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映画『イザベル・アジャーニの惑い』と「自由」であることの戸惑い
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投稿者 鷹乃眼見物 日時 2004 年 6 月 27 日 07:10:00:YqqS.BdzuYk56
 

 『王妃マルゴ』(La Reine Margot、1994/http://wwbs.udap.jp/margotgaku.htm)から8年を経て制作された、フランスの大女優イザベル・アジャーニ(Isabelle Adjani)主演の映画『イザベル・アジャーニの惑い』(原題:Adolf de Benjamin Constant/http://www.elephant-picture.jp/madoi/)が、いよいよ7月3日に公開(シネスイッチ銀座ほか)されます。これは、フランス革命(1789)〜ナポレオン帝政(1804-1814)〜七月革命(ルイ・フィリップの七月王政/1848)という大動乱の時期にフランスで活躍したスイス出身の作家(兼政治家)バンジャマン・コンスタン(Benjamin Constant/1767-1830)が1816年にパリとロンドンで同時に発表した小説『アドルフ』を映画化したものです。小説『アドルフ』は、移り気で利己的で女好きであった作家コンスタン自身の奔放な恋愛心理を描いたものだとされていますが、それは作家自身が旅先で出会った青年アドルフの手記という形のフランス“心理小説”の傑作です。コンスタンは、スイスの新教徒の家系出身でローザンヌに生まれましたが、青年時代にヨーロッパ各地の大学で学んだあとフランスに帰化しています。彼は、フランス革命がアンシャン・レジーム(旧体制)から勝ち取った「自由意志」を信奉する上流のインテリ階級に属しますが、きわめて利己的な性格でもあり、放埓な女性関係を生きた人間です。彼は1794年にスタール夫人(下記・注)と出会い、その後、長い間にわたり彼女との関係が続くことになりますが、フランス革命勃発(1789)後の「ジャコバンの恐怖政治(ルイ16世、マリーアントワネットらの処刑)」(1793-)が「テルミドールの反動」(1794-1804)で終息すると、コンスタンは夫人とともにパリに出て護民官に就任します。その後、彼は皇帝ナポレオン(位1804-1814)を批判したためスタール夫人とともに追放されドイツへ亡命します。やがて、ブルボン朝最後の王シャルル10世の王政復古(位1824-1830)とともにパリに戻り、その間に起こった、エルバ島を脱出したナポレオンの「百日天下」の時はナポレオンに仕えています。1819年には国民議会の議員に選ばれ、自由主義派の政治家として活躍しました。ブルジョア中心のパリ市民が蜂起した七月革命(ブルボン王朝を断ち切って出来たルイ・フィリップの七月王政/1830)で、コンスタンは新しい王政(ブルジョアや自由主義者たちが望んだ)の成立に協力して参事院の立法部長に任じられました。
<注>スタール夫人(Madame de Stael/1766-1817)
・・・フランスの女流文学者で、ルイ16世の財務長官ネッケル(Jacque Necker/1732-1804)の娘。母のサロンで進歩的な百科全書派(アンシクロペディスト)の啓蒙思想の影響を大きく受けて育ち、20歳でパリ駐在スエーデン大使スタール・ホルスタイン男爵と結婚した。フランス革命では、革命が温和に進むことを願っていた。また、彼女は、ナポレオンを“フランス革命を上手く収められる人物”と評価し、期待していた。しかし、彼女の期待に反して独裁者と化したナポレオンは、彼女が主催するサロンの自由主義的かつ反政府的な主張を嫌い、彼女をパリから追放した。一方、彼女はコンスタンとの自由で熱烈な恋愛関係から女性解放主義運動の先駆けとして評価されおり、そのような思想を反映した小説『コリンヌ』(1807)を発表している。
  “心理小説”とは、フランス独特の心理分析小説のジャンルであり、ラファイエット夫人の『クレーブの奥方』(1678)、アベ・プレボーの『マノン・レスコー』(1731)、ラクロの『危険な関係』(1782)、スタンダールの『赤と黒』(1830)、フロマンタンの『ドミニック』(1863)、アンドレ・ジッドの『狭き門』(1909)に至る系譜の小説です。それは、作者が作中人物の心理の動きを<分析的言語>で詳細に説明するスタイルの小説です。特に、恋愛過程における恋人どおしの気持ちのすれ違いを、自分の感情の上での錯覚や相手の感情についての誤解が悲・喜劇的な事件の連鎖となって物語を織りなすのが、その特色となっています。このように<分析的言語>で描く心理描写が中心となる小説であるため、自然の風景、都市景観、登場人物の人相・風体などについての描写は小説の中で殆ど語られないのが普通です。このため、一般に“心理小説”を映画化することには大変な困難が伴うのですが、一方、このような条件の下で脚本・監督などのスタッフや主演俳優たちの腕の見せ所が創造できるわけです。そのような意味で、この映画の見所となるのが(だから、それは小説には書かれていないことなのですが)、フランス革命直後の動乱時代とロマン派の絵画や音楽が風靡した当時のフランス社会の映像による描写です。また、19世紀初めころのヨーロッパの風俗・衣装・建築物などを美しい映像美に結晶させた時代考証の手腕も魅力のポイントです。そして、何よりも現代フランス映画界を代表する大女優イザベル・アジャーニの柔らかい猫の手触りを思わせるような美貌(http://www.paoon.com/film/kmqeitegzm.htmlhttp://belle-onweb.net/)が決定的な見所です。48歳の今でも、あのような美しさを保つことができる秘訣は何なのでしょうか?
