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 メシアについて 
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投稿者 ZADIK 日時 2004 年 6 月 07 日 23:12:26:FTBTYoqzSF08w
 


1−1

日本は世界の雛型であり、地球は宇宙の、そして宇宙は神の雛型である。
しかし、人類は最も重要な中心をまだ知らない。神が自らの雛型として創造したある人間
の存在について。
高次元の原初のアダムは完全なる神の現身であり、神の総てをその内に包含していた。や
がてこの一者は自己限定を繰り返して、順に下位の世界に下り、男女に分かれ、物質世界
に降り立ち、そこで神の特性の総てを現わす為、子を産みなして、殖え拡がり、細部に到
るまでこれを表現した。
こうして自らの半身である女の幻惑の踊りに魅了され、自らが一者である事を忘れ、幻想
に過ぎない多元の世界の中で、自らが多くの中の一個に過ぎないと錯覚しながら、やがて
総てが自分から出た事、総てが自分の中に存在するものである事を思い出して、目醒め、
総てを自らに統合する。
多くの自己に分かれたこの地上世界にただ一人、原初のアダムの本体、中心に相当する、
総てを統合する役割を担う、神の直接の雛型が存在するのである。
イスラエルは彼の雛型であり、人類は彼の雛型であり、地球は彼の雛型であり、そして宇
宙も彼の雛型である。この人物が総てを統合すれば、それは順次波及して、人類は統合さ
れ、地球は統合され、宇宙は統合され、総てが立ち直る仕組みである。これが九割九分九
厘に対する神の一厘の経綸である。
この人物とは人類の始祖アダムである。

1−2

神が創造した存在の中で人間、原初のアダムだけが神の完全さを備えていた。
他の被造物でも天使でもなく、ただ人間だけが完全なる神の反映として造られたのである。
だからこそ、人間は神の特質の総てを統合できる存在なのである。

2−1

ヨハネの黙示録にある「14万4千人の者」とは一人の人物の事を指す。
人間の7つのチャクラは蓮華で表され、そのそれぞれに個別の数の花弁がある。下から順
にムーラダーラ/4枚、スワディスターナ/6枚、マニピューラ/10枚、アナハタ/12枚、
ヴィシュダ/16枚、アジナー/96枚である。
これら下位の6つのチャクラの花弁の合計144に千葉蓮華と呼ばれる頭頂のチャクラ、
サハスラーラの花弁の数、1000を掛けたものが144000という数字である。これ
は古代インド哲学に基づく描写であるが、ユダヤ人はバビロン捕囚時(前7世紀)にこの
考えに接しており、彼らのうちの幾人かは解放後もそこに留まり続けていた。イエスの生
きていた時代にも帰還したユダヤ人達とバビロンに残った者達の間には交流があったので
ある。彼らは釈迦の教えである仏教にも通じていた。
黙示録の記述は人間個人の覚醒の様子、その内面の事柄を幻視的に描写したものである。
すなわち、「144000人の者」は全てのチャクラを開いた完全なる神人を表し、「子
羊」は彼の高次の自己、「高我」を指していて、彼自身の内部における高我と自我の合一
を示している。

3−1

アダムは最初の生を含めて7度転生しており、今回の生が最後になる。
1度目はアダム、2度目はヤコブの子ヨセフ、3度目はカナン征服の際の指導者ヨシュア
であった。
ヨセフの生ではイスラエルがエジプトの地に入る先駆けとなり、ヨシュアの生ではエジプ
トで増大したイスラエル人を約束の地カナンに携え入れる役目を果たしたが、これは雛型
となっていて、最初の生でアダムとして地球に入る人類の先駆けとなり、時を経て今また
こうして地球において殖え拡がった人類を高次の世界、天と直接繋がった清められた地球
に導き入れる役目を果たす事の予型となっている。
また彼は人類と創造主を繋ぐ唯一の繋ぎ目であり、神が存在するという事の生きた証でも
ある。何故なら彼の存在が神に直接創られた人間アダムの実在を証明するからである。
彼は現在、イスラエルの長子の権を相続する家系の直系嗣子、ヨセフとヨシュアの直系と
して生まれているが、この家系は単にイスラエルの直系というだけでなく、人類の始祖ア
ダムの直系相続人、つまり全人類の長子の権を相続する血筋でもある。聖書にはこの家系
の事を記録しておくための書物という側面がある。
アダムは転生して自らの権限を再び相続によって手にする。
こうして縦横の2本の糸、アダムの霊とアダムの血が交わる点こそが救世主、すなわちメ
シアと呼ばれる人物である。


