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【英国の防諜機関】保安庁(SS)
http://www.asyura2.com/0403/bd34/msg/758.html
投稿者 エンセン 日時 2004 年 4 月 04 日 01:08:05:ieVyGVASbNhvI
 

 
Security Service (SS)
Military Intelligence - 5 (MI-5)

公式サイト:www.mi5.gov.uk


 英国の防諜機関。

 デービッド・シェイラーの情報によれば、1994年まで、MI5の幹部は、英国生まれの祖父を有する者からのみ募集された。その結果、庁内には、イスラム過激派組織への浸透に従事できる職員がほとんどいなかった。最初の黒人幹部は、90年代中盤になって初めてMI5に現れた。今、黒人は、庁の定員3%だけであり、MI5最高指導部には1人もいない。庁は、1998年になって初めてその政策を変え、英国紙に英国のムスリムに防諜機関に入ることを呼びかける広告文が掲載された。2000年、そのような広告は、「日常性を欠いた生活」のスローガンと共に、Eastern Eye及びNew Nationのような民族紙に現れた。現在、庁の定員は、約1,900人に達する(冷戦終結の結果、2,150人から削減された。)。


機構

■最高指導部

長官(Director-general):エリザ・マンニンガム-ブレア(Eliza Manningham-Buller)

副長官(Deputy Director-general):フレイザー・ウィルソン(Fraser Wilson)

情報調整官(北アイルランド担当)(Director and Co-ordinator of Intelligence (responsible for Northern Ireland)

法律顧問(Legal Adviser)

■部

A Branch:作戦支援

A1A:技術作戦、秘匿侵入、盗聴、CCTV外部監視カメラ

A1F:上と同じだが、大使館等、長期対象に対して。

A2A:傍受した連絡文の翻訳

A3及びA5:作戦の技術支援。特殊秘匿写真撮影及び秘匿浸透用のその他の設備を含む。

A4:移動及び固定監視部署


B Branch:人的資源

B1:MI5の庁舎及び職員の安全の保障を含む庁の保安

B2:人事

B7:教育及び職員募集


D Branch:非テロ組織

D1:MI5内人員の検査

D4:ロシア及び中国に対する対スパイ

D5:D branchのエージェントとの業務

D7:組織犯罪


G Branch:国際テロリズム

G2P:テロリズム拡散対策

G3A:テロリズムの脅威対策部署の調整

G3C:G Branchがカバーしない地域のテロリズムへの対抗

G6:G Branchのエージェントとの業務

G9A:リビア、イラク、パレスチナ及びクルド人テロ・グループへの対抗

G9B:イラン国家テロリズム及びイラン反体制派グループの脅威対策

G9C:イスラム過激派対策


H Branch:協力部署

H1及びH2:ホワイトホール及びマスコミとの接触。庁の会計要求に従事する。課は、警察、税関、港湾及び移民機関との接触も担当する。庁における情報技術も担当する。

H4:会計


R Branch

R2:主要記録課

R5:秘密ファイル。閲覧制限ファイル。

R10:一時ファイルのための記録課

R20:GCHQから得られた資料の配布を担当。


T Branch:アイルランドのテロリズム

T2A:英国自体における共和派及び王政派テロリズムを捜査する。

T2B:現地特殊部署及びエージェントとの接触

T2C:アイルランド人テロ・グループからの脅威の評価

T2D:テロ・グループの捜査

T2E:スコットランド・ヤードに位置する特殊部署Metropolitan Police Special Branchとの接触

T5B:武器売却の捜査取調

T5C:アイルランド共和国を含む欧州大陸におけるアイルランドのテロリズムへの対抗

T5D:他の地域におけるアイルランドのテロリズムへの対抗

T5E:テロ理論の研究

T8:T Branchのエージェントとの業務。北アイルランドに位置する課を含む。

  MI5は、ドイツ、ワシントン及びキプロスのセンターに連絡幹部も有している。


■本部庁舎

 現在、本部庁舎は、議会庁舎近くのThames House, Millbank 11に存在する。この建物は、最近修築された。旧MI5本部庁舎は、ブルームズベリーの140 Gower Streetに位置した。

庁の歴史(MI5の公式説)

 1909年10月、英海軍軍港に対するドイツのスパイの危険性を指摘した帝国安全保障委員会の勧告に従い、サウススタッフォード連隊のバーノン・ケル(Vernon Kell)大尉と王立海軍のマンスフィールド・カミング(Mansfield Cumming)大尉は共に、秘密勤務局を創設した。

 海軍省から新しいドイツ艦艇に関する情報の追加照会を受けて、ケルとカミングは、その業務を分けることに決めた。その結果、「K」は、防諜(未来のMI5)を、「C」はスパイ(MI6)を担当することになった。

 1909年から第一次世界大戦開始まで、秘密勤務局は、ドイツ諜報機関のネットワークに入っていた30人以上のスパイを摘発した。この時、局は、ケルを含めて、計10人から成った。開戦時、局は、戦時内閣に再従属した。1916年1月、局は、新しい軍事情報局(Directorate of Military Intelligence)の一部となり、MI5の名称を得た。

