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盛田昭夫のモルガン人脈
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投稿者 M総合研究所 日時 2004 年 6 月 26 日 17:04:35:YhMSq6FRP9Zjs
 

盛田昭夫のモルガン人脈

 盛田昭夫の国際的な人脈に大きな転機をもたらしたのは米国の名
門銀行持株会社、J・P・モルガンの国際諮問委員会のメンバーに
なったことである。就任したのは1969年3月、この時のことを
盛田自身は次のように語っている。

「ADR発行前に日本にモックスレーという人が来たのがつきあい
の始まりです。モルガンは米国におけるソニーのADRの預託機関
でした。そんな関係でモルガンの国際諮問委員になったのですが、
異例の若さでした。委員会の中には、ずらっと偉い人がおるわけで
すよ。ベクテルのベクテル会長とかパンナムのトリップさんとかG
Mのローチェさんとか、そういう人たちがいる。」
(1989年1月9日付日経産業新聞)

 このモルガン人脈を生かして、72年3月から77年3月までI
BM・ワールド・トレードやパンアメリカン航空の社外取締役に就
任している。IBMはモルガングループの中核企業であり、73年
から83年までIBMのCEOを務めたフランク・T・ケイリーも
J・P・モルガンの社外取締役を務めていた。

 ソニー生命保険はこのIBM人脈から生まれた。当時米国最大の
プルーデンシャル保険会長兼CEO、ドナルド・S・マクノートン
とはIBMの取締役会を通じて「ドン」「アキオ」とファーストネ
ームで呼び合う仲となり、雑談の中からプルーデンシャルの日本進
出が話し合われ、ソニー生命保険の前身であるソニー・プルデンシ
ャル保険の誕生(1979年)につながった。

 この他テキサス・インスツルメンツ(TI)の日本進出にも、パ
トリック・E・ハガティー会長との個人的な関係から、盛田が支援
したことは有名な話であるが、ハガティーが会長時代に社長兼CE
O(後に会長)を務めていたマーク・シェパード・ジュニアがJ・
P・モルガンの国際諮問委員会のメンバーであり、J・P・モルガ
ン人脈が盛田とハガティーを結びつけたものと思われる。また、い
すゞ自動車の大口株式所得の際には、J・P・モルガン東京代表か
らの要請によりJ・P・モルガンの国際諮問委員会を通じて知り合
った米ゼネラル・モーターズ(GM)のローチェさんことジェーム
ズ・ローチェ会長に多岐にわたるアドバイスを行っている。

 後にGMのロジャー・スミス会長がいすゞ・GM提携十周年のお
祝いに来日したときにわざわざ盛田を訪ねて感謝の意を伝えている。
この時のことを振り返って盛田は次のように書いた。

「世話になった人の恩を長年にわたり忘れないというのは、日本人
だけの専売特許かと思っていたが、GMのようなアメリカの大企業
にも、そうした義理人情が存在しているのを知って、私は大いに喜
び、将来への希望を新たにした。」
(朝日文庫「メイド・イン・ジャパン」P322)

 現在のソニーの会長兼グループCEOである出井伸之が99年1
1月から03年4月までGMの社外取締役を務めたのも、多少の義
理人情が影響したのかもしれない。

■JPモルガン・チェースの社史に残る国際派日本人

 盛田昭夫は1999年10月3日に78歳で亡くなる。翌年20
00年2月2日には「盛田昭夫をしのぶ会」がニューヨークのジャ
パン・ソサエティー主催で開かれ、デビッド・ロックフェラー、ヘ
ンリー・キッシンジャー、ポール・ボルカー、ピーター・G・ピ−
タ−ソンなど約300人が会場を埋めた。

 盛田は93年11月30日、テニス中に脳内出血で倒れた。その
時のラケットは小林陽太郎からのプレゼントであり、小林と盛田は
家族ぐるみでテニスを楽しむつきあいだった。1999年11月8
日に行われた合同葬でも小林は友人代表として盛田のことを「日本
を愛し、日本の抱える問題には勇気を持って意見した人」と弔辞を
述べている。この時ふたりの間ですでに引き継ぎを終えていること
があった。

 盛田は69年3月からJ・P・モルガンの国際諮問委員会のメン
バーを務めていたが、89年5月、就任後20年たったのを機に退
任している。新たに選任された日本人が小林陽太郎だったのである。
小林はかつてロックフェラー銀行と呼ばれたチェース・マンハッタ
ン銀行とJ・P・モルガンが2000年に大同団結して生まれたJ
Pモルガン・チェースの国際諮問委員会に今なお唯一の日本人メン
バーとして名を連ねている。

 合併する前のチェース・マンハッタン銀行の国際諮問委員会には
二名の日本人がいたが、合併後に残ったのは小林を含めた二名であ
り、1名(モルガン)+2名(チェース)→2名になっている。合
併後に名前が消えたのは三井物産の江尻宏一郎(三井物産元会長、
現特別顧問、石川島播磨重工業監査役)である。