  さて、この映画『イザベル・アジャーニの惑い』のストーリーですが・・・名門貴族の家に生まれた青年アドルフ(スタニスラス・メラール)は倦怠に悩んでいました。そんなある時、アドルフは、あるパーティーで出逢った年上の女性エレノール(イザベル・アジャーニ)を遊び半分ながら熱心に口説き始めます。が、エレノールは、某伯爵に囲われる身であり、二人の子どももいるため、始めのうちはアドルフを軽くあしらっています。拒絶されれば拒絶されるほどアドルフはその恋愛遊戯に強く嵌るようになり、遂には自らの中に真の愛情が芽生えてしまいます。やがて彼女がアドルフに身も心も捧げてしまう時が来ると、今度は、アドルフにとってエレノールの存在が重荷になり始めます。しかし、今度は、逆にエレノールの方がアドルフとの新鮮な恋に夢中になってしまいます。今やアドルフは彼女を疎ましく思っているだけなのですが、嫌々ながらも愛情関係が長く続くことになります。遂には、アドルフの父が彼にエレノールと分かれる約束を強制します。そのことを知ったエレノールは大変大きな衝撃を受けて病に伏す身となり病死してしまいます。彼女の死によって漸く<自由>を手に入れたはずのアドルフですが、今度はその漸く手に入れた<自由>を持て余して苦しい人生を送ることになります。遊び半分に女を口説き落とすことに喜びを感じる男たちは多いと思われます。が、実はこの場合は、コケットリー(艶やか)で魅惑的なエレノールの眼差しが遊び人である筈のアドルフを心底から虜にしてしまったのかもしれません・・・。偽りの愛によって、あまりにも大きな人生の一部分を失ってしまう悲劇の恋人たち。しかし、一体この世界に真実の愛などというものがあるのでしょうか? ひょっとすると、この映画を観ている観客自身がエレノールとアドルフなのではないか?・・・ あるいは、そんな理屈はどうでもよい、イザベル・アジャーニの魅力と19世紀初頭の映像美が堪能できれば、それでよいのだetc・・・映画の鑑賞メモとしては、こんなところでしょうか?
  ところで、理屈っぽいついでにロマン派の時代という観点でこの映画を観ると、また別の世界が広がってきます。ロマン派(ロマン主義)は、18世紀末〜19世紀前半にかけて、英・独・仏を中心にヨーロッパ全体で行われた思想・文学・芸術上の反「新古典主義」(18世紀〜19世紀初頭)の革新的な運動です。それは、イギリスの産業革命から始まった近代合理主義一辺倒の思潮とフランスのアンシャン・レジーム的な価値観という、二つの次元が異なる既成概念(イデオロギーと社会体制)に対する一種のアンチテーゼで、自我の解放・拡張と個人の自由意志の尊重を主張するものでした。その具体的な形は、既成の社会体制への反抗、情熱的かつ破滅的な恋愛の渇望、自然や神秘的なものへの憧憬など、一言でいうと自由奔放で主観的な態度、つまり無限の可能性を秘めた個人の<自由意志>を奔放に主張するということです。この運動は、英・独が少し先行しており、やや遅れたフランスのロマン主義運動は1820〜1832年ころ、つまりフランス革命の余波が収まる頃がピークであり、その象徴とされるのが、七月革命と同時(1830)に上演されたヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo/1802-85)の戯曲『エルナニ』です。なお、フランス・ロマン派絵画の巨匠にはジェリコー(Andre Theodore Gericault/1791-1824)、ドラクロワ(Victor Eugene Delacroix/1798-1863)、音楽家ではベルリオーズ(Hector Berioz/1803-69)、サンサーンス(Charles C. Saint-Saens/1835-1921)らがおります。従って、フランス・ロマン派のピークはコンスタンが活躍した時代とは少しズレています。コンスタンとスタール夫人の時代は、フランス大革命の勃発からナポレオン帝政を経て七月革命に至る時代で、これはまさにフランス革命によってアンシャン・レジームが打倒されたばかりで、未だに大革命の大きな余震が全フランスを襲っていた時です。(この時代の大まかな雰囲気は、ナポレオンの生涯を描いた映画『キング・オブ・キングス』で味わうことが可能/2002年仏・伊・独合作/DVD有り/http://www.eigaseikatu.com/title/6141/)それは反動と革新がせめぎあう混沌の時代でした。このフランス革命が勃発する原因となったアンシャンレジームを概観すると、およそ次のようなものです。
