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今は亡きARCHIPELAGOのキャッシュにも『本多繁邦』が登場
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投稿者 ぷち熟女 日時 2004 年 3 月 25 日 20:10:27:WgkZZjZT3HifU
 

(回答先: 昨年12月発売のデーヴィッド・アイクの新刊の翻訳者も『本多繁邦』 投稿者 ぷち熟女 日時 2004 年 3 月 25 日 20:08:33)

今は亡きARCHIPELAGOのキャッシュにも『本多繁邦』が登場

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本多 繁邦 翻訳

ARCHIPELAGO
ダライラマと麻原の手紙  輪廻転生の争い

赤い龍に入れ オウムとクレムリン

TBSとオウム事件における偽情報  サブリミナル・ユダ

オウムへの申し立て

Archipelago オウム関連のみ勝手に翻訳復刻版 (オウム百科)

ユダヤ暗号: 村井, TBS & 科学

オウム内部の二つの勢力

創価学会とオウム

今ここで−電通はインターネットを浄化する

魔法の銃弾

もみ消し

催眠博士とオウムの踊り子たち
Archipelago 勝手に復刻版

96/04 1.1 
ダライ・ラマ−麻原書簡 
オウムとクレムリン 
毎日、TBS、情報歪曲 
オウムに対する申し立て 
オウム百科

96/06 1.2 
ユダヤ暗号文書 
スターウォーズと最終戦争(補足資料) 

オウム内部の二つの勢力 
創価学会とオウム 
今ここで−電通はインターネットを浄化する

96/10 2.1 
魔法の銃弾 
もみ消し 
シャンバラのための勝利 
ウラジオストックからバンクーバーへ

97/04 2.2 
催眠博士とオウムの踊り子たち

Issue1-1 ダライラマと麻原の手紙  輪廻転生の争い
ダライ・ラマと麻原彰晃の間の手紙
- ヨウイチ・クラーク・シマツ
 

合衆国航空母艦戦闘集団が台湾近海に展開していたとき、北京はM-9よりも致命的な心理学的ミサイルを発射していた。中国の首都で発行された中国チベット雑誌の創刊号は、ダライ・ラマが麻原と五度会見し、二度手紙を送ったと公表した。
その手紙の一つは、高位のチベット聖職者がオウム真理教からの10万ドルの布施を受けとったことを認めていた。

1989年ノーベル賞受賞者のダライ・ラマと、東京地下鉄毒ガス事件の犯人として告発された教団指導者麻原彰晃との関係によって、中国はチベット亡命政府の精神的権威に深刻なダメージを与え、世界の屋根への支配力を強化したのである。

中国の記事の出版は、3月9日、チベットでも2番目の高僧であって、疑問の多い中国の指名したパンチェン・ラマによって開かれた最初の公式会見と同時に行なわれた。少年僧のデビューは、ラサではなく北京のシーフアンシー(西×寺)で行なわれ、人民評議会および台湾に対するミサイル試験と同時であった。パンチェン・ラマ11世、フルネームはエルデニ・ロサン・クァンバ・ルンジュプ・クォイギジャブは、金色の壺から引き抜いたくじで11月に任命された。

チベット亡命者は別の6歳の少年が正統のパンチェン・ラマ、ダライ・ラマの任命したパンチェン・ラマの後継者、前代ラマの転生についての「魂の探求」の結果特定された人物であると信じている。ダライ・ラマの指定した人物は中国に送られたが、昨年末に行方不明になった。しかし、中国当局は、最近この少年が生存していて元気であると報道した。――そして、おそらくは彼らの手の内にある。

中国チベット問題は、チベット仏教への脅威であるだけでなく、ダライ・ラマを疑う試みは台湾への政治的な牽制でもある。そのモンゴル・チベット問題委員会(MATC)が、チベット亡命者と盤石の関係を有してきた。インドと中国国境の亡命グループは、MATCが外郭団体をつくって反共産ゲリラグループのチューシー薬物ギャングの背後から支援しようとしたことに不満を持っている。

これらの部署と、最近のパンチェン・ラマ問題およびオウムと関係していたという有罪についての非難は、「民主主義と自由のための世界連盟(WLDF)」に別の影響を与えることを意図したものだ。その古い旗である保守的仏教団体「世界反共連盟」は、アジアに中国共産党の影響が及ぶことを防いでいた。

日本における別働隊:ダライ・ラマと麻原のつながりについての暴露は、日本のメディアにとっては取り立てて目新しいことではなかったが、中国チベット記事に載せられた攻撃と証拠は、日本にとって深刻な隠された意味をもたらすものである。特に顕著なのは、台湾の中央新報社(CNA)によって引用報道された攻撃である。それによると、「日本仏教再生のための「別働隊」として麻原を使うことによって、中国と親密な関係にある日本仏教僧を破壊した」という。

多くの日本仏教宗派は中国と親密な関係を持っているが、1950年代からの最長の歴史を有するのは、創価学会である。創価学会インターナショナル(SGI)会長池田大作は、特に周恩来の未亡人の義理の息子と親しい友人である。その人物の養子が中国首相李鵬である。ということは、同じ論理を使えば、北京の軍事諜報部は創価学会を日本支配のための「別働隊」として使ってきたということになろう。

問題の2通の手紙が日本のメディアにリークされたのは、中国チベット記事が発表されたあとになってようやくであり、おそらくそれに反応したのだろう。麻原とダライ・ラマの一致点はすべて、東京都警視庁と東京地方検察庁によって国側証拠として蓄積されていると考えられる。

疑問:誰がダライ・ラマの手紙を中国軍事諜報部にリークしたのか。それは対チベット宣伝を実行し、李鵬に直接報告したのである。この海外勢力に対して最もダメージの大きいリークは、東京地方検察官の14名が創価学会員であるという疑惑と関係があるのか?(情報源:東京都警視庁調査チーム) あるいオウム事件に関する東京地方検察庁の検事長が、麻原が逮捕された日に上九一色村におらず、法的強制執行会議の名目で北京に報告を行なっていたという疑惑は

