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文春問題――雑誌冬の時代/疑惑・告発報道に包囲網
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投稿者 【東京新聞記事】 日時 2004 年 3 月 26 日 12:47:35:WxDWs5lGIC3h2
 

(回答先: 【鹿砦社ニュース】田中真紀子の娘に、数千万円の担保を払わず特別優遇で『週刊文春』出版差し止めを通した疑惑が発覚! 投稿者 passenger 日時 2004 年 3 月 25 日 20:46:54)


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http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040326/mng_____tokuho__000.shtml
東京新聞・特報(2004年3月26日)


文春問題―雑誌冬の時代
疑惑・告発報道に包囲網

週刊文春の出版禁止問題は、雑誌ジャーナリズムに大きな打撃を与えかねない事態だ。「疑惑」というグレーゾーンに果敢に突っ込み、社会に問題提起するのが本来の雑誌の“真骨頂”だが、事前の出版差し止めで、その息の根を止められかねないからだ。逆風に“悲鳴”をあげる雑誌メディアの役割とは−。


■新潮“異例”の援護射撃

「さっそく来た」。週刊新潮の早川清編集長はこう切り出した。

週刊新潮は二十五日発売の4月1日号で、長嶋茂雄氏の二男が関与した民事裁判についての記事を掲載した。これに対し二男の代理人を務める弁護士から、掲載を取りやめるよう求める通告書が来た。

通告書を送付した弁護士は、週刊文春の出版差し止めの仮処分申請を行った田中真紀子氏の長女代理人を務めた弁護士だという。

「出版差し止めの仮処分が申請されたことは、これまでもあった。だが、文春の例で『いずれ申し立ては増える』と思ったら来た。(二男が)取材にも応じず、内容も知らない段階で事前に『法的措置を取るかも』と言うのは“脅し”だ」


■記事善しあし『読者が判断』

週刊文春に続き週刊新潮もやり玉に挙がった格好だ。早川編集長は「文春の記事に関しては、公益性は少ないとは思う」と断りながらも、「だが、表現の自由とは、あえて報じる価値が低くても認めることで成り立つ。あまりに(人権侵害が)ひどい場合は、読者の判断で淘汰(とうた)される。いい記事かどうかを判断するのは読者で、地裁ではない」と出版差し止めの“圧力”を危ぐする。

週刊新潮の思わぬ“援護射撃”を得た週刊文春は、同日発売の4月1日号で、出版差し止め問題を異例の四十二ページにわたり特集した。

同誌の巻末で木俣正剛編集長は「今回のように、裁判所が事前に記事を事実上『検閲』し、名誉棄損やプライバシーの保護等を理由に発売を禁止するようになると、私どもが今まで報じてきた独自の調査報道が今後、読者に提供できなくなるのではないか、と大きな不安に襲われました」と危機感を吐露している。

雑誌ジャーナリズムは、際どい領域、いわゆるグレーゾーンへ踏み込んで、それを「疑惑」という形で報道してきた。真紀子氏や辻元清美氏の秘書給与流用疑惑などは両誌が報道して表面化した。

雑誌報道は、被害者を救ったケースもある。一九九九年に埼玉県桶川市の大学生猪野詩織さんが殺害された桶川ストーカー殺人事件では、写真週刊誌「フォーカス」が独自に容疑者を突き止め、県警の告訴もみ消し疑惑をスクープ、報道被害にも遭った被害者の名誉を回復した。

詩織さんの母京子さん(53)は「週刊誌にはひどく傷つけられた。いろんな雑誌が娘について面白おかしく書き飛ばした。恨みつらみは今も残っている。でも名誉を回復してくれたのも週刊誌だった」と話す。


■新聞のすき間井戸端会議の役割

父憲一さん(53)も「週刊誌などのメディアに苦しめられた立場から見ると、取材もしないで憶測だけで、『出しちゃえば勝ち』という姿勢で書かれた記事や出版社まで擁護するつもりはない。だが、国家が出版の自由を抑えることが問題だと思う。元フォーカスの清水潔記者が丹念に取材し、事実を突き止めたように、人間としてのモラルが高い記者は応援したい」と雑誌の役割に理解を示す。

同事件の国賠訴訟を支援する上智大の田島泰彦教授は「事件はメディアスクラム問題が表面化するきっかけにもなった。一方で、雑誌が果たした役割は非常に大きい。フォーカスが報じなければ、警察の怠慢も隠ぺい工作も隠されたままだった」と評価する。

雑誌の武器はこの疑惑報道と言える。「新聞ができないことをゲリラ取材で部数を伸ばしてきた。新聞が当局の裏付けがなく書かないことも週刊誌は書く、それが大問題となっていくことがある。大衆の関心は高いが、新聞からは落ちてしまうことを、井戸端会議としてやっているのが週刊誌で、社会と個人を結ぶ役割を負ってきた」とメディア批評誌「創」の篠田博之編集長は存在意義を説く。

評論家の宮崎哲弥氏も「確かな証拠を根拠に書く新聞に対し、グレーゾーンでまだ固まっていない段階の事柄を報じてきたのが雑誌ジャーナリズムだ。雑誌は先取的、機動的な部分を報じるという重要な役割を果たしてきた」と同調する。

著名人の家族を取り上げる点について、「てっぺん野郎」で、周辺取材を含め石原慎太郎氏を描いた作家の佐野眞一氏は「僕は危機感は絶えずあるが、危機感があるほどやらなくてはいけないと思う。石原知事のことを書いたが、あれは個人情報保護法には何回も違反する。だが、石原氏の実像は、そういうことでしか正確な像を結ばない」とその必要性を説く。

ただ、今回の問題の背景には、雑誌ジャーナリズムが置かれた立場もある。篠田氏は「世の中の受け止め方が変わってきた。写真誌が登場した当時、読者の拍手喝さいを受けてきたスキャンダルは、プライバシーの侵害イコール悪となった。それに官のメディア規制の動きの中で、メディアは市民と国家の挟み撃ちになっている」と話す。

報道被害者救済弁護士ネットワーク代表の坂井真弁護士も「公共性のある疑惑報道には、表現の自由に対して十分な配慮が必要だ」と指摘、その上で「メディアがこの決定を出させてしまうことに懸念を感じる。被取材者との対応で、こうした事態が起きないやり方をすればよい。書かれる側のダメージの深刻さの視点が欠けている」と問題点を挙げる。ただ、出版の差し止め問題は「公共性の有無、程度とプライバシー侵害によるダメージの大きさのバランスの問題だ。何でも差し止めになるわけではない。今回の記事が即、疑惑報道の危機につながるわけではない」とも。


■販売部数低迷も追い打ち

さらに雑誌に追い打ちをかけているのが販売部数=グラフ=の低迷だ。過去二十年を見ると一九九〇年代に一時盛り返した雑誌もあるが、十万−三十万部減らしている。「今回の問題を週刊誌が、どうくぐり抜けるかが、あらためて突きつけられた。その意味で仮処分決定は恐ろしいシステムだ」と篠田氏は話す。

雑誌ジャーナリズムの行く末に宮崎氏は不安を隠さない。「裁判所の対応を見ていると、基準が大きく変わったように思う。国民の知らないところで重大な方針転換がなされようとしているのではないかと危ぐする。このようなことが相次げば、週刊誌は出せなくなるし、出せても踏み込むべきグレーゾーンに踏み込めないものばかりになる。国民がそれを求めているとは思えない」

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