 そして、合併後もメンバーに留まり、最近になって退任したのが
緒方貞子の夫、緒方四十郎であった。

 これまでにチェース・マンハッタン銀行の国際諮問委員会のメン
バーとなった日本人は少なくとも他に三名いる。


 67年にメンバーとなったのは、高度成長期に経団連の会長を務
め、「陰の総理」と言われたと石坂泰三(元東京芝浦電機会長)で
ある。石坂も学生時代はキリスト教への関心が深く、内村鑑三に許
されて聖書研究会に参加したことがある。石坂の晩年と親しかった
元上智大学長のヨゼフ・ピタウ大司教は石坂のために「ペドロ」の
洗礼名を用意していた。実際に洗礼を受けたかどうかは不明だが、
石坂の五男で97年1月に亡くなった石坂信雄(元東芝アメリカ社
長)の告別式は聖イグナチオ教会で行われている。(「もう、きみ
には頼まない―石坂泰三の世界」より)

 71年から80年まで務めたのは藤野忠次郎(三菱商事元社長)
だが、89年の三菱地所によるロックフェラーセンター買収は、当
主であったローレンス、デビッド両兄弟がロックフェラー家の名前
を大切にしたいという理由で、藤野がいる三菱グループを選んだと
当時の朝日新聞は書いている。

 なお、三菱商事といえば90年代から現在に至るまで諸橋晋六(
現相談役)と槙原稔(現取締役相談役)のふたりの大物会長を輩出
している。諸橋は昔ながらの三菱グループ内ビッグ・リンカーであ
り、槙原は最近まで世界的なビッグ・リンカーであった(資料1)。
特に槙原はダイムラー・クライスラーの「シュレンプ会長の諮問会
議(チェアマンズ・カウンシル=01年新設)」のメンバーを務め
ており、ダイムラーと三菱自動車工業の関係を繋ぐ役割を担ってい
ただけに、三菱自動車工業の相次ぐ不祥事とダイムラーの追加支援
打ち切りは、槙原本人、そして三菱グループ全体の信頼を大きく傷
つけるものとなった。なぜなら、諸橋、槙原ともに今まさに火の車
となっている三菱自動車工業の取締役を務めていたからだ(諸橋8
9年〜97年、槙原97年〜00年)。

 槙原がクリスチャンかどうか現時点で不明だが、諸橋は上智大学
のOB・OG会にあたる「ソフィア会」の会長を87年以来12年
間務めており、三菱商事に入らなかったらカトリックの神父さんに
なっていたかもしれない人物である。

 諸橋と槙原はチェース・マンハッタン銀行の国際諮問委員会に選
ばれず、80年代の日本財界を代表する住友グループの長谷川周重
(元住友化学工業社長、元経団連副会長)が一時期就任していた。
この長谷川も実は敬虔なカトリックであった。長谷川は夫人の影響
で洗礼を受けることになり、文部大臣や最高裁長官を務めた田中耕
太郎が代父(ゴッドファーザー)になっている。洗礼名はキリスト
教とギリシャ哲学を集大成して「神学大全」を書いたトマス・アク
ィナスを選んでいる。長谷川は98年1月3日に死去、告別式はカ
トリック田園調布教会で行われている。

 石坂、長谷川、盛田、小林、槙原に共通するのは日米財界人会議
の議長経験があることだ。そして、JPモルガン・チェースの社史
に残る国際派日本人7名(盛田、小林、藤野、石坂、長谷川、江尻、
緒方四十郎)の内、洗礼名を用意されていた石坂と、妻がカトリッ
クである緒方、そして小林、長谷川の4名がカトリック人脈となっ
ている。

 盛田が築いたIBM人脈は槙原稔の社外取締役就任(97年7月)
に引き継がれた。この時槙原は、米サンフランシスコで開かれた日
米財界人会議の帰途、ひそかにハワイに立ち寄り、現地で療養中の
盛田を訪ねている。おそらくIBM引継の報告とお礼をしたはずだ。

 今年に入って日産自動車のカルロス・ゴーン(日産自動車社長兼
最高経営責任者)が槙原に代わってIBMの社外取締役に選任され
ている。ゴーンは現在、仏ルノー、米IBM,米アルコアの取締役
を兼任し、03年6月には小林陽太郎と共に盛田が築いたソニーの
取締役に就任している。すでに世界的なビッグ・リンカーへの階段
を着実に駆け上っているのである。ブラジル西部のロンドニア州ポ
ルト・ベーリョ市で生まれたゴーンは、カトリックのフランス系学
校で学んだ母ロゼット(本名ローズ)の影響を受け、イエズス会系
の私立学校で学んでいる。

 小林陽太郎もJPモルガン・チェースの国際諮問委員会のメンバ
ーになって15年が経過した。後任には、現在ソニーの取締役会に
いる出井伸之、カルロス・ゴーン、宮内義彦(囲む会メンバー)、
あるいは小林の後を受けて経済同友会代表幹事となった北城恪太郎
・日本IBM代表取締役会長あたりが選ばれるのかもしれない。こ
の北城恪太郎は毎週日曜日に夫人と教会に通う敬虔なプロテスタン
トである。

 いずれにせよ、盛田が築いた国際的な人脈が今なお確実に生き続
けていることは間違いない。

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