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イラク人質事件と北朝鮮拉致とシベリア抑留の関連
http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/584.html
投稿者 ゴジラズワイフ 日時 2004 年 5 月 11 日 18:56:29:KlbqKLPeasbcI
 

 イラクの人質事件(最初の3人)が発生した時、彼らの家族は当然の権利の如くに
「自衛隊のイラクからの撤退」を要求した。それぞれの息子や娘を思うあまり見境な
く出た言葉ではあろう。結末は幸いに3人とも無事に帰国できた。

 さて、ここで彼らの家族にとって事件は終わった。しかし人間として自分の家族が
異国で捕らわれの身になった心情を味わった家族の中から、管見では一人も北朝鮮の
拉致家族に対する共鳴の感想が出ていない。イラクの人質は危険地域に自分たちの意
思で行った。北朝鮮に拉致された人たちは、先の三菱のタイヤ事故と同様に、平和な
日本に住んでいてある日突然、何の落ち度もなく被害にあった。全く一方的に異国へ
連れて行かれたのである。しかも何年も何十年も音信不通であったり、日本に戻され
てはいない。

 イラク人質事件の家族たちよ。 
 あなたたちがわずか9日間ですんだあの辛い思いを、拉致家族の人たちはその何百
倍もの日にちを過ごしてきているのである。せめて途中からでもブルーリボンでもつ
けて拉致家族の人たちへの思いを共有して欲しかった。あなたたちはなんて利己的な
人たちだろうというのがワイフの感想である。

 また、彼ら3人が解放された時のイスラム聖職者協会での映像であるが、今井少年
はゆうゆうと「ほおづえ」をついていた。親の躾が悪いただの礼儀知らずかもしれな
いが、あの映像を見れば本当に解放された直後か、つまり本当に人質であったのか、
ワイフは疑問を持った。そしてその疑問は、後に解放された二人の大人の男性がほと
んどひざの上にこぶしをついて、いわゆるかしこまっているのを見て、ますます強く
なった。大人でもそのように自然となるはずの状態の時に、あの少年はゆうゆうと
「ほおづえ」である。

 一方高遠さんのほうは、帰宅には脇から抱えられなくてはならないほどの状態の映
像があったが、9日間も人質であった割には、全くやつれた風に見えない。脇から抱
えている者よりも彼女のほうが肉体が豊満な印象を受けた。人質の間も食事は順調に
咽喉をとおり、そして消化されていたということであろうか? それに彼女はイラク
の前にはネパールとかカンボジアとかいろいろな国へボランティアとして行っていた
そうであるが、中南米の共通語が同じ国を移動するのならともかく、言語の種類も地
域も全く違うところへどうして次から次へと移っていくのか? ネパールやカンボジア
がボランティアをNGOを必要としない国になっているのならわかるが、そうではな
い。本来NGOやボランティアという草の根の活動は地域に密着してこそ実を結ぶもの
である。一ヶ所に留まることによりそこの言語にも習熟してコミュニケーションも深
くなる。イラクとカンボジアでは地域も言語も全く違う。ワイフから見れば高遠さん
はボランティアというのは名ばかりで、マスコミに取り上げられている注目の地域に
腰掛けているだけの自己満足「ボランティアごっこ」ではないのか。
 ボランティアを必要としている人は日本にもたくさんいる。特に今井君と高遠さ
ん、及び彼らの家族は今回の経験により、北朝鮮拉致家族の人々と共有できる心情を
持った。これは彼らに北朝鮮拉致に取り組めという天の配剤だと思う。家族の人々も
本当に日本や周囲に感謝しているのであれば、行動で示そうではないか。

 それから、辛口の展開続きであるが、次は北朝鮮拉致家族の方々への苦言である。
 
 上記でイラク人質家族に対して述べて苦言を、北朝鮮拉致家族の方々へはそっく
り、シベリア抑留者に対する思いを共有して欲しいということで伝えたい。
 そもそも日本がシベリア抑留問題に対して真正面から取り組まなかったから、国家
としてなめられ、北朝鮮如き小国に我が国民が拉致されて何十年も捕らわれのままと
いう事態を引き起こしているのである。北朝鮮が遠く離れた中東のレバノンの国民を
すぐ帰したことからも、日本が国家としてなめられていることは誰でも気づいてい
る。その原点がシベリア抑留問題なのである。

 第二次世界大戦でソ連と戦ったドイツと日本の両方の兵士が、戦後ソ連のジュネー
ブ条約違反によりシベリアの抑留されて、多くの犠牲者を出した(公称ではドイツは
抑留者三百万人、死者百万人、日本は抑留者六十万人、死者六万人)。しかしドイツ
は独ソ不可侵条約を破ってソ連に攻め込んだ国で、それに引き換え日本は日ソ中立条
約を破られて、火事場泥棒よろしく終戦間際にソ連に攻め込まれた国、北方四島など
は8月15日以降に不法占領されたまま、現在に至っているのである。
 そんな日本ですから、ソ連に対しての戦犯などは存在するはずがないのに、長い者
は戦犯として11年も抑留されていたのです。日本との郵便が出来るようになるのにさ
え、7年以上を要しました。

 シベリア抑留者もイラクの人質とは違って、自分たちの意思で行ったのではない。

 北朝鮮拉致家族の方々よ。
 あなたたちの息子や娘が拉致されて、あなたたちが必死になってもう何年にもな
る。しかし、鬼籍に入った人も含めて、その息子や娘の親たちの多くは、シベリア抑
留者と同世代である。戦後抑留者の家族が血の涙で必死に帰国を訴えていた時に、耳
を傾けたことがありましたか? その後もずっとシベリア抑留者たちは声を上げ続け
てきています。この5月6日にも東京永田町の議員会館前で高齢に鞭打って座り込みを
しました。もっと早く多くの日本人がシベリア抑留に対して、ソ連に対して正当な抗
議や要求をしてソ連の非を明らかにしてさえいれば(これは当時の左寄りのマスコミ
とともに、55年体制以降、長年政権を担った自民党の責任大である。それはとりもな
おさずそのような議員を多く選んだ国民の責任であるが・・・。)、北朝鮮如き小国
が日本国民を拉致しようなどと、不届きな考えは起こさなかったのです。
 そういう意味では、当時のマスコミに踊らされたとはいえ、大切な家族を異国の地
に捕らわれた同胞の心情に対する思いやりが日本人全体に不足していたことは明らか
であり、残念です。そして今回のイラク人質事件の家族を見てもわかるとおり、自分
たちの息子や娘さえ戻れば、「咽喉元過ぎれば・・・」というのがほとんどの人間か
もしれないのかと、「明日は我が身」かもしれぬのに、他人の痛みには鈍感な日本
人、少し残念に思います。

 イラクの人質たちよ。
 「PTSD」なんて甘えるな ! マスコミも甘やかすな ! シベリア抑留者が帰国した
時には、そんな贅沢で悠長な言葉はなかったのである。

 北朝鮮拉致家族の方々へ。
 一言でいい。シベリア抑留者に対する思いもいつも発言してください。彼らはもう
高齢です。彼らの歴史を日本民族の歴史の一部として引き継
ぐのは、我々次の世代全体の責任です。

 シベリア抑留は大規模な国家拉致である ! !

              平成16年5月10日記す

 この原稿は後日ワイフのホームページにアップします。
 http://www3.to/gwife

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