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国家と情報の結婚
http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/722.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2004 年 5 月 23 日 04:47:07:SO0fHq1bYvRzo
 

国家と情報の結婚


2004年5月22日(土曜日)、この季節にしては極めて珍しく時折激しく降る雨のマドリッドで、シェンゲン条約を一時凍結しての飛行機の発着制限やマドリッドへの旅行者の身分証明書のチェック、式場やパレードの道路に近づく者の持ち物検査、などの厳戒態勢の下で、国を挙げての一大イベントが行なわれました。スペイン王位継承者フェリーペと元国営テレビのアナウンサーであるレティシア・オルティスの結婚式です。
 
もうすでに女性週刊誌やスポーツ紙などには、この二人の様々な「前歴」が紹介されてきたことでしょう。両者ともゴシップには事欠かない、特にフェリーペ皇太子は過去に多くの噂のあったことで有名です。ですから私はここで、どんな週刊誌もスポーツ紙などのゴシップ欄にも書かれない、この王室の結婚式の側面をご紹介することにしましょう。別に慶びごとにケチをつけようというハラではありませんが、この結婚の持つ実にユニークな意味合いを多くの人にご認識いただきたいからです。まあ、3.11の「数合わせゲーム」が許されるなら、こんな想像もまた許していただけるでしょう。


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スペインの現代史を多少でもかじっていないとちょっと理解が難しいのですが、1931年のスペイン革命、第2共和制誕生以来の複雑な経緯の中で、スペイン王室、現国王フアン・カルロス1世とその父親ドン・フアンの果たしてきた政治的役割は極めて大きいものがあります。フランコ独裁政権から現在の立憲君主制民主主義にスムーズに移行した陰には、フアン・カルロス1世の持つ政治力の大きさがあるのです。この国王無しでは、決して現在のスペインは誕生しなかったでしょう。この点は私の以下の阿修羅投稿をご参照ください。

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http://www.asyura2.com/0403/war49/msg/898.html
日時 2004 年 3 月 22 日 11:22:21
スペイン社会労働者党の「裏切り」は今に始まったことじゃないんです
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フアン・カルロス1世の子供たちの結婚は、一つ一つ、極めて深い政治的な意味合いを帯びています。

まず長女のエレナの夫はスペインの貴族リパルダ伯の息子で現ルゴ公爵であるハイメ・デ・ミチャラールで、これは王家の娘の結婚相手としては妥当な線ですが、1995年に、結婚式をマドリッドではなくわざわざアンダルシアの州都セビージャのカテドラルで行ないました。次女のクリスティーナは長女と違って相当に自由に育てたようで、独身時代は一人でバルセロナに住み銀行員として働いた、というちょっと変わったお姫様です。仕事ぶりがどうだったかは知りませんが。この銀行はラ・カシャというカタルーニャ最大の金融機関で、国際オリンピック委員会の元委員長アントニオ・サマランチ(カタルーニャ語ではアントニ・サマランク、以前はフランコ主義者)が重役を務めていたこともあり、また例の「イラク復興」参加金融機関の一つでもあります。住居も特別な場所ではなく、市内の普通の集合住宅(高級な部類だが特別に豪華というわけでもない)に住み、護衛はついていましたが、カタルーニャ語も学び積極的に街の中に出ていました。(なお、ソフィア王妃も、この人はギリシャ王の娘ですが、進んで街の中に出て気楽に手を握るような人で、バルセロナに来るたびにお忍びでお気に入りの日本料理店に食べに来るそうです。)

で、その結婚相手というのがフットボール・クラブ・バルセロナ(通称バルサ)所属のハンドボール・チームの選手、スペイン代表であったイニャーキ・ウルダンガリンで、彼は結婚後も選手を続け、シドニー・オリンピックにはキャプテンとして出場し(結果は銅メダル)、これを引退試合としました。血筋としてはバスク人で、子供のころからカタルーニャに住み、地元で最も有名なハンドボール・チームのスター選手、2メートル以上の身長と精悍なマスクで女性にも非常に人気があったわけですが、クリスティーナは彼に目をつけたわけです。

結婚式は1997年にバルセロナのカテドラルで行なわれました。当時、バルセロナではこの結婚式をめぐって様々な議論がありました。この結婚が極めて政治的だったからです。長女のエレナの結婚式をアンダルシアで行なったこともそうですが、バスク人の婿君とカタルーニャで結婚式を行なう、それもバルセロナのシンボルとも言えるバルサ所属のスポーツ選手と・・・。アンダルシア、カタルーニャ、バスクは、スペインの中で少数民族・異文化地域の、最も反マドリッド意識の強い場所です。しかもカタルーニャは18世紀の王位継承戦争でブルボン王朝に敵対し、民族言語の使用禁止や伝統的慣習法の廃止などの厳しい処分と弾圧にあった地域で、その末裔である現王家の結婚式がバルセロナで行なわれることには相当の反発もありました。実際、結婚パレードの最中に、繁華街のビルからブルボン家を非難する垂れ幕が下がりました。

しかしそれ以外の大きな混乱も無く、王家はカタルーニャとバスクという最も政治的に鋭敏な地域の意識を、それぞれに縁の深い人気スポーツ選手を王室に入れることで(現在は3人の子供を作った夫君イニャーキ・ウルダンガリンはパルマ公爵の地位にある)、マドリッドにつなぎとめることに成功しています。イニャーキ=クリスティーナ夫妻はもちろん現在もバルセロナ近郊に住み、姉のエレナにしても積極的にアンダルシアに顔を出し、またいくつかの学校や病院の創立者として資金を提供しており、進んで街の中に出て行く王妃と並んで、この二人の娘は立派にその政治的な役割を果たしています。