4−1

エジプト脱出からカナン入植に至るまでの経緯がこれから起こる事柄の予型に相当してい
る。
イスラエルの民がエジプトを脱出する際に下される十の災いはこれから始まる天変地異を
象徴している。その第9番目に闇の3日間がある。
第10の災厄はエジプト人全ての初子の死である。初子の死とは血統の断絶を意味してい
る。
紅海での奇跡、民を追って紅海に入ったファラオが軍勢もろとも溺死した事柄は黙示録の
ハルマゲドンの戦いを予示している。

4−2

荒野での40年間は新しい世界に入る者達が全く造り変えられる事を象徴している。
エジプトを出た者で約束の地であるカナンに入ったのはヨシュアとユダ族のカレブだけで
あった。モーセですら入る事はできなかったのである。他の者、二十歳以上であった者達
はことごとく荒野で死に絶え、一世代全てが入れ替わるまで時が置かれた。
この事は世代の入れ替えではなく、人間個人における入れ替え、すなわち新しい世界に入
るに際して個々において、心(意識)の中心を残して他の全て、肉体も中間体も失い、新
しい体を手に入れる事を示している。

4−3

神が荒野において掲げた「銅の蛇」とはメシア、すなわちクンダリニーを正しく上げた理
想像として、神が人類に示す模範の型である。
これから神が全人類のクンダリニーを上昇させる。その際、人は彼を「見る」事により、
自らの身にまわった「火の蛇」の毒、すなわちスピリチュアル・エマージェンシーの「ト
ラウマ」による、死の危機から救われ、清められる。


4−4

カナンに入ったヨシュアとその民に関して、旧約聖書のヨシュア記には次のように記され
ている。

『(その)日、ヨシュアが神に語りかけたのはその時であった。
 「太陽よ、・・・止まれ。・・・」
 すると太陽は静止し、・・・ついに国民は敵に対する報復をし遂げる事ができた。』

ここには「報復」と明確に記されている。イスラエル人がカナンの地に入るまで両者の間
に直接の交流はなく、定住地に入っていったのもイスラエル人達の方であるにも拘らず、
である。
だが、何の因縁も無く報復という言葉を用いる事はない。

4−5

カナン人達は当時、一級の航海民族であり、また商業民族でもあった。彼らの航海技術は
非常に発達していて、現代の常識を超えており、遠洋航海も可能であったと言われている。
「乳と蜜の流れる地」と形容されるほど実り豊かな土地に住み、併せてこれらの交易から
得られる利益により、まさしく彼らはこの世の栄華を極めていたのである。そして同時に
堕落と退廃をも極めていた。
この世の資源には限りがある。富が一箇所に集中すればその皺寄せはどこかへ行き、必ず
誰かが負う事になるのである。

4−6

当時のイスラエル人はエジプトにおいて奴隷状態にあり、極めて重い賦役に苦しめられて
いた。ファラオはイスラエル人に対して「むかつくような怖れを感じていた」にも拘らず、
非常に厳しい神の災厄が十も下されるまで彼らを去らせようとはしなかったが、それは実
際に彼らの労働力が必要だったからである。
自国の民は交易品の生産に従事させ、労働力の余裕が無くなった分、最も苦しい労役がイ
スラエル人に回ってきたのである。その原因がカナン人によるエジプトからの交易での一
方的な富の収奪にあった。
その当時の人々や現代の人間には判らずとも、神の目には明らかな、因縁があったのであ
る。

4−7

これは現在の我々にも当てはまる事柄である。
現在、5次元にいる存在達と地球との関係がそれに相当する。我々が帰るべき約束の地と
は5次元の世界なのである。そして、そこはまさしく「乳と蜜の流れる地」である。