ダライ・ラマと麻原彰晃との頻繁なつながりは、親切な僧侶と過ちに導かれた熱心な者との緊密な関係をまだ保っていた。法王に対する麻原の態度は、高度な陰謀からおどけにまで及んでいた。一通の手紙で、彼は「近い未来、チベット人に(チベットを)取り戻す」ためにできることは何でもすると誓った。その後のメッセージで、日本のグルはその幼い子供の璽暉(ぎょっこう)がパンチェン・ラマの転生者であると主張した。その少年とダライ・ラマにとって幸運なことに、その子は中国に送られなかった。

もちろん、ダライ・ラマ法王は、世界の他の人々と同様、東京地下鉄毒ガス事件によって困惑させられた。その直後、東京を訪れて、ダライ・ラマは「毒ガス事件にショックを受けた。捜査の結果は、有罪か無罪を公正に裁くだろうと信じている」と述べた。

「もし、何か間違ったことが行なわれたのなら、それはひじょうに不幸なことである。もし彼らが何も過ちを犯していないなら、いいことだ」もし日本のメディアと警察が公正さに欠けていれば、オウム事件は現在述べられているような矛盾、自白、否定の入り交じったものにはなっていなかっただろう。

「彼(麻原)は友人だと考えているが、完全な者であったとは言い切れない」とダライ・ラマは、共同通信と3社の全国日刊紙とのインタビューで、完全に自覚して述べている。

ダライ・ラマは、平均的な日本人政治家のように群れ集う本能に簡単におびえたり屈したりするような人ではない。それこそ彼が1989年にノーベル平和賞を受賞した理由であり、国内外のチベット人がいまだに北京の不器用な戦術に対抗している理由である。

さて、親交の歴史を。麻原彰晃のチベット仏教(とシヴァ信仰)への興味は、彼が阿含宗に入ったころに始まる。麻原は、1986年夏にヒマラヤで解脱した。1987年2月、麻原とダライ・ラマの5回の会見の第一回目がインドのダラムサラで行なわれた。法王は、日本に真の教えを広めなさい、と励ました。麻原は、その後チベットの高僧と会見していった。たとえば1988年7月にはカギュ派の瞑想の師カル・リンポチェと、またブータン国王と会見している。

麻原とオウム真理教は特に、ニンマ派の高僧カムトゥル・リンポチェと親密だった。1988年、オウム信者マハー・ケイマ正大師(石井久子、オウムの会計係)が、グル・パドマ・サンバヴァの予言と秘教的教えを出版する計画を立てるため、カムトゥル僧とダライ・ラマに会った。彼女はチベット文化宗教省からこの計画への援助を受けた。1989年1月21日、チベット亡命者への援助と宗教的事業のため、麻原はダライ・ラマに10万ドルの布施をした。ダライ・ラマはオウムの富士宮の総本部宛に、麻原への受け取りと感謝の手紙を送った。

2月8日、麻原は返事を書いた。「近い将来、チベットがチベット人の手に戻ることが、わたしの熱心に願うことです。わたしは、援助できることなら何でも喜んでやります」

麻原の短い言葉は、オウムとその政治的パトロンであるダライ・ラマ運動と台湾の武装仏教徒との協力の基礎を示している。その敵は、おのずと、北京と同盟している仏教団体、特に創価学会であった。1989年10月2日、天安門虐殺の勃発の日、サンデー毎日はオウム真理教への最初の大メディア攻撃を行ない、その教団への全面的な運動に関係した。(毎日メディア・グループが、北京びいきでオウムの対抗者である創価学会の影響下にあることは、いまや常識である)

チベットの日本代表ペマ・ギャルポは、いくつかのテレビ・トークショーに出演し、オウムの商業主義と信仰不足を批判した。麻原はこの展開に警告を受け、1990年4月30日にダライ・ラマへの手紙を送った。

「いくつかの不愉快な問題について書かなければならないのは残念です。ペマ・ギャルポ氏は……いくつかの無責任で三流の日本のマスメディアに協力し、わたしたちの組織を非難しました。……この問題の背後には誤解と、去年から始まったわたしたちの組織に関係するいくつかのマスメディアのセンセーショナルな報道があります。わたしたちはダルマに反することは何もしていません。彼らは宗教に対する無知と根深いアレルギーによって攻撃しているのです。……ギャルポ氏は、この状況を自分の個人的利益に利用しているようですし、あなたもそのことは簡単に推測できると思います」

ダライ・ラマへの手紙は、オウムとチベット亡命政府の関係を修復した。1994年(※間違い)1月のパンチェン・ラマの死後、(1994年)3月11日に麻原知子は息子を産み、璽暉と名付けた。約1年後の1995年2月24日のダライ・ラマへの手紙のなかで、麻原彰晃は驚くようなことを述べた。「璽暉がパンチェン・リンポチェの転生者であることを確信していると、法王に謹んでご報告いたします」。実際、控えめであった。麻原はその主張を裏付ける強力な証拠を提示していた。璽暉の耳の片方は、逆の側だったが明らかにパンチェン・ラマのものであった。それ以上に確信があるのは、麻原の妻松本知子が男の子を妊娠したときに3女のアーチャリーが見たヴィジョンである。

「雪山の上空を、完全な蓮華座を組んでいる男の子が飛んでいました。低い男性の声が「パンチェン・ラマ」と言いました。その声は続けて、「チベット仏教は終わった。わたしはそれを再建するために来た。それは可能ではないかもしれないが……」と言いました」

Issue1-1 赤い龍に入れ オウムとクレムリン

日本の政治家はクレムリンに浸透するため、どのようにオウムを使ったか

-- Jack Amano

「見よ、火のように赤い大きな龍である。これには7つの頭と10本の角があって、その頭に7つの冠をかぶっていた。龍の尾は、天の星の3分の1を掃き寄せて、地上に投げつけた」――ヨハネの黙示録12:3-4

「まだこれは現象化していない。つまり、ハルマゲドンのところに召集してはいないからである。……例えば、この3つの霊、つまり龍、獣、そして偽予言者と。これは何を表わしているんだろうか。龍は皆さんもご存じのとおり、当然ロシアを表わしているはずである。獣は先程述べたアメリカである。では、もう一つの偽予言者とは何か。これはイスラム圏である」

――麻原彰晃、1991年11月9日。『日出づる国、災い近し』オウム出版、1995年より

1991年10月23日、麻原彰晃、すなわち松本智津夫、オウム真理教のグルは、新約聖書を読んで宣言した。「わたしはここに、わたしがキリストであると宣言する」 麻原の信仰は、チベット密教、ヨーガ、シヴァ信仰の折衷的混合であった――しかし、キリスト教徒として生まれ変わることは、グルの信者を驚かせる飛躍であったろうと思われる。しかし、オウム信者はなぜ誰も、麻原の突然の主要な信仰が、獣・アメリカではなく「赤い龍」ロシアに転回したことについて、教義的疑問を持たなかったのか? なぜハルマゲドンについての新しい教義を素直に受け入れたのだろうか?