 戦時、MI5の機能は拡大され、今や、同盟国に対する政府の政策、安全保障等の問題の調整を含んだ。MI5は、全欧州の防諜にも従事し始めた。終戦までに、35人のスパイが捕まり、MI5の定員は、ほぼ850人から成った。この期間におけるMI5の業務の詳細は、1997年11月に秘密解除されたPublic Record Office(www.pro.gov.uk/releases/)の公文書庫において、同期間の庁の報告書でアクセスできる。

 1917年のロシア革命後、MI5の業務は、共産主義の脅威と軍におけるサボタージュの警告を含み始めた。これらの脅威は、コミンテルンが帝国内部でサボタージュに従事するはずである英国共産党の支援担当者に任命したジノヴィエフの知られていなかった書簡の公表後、20年代中盤に追加の反響を得た。この書簡は、センセーションを引き起こした。最近フォーリン・オフィスの歴史家により行われた調査は、「ロシア帝国の諜報部は、素晴らしく組織されていた。英ソ関係を破壊し、労働党政府の倒閣をもたらすはずである文書を偽造するために、そのエージェントが白軍により利用されたことは、完全にあり得る・・・」ことを示した。

 1931年10月15日、アイルランド人テロリスト及びアナーキスト対策に関する連合王国の国家安全の脅威の警告に対する正式責任も、MI5に委任された。この日付は、「秘密庁」の創設日と考えられている。この名称は、慣習的に「MI5」に置き換わった。

 ヒットラーの権力掌握後、新しい機関は、ファシズムの新たな脅威と闘わなければならなかった。1939年初め、庁は、幹部30人だけを数え、その監視課は、計6人から成った。第二次世界大戦後間もなく、秘密庁は、「ウォルマート・スクラブス」刑務所の建物に移ったが、1940年末、庁の機構の大部分がブレンハイム・パレス(Blenheim Palace)に疎開した。1940年9月、庁の大部分の公文書がドイツの爆撃の結果全焼した。開戦までに、庁は、増大する脅威に余り準備されていなかった。1941年初め、デービッド・ペトリー(David Petrie)が、初代秘密庁長官に任命された。新しい長は、庁の全組織の根本的改革を始めた。

 それにも拘らず、このことは、庁が対スパイ任務を首尾良く果たすことを妨げなかった。1945年のドイツ諜報部の公文書鹵獲後、戦時に渡って、英国で115人のドイツのエージェントが行動していたことが暴露され、この際、1人を除き、全員が上手く摘発され、逮捕された。1人だけが逮捕を逃れた。彼は、自殺したのであった。ちなみに、一部のエージェントは、庁に再徴募され、ドイツ人に偽情報を提供した。秘密解除されたこのテーマに関する公文書は、Opennessとwww.pro.gov.uk/releases/mi5で見ることができる。

 冷戦開始後、庁の注意は、ソビエトの脅威対策に切り替わった。庁は、40年代初めに5万5千人を有した英国共産党の活動に集中した。それにも拘らず、「ケンブリッジ5人組」の存在は、イデオロギーに基づくエージェントの徴募に関するソビエト諜報部の当時の能力を良く例示している。

 1952年、ウィンストン・チャーチル首相は、秘密庁に対する個人的監督を内務相(Home Secretary)に移管し、1989年に至るまで庁の機構及び任務を規定する命令を公布した。50年代初め、庁の定員は、全世界の連絡幹部40人を含めて、850人まで再び増大した。

 60年代、更に数人のソビエトのスパイ、例えば、ジョージ・ブレイク及びジョン・ヴェッサルが特定された。1963年の「プロヒューモ事件」に関するデニング卿の報告書は、庁の役割及び任務に関する若干の情報を初めて公衆に公開した。この期間のクライマックスは、ソビエト大使館職員105人が追放された1971年に起こった。

 1970年代末、庁の資源は、部分的に国際及びアイルランドのテロリズム対策に再指向された。最初の対テロ部署は、数件のテロ攻撃に対する回答として、60年代末に庁に現れた。

 1980年の駐ロンドン・イラン大使館と1984年のリビア人民局の奪取は、この部署の財政増加をもたらした。70年代と80年代の間、庁は、西側特務機関中のテロ対策の調整において、指導的役割を演じた。

 1983年、KGBにより徴募された庁職員マイケル・ベタネイ(Michael Bettaney)が、スパイ行為で有罪判決を受けた。機関の活動における欠陥を言及した安全保障委員会の質疑後、新しいMI5長官には、元フォーリン・オフィス長官、アントニー・ダフ(Antony Duff)が任命された。彼は、庁の活動のために新しい立法基盤の立案を始め、その結果、1989年、Security Service Act 1989が採択された。

 冷戦終結は、庁の業務に大きな変化をもたらした。1992年10月、アイルランドのテロ対策の機能は、首都警察からMI5に移管された。


最終更新日:2004/04/01

http://www2.odn.ne.jp/~cae02800/uk/ss/ss.htm


英国情報機関
http://www.asyura2.com/0311/bd32/msg/447.html
秘密情報庁
http://www.asyura2.com/0311/bd32/msg/448.html
英国諜報部=「コントロール・リスクス社」と見ていいようです。
http://www.asyura2.com/0311/bd32/msg/375.html

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