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雑感:『人が人を使って利潤を得ても良いという権利、人はそれを誰に貰ったのか』[縄文ビトさんへ]
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/279.html
投稿者 如往 日時 2004 年 6 月 17 日 20:07:17:yYpAQC0AqSUqI
 

(回答先: Re: あつしらさんは今の社会を変革するのを望んでいるのですか? 投稿者 縄文ビト 日時 2004 年 6 月 15 日 16:58:15)


 縄文ビトさん、こんにちは。
 ネット上で、ある特定の個人の著作をテキストにして議論することの是非に関しては申し出の主体である私自身にも疑問がない訳ではありません。しかし、どのようなアプローチであってもそこに何らかの誠実さが感じられるとしたら、先ずは受けとめてみるべきだというのが私の流儀でもあります。


 楢篠賢司著『人が人を使って利潤を得ても良いという権利、人は誰に貰ったのか』を拝読しました。以下に簡単でありますがコメントを附させていただきました。

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 標題:『人が人を使って利潤を得ても良いという権利、人は誰に貰ったのか』を反語的な表現として、この著書の論旨は「そうした権利を誰からも貰っていない」、したがって「人が人を使って利潤を得ても良いという権利はない」といった主張に導かれるだろう。
 あらためてマルクスの剰余価値論を引くまでもなく、平明な「利潤」の意味を解き明かしそれが誰にも帰属するものでないことは、社会の原初的な形成過程において神の名のもとに神事を司る者達やその周辺によって「利潤」が支配層に絡めとられていった模様を記述しようとすることで30%程度は成功しているかも知れない。
 しかし、利潤を生み出した主体が自らの「利潤」ついて何故主張しなかったのか、あるいは自分達の手に握ることができなかったのか、その辺りが考察の70%として遺棄されたままとの感を禁じ得ない。もちろん、著者は単純に原始共産社会へ回帰できるなどとは考えていないだろうし、あるいは縄文社会へのノスタルジーに浸っているだけではないと思われる。しかしながら、近代の経済システムにおける交換関係や収奪の状況に関する認識を抜きにしては、階級や階層なき縄文時代的社会の在り方が今日の資本主義社会が包蔵する問題の解決に資する解を与えるだろうといった結論には至らないのではないか。
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 断続的であってもここ2年間ほどROMしている読者ならば周知であると想われますが、実は阿修羅ではこうした段階の考察は幾度もなされ既に過去のものとなりつつあります。賛否両論を含めて、何と言ってもその推進役を果たしたのは彼のあっしらさんでしょう。私自身は氏の歴史的・経済学的視点からの現状認識(一つの解)は概ね首肯できるものと捉えていますが、それは約2年間にわたる氏の様々な論考に触れた経緯があればこそです。是非、縄文ビトさんも一種の儀礼としても過去ログを参照していただければと思います。ひょっとしたら何かしらの示唆を与えられることになるかも知れません。

 ある種のフィールドに限定すれば認識のレベルにおいて加齢には依拠でき得ない差異が生じるのは如何ともし難いことであり、何人も免れ得ぬ現実だと思います。ここ阿修羅議論板は一つには各自にとっての思考実験の場であり、抽象論が飛び交うことは必然的な現象です。逆にアナロジーという抽象を重ねていかなければ思考実験は成立しないでしょう。互いが互いの思考実験の受け手もしくは媒介項となってそれぞれの思索を深めていく、それが阿修羅の醸し出しているシチュエーションであると考えます。後はかかる成果を己の行動原理に如何に組み込むかは各自の裁量に任されているのではないでしょうか。けれども、勿論、ここがアジテーションやレッテル貼り(誹謗中傷)が繰り返されるべき場でないことは言うまでもありません。

 ところで、インターネット掲示板という匿名性を特徴とする状況においては、相手の状態が把握でき得ぬためにどうしても単一指向の反応を求めてしまいがちになるといった心理状態に陥り易くなります。これは、携帯メールで相手の状態に構わず返信のないことにただただ苛立ったり、挙句はやっと届いたメールの内容も自分が求めるものでないという理由だけで「キレる」といった現象にも顕在化しています。ですから、直截に反応(レス)しようとせずに立ち止まって十分考えることが肝要であると、自戒を込めて申し上げたいと考えます。

 雑感とさせていただいたのは、私自身教員であった時代に紀要(学内刊行物)に寄稿したもの以外には一般向けに上梓した経験がないことから書評とするには余りにおこがましいと感じたからに外なりません。
 尚、立岩真也著『自由の平等』については機会を捉えて書評していただければ幸いに存じます。

 また、お会いしましょう。

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