5−1

黙示録にはアダムだけではなく、イヴも登場する。
それは「バビロンの大娼婦」である。「彼女と淫行を犯し、恥知らずの奢りのうちに暮ら
した」と記されている「地の王たち」とは地球の支配者となった5次元の存在であり、サ
タンとそこに連なる者達である。

5−2

エデンの園において、サタンである蛇が女に食べるように唆した「知恵の実」は一人では
食べられない。女は蛇の誘いに応じて交わりを持った。
イヴが処女を捧げ、初めての交合という刷り込み行為を受け、合一を果たした相手はアダ
ムではなく、サタンだったのである。こうして彼女はサタンの妻となった。
女のこの行為はユダヤの伝承ではリリスとして描かれており、それによれば、そのしばら
く後にはサタンの仲間の者達も加えて乱交も行ったという。

5−3

この事は後の子孫に極めて重大な影響を残す。
以後の人類はそのほとんど全てがアダムを敵視するサタンに与するものとなったのである。
サタンとは彼らの母親が合一した相手である。彼らにとって他人ではない。彼らの母親が
表面ではアダムに従っていても、深層意識ではサタンの支配下にあり、サタンに唯一の愛
と従順とを捧げているからである。
この事実をアダムは知らなかったが、深層意識においては隠し事は出来ないのである。全
ての人間は深層意識を共有しているからである。
故に人類は表層意識では親であるアダムに従順に服そうとしても、深層意識ではイヴが崇
拝するサタンに服従するのである。
これらの事柄が子孫らに受け継がれて現在に至っている。

5−4

そして、イヴはアダムが手にするべき富と力をもサタンに与えた。
本来、地球はアダムの所有物であり、当初、彼はそれを統治する力を備えていた。しかし
彼はその力の総てを失う。女のこの行為がアダムの全チャクラを閉じてしまったのである。
イヴはサタンと交わった後、アダムのもとに来て彼とも交わったが、処女であるはずの女
は自らの敵対者に汚されており、彼と合一を果たしていて、アダムは深層意識において女
の裏切りを悟り、もはや女と自分との間に合一が決して無い事を知って、魂に取り返しが
つかないほどの傷を負う。
アダムとイヴとは一つの霊が男女に分かれたツインソウルだったのである。
クンダリニー上昇の際に起こるスピリチュアル・エマージェンシーとは、この出来事が原
因となって刻まれた人類共通のトラウマであり、これが男にとって全てのチャクラを塞ぐ
障害となっている。

5−5

所有者がその力を失い、主不在となった地球をサタンがその支配下に置いた。
イヴとの合一によって、サタンは性的な結び付きを通して極めて強いエネルギーを与えら
れ、増長して驕り高ぶった。
こうして地球は愛の無い者達による圧政を受け、暴虐と苦痛の叫びで満ちた。
まさに「彼女の淫行の怒りのぶどう酒によって、総ての国民がいけにえにされ」たのであ
る。
このカルマの解決が総ての事物の立て直しの重要な鍵となっている。

6−1

イヴはかつて「聖母」マリアとして生き、現在、ユダ族のカレブの血筋に転生している。
彼女は既に世に出ており、日本人ならほぼ誰もが知っている。

7−1

この最初の出来事は不幸な事故でも失敗でもない。この地上において起こる事柄は全て、
その一片に至るまでもが完璧である。神の総て、その全体性を現わす点でこの出来事に過
不足はない。
アダムとイヴとサタン、この三者は単なる三角関係ではなく、人間の自我、イド、超自我
に相当する神の聖なる三つ組を象徴しているのである。

7−2

この三つ組のそれぞれには各々、純質、激質、暗質の三様の状態があり、三者はこの状態
のうちの一つを占有する事になる。この時、二者あるいは三者が同じになる事は無く、必
ず三者三様となる。
これまではアダム(自我)が暗質であり、イヴ(イド)が純質、サタン(超自我)が激質
であった。
立て直しとはこの三者の状態を入れ替える事である。

