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「産業資本主義」の終焉:外国為替レートの変動論理:固定相場制と変動相場制の違い
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/853.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 28 日 17:05:06:Mo7ApAlflbQ6s
 


日本でもっとも関心を集める経済指標は、金利や株価よりも「円ドルレート」と言っていいだろう。
「円ドルレート」への関心の高さは、日本を覆っている“円高恐怖症”の現れでもある。そして、“円高恐怖症”が正論として扱われているからこそ、まったく効果がないとは言わないが一時的な効果しかない政府による膨大な「ドル買い介入」も、問題視されないどころか、逆によくやっているという評価になる。
(変動相場制での外国為替市場介入は、投機的変動に対する短期的効果はあっても、趨勢的変動には効果がないばかりかかえって害を及ぼす経済行為である)

今回は、生産性上昇と物価変動が外国為替レートの変動にどう関わっているかを考えてみたい。


【前提的条件とその簡単な説明】

● 財の生産性上昇は、財の物価水準を下落させる働きを持つ。

 生産性上昇は、同じ労働時間(給料)で産出される財の量的増加のことだから、生産性上昇率に従って物価水準を下落させる論理を有している。

(物価水準の下落(デフレ)を緩和もしくは解消する方策は、赤字財政支出の増加を別にすれば、給料(可処分所得)の増加=需要額増加や輸出の増加=供給量減少である)


● 通貨供給の増加は、物価水準を上昇させる働きを持つ。

 生産性上昇率を超える通貨供給の増加は、物価水準を上昇させる論理を有している。

(生産性上昇率と同じ比率の通貨供給増加は、物価水準を維持したままでの生産性上昇=実質成長につながる。通貨供給の増加は、貸し出し(「信用創造」)の増加・貿易収支の黒字・赤字財政支出の増加によって達成される)


● 同一の使用価値や機能を持つ財は、内国産か輸入品かに拠らず、輸送コストなど諸経費を勘案して最終価格が安いほうが需要者に選択される。

 それが国民経済にも消費者にも有利であるとするのが「自由貿易」論者である。
「自由貿易」論は虚妄だが、そのような選択で国際交易(貿易)が行われるものと前提する。

(家計ベースで考えれば、供給活動に従事しないで(生産者でなく)、消費者になるものはあまりいないからである。安いからというレベルで輸入品を選択し続ければ、失業者が増加し安いものさえ買えない人が増えることになる)

■ 固定相場制における生産性上昇と物価変動

まず、外国為替レートが基本的に変動しない固定相場制において、生産性上昇と物価変動が貿易にどう影響するかについて説明したい。

戦後世界は、金ドル為替本位制をベースにした固定相場制下で国際交易と国際金融取引を再開した。

金ドル為替本位制は、米国に集中した貨幣的富と供給力(生産力)を基礎条件として金(為替)本位制の制約性を緩和することで世界経済の成長を図ろうとした国際金融制度である。
ドルのみが金1オンス=35ドルという平価を明言し、その他の通貨は、ドルに対する固定レートを通じて間接的に平価が算定されるというものである。

金ドル為替本位制は、数度の英国ポンド平価切下げを経て、68年のドイツ平価切上げとフランス平価切下げを機に実質的な終焉を迎え、71年の「ニクソン・ショック」によって名実ともに終焉した。

(68年に米国に兌換請求をしない“紳士協定”ができた背景は、公的金価格(1オンス=35ドル)と民間金価格(たとえば1オンス=38ドルといった)の乖離である。その乖離はドルのインフレ(減価)で生じた。公的金価格と民間金価格が同じであれば、ドルを貯め込んだ諸外国の通貨当局は、米国に兌換請求せず保有ドル紙幣で民間市場から金を買っても同じである。公的金価格と民間金価格の乖離状況への対応策としては、ドルの平価切下げ(たとえば民間金価格1オンス=38ドルに)が素直なものだが、そのような明示的なドルの減価を金融家が不利だと判断したり、インフレと国際競争力の劣化傾向から、断続的な平価切下げになることや頻発する乖離状況で金流出が避けられないと判断したことで見送られたはずである)


日本円は、「ニクソン・ショック」まで1ドル=360円のまま推移した。
固定相場制と言っても、放置されたまま自然に維持されるわけではなく、外国為替取引統制や中央銀行による金融政策や介入で人為的に維持された。(通貨当局には為替レートを中心値の前後1%以内に維持する責務があった)

