたら2000名にのぼるかもしれぬ米兵が傷を負いました。小さなケーブルテレビ局で(というのも、大きなテレビ局はこのたぐいの内容は放映しませんから)、女優シェールが、とあるワシントンの病院を最近訪問したときに、何を目にしたかを語っていました。腕や足を失った戦闘員たち、まだとても若いのに一生を台無しにされた青年たちです。そして彼女は、こんな戦争をどうしてやっているのか、とつぶやくのです。

 私たちは、メディアが黙して語らないことを、アメリカ市民に伝えようと試みています。たとえば、いかに短期間で終結したにせよ、流血の惨事だった軍事作戦で、1万人、あるいは3万人にのぼるとおぼしきイラクの民間人が命を落としたことを。また、インターネットや進歩派のラジオ局を通じて、イラク占領政策がどのようにおこなわれているか説明しようともしています。住民は乱暴な家宅捜索を受け、年齢を問わず無実の人びとが拘束され、住宅地に250キロ爆弾、500キロ爆弾が投下されているのです。

 『民衆のアメリカ史』の執筆を決意したとき、私が主題に選んだのは、将軍や政治指導者の目で見た戦争ではなく、GIとなった青年労働者たちの目、ある日突然、黒い縁取りのついた電報を受け取った彼らの両親、妻たちの目を通した国民の戦史でした。私が語りたいと思ったのは、「敵たち」の側の視点に立ったアメリカの戦史です。国を侵略されたメキシコ、1898年に領土を押さえられたキューバ、20世紀初頭に自国を征服しようとしたアメリカに抵抗し、6万もの人命が失われた忌まわしい戦争の惨禍を経験したフィリピンの人びとなどのことです。

 歴史学の研究を始めて間もない頃、強い衝撃を覚えた事柄があります。それ以来、このことを自著で明らかにしようと努めてきました。それは、いかにナショナリズムの熱が(国旗への忠誠の誓い[2]、国歌の礼賛、また極めて偏向した「愛国的」レトリックを押しつけるかたちで、子どもの頃から私たちに吹き込まれ)、あらゆる国の教育制度に浸透しているか、ということです。たとえ心の中であれ、私たちが世界のあらゆる国境を撤廃し、世界のどこにいる子どもたちでも、実のわが子のように感じることができたら、アメリカの外交政策はどのようなものになるでしょうか。ヒロシマに原爆を落としたり、ヴェトナム、アフガン、イラクにナパーム弾を落としたりするなど思いも及ばぬこととなるでしょうに。

 この本の執筆に取りかかった頃の私には、それまでに培った経験が大きな影響を及ぼしていました。南部黒人のコミュニティで両親に育てられたことをはじめとして、黒人女子大学の教員となったこと、人種隔離に反対する活動家になったことなどです。そうこうするうちに私は、自分たちが学ばされた歴史では、白い肌を持たぬ者たちはすべて、いつも後方に、さらには背景に押しやられていることに気がついたのです。なるほど、インディアンはこの歴史で端役を演じていますが、たちまち忘れ去られます。黒人は初め奴隷として、次には解放された人間と称されて歴史に登場します。しかし、主役を演ずるのはいつも白人なのです。

 コロンブスの新世界への到達が、イスパニョーラ島(3)の先住民を滅ぼした集団虐殺と同義だったことを私に教えてくれた人は、小学校から高校までのあいだに誰もいませんでした。コロンブスの事業が、ある新興国の、歓迎すべき国土拡張と称されるものの第一段階だったこと、しかしこの拡張が実際には、大陸全土の先住民たちの暴力的な排除を意味していたこと、それが筆舌に尽くしがたい残虐行為に満ち満ちており、揚げ句の果てには、生き残った人びとを居留地に押し込めたこと。そうしたことは、誰ひとり教えてはくれませんでした。

 アメリカの小学生ならみな、イギリス王国に対する独立戦争前夜に起こったボストンの虐殺について教わります。1770年、5人のアメリカ人が英兵によって殺されました。だが、この虐殺よりも前の1637年に、ニューイングランドでピークォート族の男性や女性、子どもたち600名が殺されたことを知っている小学生は、いったい何人いるでしょう。南北戦争のさなか、数百名のインディアンの家族が、コロラドで米兵によって惨殺されたと知っている小学生は、どれほどいるのでしょうか。