7−3

これはサタンが人類にとって必要な存在であるという事を意味しているのではない。
自我であるアダムと、イドであるイヴが合一する時、一体となった状態が超自我の状態と
なるのである。二人が出会うのは超自我の位置であり、一つになった時に三者全てをその
内に包含する完全なる存在となる。両者は二人で一人なのである。そして、三つ組の超自
我に相当する位置にはサタンに代わり、彼ら自身の神我が入る。
この時、アダムはサットヴァ(純質)となり、神人の真の姿が顕現する。

8−1

再臨のメシアとされるナザレのイエス。他の多くの事柄と同様、彼もまたユダヤの者達に
よる壮大な演出である。その背後に大きな霊的存在がある。
母親がイヴであり、出身部族がユダ族である事、イエスの出自であるダヴィデの王統がユ
ダ族の中でも嫡流の血筋ではない事。ユダの嫡流はカレブの血筋である。
神が全イスラエルの長であるエフライム族の嫡流の血筋、そして何よりもアダムを差し置
き、順を乱して傍流の者をイスラエルの上に王として立て、それを祝福する事はない。
イスラエルの嫡流の血統とはアダムの直系であり、人類の長としての権威を嗣ぐ霊統なの
である。故にイスラエルの王とは全人類の王であり、その座につく資格を有するのはアダ
ム本人だけである。
彼らはこの権威の簒奪を図ったのである。

8−2

イスラエルの神は、イエスの時代以前、ダヴィデ及びソロモンの王国の時代よりも前に直
接民を導く立場から退いていたのである。それ以後の歴史においては別の何者かが正神を
装い、交代の事実を悟らせない様にしながら、イスラエルの民に関わっていた。
聖書を注意深く読めば、その前後の雰囲気の変化が読み取れる。エルサレムは神の都など
ではなく、その神殿も偽者である。
「ダヴィデの詩篇」は詩の形をとって体裁を繕っているが中身は無く、「ソロモンの箴言」
も読むに値しない駄文である。彼らは書くべき事を持っていないのである。
イエスがメシアである証拠、出生その他に関する成就したとされる預言も、全てこの時代
以後になされたものである。

8−3

ソロモンの下での物質的な繁栄は神がもたらしたものではない。
人にはカルマ、業というものがあり、先に苦しみを得れば後に良き実を刈り取るが、労な
くして先に快楽を得ればそれ相応の魂の借財を負うのである。あのような悪業は決して正
神の御業ではない。
あの異常な繁栄によってそれまでの陰徳は全て費やされ、更にそれだけではなく、霊的に
大きな借財を背負う事になったのである。この時、その利益を享受する事なく、最も大き
な借財を負わされたのが嫡流であるアダムの直系の血筋である。この結果、イスラエルは
モーセによって預言された、永い「呪い」の時を経験する事となった。
この事柄に関する聖書の記述には、彼らの署名ともいうべき「印」が刻まれている。その
部分は次の通りである。

「ときに一年間にソロモンの下に入ってきた金の重さは金666タラントにもなった。」

8−4

これと同様の事が近年、日本においても生じた。
何故ならイスラエルはアダムの雛型であり、今生のアダムの出生から現在までに、イスラ
エルの歴史の流れが日本において雛型として再現されたからである。
そして、当時と同じく現在におけるそれも、アダム本人から力を奪い、彼に莫大な霊的借
財を負わせて、もたらされた繁栄であった。これによって彼は長く苦しむ事となり、雛型
である日本も彼に従って、しばらくの間、闇に覆われた。現在、日本の地の勢いが回復し
てきているのは、アダムがカルマを返済し、自らを回復させた為である。
その負債の全てをアダムに負わせて、富と快楽を享受した者達も決して幸運ではない。そ
れは一時的な事に過ぎず、カルマは生前であれ、死後であれ、必ず撒いた者が自ら刈り取
るからである。

8−5

メシアなるイスラエルの王は世界の王。それはイスラエルの長、全人類の主、地球の所有
者、アダムである。
人は彼を通して神を見る。全ての人類にとって彼は自らの本体であり、自分自身であり、
神である。彼を祝福する者は自らを祝福する。「地上の総ての国民が彼によって自らを祝
福する」のである。