日本と米国の貿易を例としながら、固定相場制において生産性上昇と物価変動(インフレ)が貿易にどのような影響を与えるかを考えてみる。

円の角度は360°だから、1ドル=360円というレベルで円ドルレートは決まったとされているが、当時の産業力比較に基づくと1ドル=280円程度が妥当だと見られていたから、日本円は相対的に低く評価されたレートで再出発したことになる。
1ドルで輸出して280円を手にしても採算がとれる財を1ドルで輸出して360円を手に入れることができるし、ある財を輸出可能なレベルまでコスト削減する(生産性を上昇させる)努力も楽になるから、少々の「円安」は輸出企業に有利なレート設定である。
「円安」により鉄鉱石や原油などの原材料の輸入価格は割高になるが、輸入財がコストに占める比率が小さく労賃が占める比率が大きければ「円安」は有利に働く。勤労者の生活必需品が食糧をはじめとして国産品で占められていれば、「円安」は、国際競争力にとって有利な条件である。
(その一方で、「円安レート」は、日本人の活動力(活動成果)を安く外国に売り、外国人の活動力(活動成果)を高く買うことを意味する。「ニクソン・ショック」は、外圧で日本をそのような桎梏から脱け出させたことで意義が大きい)

今は昔だが、戦後しばらくの日本製品は、米国で「安かろう悪かろう」の低級品と見られていた。
高いのにすぐに止まってしまう自動車はもちろん、家電製品もソニーのトランジスタラジオまでは対米輸出の出番はなく、おもちゃや繊維製品といった労働集約型の財を中心とした対米輸出だった。

当時の勤労者の平均生活レベルは日米で大きな差があった。米国の勤労者はTVや自動車を保有していたが、日本の勤労者は、それらの財を手に入れるのは夢のまた夢という状況だった。
これは、日本の勤労者の実質所得が米国勤労者の実質所得より低いことを意味するから、同じ財を同じ生産性で生産すれば、日本製のほうがずっと安くなることを意味する。
(コストに占める労賃の比率が高い財ほど日米でコスト差が生じる)


円ドルレートが決まっている固定相場制で国際競争力(輸出能力)を高めつつ国民生活を向上させるための条件は、競合国(米国)との比較で、より高い生産性上昇を達成し、より低いインフレ率を維持することである。

生産性の上昇は価格競争力を高める基本であり、インフレは、名目粗利益の拡大により生産性の上昇がスムーズに利益増加につながっていく経済変動である。(とりわけ内需専業の企業は、直接的な輸出という逃げ場がないので、インフレがなければ設備投資が過大な重荷になる)

生産性上昇とインフレは、冒頭に説明したように二律背反的性格を持ち、ここでも価格競争力という点で二律背反の変動である。
価格競争力は、生産性上昇という内実がどうであれ、最終的にはインフレで決まる財の価格で決定される。
固定相場制は「円ドルレート」が固定化されているから、米国よりネットの生産性上昇率が高くても、グロスのインフレ率が高ければ、価格競争力の向上にはつながらない。この意味で、生産性上昇率範囲内の賃金上昇率が重要になる。
これを避ける手法は、国内出荷価格と輸出価格を切り分けることであるが、ダンピング輸出の非難を浴びることもある。
TVだったら、国内出荷価格は4万円で輸出価格は100ドル(3万6千円)にするといった格差を付ける。これによって、輸出企業は、国内のインフレ率ではなく、賃金の上昇率を気にかければよくなる。日本の輸出企業は、量的拡大を輸出で、利益拡大を国内でというポリシーを貫いていた。(これは、消費者物価指数変動と企業物価指数変動の乖離で窺い知ることができる)


低インフレ率は、勤労者所得の増加抑制と固定資本形成の抑制によって実現される。
逆に言えば、低インフレ率で勤労者所得の増加と固定資本形成の増加を実現するためには、より高い生産性上昇が求められることになる。
インフレ率は金融政策で大枠は調整可能なので、国際交易財の生産性をどうやって上昇させるかが、輸出を増加できる最大の条件と言うことができる。

このように、固定相場制は、国際借り入れが増加する経常収支の赤字をできるだけ避け、競合国との比較で低いインフレ率を維持しつつ、企業が設備投資を通じて生産性上昇を高レベルで達成できる経済・金融政策を採ればいいので政策当局者は楽である。
(国内のインフレ(通貨供給の増加)は、貿易規制や外国為替規制を行っていなければ、輸入の増加を招く)

