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Re: リアルとは?、覚悟とは?
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投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 01 日 20:18:53:Mo7ApAlflbQ6s
 

(回答先: リアルとは?、覚悟とは? 投稿者 ゆらぎ 日時 2004 年 7 月 01 日 10:17:31)


ゆらぎさん、どうもです。


>【もっとリアルに物事をお考えになられたほうがいいと思います。】

>あっしらさんの定義するリアルとはどういうことでしょうか。その必要性は?


国家や社会を実体的な主体として持ち出す論をリアルさに欠けると考えています。

抽象的な概念は、あることを説明するときは「思考経済」(説明を端折ることができる)になって有効ですが、抽象的な概念を行為の主体として濫発すると、現実のダイナミクスが後ろに隠れてしまい有効な論になりません。

たとえば、米国とブッシュ政権を混同した言い方が多用されていますが、米国とブッシュ政権は別物ですから、それを使い分けて論述する必要があります。
また、日本共産党などが年金問題で国がもっと負担すべきだと主張していますが、国が稼いでいるわけではないので、それはより具体的な内容を提示しないかぎり、国民がもっと負担すべきと言っているだけですから、その峻別を理解していない有権者を騙しているだけになります。(共産党がいちおう企業や高額所得者にも応分の負担をしてもらうと言っていることは承知しています)

これまでのゆらぎさんの投稿にも、国家や社会を実体的な主体として持ち出していると感じたので、失礼ながら、「もっとリアルに物事をお考えになられたほうがいいと思います」と書かせていただきました。


抽象的な概念をあたかも実体のように扱う論は、空虚なものになってしまいます。

現実を変えていきたい(物をつくることもそうです)ときは、抽象概念を利用しながらも、できるだけ個々の人がどうすればいいのかを考えていかないと実効性は高まりません。
現場で身をもって示すわけではなく言葉で示す場合はなおのこと、リアルを心がける必要があります。


>自分の命を捨てることを覚悟して子どもを殺すという「覚悟をもって子どもを育てる
>社会」を作りあげることはリアルなことなのでしょうか。その具体論は?


具体論は、日本国民で働くべき立場で働ける人が相応の報酬を得ることが続けられる社会構造にすべきであり、それはトヨタなど大企業の利益になるというもので、その政策も提示もしています。


気持ちはわかりますが、どうして、二つの違うものをくっつけて一つの論に仕立てるのでしょうか?

子殺しに関しては、「発作的突発的に後先を考えずに子どもを殺すのではなく、おかしな言い方ですが、冷静かつ合理的な判断のもとに覚悟をもって子どもを殺すことを想定したものです」と説明しています。

あなたには、「冷静かつ合理的な判断のもとに覚悟をもって子どもを殺すこと」がリアルになる状況を想像できないのですか?

今の日本にその必要性があるとはいいませんが、どんなに辛く悲しいことであっても親が子殺しもしなければならないこともあるのです。

飢饉に襲われた共同体にある家族を想定します。

家族は、両親・子ども3人・子どもの祖父母の7人構成だとします。

頑張っても手に入る食糧は限られており、7人が1食でさえ腹5分になる程度です。
このような状況がしばらく続くと、誰も身動きができない状態になると予測できます。

誰も身動きできなくなれば、食糧を探しに行くこともできなくなり、次の収穫に向けての農作業もできません。

【選択肢】

A:家族がみんなが食糧を分け合いながら誰も動けなくなったら飢え死にするのをじっと待つ。

B:智恵もそこそこ体力もある祖父母は長く生きてきたのだから、犠牲になってもらう。(姥捨山と同じですね。自分の下の世代が生き延びるために口減らしとして死にゆく)

C:子どもはひとりは祖父母並みには動けるが、他の二人は幼いので役に立つことはできないから、幼い子ども二人を親が殺す。

D:両親は、せっかく生まれた子供たちには未来があり祖父母にも深い恩義があると考え、自分たちが死を選択した。


A〜Dのどれが正解という話ではありませんが、とにかく先が見えているのですから、なんらかの判断をしなければなりません。

私は、動けるものが多いほど将来に展望が持てる条件があるのなら、Cを選択するのが合理的だろうと思っています。

>「自衛隊を撤退させてイラクの人質を解放すること」はリアルでしたか?

私は、「自衛隊を撤退させてイラクの人質を解放すること」はリアルな選択肢の一つだと思っていますが、それは最後の最後の選択肢であり、先行して別の対応をすべきだと主張していました。

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▼あっしらさん
【自分の命を捨てることを覚悟して子どもを殺すことは、私にはそれなりに立派な覚悟であり責任ある態度だと思えます。(またまた、油に火を注ぐことになるのでしょうが...)
発作的突発的に後先を考えずに子どもを殺すのではなく、おかしな言い方ですが、冷静かつ合理的な判断のもとに覚悟をもって子どもを殺すことを想定したものです。】
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>「立派な」とは何に対して「立派な」となるのでしょうか。

子育てなんて面倒くさい、朝早いのに夜泣きで眠れない、疲れているのに子どもがうるさくて頭にくる、といった思いが募って、「じゃあ、国に子育てを委ねよう」というよりも、「自分の命を捨てることを覚悟して子どもを殺すこと」は立派な覚悟だと私は思うということです。

このケースで国に子育てを委ねるということは、誰か他者に子育てを委ねるということであり、自分が心底イヤなことを誰かに押し付けるということです。
そんなカスよりは、「自分の命を捨てることを覚悟して子どもを殺すこと」を選択した人のほうが少しはまともだと思っています。


>それが覚悟ある行動ですか?