おそらくそれは、グルの精神的再生の背後に、純粋に実用的な動機があったからだ。オウムはロシアに目を向けていた。1992年3月、麻原と妻の知子、300人のオウム信者は、ロシアとCIS諸国でのオウムツアーを開始するためにモスクワへと飛んだ。二度目の訪問は、クレムリンへアエロフロートで訪れた。


157ページの『キリスト宣言』という本は、奇跡的な聖書購読のあと一か月かそこらしかかからずに翻訳出版されたが、ここで麻原は、聖書、特にマタイによる福音書の記述と、仏教経典、特に阿含経との概念の橋渡しをしようとした(テロリストの脅威、オウムと阿含宗の記事参照)。この本は、明らかに、三年のうちに三万人の信者となった潜在的ロシア人信者を引きつける入門テキストとなった。新約聖書に対する深い洞察の麻原の宣言にも関わらず、ロシアへのオウムへの浸透が始まっていた。メシアであるという宣言書と、裸の麻原が十字架に架けられている表紙絵は、大量の破壊兵器を赤い龍から手に入れるための予想された計画の一部にすぎなかった。

1990年秋、オウムの建設大臣にして武器購入の長である早川紀代秀は、東京のロシア大使館職員をもてなした。早川は、1991年1月、21回渡航することになるロシアへの最初の訪問を行なった。同年12月、早川はボリス・エリツィンの最も近い親友であるオレグ・ロボフを紹介された。ロボフはそのとき露日大学の学長であった。

オレグ・ロボフは重要である。のちにエリツィン政権の安全保障理事会議長となったからだ。これはロシア最高意志決定機関であり、アメリカ大統領の国家安全保障顧問と同じ地位を保っている。露日大学は、二つの理由で重要である。

1)オウムはこの大学への願書を使って、勧誘と軍事スパイ活動の目的のためにロシアの科学者を狙った。

2)大学の資金的後援は、日本の官僚と自民党(と新進党)の最高級の人物をオウムと紛れもなく結びつけている。

龍の歯:昨年、ほとんどの東京ベースのジャーナリストは、日本での急激な拡大、ロシアトップ官僚と軍事施設への接近、かつて10億ドル(1000億円)と見積もられていた資金源についての疑惑を口にしていた。

これらの疑惑は、サム・ヌン上院議員が議長を務める合衆国上院常任調査小委員会によって明らかになった結論によって増大した。ヌン上院議員がロシア、ユーゴスラヴィア、オーストラリア、日本その他の国々に派遣した調査官たちは、最悪のおそれを報告した。

オウムが露日大学申込書を使用したのは、多くは軍事関連分野の研究に携わっている物理学者、化学者、生物学者を選択的に募集するためであった。

ロシアで募集された中には、研究所の広報官であるアンドレイ・ガガーリンスキーによると、ロシアの最先端核研究機関であるというクルチャトフ協会のトップ研究員と数人の従業員が含まれていた。

早川紀代秀はプラズマ兵器研究のためのガス・レーザーの購入を試みており、ロシア軍事基地でオウム信者のためのヘリコプター・パイロット訓練と軍事教育を行なおうとしていた。

朝日テレビによると、早川は、化学兵器専門家を募集しようとし、適切な経験のある産業技術者を見つけることに失敗し、上級技術者(その教え子の一人は、日本に送られて某研究所で働いた)を勧誘するためにヴォルヴォグラードの神経ガス工場に行った。

国会の元広報官、ルスラン・ハズブラートフは、オウムがミール17ヘリをアゼルバイジャンからの空輸で東京に運ぶように手配した。ヌン・レポートによると、そこで関税を通過した。

オレグ・ロボフは、50万ドル〜1億ドルをオウムから支払われた。

1995年11月に「自動車事故」で突然の事故死するまで、ロシアでのオウム調査を率いた国会宗教問題委員会の委員長ヴィタリー・サヴィトスキーによると、オウムの活動はロシアの諜報機関に支援されていた。

オウムの武器商人によって書かれたいわゆる「早川ノート」は、核弾頭、陽子弾道弾、ガスレーザー、軍隊輸送機、上陸船、自動兵器を購入しようとしていたという記述がある。

政治的な後援者:明らかに、ロシアでのオウムの活動は、熱狂的教団の単純な活動ではなく、ロシアと日本の諜報機関と高位高官によって組織された隠された作戦の一部である。誰が日本でのオウムの後援者なのか? 元自民党内閣の大臣浜田幸一は、二人の政治家を名指しし、不明の一人について言及した(噂によれば、その二名は、元科学技術庁長官と民社党タカ派だという)。

一人とは石原慎太郎。『ノーと言える日本』の著者で、「青嵐会」と呼ばれる反中国議員保守団体の元の頭であり、日本の再軍備支持者である。『ノー』で、石原はロシアとの先端技術同盟を訴え、それは日露科学技術協力協定によって実現された。彼は、東京都庁におけるオウムの宗教登録の後援者として非公式に名指しされたあと、議会を辞任した。

名指しされたもう一人の政治家は、山口敏夫である。オウム事件の背後での立案者であり、石原よりも大きな役目を果たしたようにみえる。やせた5フィート4の小さな人山口は、日本の外国諜報機関の「M」というより、小悪魔のように見られている。スパイ業は、ありそうもない人物をひきつけると知られている。

元首相中曽根康弘の親友にして子分である山口は、自民党外事委員会の指導的人物であった。その権限で彼は露日大学を設立し、これが自民党とオウム真理教をまぎれもなく結びつける機関となった。フォーカス誌によると、オウムの諜報省長官井上嘉浩が山口を尊敬していたという。井上は、山口を軍事クーデター後の滅亡の日の政府の首相に据えようと計画していたという。これほどその関係は密接であった。

