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「家族の孤立化状況」と「老幼コミュニティの一体化」
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/581.html
投稿者 たけ(tk) 日時 2004 年 7 月 04 日 01:45:20:SjhUwzSd1dsNg
 

(回答先: 素朴な疑問 投稿者 律 日時 2004 年 7 月 03 日 11:26:28)

児童虐待の直接的な大きな要因が「家族の孤立化状況」にあるという意見に同意します。
「家族の孤立化状況」が「子供の私物化」を強いている、というように考えています。

たしか金八先生でも取り上げられていたと思うが、「老人と乳幼児の集会所を隣同士に建ててみる」というプランが面白そうだと思っています。

* でも、母親たちが「汚い老人たちと一緒にしないで」と嫌がるかな?

http://www.mmd.co.jp/monohito/kakukazoku.html

私が、この記事を書き始めて日が浅いというのに、最近、より一層、幼児虐待(児童虐待)いう言葉が、色んな場面から飛び込んでくるようになってきました。

事態はそれだけ深刻さを増してきているからだと思います。単純に、子育てに疲れた母親の問題と言うほど簡単なものではなさそうで、今の世の中の混乱を、そのまま映し出しているような気がしてなりません。

父親が子供を折檻した挙げ句、死に至らしめるというケースの場合、父親自身が勤め先をリストラされるという大きなストレスを抱えており、持って行き場のない不安や苛立ちが、子供の折檻という形で現れていると言うケースもあるようです。

結局、社会不安や生活苦と言ったようなものは、いつの時代も一番弱いもののところへしわ寄せとなっていきます。

こういった今の混乱した社会情勢を、正常な方向に持っていかない限り、根本的な解決にはならないことも、一方にはあるような気がして、ここにあえて加筆しました。                 1999.11.13加筆

幼児虐待は時代のせいなのか。

子育てに疲れた母親が、子供を折檻したあげく、死に至らしめるという事件が後を絶たない。

そして最近では若い父親が子供を折檻の上、死に至らしめるという事件も相次いでいる。

いったい、いつの頃からそうなってきたのであろうか。統計的にもここ数年、加速度的に増えていると言われている。

アメリカなども、早くからこういった事件が起きていたようで、そういった意味では、日本にもついに同じ様な時代が、やってきたのかという気もしないではないが、果たして、アメリカと同じ次元で考えて良いのだろうか。

虐待をする母親の中には、子育てに一生懸命のあまり、精神的に行き詰まってしまい、どうして良いか分からなくなって、気が付いた時は、子供を殺してしまっていたということも少なくないようだ。

あるいは、母親自身も幼児時代に虐待を受け、それが心の傷となって、知らず知らずに我が子にも同じ様な事をしていた等、こんなケースは本当に気の毒としか言いようがない。

親たちの都合で子供が犠牲になっている。

すべての人が子供時代、幸せだった人ばかりではない。最近の離婚率を見ていると、大人達の都合で子供達に大きな犠牲を強いているのではないだろうか。

大人だけの勝手な行動で、子供達の生活が踏みにじられているのである。

今日の状況は、戦争中両親を亡くしたり、お父さんが兵隊にとられて戦死したというケースとは訳が違う。

子供達は、その辺の事情を良く知っている。もっともお父さんとお母さんが喧嘩しながら一緒にいるよりも、かえって別れた方が、子供達にとっても幸せというケースもあるだろう。

しかし多くの場合、子供達には何故なのか、理由の分からないままに片親と引き裂かれたり、兄弟と別れ別れになったり、厳しい経済生活を余儀なくされたり、寂しい思いをするようなケースがはるかに多いと思う。

このような心に暗い陰を持った子供達が増えてきている。いきおい、非行に走る子が増えてきても不思議ではない。

学校から親のいない暗い家に帰っても、寂しい思いをするだけだから、ほんの一時でも気をまぎらわせるために、繁華街でたむろする。それが非行の始まりとなる。そんなケースも多いのではないだろうか。

もちろん、中にはまじめで親思いの子供もいて、親の苦労を少しでも軽くしたいと、一生懸命親孝行をしている子もいるだろう。しかし、私達の子供の頃のように、戦争で親を亡くしたという時代とは、時代が違う。豊かで何でも手に入る時代は、周りが良ければ良いほど、自分の欲求が強くなるのは当たり前のことだといえる。

そんな訳で、今後は犯罪や非行のみならず、幼児虐待や子育てを放棄するような若い親たちが増えるのではないだろうか。

無気力で無軌道な子供達

家庭で躾(しつけ)をされない子供達の躾は、全て学校任せということになってしまう。学校崩壊とか学級崩壊とかいわれていることも、確かに教師の側にも問題はあるだろう。しかし、それ以上に、家庭の側に問題はないのだろうか。家庭での躾は、きちんとなされているのだろうか。真剣に考えてみたいと思う。

孤独な老人のひとり住まい

最近、私の身の回りでも、一人住まいの老人が、誰にも看取られることなく死んだという話を良く耳にする。

おじいさんが死んで、後を追うようにおばあさんも死んだとか。今は元気だけれども、一人住まいという人も結構多い。それでも、近所に親戚でもあれば幸いだが、それもないときには、結局、孤独死ということもあり得るわけで、最近の核家族化の犠牲だろう。やはり、死ぬときぐらいは、家族に看取られながら死んでいきたい。

孤独死とはあまりにも寂しすぎる。

古きよき時代へ戻れ

老人の孤独死と子育てに疲れた若い母親、私はここに両方の問題の解決の糸口があるように思える。

大家族、それはそれで疲れることもあるだろうが、人間にとって自然なありようと言える。かつて自然が驚異であった頃、あるいは食料を手に入れることが困難であった時代は、集団で行動する事が唯一の生き残りの手段であった。集団の中に経験豊かな長老がいて、長老を中心に集団や家族が構成されていた。一見、現代の世の中にはその必要性がないように見えるが、人間が発達してきた過程を振り返ってみると、ついこの間まで、みんなそうやって生きてきた。

私が子供の頃は、隣近所も家族の延長線上にあった。隣近所と、ものの貸し借りや、子育てや、悩みも苦労も共に分け合って生きてきた時代があった。子供の泣き声を聞くと、両隣から、おばさん達が駆けつけて、親と子の仲を取りなしてくれた。夫婦喧嘩をしていると、しっかり者のおばあさんがやって来て、夫婦の和解の労をとってくれた。こうして、お互いに助けたり助けられたりしながら生きてきた。

解決の道は見いだせる。

−孤独な老人と子育てに疲れた若いママ−

核家族化してきて以来、随分になるが、隣近所は遠い存在となり、それぞれの家族はますます孤立化している。

身よりのないお年寄りと孤独な子育てママ、何とかならないのだろうか。

一緒に住むことは出来ないだろうが、両方が接触出来るような場を作ってはどうかと私は考えている。

老人は老人だけの集会所というのではなく、老人と乳幼児の集会所を隣同士に建ててみる。初めの内、接触はなくても、同じところへ行き来していたら、そのうち話を交わすような事もあるだろう。お互いがお互いの存在を自覚するようになるだろう。そして、老人が亡くなれば、人の死というものを、いやがおうにも自覚して、人の死というものがどういうものか、子供達にも分かるはずだ。人の命の大切さを知ることになるのではなかろうか。

そんな貴重な経験を、お互いがすることによって、孤立化した社会に少しでも、人間らしい温かさが戻り、幼児虐待や青少年の非行、あるいは老人の孤独死が少なくなればと思うのである。

この記事を読んで下さった方にも是非、ご意見をお聞きしたい。

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