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「近代」は労働する能力をお金で買っていることがミソです:将来の“交換”基準について簡単に
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/712.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 11 日 02:13:29:Mo7ApAlflbQ6s
 

(回答先: 公平な「労働と労働の交換」とは、労働に費やされた物理的なエネルギーが等価であること? 投稿者 baka 日時 2004 年 7 月 10 日 21:49:10)


bakaさん、レスありがとうございます。


>あっしら経済学の真髄というか、その基本理念/原則/公理の第1は、

>・お金を媒介としたものであっても交換とは、“労働と労働の交換”である。

>ということでしょうか?

経済学というわけではなく、自分たちが置かれている生存維持様式がどのようなものであるかを理解する目的であれこれ書いています。

「労働と労働の交換」が第一の公理というわけではなく、「労働価値説」・「供給→需要原理」・「真の利潤は外から得た貨幣的富」といったもののほうが公理性は高いと思っています。

(念のため、「近代」における労働は、資本家が行っているという理解が必要です。労働は目的的な活動のことですから、手段として使われている労働者が労働をしているわけではなく、資本家(経営者)の労働に従事させられているという押さえが重要です。そして、現実の労働(生産)過程(生産)にも、一人が単独で生産しているわけではなく、多数の人たちの協業で生産しているのですから、個々の労働者は完結的な労働をしているわけではありません)

「労働と労働の交換」は、「労働価値説」と「供給→需要原理」から導き出される定義のようなものです。

財やサービスは人の活動力の成果であることで交換価値(販売可能性)を持ち、財やサービスの供給がひとを雇うことでほとんど行われているのなら、その供給活動にどれほどの活動力(人)をいくらの給料で雇ったかが、「労働と労働の交換」のボリュームを決めることになるという考えです。

個々の企業の思惑は別として、経済主体が供給活動(事業活動)で支出したお金の総和が需要の最大値というのが「供給→需要原理」です。
だからといっても、どのような取り引きも公正な「労働と労働の交換」で行われるわけではありません。うまい商売をした企業は、少ない労働でより多くのお金を稼ぐことができます。(これが競争原理です)


>そして、あっしらサンの理想とする世界では、労働は労働と交換されるべきだ、とい
>うことでしょうか?
>しかし、「交換」において用いられる秤は何を測るべきなのでしょう? 労働に費や
>された物理的なエネルギーでしょうか?


今がすでに「労働と労働の交換」です。
理想かどうかは別として、労働や物理的エネルギーではなく、労働時間を評価基準(媒介)として“交換”するようにするようになるだろうと思っています。より長く働く人はより多くの生産物やサービスを手に入れるという制度です。
(それを交換と言えるのかという問題はありますが、わかりやすいのでその表現を使います)

もちろん、技術力やデザイン能力に特別な評価を加え、同じ時間でもより大きな生産物やサービスを手に入れることは認められるだろうと思っています。
(この報償は、論理的には、他の人たちがわずかずつそのひとに労働時間を贈与するのと同じです)

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