長く、輝かしく、そして時期尚早に終わった政治的経歴のあと、山口敏夫は、現在、かつて高橋治典が経営していた共和・安全信用金庫からの資金を使い込んでいた容疑で、警察の保護下にある。元防衛庁長官中西も、この堕落したトロイカの一員であった。

中曽根内閣の元労働大臣として、山口は、労働大臣の認可が必要な職業斡旋会社だったリクルートから株式贈与を受けていた主要人物の一人であるが、その関与に関して起訴されなかった。安全・共和信用金庫スキャンダルが日本で徹底的に報道されていたとき、どの主要メディアも、山口の兄弟によって管理された使途不明金について――あるいはリクルート疑惑で彼が以前に得ていた不正利得や、元労働大臣関係資金がオウムの資金に転用されたかどうかについて――はまったく調査しなかった。リクルートの支払いは、山口が労働大臣だった1985年から、オウム真理教が宗教法人認可を得た前年の1988年に行なわれている。

警察捜査官と議会秘書がすべて、山口がオウムの後援をしていたことを知っているのに、東京都検察庁は今月、東京地下鉄毒ガス事件の一周年をまえに、オウム事件全体を調査終了すると決めた。なぜ山口はオウム事件について起訴されないのだろうか?おそらく、彼の起訴から政治的に波及するならば、数十人の最高級の官僚と政治家の没落、不名誉、刑務所入りが導かれるからだ。そのなかには、最低一人の元首相も含まれている――山口の派閥の長であり指導者が。

オウム・自民党のコネクションを知っていたと思われる政治家・官僚は誰か? はじめに、露日大学創設を見る必要がある。

満州コネクション:大学は栄光のグラスノスチ時代の産物である。具体的にいうと、ミハイル・ゴルバチョフの諜報部長官イェフゲニー・プリマコフと、長老政治家中曽根康弘が、1988年7月、モスクワでの会談で日露科学技術協力の基礎を築いたのだ。

しかし、オウムのロシア浸透の起源は、もっと古い時代にさかのぼる――1930年代の満州国。このとき、不安な平和がソヴィエトと日本の諜報機関のあいだに、デ・ファクト(既成事実)の協力が保たれていた。地下鉄毒ガス事件後、外国人記者のなかには、満州国、その不名誉な731細菌兵器部隊、オウム真理教の生物化学兵器とその抗毒素についての研究とのあいだに歴史的つながりがあるのではないかという可能性を調べた。研究所で作られた未来兵器と「最終戦争」理論の強調は、すべて、1930年代、日蓮の熱狂的信者で関東軍の満州国奪取計画者である石原完爾によって考案されたものだ。

そこにはコネクションがあった。岸信介と李香蘭。満州国の、最も傑出した二人の生存者。

毎日新聞と密接な関係のあった年輩の自民党政治家・安倍晋太郎は、満州経済を建設した元首相・岸信介の義理の息子である。

国会議員大鷹淑子は、芸名の李香蘭で知られている満映の魅力的で有名なスターにしてスパイ、満州国の体現化であった。大鷹は、1991年1月13日のモスクワへの自民党事前使節を率いた安倍に随行した。露日大学は、この使節で最初に、中曽根派の代表として山口敏夫によって提案された。会議は大集団セッションとして開かれ、他の随行員たちは双方の大学提案を知っていたはずなのだ。そこにはこの人々がいた。小渕恵三(竹下派)、山口(中曽根派)、元農林水産大臣加藤六月(安倍派――この二月に肺の動脈破裂で急死)、葉梨伸行(宮沢派)、伊藤宗一郎、参議院議員大鷹淑子、大木浩。

このツアーに含まれていた高級官僚:兵藤長雄(外務省官房総括審議官ロシア・ポーランド専門家)、東郷和彦(外務省ソ連課長)。モスクワ大使はえだむらすみおであった。

ミハイル・ゴルバチョフは、安倍に、その提案の一覧について考えると約束した。肯定的な答えは、1990年9月5日、当時のソ連外務大臣、エドゥアルト・シュワルナゼとともに東京に到着した。

翌日のジャパン・タイムスの朝刊では、こう述べている。「日本の議員山口敏夫によれば、日本とソ連は、モスクワ郊外に、私的技能と技術についての大学を共同設置しようとしている」さらに「ソ連と東欧の学生が、約6か月間、日本の企業で実用的な訓練を受けることになるだろう」

その後援会社の一つは、貿易会社の日商岩井であることがわかった。これは、1992年の初期に、日本にオレグ・ロボフを招待している。この訪問で、ロボフは、麻原に紹介された。なぜロシア人は日本の仏教教団に心から挨拶したのか? 金、それが一つ。技術がもう一つである。ロシアは日本の高度先端技術が必要であった。東京は、ロシアの核・軍事技術を求めていた。さらに大きな地政学的動機として、東アジアにおける新しい安全保障配置についてのゴルバチョフ・シュワルナゼ計画(エリツィンも採用)があった。ロシアは、そのアジアの属国――ベトナム、北朝鮮、モンゴル――に日本の投資をさせ、その代わりに、日本が合衆国との安全保障関係を弱めるよう期待したのだ。しかし、その目的は、あっけなく、中国の抑制によって断念された。合衆国は「チャイナ・カード」をちらつかせ、ロシアと日本(とロシアの兵器を釣ろうとしていた台湾)は、中国拡張を制限するという共通の利益を有していた。

誰が、何のために?:毒ガス攻撃の別の見方として、宗教テロの不合理で時期尚早の行動としてではなく、ロシアと日本と台湾の間での、おそらくは核兵器とその技術についての、増大する武器貿易を制止するための、冷たい、意図的な試みの一部であるという見方がある。オウムは、あまりにも多くの微妙な技術がアジアのバランスを崩す前に止められる必要があった。合衆国上院調査のロシアでの報告によれば、この見方のほうがよく理解できる。

北朝鮮は計画の鍵となる要素だった。1990年はじめに安倍使節がモスクワに到着した数日前、自民党の実力者金丸信が、自民・社会合同代表団を北朝鮮に導いていた。アエロフロートのチケットでは、早川紀代秀は17回平壌に行っている。中国を含む日露計画は、一つの支障を除けばうまくいったかもしれない。北京(中国との国境対立は90年代初めに噴出していた)とロシアの前身に対立していた北朝鮮の老齢の指導者金日成は、1994年春まで、頻繁に入院していた。