  当時のヨーロッパ世界を人口規模で俯瞰すると、イングランド500〜600万人、スペイン600〜800万人、ネーデルラント約200万人、フランス約2,300万人で、フランスの人口で比べた場合の国力がヨーロッパで飛びぬけていることが分かります。しかし、そのフランス全体の人口の約80%は農村部に住んでいました。残り20%が都市人口で、革命時の首都パリの人口はズバ抜けて大きく、約60万人であり、それに次ぐリヨン、マルセイユ、ルーアン、トウールーズなどは約10万人規模の都市でした。その他の都市の人口は、せいぜい1万人程度であったようです。人口の割合は小さいながらも、この時代のヨーロッパの各都市が果たす役割には、現代の我われが想像する以上のものがありました。なぜなら、これらの都市には大学を中心とする知識層の人口が集中しており、更に各都市は政治・経済・文化的な役割を大いに果たしていたからです。そして、この時代の知識人たちは国境を越えて移動することが当たり前で、ヨーロッパ中の各都市の間にはアカデミズムの人的なネットワークが広がっていました。ルイ15世(位1715-1774/およそ「享保の改革」から「田沼時代」頃)いらい、当時のフランスは財政的欠乏に苦しんでいましたが、ルイ16世(位1774-1792/およそ「田沼時代」から「寛政の改革」頃)は、アメリカ独立革命を支援(参戦)したため一層財政が困窮しました。このため、ルイ16世は経済学者チュルゴー(重農主義者)に命じて経済改革を断行しますが、その改革の柱は下記の二点です。
(1)経済的に豊かな都市ブルジョワジー層(商工業者等)への課税強化(人口比率は精々が数%で、ほんの一握りの人口)
(2)農民層への課税強化(人口全体の8割を占める農民層は、国王と領主からの二重課税に苦しんでいた)
  大革命前のフランスの政治・経済・社会体制は、第一身分(僧侶)、第二身分(貴族)、第三身分(市民、農民)から構成されていましたが、第一身分と第二身分の殆ど(この各層の中にも貧富差はあった)はブルボン朝の絶対王権(王政)に寄生する特権身分であり、国民の約8割を占める第三身分を搾取していたというのが実態です。つまり、このような搾取構造的な社会・経済システムがアンシャンレジームなのです。そして、このような搾取システムの中で特権階級に対する不満と旧体制維持への危機感が鬱積し、それがブルジョワジー層の中へも浸透したことが革命勃発のマグマとして作用したのだといえます。しかし、1789年の大革命で実際に行動を起こしたのは、パリの極貧層など社会における最下層の人々でした。社会的に抑圧された最下層の彼らが先頭に立って、ブルボン王朝の圧制の象徴であるバスチューユ監獄を襲ったのです。これがフランス革命の勃発であり、この日(1789年7月14日)が「パリ祭り」の記念日となっていることは周知のことです。
  ところで、階層(階級)、利益集団などの間で成立する社会関係とは、つまるところは人間関係ですが、この人間関係で作用する力には「物理的な力」と「脳内の表象へ作用する力」の二つがあります。国家というものは何らかの統制力がなければ存在できないからには、国家に一定の「統制的な権力」が必要であることは当然のことです。そして、この「統制的な権力」に一定の基準を与える法が「憲法」だと考えられます。現代の民主主義国家では、人間関係へ作用する二つの力のうち「物理的な力」、つまり暴力(戦力)の行使を最小限度にするよう十分配慮されています。しかし、それでも公正や公共善に対する適切なコントロールが及ばない暴政による極限状況が浮上すれば、どのような民主主義国家であったとしても「脳内の表象へ作用する力」という統制権力だけでは制御不能となる可能性を内包しています。これは、普段の生活の中では、あまり考えたくもないことですが、人間も生物の一種として生きている以上は絶対に避けられない原点であり、まことに厳しいながら、これが現実なのです。だからこそ、現代の民主主義国家では議会制度、選挙制度など人間の英知を結集した政治システムが工夫され採用されている訳です。従って、現代の民主主義国家において、現在の政治状況に対する無関心や単にシラケた心情から選挙権を放棄することは、このような最悪の修羅場が生じた場合に、自分が暴力的統制手段によって危害を加えられたり、あるいは、逆に自分が他人を殺戮する羽目になったり、他人へ危害を加えたりする事態を了承したことに等しい行為なのです。それゆえに、選挙権は「自分の命を守ることに次いで大切な権利」だとされている訳です。ここまで厳しく考えてみると、日本の国政選挙の度に異常に低い投票率が問題視されているのは実に嘆かわしいことです。ともかくも、大革命直前のフランスではアンシャンレジームという国家的な制度疲労を順当な統制権力では、もはやコントロールすることが不可能となっていたのです。当然ながら、現在のような近代民主主義にかかわる諸制度も未完成でした。
