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「右翼思想」やフェミニズムについて:「女性の社会進出」は“女工哀史”の普遍化状況を生み出した。
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/743.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 13 日 20:13:22:Mo7ApAlflbQ6s
 

(回答先: 「右翼」と「左翼」の違い 投稿者 律 日時 2004 年 7 月 13 日 01:00:31)


律さん、どうもです。


■ 「右翼」や「左翼」について


「右翼」や「左翼」という概念が一人歩きしている状況は、律さんが言われるように物事をわかりにくくするまずいことだ思っています。

前回の内容も、概念規定を怠ったまま「右翼的動き」と断罪すればいいという左翼的雰囲気を問題にしたもので、右翼思想がいいとか右翼思想を復興すべきという話ではありません。

端的には、ファシズム・ナチズム・戦前日本的思想(陸軍&革新官僚)が悪魔視されたり無効化され、先進国支配層の価値観や政策から廃棄されていながら、支配手段としては国家(国益)が持ち出されている現実のほうが重要だということを言いたかったのです。

“彼ら”の判定になる思想の善悪にそのまま乗っかったり、支配安定化の手段でしかない支配層の言説を目的であるかのように錯誤した対抗軸では対抗力にならないと思っています。

ファシズム・ナチズム・戦前日本的思想(陸軍&革新官僚)が“彼ら”の策動で醸成された部分があるとしても、近代的発展に箍が嵌められていた当時のイタリア・ドイツ・日本の支配層が箍を撃ち破る政策を正当化するために持ち出した思想を、それが引き起こした大災厄に対する嫌悪からただゴミ箱に捨て去るのは安易な思考態度だと思っています。
(結末は悲惨な敗北でしたが、庶民の多数派もそれらの思想や政策に活路や希望を見出したのです。それを、たんに騙された愚かだったで済ましていいものだとは思いません)

そして、戦後世界において、なぜあれほどまでに右翼思想が憎悪の対象となりその政治的現実化の動きが“叩き”の対象になっているのかについても、一歩引いて考える必要があると言いたいのです。
(“彼ら”は、諸国民が国家という枠組で強固な関係性を築くことを恐れ、その思想的基礎になり得る右翼思想を忌避する気分を意識的に醸成しているのではないかとか、ナチス・ドイツの非戦略的蛮行も忌避気分を確固たるものにするために“彼ら”との合作として行われたのではないかといった疑義を持つことは、ナチズムを受け容れる受け容れないに関わらず意味があると思っています)

(そのようなことをなぜ重要だと考えているのかは、これまでのやり取り、とりわけ、一つ前(すぐ下)のレスをお読みいただければわかるはずです)

>この点はちょっと良くわかりません。現在とは違うということなので、過去の話をさ
>れているのだろうと思いますが、どの国のどの時代のことを指しておられるのでしょ
>うか。支配層の“利益“としてだされたのなら、やっぱりそれは支配層の”利益“で
>あるのでは?どのような条件があれば、諸個人の”利益“にもつながっていくので
>しょう。経済システムの問題でしょうか?


近代的発展に箍が嵌められ追い詰められた近代国家の支配層が行き着いたのは、資本家の利益ではなく庶民(被支配層)の利益を重視することで、自分たちも資本家も利益になるという考え方です。

戦後日本の高度成長は、戦前の革新官僚が構築した「統制経済」を基礎として成し遂げられました。(大正期や昭和初期のような「自由主義経済」であれば、高度成長の条件を活かすことができずに終わった可能性もあります)

もちろん、戦前も戦中も戦後も、国策がもたらす利益を最大限に享受したのは資本家や支配層であり、庶民はそのおこぼれを貰う存在してありませんでした。
しかし、この10数年の日本の庶民は、おこぼれを貰うどころか、失業・所得減少・公的負担増加という吸い上げられ、その一方で、支配層や有力資本家はより多くの利益を享受しています。

政治家や官僚そして経済学者や経済評論家のなかには、日本の経済的低迷の要因として“官僚統制”を第一に取り上げる人たちがおり、そのような言説を浅慮のまま信じる庶民もいます。
浅慮に信じる基礎に、戦前・戦中の悲惨な歴史がどこまであり、官僚や政治家の私利私欲的行動がどこまであるかはわかりませんが、国家(統制)主義的考えへの忌避意識はそれなりにあると思っています。

戦前も戦後も、日本を貫いている経済論理は基本的に同じです。
人々が今を生きているのなら、そして、移行の準備ができていないのなら、それが支配層の利益に貢献するものであっても、庶民もおこぼれには与れる国策を採るしかありません。

「左翼」が、そして、私がどんなに「近代」(資本主義)の非道を主張したとしても、それで、経済論理が変わるわけではなく、庶民がおこぼれに与れるわけではありません。
そして、経済論理を無視した政策で庶民の利益を増加させたとしても、それは一時的なもので、中長期的にはより大きな損失を与える結果になります。

