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「民主と愛国」 右翼、左翼、天皇制
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投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 7 月 13 日 16:01:10:akCNZ5gcyRMTo
 

(回答先: 「右翼」と「左翼」の違い 投稿者 律 日時 2004 年 7 月 13 日 01:00:31)

律さん バルタンです 
「右翼」「左翼」というお題だけいただいての柄谷行人モードでの「漫談」の一席です。
読み捨て頂ければ幸いです。(固有名についてはgoogleで検索可能なので説明は省略します)

「左翼、右翼」というのはフランス革命のモンタニューとジロンドが右、左に分かれて座ったことから
来ているメタファーですが、日本的文脈では天皇制の問題を挟んで「近代」をふくむネジレがあるわけ
です。
昔、丸山真男と加藤周一の対談を読んでいて丸山が「日本の神話(記、紀)は非常に具体的で
長大である。これは世界でも例がない、そこが研究する難しさ、面白さだ」とか言っていました。
はっきり言って私は「こいつはアホだ」と思ったわけです。
上野千鶴子が『日本王権論』で言ってますが氏族の長から国家主権者になるには「超越性」の獲得
が不可欠なのですが「記、紀は超越性の獲得に失敗した」のです。なぜかといえば日本は既に
「中華帝国」の貧しい周縁であり、「国生み物語」=神話自体漢字で書くしかなかったからです。
「いや、はなしことばがあっただろう」と言う意見もあるでしょうが、柄谷はデリダの『グラマトロジー』
を引いて「すでに『はなしことば』は漢字(書きことば)によって分節されているだろう」と言うわけです。
むしろ、超越性の獲得に苦労して長大な物語を作ったが、なおかつ失敗した、逆に失敗したから生き
延びた、別の意味が付与されたというのが上野千鶴子の主張です。上野は「構造主義」原理主義者の
ふりをして記、紀の内容を「あっ、それトンガの神話と一緒、こっちは親族構造論で解けちゃう」とか
バッサ、バッサ切りまくるわけです。

北一輝は右翼といわれているけど物凄い近代主義者なわけです。北一輝は「日本の天皇は『土人の酋長』
だから、なんとか『プロシャ型立憲君主制の皇帝』にしたい」と言っていて、どっちかといえば左翼の
美濃部達吉の「天皇機関説」にシンパシーがあったように思います。
三島由紀夫が東大全共闘と公開討論した内容は『三島由紀夫vs東大全共闘』に書いてあるけど人が引用
するのは三島の「君たちが天皇陛下万歳と一言いってくれれば共に戦う」という発言だけです。
そういう人はっきり言って孫引きで中身は読んでないと思っています。(笑)
三島の言っているのは「俺の言ってる天皇は後宮三千人で毎日セックスばかりしているようなやつだ」
ということで、明らかに中国の皇帝を意識している。(私も笠井潔=黒木龍思の孫引きですけど)
三島は現実の昭和天皇は問題にしていないというか「おめおめ生き残って」と軽蔑していたよう
です。左翼、右翼を問わず「革命者」にとって天皇というのは何か真綿で首をじわじわ絞められる
ような存在なわけで、つまり超越性がない、無いことによって超越性をもっているような「あらざる
ようにある」存在だから「しっかりしてくれ、倒し甲斐のある虎になってくれ」という屈折した片思い
がある。

日本浪漫派の保田與重郎も「元サヨ」でヘーゲルなんかをガンガン読んでいたはずですが、天皇
天皇というけど生身の昭和天皇には全く興味がない、「国が滅んでも詩(うた)が残ればよい」とか
不敬の極みです。(笑)「美しくてみじめな日本の橋」とかいって逆に「超越性」から降りてしまう。
どうあがいても中国の皇帝や朝鮮の王の様な超越性は天皇にはない、そこを逆手にとって「勝った、
負けたなどというのは『からごころ』だ」と開き直るというか、何か深遠な、言語化できないもの
があるように見せるわけです。それだけだとカステラの木箱をひっくり返して、ちまちま箱庭を作って
いるようなもので、「パフッ」と足で踏まれて「あん?」と、ねめ上げられたら終わりになっちゃうん
で懐に呑んでる匕首(肉体的暴力性)をチラッ、チラッと見せるわけです。
ドスを抜いて畳に突き立てたら「からごころ」になってしまうのであくまでも「チラッ、チラッ」と
見せるところがミソなわけです。
笠智衆みたいな好々爺の右翼のフィクサーが、子どもの頭を撫ぜて「いい子じゃのぅ」とか言った
後で「今日は折り入ってお願いがあってのぅ。お命をいただきに伺ったわけじゃ」と言うと
「君側の奸」が飛びのいて、座り小便しちゃうという話、日本人は好きですよね。

朝鮮、中国だと、とにかく出自が怪しかろうと自分が王、皇帝になるために血みどろの権力闘争を
勝ち抜こうとするし、自分が勝てば学者なんか皆ブチ殺して歴史を書き換えちゃう。いかに
高貴な血筋であったかとか。つまり「支配」というのは正統性を巡る言説の闘いなんだということ
が良くわかっている。ところが本居宣長とかは「さかしらなことあげ」とか言って無視=無意味化
しようとする。闘っても勝てないことが判っているから。朝鮮、中国では、傍からみてどんなに
滑稽だろうが、無様だろうが自分が「超越性」を獲得するために死に物狂いになるわけです。
だから「チラッ、チラッ」というのは日本でしか通用しない、朝鮮、中国でそれやったら、地面に
押し倒されて真っ裸にされるか、カラシニコフで蜂の巣にされるのがオチです。