1994年6月までに、ロシアに病的嫌悪を抱いている息子金正日(父の前妻の一人がモスクワに住んでいて、その異母兄弟を育てていた)は、すでに北朝鮮軍の軍事司令官であり、いまや、ベッドの上の父とともに、行動の自由を得ていた。北朝鮮はその対外関係において急展開しようとしており、平壌は高度な秘密情報を北京にもたらしていた。

1994年6月に起こった長野県松本での神経ガス攻撃は、金日成が死の床に横たわっているときであり、まもなく、上九一色村のオウム施設の近くで奇妙なガス噴霧が続いた。それから1年たって、地下鉄毒ガス事件が起きた。

オウム事件全体を再び開くために、疑うべき十分な土台がある。決してオウム裁判に使われなかった裁判所と化学的証拠は、国際的な調査委員会に示される必要がある。そして、すべての証拠と容疑者は、信用できる国際的専門家たちの面前で証言するために召喚されるべきである。そのときにのみ、私たちはオウム事件の底を見ることができる。その手始めに、議会はモスクワへの安倍使節に参加した全員から証拠を請求すべきだ。

現代日本は、政治的都合によるつるし上げ裁判の野蛮な歴史を有している――無政府主義者公徳秋水の不敬罪事件から、松山事件における国労リーダーに至るまで。歴史は繰り返す。


ジャック・アマノは東村山を拠点とするベテランの調査ジャーナリスト。

TBSとオウム事件における偽情報  サブリミナル・ユダ
毎日グループ、TBSとオウム事件における偽情報
――ジャック・アマノ
 
毎日メディア・グループとそのTBSテレビ・ネットワークは、オウム真理教事件に深く関わっている。それは不幸にも、その調査業務ではなく、非倫理的でときには違法な介在、偽情報、重要犯罪における共犯の可能性においてである。この関与は非常に重大であるため、3月13日、二人の議員が公式に毎日の重役を呼んで議院委員会で証言させた。

事件を妨げたり、偏向させようとする試みが繰り返されたことは、毎日グループが最新スクープを獲得したいという以上の動機を持っていたことを示している(実際、TBSは繰り返し、オウム事件に関する自社のビデオ公表を自制した)。これは、動機、意図、舞台裏の利益についての重大な疑問を招いている。

問題点をはっきりさせよう。毎日グループは、オウムと最も敵対する教団、創価学会との密接な関係を持っていたのか?
毎日新聞は創価学会の聖教新聞を数百万部印刷するという儲かる契約をしている。それだけでなく、創価学会は毎日グループの編集方針に過度な影響を有しており、伝えられるところではその流通システムに枷をはめているという(それは、1970年代後半にこのメディア・グループの支配権を大きく変えた)。毎日の創価学会とオウムとの関係は何なのか?
それは安倍晋太郎への特権的な接近とモスクワへの使節団を乱用したのか?

ここに毎日のメディア攻撃のいくつかの例を示そう。
1989年10月2日、サンデー毎日はオウム真理教に対する最初のメディア攻撃を出版した。それは主に商業的強欲さとサディスティックなイニシエーション儀式についての攻撃であった(もっと多くの財産を操り、疑問点の多い創価学会は、毎日グループによる大調査シリーズにおいて批判されたことがない)。

11月2日の坂本一家殺害事件の告発で、TBSは数人のオウム幹部に、坂本堤弁護士がオウムを批判する声の入ったビデオテープを見せていた。二日後、坂本一家は横浜の自宅から誘拐された。毎日は、ビデオテープを見せていないと否定した。
しかし、のちにそれは番組を放映することを自制した。この攻撃または共犯は、中川智正、井上嘉浩、平田悟の3人に対する殺人事件容疑を示し、オウム幹部への攻撃となった。もし中川が自白において偽証しているなら(彼は罠を仕掛けるための政府工作員であってもおかしくない)、毎日はやはり、オウム幹部の訪問を坂本や警察に警告しなかったという点で関与している。議員は以下の答えを求めている。

1990年1月、毎日グループの上級通信員が、安倍晋太郎のモスクワ訪問に伴って旅行した。この訪問は、総リーダーが山口敏夫であり、露日大学の設立に至った。安倍晋太郎は、毎日新聞の政治記者として就職し、彼の政治生活すてにおいて、毎日新聞のパトロンであった。毎日は安倍との特権的関係があった。それゆえ、オウムがロシアで武器獲得活動をしていたことも完全に知っていたはずである。創価学会が突然オウムへの攻撃を止めたのは、ロシアへの浸透における協力者としてだったのか?

1995年3月15日、東京地下鉄毒ガス事件のちょうど5日前、毎日のニュースドキュメンタリー番組スペースJのテレビ・クルーが上九一色村のオウム施設へ行った。そのレポーターは、協力的だった林郁男医師に、オウム施設に噴霧されている物質が何かを説明するよう求めた。林は静かに答えた。「ロシアでつくられているガスです。それはサリンと呼ばれています」。さて、1週間以内にガス攻撃を本当に計画していたのだとしたら、林医師はなぜ、そんなにオープンにカメラに向かって話したのだろうか? それとも、彼はこれらの攻撃計画を立てていた者によって準備されていたのか?

3月20日の午後、パレスサイドビルの毎日本部に、創価学会員がそこ(と朝日新聞事務所)にある外国報道事務所を訪問し、オウム真理教と呼ばれる教団が東京地下鉄毒ガス事件に関与していると外国人社員に告げたという。彼らはどうしてそんなにすぐに知ることができたのか? 東京が麻痺して、オウムの関与の可能性について1週間以上経ってはじめて警察が情報を流したというのに、創価学会活動家はどうやってそんなに整然と動くことができたのか?(警察の強制捜査は、假谷拉致容疑であったことを思い出してほしい)

4月4日の東京の外国人記者クラブでの上祐史浩の記者会見で一人の元創価学会員が、オウムの自治省にいた27人が元創価学会員で、創価学会の誘拐法を訓練されていたと批判した。その元創価学会員を襲撃したのが、その攻撃を直ちに止めさせようとした毎日とTBSの記者であり、それははからずも創価学会警備訓練技術に対して彼らが異常に詳しく知っているということを示した。