>ここでの議論では、グローバリズム=右、なのですか?
>つまり、「アメリカニズム」=国家主義ってことですか?
>でも、それだと「アメリカの国家理念」がたまたま「民主主義・人権・平等・自由」
>だったわけで、これらの「左翼的」価値観をもっていることが「右翼」であるという
>変な理屈になりませんでしょうか?間違っていたらごめんなさい。
>左翼のことは理解しましたが、右翼のことがよくわからなかったもので。

グローバリズムは、「右」や「左」ではなく、“彼ら”の価値観(利益)の世界化を正当化するための思想であり、それを制度化するための理論です。

「民主主義・人権・平等・自由」も、“彼ら”の価値観(利益)に基づく標語(スローガン)です。
(右翼思想と「民主主義・人権・平等・自由」は必ずしも敵対するものではなく、そのような抽象的価値観を至上のものと考えるのではなく、歴史を生きる国民の有機的構成体としての国家の利益を優先するのが右翼思想です。だから、ある条件で「民主主義・人権・平等・自由」が公権力によって制限されることを容認します)

「右」も「左」も、基本的に、“彼ら”の掌の上で踊っている(踊らされている)思想です。(ナチズムは、運動としては“彼ら”の掌の上で踊りながら、思想的には“彼ら”を寄生者として敵視した稀有な思想だと思っています)

「アメリカニズム」は、米国庶民の実状を考えればわかるように、国家主義ではなく“彼ら”の価値観や政策を米国庶民に納得させるための空虚な説明手法でしかありません。

「右翼思想」は、グローバリズムに対抗する一つの手掛かりになるという意味で取り上げています。
政治(軍事)力による支配領域の拡大が利につながらないことや戦争遂行体制の要件である「民主主義・人権・平等・自由」の制限は米国以外には不要であることは論証できますから、かつての「右翼思想」から、それらと国家や民族といった抽象的存在に対する価値性付与を削ぎ落とせば、現在において有効な国家運営の考え方を抽出できるだろうという提言です。

逆に、無思慮に「右翼思想」をおぞましいものとして忌避する態度は、そのなかに潜んでいる有効な理論をも一緒にゴミ箱に放り込む愚挙につながると思っています。
(新自由主義やケインズ主義を持ち出す人はいても、ナチスの経済理論や“日本型統制経済”を現在的条件のなかで再構築して持ち出す人はいない現状がその一つの反映だとも思っています)

■ フェミニズム関連


【律さん】
「先にも述べたように、生物学的性の配置が問題なのではなく、その権力構造の仕組み
自体を焦点にするという観点が明らかにならなければならないということです。

しかし、「生身の人の力に依存する割合が高い軍事力や強制力が支配の究極的支えで
あれば、その担い手の主力が男性になることはある意味で“自然”です」という言明にはちょっと異議もあります。主力が男性になることは「自然」であっても、主力になる以上のさまざまな「意味づけ」「秩序」が男女の間に作り上げられているからです。それは「自然」とはいえない。
その点を問題視して、性差によっても作られている権力構造を明示化するために、「男社会」といったような概念を用いる必要もあったのかなとは思います。それが配置換えだけで社会が変わると思うようになってしまうのは、確かに楽観的なものの見方です(女性議員の増加というような数値は、とりあえずの努力目標としてはわかりやすくもあるのですが)。」


その担い手の主力が男性になることはある意味で“自然”だったから、その後にその安定化と強化をはかるため、「意味づけ」「秩序」が男女の間に作り上げられたのであり、決して、その逆の順序ではなかったと思いませんか?

そして、必要条件から自然的性差の選択が行われたのなら、権力構造の明示化は、そのような自然的性差を必要とした要因を明確にするものではなければならないのではないですか?

後から様々に意味付けられ秩序意識にまでなったことをもって「男社会」と命名するのは、表層的過ぎるとは思いませんか?

女性が男性の占めていた地位を手に入れるようになれば解決するというのは、前近代の支配層であった貴族を放逐する代わりに庶民が“戦士”になる程度の話だと思っています。
貴族でなく庶民も“戦士”になれることを実証した意味はそれなりにあると思っていますが、女性が男性のものであった地位に就くというのも、その程度の意味でしかないのではないかと思っています。


【律さん】
「理屈としては「性差超越性」が生きている社会であっても、「支配−被支配関係構造」のなかの配分・配置原理に「性差」による配分・配置原理が密接に関連していれば、結果としては不均衡な状態が生まれでるということです。家事・育児を女性のみがやらなきゃいけないという論理は、結果的に女性を学者や官僚にしにくくさせます。もちろん、その役割を女性が放棄(あるいは他者に委託)すれば、学者にでも官僚にでもなれるでしょうけれども(余計な罪悪感のおまけつきだったり)。」

今の日本で、男性がそれをめざすことで不利益になるという現実はあっては、「家事・育児を女性のみがやらなきゃいけないという論理」は希薄化しているというか、“二人の問題”になっていると思っています。
(育児の問題は深刻ですが、家事に関しては間違いなく“二人の問題”になっていると思っています。“常識”としては、家事をしない男は悪いという評価になっています。“専業主義”に男も家事を手伝って当然だと言える気分を醸成していることを笑っています)


