★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ34 > 195.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
京都府船井郡の丹波町ほかの歴史
http://www.asyura2.com/0403/bd34/msg/195.html
投稿者 処方箋 日時 2004 年 3 月 10 日 18:19:56:lkpL4Fj8ypCy2
 

古代の丹波は、出雲民族の勢力によって開拓されたと伝えられている。
西暦400年頃には、地味が肥沃で米作りに適しているため、物部氏の一族がこの地を領有し、神宮に送る御膳(米)が生産されていた。
「丹波」の語源は、古代の赤米の穂が丹色(=赤)に波打つ様から来ていると言われる。
「ふない」は、マオリ語の「フ・ヌイ」、HU-NUI(hu=promontry,hill;
    nui=large,many,numerous)で、即ち「山が多い(地域)」の転訛と言われる。

延喜17年(西暦917年)には物部維範が船井郡の大領(郡の長官)に、物部名闕が船井郡主帳に任ぜられていることからも、物部氏と船井の地は関係が深い。
     日本書紀の伝えるところでは、神武東征以前から天津神の子である
     饒速日(ニギハヤヒ)命の王国が大和に存在していた。
     書紀は、饒速日命を、日本の古代信仰を特徴づける、北方系の天孫
     族と南方系の海神族との習合神とし、神武天皇の由緒もこれに倣っ
     て創作したと見られる。
     書紀は、饒速日命の子、宇麻志麻遅(または可美眞手)命を物部氏の
     祖としている。
     饒速日は物部集団の鍛冶神であった。
     丹波の真名井原には、饒速日が降臨したと伝えられる。

船井郡園部町は、延喜元年(西暦901年)に追放された菅原道真の先祖代々の領地で、道真の子供を養育した園部の代官によって建立された、生身天満宮がある。

大本教の出口王仁三郎は、丹波の出身で、先祖には江戸の画家・丸山応挙がいる。
丹波はサンカ(山窩)の本拠地の一つで、王仁三郎の出自もサンカという説がある。
丹波ではないが、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康なども坂東侍の末裔で、坂東侍は「一所不住」の原日本人と言われる。彼等は「一所懸命」の農民の対極にありながら、農民とは互いに補完し合っていた。

サンカの出自は、聖徳太子の時代に仏教を巡って曽我氏との抗争に敗れた大連・物部守屋の末裔を初めとして、南北朝時代に南朝方について戦い敗れて賤民に貶められた隼人族などが、山深く隠れ住むようになったもの、と言われている。
彼等は伝統的に、野鍛冶・木地師・竹細工などの手工業、或いは狩猟に携わってきた。

日本にはそういう非常民と、農民のような常民との2種類がいた。
ところが第二次世界大戦後、政府は戸籍のない人には米を売らないようにして、サンカや水上生活者などの非常民を定着させる管理政策を採り、彼等は牧畜業などを始めた。


近畿・中国・九州地方の山間部では、こうした人々にも今、ウィルスによる被害が続いている。
これらの地域はまた、地元郵便局との結びつきが深く、過疎地ゆえに郵政民営化に反対している。
これに対し、参院選を睨んでの、政府による「産業構造再編」が進行している。

 次へ  前へ

Ψ空耳の丘Ψ34掲示板へ



フォローアップ:


 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。