自分の命を代償にするのは覚悟ある行動だと考えています。

>それが健全な社会構造なのですか?

社会構造ではなく、その人の判断を問題にしています。
論点を峻別してください。

>自爆するなら自分の子供を殺してよいのですか?

良い悪いではありません。冷静にかつ合理的に判断して、命を代償にした人に良い悪いを言う気はありません。(判断内容を知って、愚かと思うか、仕方がないと思うかです)

(念のため、自分の子どもに限らず、人を殺さないほうがいいと思っています)


>子供に対する覚悟というのは、そういう問題ではないと私は考えます。
>もし覚悟というのがあるのなら、「子供が生きる為に適切な環境を提供することがで
>きる」という覚悟であり、それが可能な社会構造を作っていくことが健全であり、よ
>りリアルなことだと考えます。

それは私も書いています。

そして、「発作的突発的に後先を考えずに子どもを殺すのではなく、おかしな言い方ですが、冷静かつ合理的な判断のもとに覚悟をもって子どもを殺すこと」ができる人は、「子供が生きる為に適切な環境を提供することができる」策かどうかも議論を通じて判断できる人だと思っています。

国家が社会がという人には、そのような判断はあまりできないと思っています。

>「自分の命を捨てることを覚悟して子どもを殺すこと」において、それまで親と濃密
>なつながりをもってきた子どもの思いはどうなるんですか?

殺されたことで、不幸で悲しいことですが子どもの現世は終わりです。

親から引き離された子どもの思いや子どもを奪われた親の思いは、現世のものです。


>今回の問題は、見ることのできない親(虐待してしまう親)の場合というのを想定と
>していることではないですか?

身心的条件で子育てができない場合は説明済みです。


>安易に子供を殺すというのは子供を「私物化」していることではないですか?

“安易に”子どもに限らず人を殺すヤツは、クソやカスであって、「私物化」云々の考察対象にもなりません。

>もちろん子供がひとり立ちすれば、私物化の概念は弱まるかもしれませんが、それで
>も子供は自分の所有物だと考える親もおります。
>つまり所有物である子供は自分の言うことは何でも聞くし、聞かなければならないと
>考えることでしょう。

あなたは、ひとの価値観や他の家族関係の在り方に首を突っ込むことが正義だと思っているようですね。

ひとり立ちした子どもと親の関係性は、個々の親と子どもの問題です。
法規範として成人した子どもは親の意志と反する選択をすることができます。
それで親子の関係をぎくしゃくさせたくなかったら、親をきちんと説得しなければならないのです。(もちろん、ぎくしゃくになることを承知で自分の判断を優先してもまったくかまいません)

未成年の子どもとりわけ未就業の子どもは、基本的に、親の言うことを聞かなければならない存在です。
言うことを聞かせようという親と自分の利を実現しようとする子どものせめぎ合いを通じて、子どもは成長するし、親もいろいろ学ぶのです。

子どもは天使でも善意の塊でもありません。どちらかと言えば、自分の欲求や好き嫌いで動きがちな“危険な存在”だと思っています。

>そして自分に反抗した場合は自分の所有物として、相手の意を無視して殺すという考
>え方に及ぶものであると考えます。これは子供の私物化以外何があてはまりますか?

私は、「何ものにも代え難い私の愛すべきもの」として子どもを育てるほうがより好ましいと考えていますから、あなたが言われている範囲の「私物化」であれば悪だと考えていません。

しかし、「相手の意を無視して殺す」ことは他人に対しても行われることであり、それをもって「私物化」と言うことはできないと判断します。

>また私物化に変わるものとしては私物化ではない関係性(根本的な考え方の変換)を
>作るということではないでしょうか。つまり子供を私物化しないのであれば、子供の
>意を尊重することもできるし、子供が生きる為適切な環境を提供することができます。
あなたのいっていることは、気持ちはわかるがという以上のものではありません。

「私物化」にしても、親が子どもに言うことを聞かせるとか、子どもを一方的に殺すといったものでしかなく、イマイチ明瞭では在りません。

「私物化ではない関係性(根本的な考え方の変換)」を少しでけっこうですから具体的に書いてください。(まさか、子どもの自由に任せるというアホなことではないですよね)

「子供の意を尊重する」って、どのようなことですか?具体例をあげて説明してください。

「子供が生きる為適切な環境を提供することができます」って、「適切な環境」とはどういうもので、「提供することができます」というのは誰が提供するのですか?

>もちろんその国の判断(政策)で、他国から人を受け入れるかどうかは決定すれば良
>いと私も思っております。その国の自由判断です。
>私が言いたかったのは、その自由判断に制限を加えてしまうのはおかしいと言いたい
>のです。

「どこの国も自由に他国から人を受け入れるべきであり、それに制限を加える世界ではなく、人間(人質)を国の私物化にするような世界をやめさせる社会構造を目指すべきではないかと考えます。」とは趣旨が大きく違っていると思います。

「その自由判断に制限を加えてしまう」って、「他国から人を受け入れるかどうか」について、どこの国がその判断でどういう制限を受けているのですか?

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