東条英機なんかは「この東条の身ごとき惜しまぬ」「天皇陛下に申し訳ない」とか言って他人に
先立って平伏してみせるわけですが、本音は「オマエラ、俺を批判するのは天皇に逆らうことになるんだ」
と自分のボケを隠して批判を封じてしまう。自分が「超越性」=「とにかく俺は偉いんだ、俺の言うこと
さえ聞いていればいいんだ」という立場には絶対立たない。いつも負けたときの事を考えている。
つまり天皇家は天皇のためにあるんじゃなく天皇を利用したい人間のためにある、あるいは共犯関係
にあると言えるんじゃないか。つまり天皇は「君側の奸」を原理的に否定できない。共犯関係だから。
北一輝や三島はこういう「精神構造」に耐えられなかったんじゃないか。

しかし北や三島のように天皇に超越性を持たせるのは危ないわけです。負けたら責任を取らなければなら
ないし、事実ドイツ皇帝ウイルヘルムは戦争に負けて退位したわけですから。
ですから支配層は「天皇革命」は絶対に許さない、福田の和ちゃんが言っているように「開かれた皇室
なんてとんでもない」出来れば隠しておきたい、生身は見せたくないわけです。超越性を演出したい
のではない「超越性」がないという超越性(京都御所なんか塀が低くてへたすれば中が覗けそうです)
を守るためには文人、学者天皇でよい、政治的発言なんかされては困るわけです。
(たぶんベトナム反戦デモで逮捕されたクェーカー教徒を家庭教師にした明仁殿下は「憲法9条でよい」
と思し召していると思いますよ、「武」で立つのは「からごごろ」ですから。朝鮮王朝と姻戚だという
のもまったく問題にされていない。
http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/2002/020509Newsweek320.html
つまり開明な戦後民主義の具現者であらせられる(by 田中康夫)わけです)

保田は「元サヨ」の知識人で「日本は負ける、中国と戦って勝てるわけが無い」と思っているから
「国が滅んでも詩(うた)が残ればよい」は 詩=天皇=やまとごごろ で見事に予防線を張っている。
考えてみれば西部邁、青木昌彦(姫岡怜治)、香山健一(以上安保ブンド)藤岡信勝(つくる会)、
佐藤勝己(救う会)極めつけはナベツネとかみんな「元サヨ」のオンパレード。
だから鈴木邦夫(元一水会顧問)みたいな「真正右翼」が怒るわけです。「左翼は自分が間違ったと
思ったらタダの市民に戻れ!」とか。つまり「俺様の様な優秀な人間が間違うくらいだから愚鈍な
大衆はほっておくと皆洗脳されてしまう」と思っている、ただの「出たがり」だと言っているのです。
鈴木邦夫は「天皇、愛国と声高に叫ぶ輩は陛下の御心にそぐわない。額に汗して働き、毎日の生活を
つつましく送る市民が天皇制をささえているのだ」と実に判っているというか怖いことを言うわけです。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2004/shuchou0216.html

鈴木邦夫が書いていましたが新右翼運動を始めたきっかけは、左翼の方が頭山満、北一輝、大川周明、
などを実によく読んで勉強している、街宣車にハコ乗りしているパンチの兄ちゃんに保田與重郎の話しを
しても全く通じない。三島由紀夫は深沢七郎をすごく評価していて「風流夢譚」事件には露骨に不快感を
表明して「右翼はユーモアーが判らないから嫌いだ」と言ってたし、むしろ新左翼にシンパシーを感じて
いたことから「このままでは全部左翼に取られてしまうという危機感があった」わけです。

私も実はかつては右翼少年(軍事ヲタク)で戦記物など読んでいて「戦争に負けてくやしい」
「米軍基地があるのはケシカラン、国家の恥だ」と思っていたのです。ところがあるとき有楽町で存命
中の愛国党の赤尾敏氏の演説に行きあたったのですが「親米愛国」とか咆哮していて街宣車には日の丸と
星条旗がぶっちがいになっているのを見て「貴様ら、英霊の御霊に申し訳が立つのか!」と思って、すっぱり
左翼になったわけです。小熊先生の『民主と愛国』は自叙伝みたいなものです。赤尾敏氏自体奇矯な
ある意味で「愛すべき人」でもともとはアナアキスト?で荒畑寒村なんかとも関係があったと思います。

「神道が世界宗教になる」とか「日本語がアジア共通語になる」とか懲りもせず繰り返しでてくる
けど、まず戦前の植民地支配で一回失敗した事についての実証的な検証をしてもらいたいと思います。
あっしらさんモードになっちゃうけど「まず言説の闘いにおいて敗れたという押さえが重要」です。
改宗させるというのは「去勢」ですからね。チンチンの皮(失礼)を引っ張ってパチンと切るような
痛さがある。神道には朝鮮、中国の血みどろの闘争を力でねじ伏せるような超越性は元々ないわけです。
欧米の植民地主義のように露骨に差別(区別)するほうが正しい。後腐れがないわけです。
「こっち側に来たかったら、チンチンの皮を切って来い」ですね。
日本は名前を変え、言葉を変えて同質化しようとするけど、隠微に差別するわけです。未だに「植民地
支配は良いことも沢山した。何を今頃まで怒っているんだ」と言ってもDV男が奥さんを殴りながら
「こんなに愛しているのに何故わからないんだ」と言っているのと同じで、ただ不気味なだけ、物凄い
トラウマが残る。「こんなメシが食えるか!」と卓袱台をひっくり返す星一徹=近代父権主義の方が
ナンボかましですね。(もちろん暴力はいけませんが)

オチがつきませんがこのへんで

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