 歴史学を研究しているあいだ、数々の黒人の集団虐殺について、私は一度たりとも耳にしたことはありませんでした。権利の平等を保障する憲法をもつと誇らしげな政府が恐るべき沈黙を守るなかで、こうした虐殺が繰り返されたのです。例えば1917年、(白人の)歴史書が「進歩的時代」と呼んだ頃に、その当時頻発した人種差別に端を発する暴動が、イリノイ州イーストセントルイスでも起こりました。黒人労働者が同僚となったことに腹を立てた白人労働者たちが、およそ200名の黒人たちを殺害したのです。この暴動について、アメリカ黒人W.E.B・デュボイスは「イーストセントルイスの虐殺」という有名な論文を書きました。当時ジョゼフィン・べーカー(4)は「アメリカと考えるだけでぞっとする」と言いました。

 『民衆のアメリカ史』を執筆しながら、私はこの書物が階級闘争や人種間の不公正、男女の不平等、アメリカの傲慢について、人びとの意識を高めるきっかけとなることを望んでいました。だがまた同時に、支配権力への抵抗、死や絶滅に対するインディアンたちの拒否、奴隷の身分に抗し、社会的隔離に抗して立ち上がった黒人たちの叛乱、労働者階級による数々のストなどにも、光をあてたいと考えました。

 なぜなら、アメリカの「一般民衆」たちがこうした抵抗行動を起こし、限られたものとはいえ勝利を収めてきたこと、それを歴史から書き落としてしまえば、人びとはただ武器や富をもつ者だけが、力を掌握していると思い込んでしまうからです。私は、武器も富ももたぬように思われる者たち(つまり労働者、有色人種、女性)でも、みずからを組織化し、全国規模で抗議行動を起こすなら、いかなる政府も容易には押さえ込むことのできない力をもてるということを、読者に思い起こしてほしかったのです。ありもしないところに、民衆の勝利をでっち上げようとは思いません。ですが、歴史の叙述において数々の挫折を列挙する以上のことをおこなうべきではないと考えるならば、歴史家とは、冷酷な時の歩みが螺旋を描いて逆行していくのを手助けするだけの存在にすぎなくなります。

 歴史が創造的な行為であり、可能な未来を先取りすると同時に、過去を否定することもないような何かであるべきとすれば、新たな可能性に意義を認め、闇に埋もれた出来事を明るみに出すことが必要だと私には思えます。人びとはその時、たとえ束の間であろうと、抵抗のために立ち上がり、手をたずさえて、時には勝利を収める力を示したのですから。私には自分の出発点となるひとつの公準があります。あるいは希望と言うべきかもしれませんが。それは、私たちの未来に関わることです。これほどまで深く記憶に刻み込まれた戦争の世紀よりもむしろ、過去に秘められた数々の連帯の瞬間にこそ、私たちの未来は胚胎されているのです。

(1) 1944年7月22日、アメリカは「第二次世界大戦の復員兵で社会復帰を望む者に対して連邦政府の扶助」を与えることを目的とする「GI法」を制定した。この政府計画(無償教育制度)は、多くのアメリカ民衆に大学の門戸を開いた。今日でも、貧困層のアメリカ人にとっては、軍隊に登録することが、通常なら授業料の高さのため手の届かない高等教育を受けようとするための手段となっている場合が多い。
(2) アメリカの小学校では、「アメリカ国旗とそれが象徴する共和国、神の下にあって不可分であり、万人に自由と正義がもたらされる国」への忠誠の誓いが唱和される。
(3) 同島は、今日ではドミニカ共和国とハイチに分かれている。
(4) 1906年にアメリカで生まれ、主にパリで活躍した黒人ダンサー。1975年に死去。[訳註]

(2004年1月号)
All rights reserved, 2004, Le Monde diplomatique + Hemmi Tatsuo + Ikeda Asami + Saito Kagumi

http://www.diplo.jp/articles04/0401-4.html

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