現国王がブルボン家当主の立場にない(父親のドン・フアンはそうだったが現在の当主はフランスのアンジュー公ルイス・アルフォンソ)ことが、かえってスペインのことに集中できる自由を与えているわけです。なお、バルセロナのカテドラルでの結婚式で仲を取り持ったのは、バルセロナの大司教でオプス・デイ会員、バチカンでマフィア資金の洗浄に励むリカール・マリア・カルラスです。余談ですが。

スペインの憲法(1978年に国王フアン・カルロス1世自らの政治力で制定にこぎつけた)によれば、王家は、日本の皇室同様に、スペインの象徴であり、儀礼的な事柄以外には国家運営には携わらないことになっています。しかし、これはヨーロッパではどこでもそうですが、王家は決して「チェス板のキング」ではなく、バチカンと並んで「チェスのさし手」なのです。表側ばかり見ていたのではヨーロッパは読めません。


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ということで、今回のフェリーペ皇太子とレティシア・オルティスの結婚なのですが、姉二人以上に、極めてシンボリックな意味合いを帯びています。

レティシア・オルティスは「バツイチ」の特に人気が高かったともいえない国営テレビ(TVE)アナウンサーであったわけですが(バツイチとはいっても教会が認めた結婚ではなかったという理由で無理やり「前歴無し」とされている)、なぜ彼女なのか。なぜテレビ関係者なのか。フェリーペの女癖の悪さは以前から有名で、巷の噂では隠し子がいる、ということになっています。またこれまで、スペインの正統なる貴族の娘ディアナ・マルティネス・ボルディウ、アメリカの女優ギネス・パルトロウと婚約寸前までいったのですが、なぜか実現には至りませんでした。

もちろんこの二人の婚約はアスナール政権時代の昨年(2003年)秋に決定したわけで、その陰に国民党幹部の動きがあったと思われていますが、明らかではありません。ただ、レティシア・オルティスの直属の上司に当たるTVE報道部部長のアルフレッド・ウルダシは国民党寄りの姿勢で知られており、社労党政権ができたとたんに予想通り国営ラジオの記事編集部に左遷され、総合部長として新たに社労党よりのカルメン・カフェルが就任しました。こんな具合ですから、レティシアとフェリーペをくっつけたのは国民党関係者ではないか、という話が出るわけです。

しかし、今までのこの王家の結婚のあり方を見ていても、単なる「使い走り」に過ぎない一介の政治家集団が決定力を持つことはありえません。国王フアン・カルロス1世自身の判断の他に、ひょっとしたらその背後にいる「ヨーロッパ王族連合」と言ってもよいような集団やバチカン(つまりオプス・デイ)等々を含めた「統合本部」の意志もまた反映されているのではないか、などと勘ぐりたくなります。ヨーロッパの王族・貴族の「血のネットワーク」の凄さは、普通の日本人では想像もつかないでしょう。彼らにとっては宗派(カトリック、プロテスタント、正教)、言語・文化、政治体制の違いなどまるで関係ありません。

王室はシンボルで、シンボルだからこそ決定的に政治的なのです。例えば現国王夫妻はローマ・カトリックとギリシャ正教の夫婦、つまり地中海世界のキリスト教による統一のシンボルでもあります。現在、娘二人は文字通り「国家と国民の連結のシンボル」ですし、特に下の娘のクリスティーナの場合はもろに多民族国家としての「多様性と統一性の両立のシンボル」です。ブルボン家当主の束縛から逃れて自由に「チェスの駒」を動かせる立場にあるフアン・カルロス1世の、この結婚に孕ませるシンボリックな意味は、恐らく「国家と情報の結婚」でしょう。

ここに様々な「悪条件(バツイチである、貴族ではない、社交界を知らない、等々)」を無視してでも国営テレビ局アナウンサーのレティシアと皇太子フェリーペをくっつけなければならない理由があった、と私は推測します。テリトリーと法の枠に縛られる国家というものとその枠を超えて世界と繋がる情報とを結び付け、情報と国家をともに手にする正統性(正当性ではなく)をシンボリックに打ち出したものではないでしょうか。


最後に、アスナールと国民党幹部たちは当然そのお膳立てを手伝ったわけです。そして国家で最大級の晴れの儀式に首相や閣僚としてそれぞれ夫婦で招待されて出席することを、胸をときめかせながら待っていたに違いありません。その期待を、190名を超える人々と共に吹き飛ばしたのが3.11の爆弾で、何と、にっくきサパテロと社労党幹部が正式の来賓として上位に座ることとなったわけです。ケ・ミセラブレ!(おかわいそうに!)
(* ただし、アスナールは元首相として、マリアノ・ラホイは国会党派の指導者として、それぞれ夫婦で出席し、サパテロとニコニコしながら話をしていましたが。)

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なお、スペイン王室の政治的な役割については、次の阿修羅投稿もご参照ください。

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http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/310.html
投稿者 HAARP 日時 2004 年 4 月 28 日 08:36:03:oQGUNb5q8hjD.
HAARP
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下はスペイン・ブルボン家の家系です。(日本語:詳しく見てみると欧州の王家・貴族がどれほど複雑な『血のネットワーク』を形作っているか、よく分かります。)

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世界帝王辞典:スペイン・ブルボン家
http://nekhet.ddo.jp/people/bourbon-spain.html
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