ユダのイメージ:村井秀夫は、4月23日、オウムの青山広報事務所の正面でナイフで刺されて死んだ。教団外報部長上祐史浩は、病院まで救急車に乗っていき、村井の最後の言葉は「潔白」だと述べた。これは、正確でないことが明らかになり、後に二人の救急隊員が、村井は「ユ・ダ・……」とつぶやいたと述べた。韓国人ヒットマンは二人の暴力団員に伴われ、暗殺を指示したのが誰かという憶測がすぐに流れた。毎日グループ系のタブロイド版新聞(3流新聞)の日刊スポーツは、村井の最後の言葉が「ユダ」であったという誤報を流した(それは正確には「ユダヤ(ユダヤ王国またはユダヤ人の両方の意味がある)」であった)。5月7日と5月14日、TBSの「報道特集」は、オウム真理教特別番組を放映した。1分あたり30コマごとに数コマの割合で、TBSの編集者は、麻原彰晃と、レオネルドの最後の晩餐からとったイエスの裏切った弟子ユダの映像を挿入した。それが明らかになったとき、TBS常務取締役大川みつゆきは記者会見で謝罪し、これらの映像は単に冗談であってサブリミナル・メッセージではないと述べた。

冗談、たしかに! 毎日グループが村井暗殺で誰かをはめようとしていたのはなぜだ?(大衆がどれだけ正当に麻原を憎悪していたとしても、彼は関わっていない事件ではなく、彼が罪のある犯罪についてのみ起訴されるべきである)。毎日グループは、真実の暗殺者の追求を覆い隠そうとしていたのか?

そのように挿入された映像によるサブリミナル暗示は、平易で簡単な心理学的戦闘である。それは日本の大衆に対して行なわれ、彼らが選んだ誰をもリンチ殺害する意図があったことは明白である。

最後に、1990年九州の波野村での騒動に対する毎日の目立った沈黙、そして、全国的なメディアグループのなかでは唯一、第7サティアンの内部とされた神秘的な写真を購入しなかったという事実(オウム施設は毎日のカメラマンでいっぱいになっていたことを考慮すべし)は、オウム事件における毎日の奇妙な役割についてのさらなるミステリーを付け加える。

オウム事件に関する毎日グループの妨害は、非倫理的な指導という要素を遙かに超えている。そして、これらの犯罪は、憲法に保証された報道の自由でも守られるものではない。偽情報キャンペーンは、重大犯罪として扱われるべきだ。この重大問題について、次のようなことが必要だ。
1)TBSの放送免許の停止、
2)創価学会と毎日グループの関係についての独立犯罪捜査、
3)TBSと毎日重役に対する犯罪告発。

ジャック・アマノは東村山を拠点とするベテランの調査ジャーナリスト。

オウムに対する申し立て


Archipelago オウム関連のみ勝手に翻訳復刻版 (オウム百科) 

オウムについて知りたいと思っていたが、尋ねることが恐かったことのすべて!
 
ブリタニカもそこのけ。棚の空き場所が、日本で最も風変わりで奇妙な文化的肖像の一つについて、知りたいこと知りたくないことのすべてであるオウム百科を入れるために必要だ。東京地下鉄毒ガス攻撃記念日において、ARCHIPELAGOは、オウム真理教の宇宙と平行し、重なっている記念碑的目録を伝える。

オウム人名録、活動・修行・関係についての明確な記載は、あまりにも膨大になるため、一言で語り尽くせない(このため、我々はこれについての本を書かないのだ)が、その黒い科学、かなり奇妙なSF、秘教的薬物使用儀式、高次元の政治的不正、地下社会(これはステュクス川{三途の川}のことではなく、卑俗なヤクザのこと)との関連についての百科事典としては、これは理想的な資料となっている。

これは、研究者とブラウザーならどんな興味をもっている人にも便利なリファレンスである。政治的構図の伝記は、私達の「悪漢ギャラリー」でそれぞれリストされている。

この版で提示された主題は、まさにこのプロジェクトの始まりとなったのであり、東京で生きるのが危険になった年の、単に最も最近の事件である。

阿含宗
マタイによる福音書
イラク
スーザン・ゾンターク/フレデリック・ジェイムソン
 
 
阿含宗

阿含宗:「私たちが今必要としているものは、新しいタイプの人類の登場である。私たちの迷走する世界をコントロールする能力のある、超人類を作ることだ」――阿含宗「仏陀本来の教え」より

1996年2月29日、毎日デイリーニュースに阿含宗の星祭りの一面広告が登場した。ジャパンタイムスには、同様の六分の一ページ広告が現われた。日本の新聞業界ならだれでも知っているように、一面広告は10万ドル以上かかり、さらに広告代理店やさまざまな心付けを払うならさらに必要だ。言い換えれば、広告を出すことは金を渡すための簡単な方法である。

毎日の広告は特に注目に値する。創価学会と最も関連の深い主要日刊紙だからである。阿含宗がこれらの広告を出す以前にはどんなメディアともまったくコンタクトしないでいたため、ひじょうに奇妙である。

なぜ沈黙していたのか? 麻原彰晃こと松本智津夫と、オウム自治大臣新実智光は、オウム真理教を始めるまえには阿含宗で徹底的に修行していた。松本/麻原はまじめな宗教修行を1977年に始めたと言っているので、彼は見かけ上は二つの仏教団体の創設メンバーのように見える。

では、阿含とは何か。1940年代末、桐山靖雄(1920年生まれ)は、観音慈恵会として知られる小さな宗教団体のリーダーだった。これは慈愛の女神を崇拝するものである。1977年4月と5月、桐山靖雄は軍国主義者のヘッドバンドをして、パラオと沖縄での日本人戦没者への供養を行なった。翌年、阿含宗は東京都庁から宗教法人の認可を受けた。

阿含宗は仏教が蘇り、復活することが必要とされた場所、すなわちカンボジア、モンゴル、スリランカ、ブラジル、ハワイ、カリフォルニアで布教し、すぐに前線の位置に立った。1984年5月、桐山管長は東京武道館での記念儀式にダライ・ラマを招待した。このイベントは松本/麻原が最初にダライ・ラマを見た最初であっただろう(これは会見の一つとしてカウントされていない)。