米国は当時最先端の製造技術=生産性を誇り、日本は戦争の痛手から回復する途上にあったから、日本のほうが生産性を上昇させる余地が大きかった。
資金(ドル)に余裕があるのなら米国の生産設備を購入して飛躍的に生産性を上昇させることができるが(勤労者の平均賃金の差がそのままコスト優位になる)、原材料を輸入するドルさえ不足していたから、まずは国内の工夫と智恵で生産性を上昇させなければならなかった。

高度成長期の日本は米国にキャッチアップすることが目標だったので、貿易収支の黒字にこだわるというより、国際債務をきちんと履行できる経常収支トントンを政策テーマとしていた。
稼いだドルで米国の最先端製造装置や製造ノウハウを買ったり特許料を支払うために、輸出を増加させるという流れだった。
貿易で1億ドルの余剰が出たら、まず国際借り入れ債務を履行し、残りでキャッチアップに必要な機械設備を輸入する、貿易で10億ドルの余剰が出たら、もっと大きな製造設備を輸入する...という拡大路線だった。
貿易収支黒字そのものを目標としていたのではなく、高額な資本財が輸入できるよう貿易規模を拡大することに主眼が置かれていたと考えればわかりやすい。


■ 変動相場制における生産性上昇と物価変動


「ニクソン・ショック」は、日本の経常収支黒字がようやく安定基調になった71年に起きた。
米国経済が西ドイツや日本との関係で国際競争力を劣化させてゆき、米国公的保有金の大量流出が見えてきたことが兌換停止の理由である。
兌換停止により、国際決済通貨であるドルもたんなるペーパーマネーになった。
それでもドルが国際決済通貨であり続けられる支えは、覇権国家米国の威信と、ドルを支払い手段としてドルを保有していればどこでも何ででも買えるという「信用」だけである。

敗戦国である日本と(西)ドイツが産業力で米国に追いついたこの時点で、戦後世界は基本的に終焉したのである。

戦後世界の終焉を象徴するものが、「ニクソン・ショック」に続いて73年に起きた「オイル・ショック」後の先進国の経済状況である。
「オイル・ショック」後も産業的成長を続けたのは、日本と西ドイツそして新興アジア諸国くらいで、その他の先進国は、スタグフレーションに喘いだり恒常的な高失業率に悩まされる“成熟期”=低迷期に入った。
スタグフレーション(不況下の物価高)は、輸入財の価格上昇を吸収するだけの生産性上昇がスムーズに達成できないことで起きた。
輸入財の価格が上昇したからといって総需要額が拡大するわけではないから、高くなった必需品に可処分所得が流れその他の財の販売が不振に陥る。販売を回復させるためにコスト高を解消しようとしても産業基盤が脆弱になっていれば思うように生産性は上昇せず、生産性の上昇が達成できても、輸出の増加につなげられなければ失業者が増加する。「福祉国家」である限り失業者や生活困窮者を放置することはできないから、赤字財政支出が増加しインフレを昂進させる、という連関的経済事象である。
発端が外部要因だったとしても、インフレを抑制しつつインフレを利益の増加につなげていくだけの生産性上昇能力が失われたことを露呈したのが長期スタグフレーションである。

日本が世界最強の産業国家になったのは、「オイル・ショック」で多くの先進国がスタグフレーションに陥るなか、省エネ技術・生産性上昇・円高傾向でスタグフレーションを乗り切り輸出を拡大していった70年代を通じてである。(さすがの日本も、「オイル・ショック」直後の74年は実質経済成長率がマイナスになった)

変動相場制と固定相場制の違いは、天動説と地動説の違いに匹敵するほど大きい。
固定相場制のように初めに動かない「円ドルレート」ありきではなく、日米の産業競争力や金融経済政策の差異が「円ドルレート」を動かしていくというのが変動相場制である。

まず、変動相場制におけるレート変動の基本論理は、「相手国との比較でインフレ率が低く抑えられているほうの通貨が高くなる」というものである。
より内実的に言えば、「国際交易財の生産性上昇で勝っているほうの通貨が高くなる」というものである。(同じ利益率なら、生産性上昇率が高ければ、低いインフレ率でいいからである)

自国通貨の対外レートが安いほうが国際競争力で有利だとしたら、固定相場制のときの有利な条件である低インフレ率が裏目になってしまうという国際通貨制度である。
だから、デフレが続いている日本の円がドルやユーロに対して高くなるのは自然であり、「円安」にしたいのなら米国よりも高いインフレ率を維持しなければならないことになる。