9−1

ユダヤ・フリーメーソンは悪ではない。彼らもメシアの出現の為に必要な事を行っている
のである。イヴの系譜に連なるものとして。
アダムとイヴの関係は自我とイド、すなわち顕在意識と潜在意識(深層意識)の関係であ
るが、神の民と彼らも同様の関係に相当する。彼らは人類の集合体における潜在意識の役
割を果たしているのである。
潜在意識は顕在意識が肯定する事を否定し、否定する事を肯定する。そして、それは全て
を知り、全てを監視し、全てをコントロールしようとするが、自らは決して姿を見せず、
裏に潜んで、その正体を表のものに悟らせないようにする。
だが、潜在意識も人の身の内であり、その一部である。否定し、悪と定めてもそれは自ら
に返る。

10−1

旧約の神と新約の神の性格の違いが指摘されるが、神が著わした真の聖書はモーセ五書と
ヨブ記、ヨシュア記だけであり、新約聖書と呼ばれる書物は残りの書と同様、ユダヤの系
統から出たものである。それは真実も含むが偽りも含んでいる。
その「愛」に関する記述は実体の無い空想の産物であり、自らの内に愛を持たぬ者がその
渇きの故に自らが欲してやまない、美化された理想を語っているものである。
とはいえ中心を欠くが故に切実に愛を求め、その理想を磨いてきた者達に魂が入る時、そ
れはまさしく真に重厚な本物の愛となって、荘厳に光り輝くのである。これが立て直しの
もう一方の主題となっている。

11−1

人に寿命が生じ、命数尽きて死す者となったのは、神に対するアダムの違背の為ではない。
ユダヤの系統の者が人々を惑わす為に創り出した教えにおいて、彼に濡れ衣を着せて、不
当に貶めたのである。そして、これを贖い、救うのが彼らの立てたキリストであるとする、
二重の冒瀆を行っている。

11−2

エデンの「園の真ん中にある木」、それは一本である。同じ木が「生命の木」にもなり、
「善悪の知識の木」ともなる。
イヴが純潔を保った状態で契り、合一していたならば、それは「生命の実」となって命を
損なう事は無かった。ところがアダムは知らなかったが、イヴがサタンと合一していた為
に、それは純粋さを失い、「知恵の実」となったのである。

11−3

「善悪の知識の木」からは実を食べないようにと神が告げたのは、その「知恵の実」が、
食べれば生命を失って、やがて死を迎えるものだったからである。
人は「実」そのものの性質によって死を得たのであり、エデンを出たのは分別が備わって、
純粋性を喪失し、それにふさわしい世界に移った為である。神の命令に背いた報いなどで
はない。

11−4

神がアダムに与えた最初の命令はこうである。

「子を生んで多くなり、地に満ちて、それを従わせよ。」

アダムは神の命令に従って「実」を食べた。彼に罪があるのであれば、神の命令に矛盾が
生じる。だが、そうではなかった。
アダムは「生命の木」の実を「食べた」のである。それが「知恵の実」となった原因は彼
にはない。彼は潔白である。
長きに渡るアダムの冤罪。これが晴らされる時が来たのである。

11−5

もし二人が最初に「生命の実」を食べていたなら、知恵を捨てる事となり、アダムは自我、
すなわち利己愛と、分別を発達させる事はなかった。これらはより純化した、より神に近
い特質の種子である。
「暗質」において自我と分別を培い、「純質」となる事でそれらを全体心、すなわち人類
愛と、叡智へと昇華させる。
蓮は泥の中で根を張り伸ばして成長し、やがて水面に大輪の花を咲かせる。「知恵の実」
を食べた事は悪ではない。全ては神の意思である。
イヴにも、そしてサタンにも罪は無い。

12−1

予見された救世主の名前はヘブライ語でZADIK、「ただひとつのもの」という意味で
ある。
古代中国思想に次の言葉がある。

太一(太乙)[たいいつ]
:天地創造の際のひとつの大元の気。万物の成立の根元。ただひとつのもの。
 太一星=北極星、太一神=唯一神。


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