<参考>フランス革命頃の人口構成・・・全人口2,300万人、聖職者10万人(構成4%)、貴族40万人(同17%)、都市民250万人(同10%)、
農民2,000万人(同69%)
  コンスタンやスタール夫人は貴族層に属しており、しかも格段の知識階級でもあります。当然、彼らは既に市民革命を経験した英国発の啓蒙思想の洗礼を受けており、アメリカ独立革命の理想も熟知していました。このため、大革命が発した「人権宣言」(1789年8月4日)の意義を認め、フランスの行く末も察知していたのですが、彼ら自身は特権身分に属して生きてきたため過激な改革の進行は望んでいなかったはずです。ここに彼らの深刻な悩みがあるのです。それは、「旧体制の延長としての日常生活の倦怠」(当面の経済的不安がないこと及び汗水垂らして働く必要がない有閑ゆえの倦怠/贅沢な悩み!)と、「大革命で手に入れた<人間の自由意志>の存分な謳歌」という二つの価値観の間で板ばさみになったことです。特に、アドルフ(コンスタンの分身)の自己中心的で利己的な側面は、後者の価値観がもたらしたものだと思われます。そして、ここには、恐らくコンスタン自身は全く自覚していなかった「ヨハネス・ドウンス・スコトウス(Johanes Duns Scotus/ca.1265-1274)の誤解」(詳細はBlog「現代人の『自由意志』についての誤解/http://blog.melma.com/00117791/、参照)がかかわっているのです。16世紀オランダのグロティウス(Hugo Grotius/1583-1645/オランダの法学者/国家・宗教を超えた自然法的合理主義に基づき、国際法を体系化し国際法父と呼ばれる)らによれば、「自然法」はあらゆる「実定法」に先立つ、人間のためにアプリオリに存在する公理的な法です。そして、このような「自然法」を仮定することで「近代的な自我」の土台となる「自由権」と「平等権」が着想され、更に、そこから現代のような「市民権」が強烈に意識されるようになったのです。そして、今や、このような「自由意志こそはすべて」という現代人の固い信念に疑いを挟む者はほとんどいないのです。しかし、グロティウスの時代には、例えばスピノザ(Baruch de Spinoza/1632-1677/オランダの哲学者/神は自然であるという汎神論を主張し、このような神を直観することの自足感を道徳の最高の価値とした)の哲学のように「自然法」に先立つ根本として「キリスト教的な福音と中庸」の価値が評価され、それが理念上の高い場所に位置づけられていたのです。しかし、ほとんどの近・現代人は、スコトウスの誤解とともに、これを見失ってしまいました。古代ギリシアにおいては、自由であることは自由市民であることと同じで、市民権は市民の義務と表裏一体でした。従って、自由を誇り、それを謳歌するためには、まず人間としての最低限度の義務の意識(つまり、これが正義の基準点となる)を誇らなければならなかったのです。それ故にこそ、古代ギリシアの<自由意志>には倫理(道徳)が伴っていたのです。しかし、中世後期頃にスコトウスが誤解され、<自由意志>が倫理と切り離されてしまうと、近代の哲学は神学を捨て去り、「神は死んだ」という事態になります。やがて、哲学と科学だけで人間と神に関するすべての領域を解決しようとするよになって人類の悲劇がもたらされるのです。そして、今また、アメリカ・プロテスタントの独善的な原理主義一派に率いられたブッシュ政権の「米国一国主義」という狂信性ゆえに、スコトウスの誤解が再び繰り返されているのです。そして、日本では、このように暴走するアメリカの煽りを受けて、一般国民の政治・経済的な選択肢が狭まりつつあります。このように見てくると、この映画の主人公アドルフの冷たさ、身勝手さ、利己主義などのパーソナリティが、実は、この映画を鑑賞している我われ自身(特に男性)の精神環境に重なることに驚かされるのです。