報道によれば、麻原と新實は阿含宗内で遠ざけられているように感じていた。ほとんどの信者は、大学卒で学歴の高い新左翼の残党だったからである(阿含宗は創価学会のように、若年層を埋めるために新左翼をターゲットにしていたようだ。それは保守政府への有効なサービスをはたすことになる)。

1985年2月、おそらく新實その他の阿含宗に不満がある数人の目撃者の前で、松本はいわゆる空中浮揚を行ない、そして彼らは独立したヨーガ団体を設立した。空中浮揚によって松本は、個人的な評判が初期より低くなっていた師をしのいだのである。

しかし、松本は多くの要素を阿含宗から借りている。後世の中国での変形ではなく、インドの原始仏教への関心、よく似たロゴ、阿含経典への帰依、修行の段階的アプローチ、ヨーガ行法システム。

「(真言仏教の秘儀を)習得するこの経験を積むことで、桐山はインドヨーガから発展したクンダリニーとチャクラの秘密の双方を組み込んだ、完全で新しい一連のテクニックを作り上げた……」その最終地点はホモ・エクセレンス、超人になることである。「彼はこのホモ・エクセレンスが現われない限り、人類は未来に対して何ら希望を持てない、とはっきり断言した」

聖地巡礼をしているとき、阿含宗信者は「山伏」の服、つまり小さくとがった帽子、胸の周りに大きく回したポンポンという衣装でわかることもある。これは最近日比谷野外音楽堂でまねされていた。

桐山は、1986年6月、ダライ・ラマから北京に乗り換えた。そのとき、彼は阿含宗代表団を率いて、「中国宗教局」とともにハルピンでの布教を行なっていたのである。

阿含宗に入信しようという興味を持った人は、〒108 東京都港区三田4-14-15:(03) 3769-1931 にコンタクトすべし。
 
 
マタイの福音書
「破防法」、つまり破壊活動防止法の緊急認可に対する反応の中で、1995年11月の終わりに、暗号化されたテロリストからの脅迫が二つ、東京都庁、警視庁、いくつかの報道機関に送られた。それには、M.V.プロジェクト、つまり「マスターの声プロジェクト」の本多繁邦(Honda Sigekuni)とサインされていた。本多繁邦は明らかに偽名であって、三島由紀夫の最後の四部作『豊饒の海』のナレーター的登場人物である。この四部作のテーマは輪廻転生、オウム事件にはぴったりのテーマである。

M.V.は、オウムの裏武闘派のマハーヤーナ・ヴァジラヤーナを意味するのかもしれない(ヴァジラヤーナは「雷電の乗り物」を意味する)。
11月30日の最初の脅迫は、マタイの福音書のゲッセマネの夜の記述に基づき、東京都庁に「地震ドリル」を注文するよう、充分深刻に受けとられた。その朝、あらゆる東京都職員は公的輸送機関を使わず、徒歩または自転車で職場に向かった。消防士の大集会が北区で召集され、天皇は皇居ではなくそこにいた。

マタイの福音書26-75に戦略的に挿入されたのは、日本語で「ワレワレハジュウイチガクサンジュウニチニセンソウニトツニュウスル トウキョウエキケイカイセヨ ハボウホウヤルナラヤッテミロ」であった。これは、「我々は11月30日に戦争に突入する。東京駅警戒せよ。破防法やるならやってみろ」である。

もちろん、11月は国会に対する軍事蜂起と、皇居への毒ガス空中散布の月と考えられていた。そのための警戒が整えられた。警視庁は慎重に東京駅から見えないところにとどまった。メッセージに伴う問題は、脅迫が東京駅に対するものか東京の駅に対するものかわからなかったこと、あるいは攻撃が30日にあるのか、その日がテロリスト作戦行動の開始日として特定されたのかはっきりしていなかったことである。

脅迫が埋め込まれた聖書の記述も、メッセージの一部だった。教団の前広報部長上祐史浩の名前が師を裏切ったユダと置き換えられていた。加えて、マタイの福音書は、四福音書のなかで最も信仰心に篤く、反ユダヤ教的であり、アメリカの福音主義右翼のあいだで好まれるものである。

この注記は、東京スポーツ、宝島30、週刊ジャパンタイムスで発行された。
 

 
イラク

「第六の天使が、その鉢の中身を大きな川、ユーフラテスに注ぐと、川の水がかれて、日の出る方角から来る王たちの道ができた」――ヨハネの黙示録16:12
「中東が石油を出さないときが来ます。そのときが、ハルマゲドンなんです」――麻原彰晃、1993年6月10日、「真理」6号

麻原は1987年7月、実際に「偽予言者」の地、イスラム世界をを訪れた。日本における旱魃と熱波による洪水の予言をしたあと、彼は夏休みをナイルの岸で過ごし、"古代エジプト・クンダリニー・ヨーガ文明の神秘を解くことに成功"した。彼は特に立ち上がった蛇のレリーフに感銘を受けた。それは大いなる世界の創造、インドのロープ魔術やヨーガと生物学的に等しいというのだ。ピラミッドでの瞑想から直感して、麻原は日本に戻ってすぐ、彼の新しい宗教「オウム真理教」という名称を決定した。

麻原はイスラム世界を、黙示録の「偽予言者」と呼んだ。オウムの占星学者、メッターベーサッジャパンディタ師は、オウムのラジオ放送「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス」の1995年1月8日放送分で、このテーマを展開した。1995年には「(黄道の)第七室にある惑星は海王星です。これは信仰、石油、スパイを意味します。これは、中東です」

奇妙なことに、オウムは8年間、中東への移動を表面上はしなかった。中東と関係する唯一の行動といえば、ヌン上院議員レポートによるものである。1994年後半、オウムの獲得官僚とマハーポーシャ・コンピュータの社長は、南カリフォルニアのある会社に、「中東の顧客」のかわりに武器、飛行機、貨物船を送ることについての問い合わせをした。その要求は「数千本の血清瓶、数百個の扇風機、同量のVTR一体型カメラのバッテリー」であった。

中東との弱い関係としては、ほかにコーカサス――チェチェン、イングーシ、アゼルバイジャン――との関係がある。宗教に多大な影響力を持っていたあるロシアの政治家は、1994年、軍用ヘリ・ミル17の販売と輸送を手配した。これはアゼルバイジャン航空のジェット機で運ばれ、東京税関を通った。オウムはさらに大きなミル26ヘリコプターの輸入申請を用意していた。ヘリコプターはタタールスタン共和国で組み立てられたが、そこに200人のオウム信徒がいたと報道されている。