それが女性の昇進や重用を避けさせているという現実があることは認めた上ですが、女性であれば、家事や育児で残業や休日出勤を忌避しても仕方がないという受け止めの範囲ですが、男性がそうすると、白い眼や異様な反応をされ、あいつは重用できないと判断される傾向があります。
これは、どちらにしても、家族の問題を持ち出して仕事を忌避することは好ましくないという論理であり、性差による論理とは言えないと考えています。

「家族の問題を持ち出して仕事を忌避することは好ましくないという論理」が、女性一般に対しては将来そういう立場になりそうだから重用を控えるという対応を生み、男性に対しては個別的にそういう立場をとる男の重用を控えるという対応を生んでいるのではないでしょうか。
(女性一般に対する見方ですから、キャリア志向の女性が子どもを生まないと選択してもなかなか重用されないという問題はあります)

【律さん】
「そもそも「女性の社会進出」って言葉自体がおかしいんですよね。女性だって子どもだってずっとながらく「社会」の一員だったわけですからね。もし、この世の生業が雇用労働を中心とするものになっていってしまったのなら、食い扶持を稼ぐために女性だって職業労働をしなければならないはずです(養い手を持たない女性はそうするしかないわけで)。食べていくための仕組みが変わったんだったら、どのような人でもある程度問題なく食べていけるような社会の仕組みが作られてもいいのにそうじゃなかったというのは、おかしいことだったと思います。そういう意味では、フェミニズムの主張は的を射たことだったと思っています(ただし、「男性」が敵になってしまったのは間違い)。
「次世代再生産」を含めた「再生産」機能を誰が担うか、という配分の問題にはやっぱり「性差」についての考慮ははずせないとは思っているのですけどね。」


米国そして日本もそうですが、「女性の社会進出」を賛美する論調が男性のみならず女性の実質所得(給与)を押し下げる役割を果たした事実を無視することはできないと思っています。

平均生活レベルを維持するためにパートタイム勤務を含めて夫婦共稼ぎをしなければならない状況を拡大したのは、「女性の社会進出」が増加した“成果”です。
夫の稼ぎで平均生活レベルを維持できるように給与を支払わなければならなかった企業主が、妻も働けば平均生活レベルを維持できる程度の給与を支払うことで済ませられるようになったのです。
「今の給与ではまともな生活ができない」と言ったら、「あんたの奥さんは働いているの?えっ、女性も働くのが当たり前だし、みんな共稼ぎで生活を良くしているんだよ」と応えることが可能になりました。

(生産性の上昇が企業活動に支障を与えないようにするためには、輸出の増加が達成できない限り、生産性上昇の成果を勤労者に還元(給与アップ)しなければなりませんが、女性が社会進出することで少なく還元することで済むようになったのです。この問題は、とくに女性の進出が多い商業の利潤とは何かを説明するときにもう一度取り上げます)

もしも、女性が子育てをしたり家庭を守るのは重要な社会的責務であり、外で働きたい女性や養い手を持たない女性は社会進出するとしても、夫一人が働いて平均レベルの生活ができるだけの給料を支払えと頑固に主張していれば、夫の給与も生産性の上昇に従って増加し、養い手を持たない女性の給与も多くなっていたのです。
(安い時間給でも働いてくれる人がいれば、強制されない限り、給料を上げないのが企業主の大勢ですし、他がそうしているのに自分のところだけそうすれば競争に負けることになります)

「女性の社会進出」は、夫の給与を夫婦で稼ぐようにし、養い手を持たない女性の給与を低いものにしたのです。
“女工哀史”に見られた過酷で低賃金労働は彼女たちが家計の補助的労働者であったが故に可能だったものであり、「女性の社会進出」は、見た目は違うとは言え、“女工哀史”を社会に拡大するものだったのです。
(“女工哀史”は、近代的発展の途上で産業競争力(生産性)も低かったからあれほどの悲劇だっただけで、現在の生産性を考えれば、今のパートタイマー女性勤労者は“女工哀史”と同じ待遇しか受けていないことを論理的に理解する必要があります)


そういう意味では、経済論理をよく考えないままのフェミニズムの主張は、的を大きく外したと言えます。

念のため、女性の社会進出を悪だと言っているのではなく、支配層はそれを巧妙に利用するものだから、それがもたらした国家社会の変化を安易に評価するのではなく、よくよく考えなければならないという意味での説明です。


※ 一つ前のレスで出てきた「地域活動への参加」もそれ自体は望ましいことだと思っていますが、支配層は、それを自分たち以外への財政支出を抑制する手段として利用するということに留意しなければなりません。
どこまでも悪辣で私利利欲に走る支配層は、公的負担を引き上げながら、地域の老人や“身体障害者”は地域の人たちが面倒をみるのがいちばんだなどとのたまう連中です(笑)。

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