  さて、イザベル・アジャーニが扮するエレノールです。イザベル・アジャーニは、トルコ系アルジェリア人(父)とドイツ人(母)の血のせいか、どこか東洋的な雰囲気がある女優です。14歳で映画女優への道に進み、18歳の時にはコメディー・フランセーズの正式座員となり、一時は舞台でも注目を浴びました。映画で大きな注目を浴びたのは、フランソワ・トリュフォー監督(Francois Truffaut)の不朽の名画『アデルの恋の物語』(1975)で主役を務めた時で、愛ひとすじに賭ける女の情念の激しさを魅力的に、見事に演じて世界中の映画ファンから絶賛されました。その後は、『カミーユ・クローデル』(1988、仏)、『王妃マルゴ』(1994、仏)、『悪魔のような女』(1996、米)など多くの名作に出演してファンを魅了し続けています。イザベル・アジャーニの魅力を一言でいえば、舞台・背景・衣装などその場面ごとの視覚的な状況のなかで、変幻自在に新しい魅力的な人物像を発見し、演じることができるということです。それどころか、カメラ・アングルが変化する瞬間ごとに、新しい美しさを発見させられることさえあります。そして、彼女自身がそのことに大いに喜びを感じているようにも見えます。無論、これは天性の美貌だけのことではなく、大変な努力と強烈なプロ意識が伴っているはずです。それが、48歳の今でも艶やかな美貌を失わない理由なのかもしれません。これは余談ですが、日本の女優でイザベル・アジャーニに比肩できるのは高島礼子ぐらいではないか?と思っています。
  ところで、必ずしも舞台芸術に限らず映画の場合でも、我われ観客がこの二人のような実力派の俳優に期待するのは、どこまでも役柄になり切ったイザベル・アジャーニであり高島礼子なのです。なぜなら、これらの俳優たちはその作品が創造する精神世界に深く入り込めることを、観客は熟知しているからです。従って、映画『イザベル・アジャーニの惑い』の場合にも、我われが見るエレノールは、作品中のエレノールになりきったイザベラ・アジャーニです。非常に乱暴な言い方になりますが、舞台芸術や映画がめざすものは、制作者・俳優・観客が一体となって、その作品が創造する精神世界の中に何か新しい象徴的な価値を発見し、それに触れる喜びを共有することです。そして、その象徴的なるものは、多くの場合、感性に訴えるもの、逆にいえば感性しか捉えることができないものなのです。例えば、それは宗教的な寛容ということであったり、あるいは生命をとりまく自然環境やアニミズム感覚のような原始的な宗教感覚であったりするのかもしれません。論理的・合理的な世界に関することは、科学映画やドキュメンタリーなど余ほど特別な目的がある場合は別として舞台芸術や映画を必要とはしません。感性は想像力の働きによって無限に開かれてゆきます。というより、芸術作品の精神世界に感応することによって想像力が膨らみ、それは我われの内面の奥深いところに潜む超越的な生命力のエネルギーを解放し未知の新しい感動をもたらします。そして、一般に、このような心身一体となった内面の表現は女性の方が優れているようです。アドルフの悩みが<自由意志>という論理の対象であるのに対し、エレノールの悩みと苦しみは<真実の愛>です。それは生命が続くかぎり必要な<生命の唄>なのです。そのような意味で、アドルフとエレノールの「二人が住んでいた精神世界」は、余りにも異質だったのです。それゆえの悲劇です。イザベル・アジャーニのエレノールは、この二人の精神世界の異質性を見事に際立たせ、美しく悲劇的に炙りだして見せます。しかし、論理と科学を突き詰めた結果として原理主義の罠に嵌った「ブッシュのアメリカ」が、現代の我われを酷く翻弄し危機に近づかせつつあることを思うと、平和な世界の実現のためには、エレノールの精神世界の方が大切なのかもしれません。
<参考>自由意志と原理主義の違いなどについては、下記のURLを参照
http://blog.nettribe.org/btblog.php?bid=9816b255425415106544e90ea752fa1d
http://blog.goo.ne.jp/remb/
http://blog.melma.com/00117791/
http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/

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