コーカサス・コネクションは興味深い。IAEA検査官は、日本製精密研磨器(核兵器のためのベリリウム外壁を作るのに必要な高品質のもの)を発見し、サダム・フセインの核兵器計画を進めていたNECコンピュータは、湾岸戦争以前にはイラクに持ち込むことが許されなかったものであった。これらはアゼルバイジャン経由で輸入されたのだろうか。

オウムの古くからの政治的パトロン、山口敏夫は、「現代政治情報」では、イラク湾岸危機の先導者に名を連ねているが、1990年11月の自民党のバグダッド訪問の期間中、彼の名前は登場しなかった。この訪問は、中曽根康弘と自民党の副幹事長、佐藤孝之が74人の日本人人質を解放させるために行なったものである。このときは、国際オブザーバーは、日本が内政干渉しないという誓約をしたから、イラクが人質を解放するだろうと推定した。しかし1993年初頭、IAEAは、高速カメラやウラン遠心分離器を作るための研磨機など、日本からの精密機械がイラクの核計画に使われているのを発見したと発表した。内閣官房長官河野洋平は、その後、そのような設備が輸入されたのは、1990年8月のイラクのクウェート侵攻によって経済封鎖が行なわれる以前であっただろう、と述べた。

 
スーザン・ゾンターク/フレデリック・ジェイムソン

マタイ福音書の脅迫状のあと、すぐに第二に脅迫状が警視庁といくつかの報道機関に送られた。署名は同じライターであり、文字と数字を含む暗号があった。これは、ふつうのワープロを使えば日本語に変換できるものであった。

脅迫状では、テロリストの原子力再処理施設(東海村)の攻撃計画は失敗したが、東南アジアで別の攻撃が演じられるであろうと示されていた。脅迫の直後、プルトニウム高速増殖炉「もんじゅ」と仙台郊外の女川原子力発電所が事故で閉鎖され、富士山に近い核施設の低レベルの核廃棄物貯蔵庫で火災が発生した。はやしたてられたオウム/ヤクザ容疑者は、ASEMサミット直前にチアン・ライへ向かう途中、タイ警察に逮捕された。おそらく、単なる偶然の一致であろう。

このときの一節は、フレデリック・ジェイムソン(Frederic Jameson)のイデオロギー理論『メタコメンタリー』、1971-1986のエッセイ(ミネソタ大学出版)からのものである。「そして私は上記のように、スーザン・ゾンタークに話した。言語としてのそれ自体の本質のもとにあれば示されるはずのものを隠してしまう言語、まさに回避の過程を通して、禁じられた対象を明示してしまうような言い方について。」

これは明白に、洗練された、意味論のポストモダン・テロリストであり、文化批判に対する心理戦争を高尚なものとする、イメージに基づいたテロリズムであり、日本のプルトニウム貯蔵庫(テロリストはだれだ?)に対しての、日本の会社新植民地主義企業(国際社会を脅かしているのはだれだ?)に対しての、破防法(ほんとうに政体を破壊するのはだれだ?)に対しての、言語に対しての、そして暗号化された暗示そのものに対しての多弾頭攻撃なのである。

ジェイムソンからの引用は、スーザン・ゾンタークのSF映画についての発展性あるエッセイ『災害の想像力(Imagination of Disaster)』(1961の翻訳から)への批評である。「本多繁邦」は、ゾンタークの名まえを江川紹子に置き換えた。これが意味するのは、プロの反オウムでよく研究しているジャーナリスト・江川が、ゾンタークのように、彼女自身が自分を、敵、そこかしこに潜んでいる悪の軍勢――SFのモンスター、オウム、その他実行力を持たない人間性を切り裂くようなものすべて――を払い清める女教皇であると信じている、ということを意味している。

新マルクス主義文学批評家のジェイムソンは、「SFジャンルは悲観的でもっぱら破滅を強要されたものである」というゾンタークの公式に反論して、これは単にSF作家によってもたらされた態度にすぎないと言った。ゾンタークはポイントを「取る」ことに失敗したのである。

「SF物語のすべての大変動の激しさ――ビルの破壊、東京湾から登場する怪物、包囲攻撃、戒厳令――は、もっとも深い作用や幻想から心をそらして、幻想そのものを強化するものを提供するための口実にすぎない……

「これらのエンターテインメントで表面上は逃避し、私たちがそれを見ることに表面上は没頭しているが、内省すれば、こういったものとはまったく違う二次的な動機がはっきりしてくる。その一つとして、これらの作品は特に、戦後の全盛期の時代と1950年代の雰囲気の中で、むしろ科学者の神秘性を開けっぴろげに表現している。そして、私が外部の名声や社会的な機能ではなく、科学者自身の誘導についての集合的民族幻想の一種について述べることによって――彼は実際に仕事をしているのではないが力と切実な意味を持っているのである。つまり、彼の報酬は金ではない。あるいは、少なくとも最小限の金額である。彼の研究室にはなにか惹きつけるものがある(家庭の仕事場が、公共のもので工場と病院の複合体であると大げさに言われた)……さらに、労働団体の古めかしいモードに戻り、より個人的で心理学的に組合の世界を満足させるように戻っていくという暗示もある。その組合では、年輩の科学者が親方であり、若者が徒弟となっていて、老人の娘が世代交代の象徴として『当然すぎる』ものとなるのである」

この文章は、もちろん、上九一色村の精神、最後のオウム科学大臣・村井秀夫とその若い科学者の仲間たちについての、ほぼ完全な記述となっている。彼らは日本の本流から完全に閉め出され、彼らの過程の作業場である研究室の中の共同体に新しい意味を見いだし、生物学的な抗毒素を遺伝子学的に扱い、プラズマ技術を開発し、脳波を実験し、アイザック・アシモフのファウンデーション・シリーズの神話の中に生きたのだ。オウムの神話的ヴィジョンはハルマゲドンで終わるのではなく、たしかにじめじめしてはおらず、東京地下鉄をひっくりかえした――それは黙示録後の理想郷の未来にあるものであり、高次の文明を再建するための仕事なのである。

そして、すべての理想郷と同じく、それはすっかり狂っていた。
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