国際取引には資本取引もあるが、ストック(資産)も土地以外はその形成がインフレ率の影響を受けるものだから、レート変動要因はインフレ率の差異に還元することができる。(為替投機も、レート変動の趨勢から逸脱した賭けは損失につながるから、中長期的に趨勢を反転させることはない)
利子率の差異が資金の国際移動を規定しているが、名目利子率ではなく実質利子率が問題になるから、利子率の差異もインフレ率の差異にベースがある。
(貸し出しの実質利子率は、インフレ率を打ち消す生産性の上昇に規定されるから3%前後である。それ以上の実質利子率は借り手を債務不履行に追い込むことになる)


「相手国との比較でインフレ率が低く抑えられているほうの通貨が高くなる」という変動論理は、次のことからわかる。

日本が米国よりインフレ率が低い状態が続ければ、同じ使用価値を持つ財の価格は日本製のほうがより安くなるから、対米輸出はさらに増加する。
名目粗利益の増大が望めない低インフレ率でも、生産性の上昇をより高めれば、粗利益を増大させることはできる。(日米が同じインフレ率でも、日本のほうが生産性上昇率が高ければ、企業収益は日本のほうが大きくなる)
「自由貿易」という建前でそのような状況を放置していれば、米国の産業は、軍需関連や文化特性的なものを除き壊滅するはずである。
だからこそ、繊維・鉄鋼・家電・自動車・半導体と次から次に「日米貿易摩擦」が生じ、輸出の量的規制や現地生産への移行が実施された。
変動相場制の趣旨に従うのなら、このような貿易不均衡は、「管理貿易」ではなく、それぞれの通貨に対する需給論理から生じる「円ドルレート」の変動で解消に向かうはずである。
低インフレ率の通貨の交換レートが高くなることで、国際競争力の源泉である財の価格差が縮小ないし逆転するからである。

しかし、後述するような“米国の特殊事情”と日本の産業力の強さにより、360円に較べて78%も減価するまでドル安(円高:1ドル=80円)が進んでも、日米貿易不均衡は解消されることはなかった。
94年から95年にかけての急速な円高状況でも日本企業が参らなかったことで、米国にとって“高い買い物”(輸入財物価高)になるだけでなく、米国企業が乗っ取られる危険性もある円高ドル安政策は放棄されたと考えている。

金融主義の米国は、日本と違って、あらゆる面で有利な相対的ドル高を望んでいる。
ドル安になったからといって産業基盤が瓦解している米国の貿易収支が改善する見込みはなく、逆に、あらゆる輸入財価格が上昇することで国民生活が破壊され、価値を減じたドルを使うことで国際金融活動も阻害されるからである。

(数十年の日米交易を通じて、米国は、家電に象徴されるように、日本の対米輸出財の多くは米国で生産されなくなり、日本から輸入するか中国から輸入するしかない状況になっている。CPUやソフトなどのIT関連や娯楽財は米国の独占的財であり、民間航空機を含む武器類は政治的に売り込める財だから、ドル安にしてわざわざ安く売る必要はない)

このような現実は、変動相場制が、平価調整という政治的判断を経ずに、為替レートの不断の変動を通じて貿易収支の行き過ぎた黒字や赤字を自動的に調整するというふれこみと現実が違うことを示唆している。


米国の貿易収支不均衡が是正されなかったのは、変動相場制の欠陥というより、国際基軸通貨発行国である米国の特殊条件に拠るものである。
まず、米国の経済主体にとっては、輸出でドルを稼いでもそれ自体が自国通貨だから転換する必要はなく、輸入決済も自国通貨をそのまま使うことができるから、通貨的には国際取引ではなく世界が米国であるように見える。
そして、米国が黙っていても、対米輸出で稼ぐ日本や中国が外貨準備として保有するドルは、利息の付かないドルで利息が付く米国財務省証券に転換されることで還流し使われるから、資金循環としては貿易収支赤字のある部分が打ち消される。
日本と米国のあいだでドルと財がぐるぐる回って交換されている状況をイメージすればわかりやすい。
その上に、日本やアラブ諸国を中心として対米証券投資のためにドルが還流してくる。
さらに、原油・穀物その他の国際商品がドル建てで取り引きされていることや、決済通貨不足国が借り入れとしてドルを望んでいることで、ドルの多くは米国以外の世界で“浮遊”を続ける。

米国は、このような恵まれた国際通貨制度にあぐらをかいてというか、国際金融家の利益の犠牲になるかたちで、国内産業の生産性上昇努力を怠ってきた。
米国企業は、国際競争力の劣化や収益の低迷に喘ぐと、人件費が安い国に生産拠点を移し、それを米国に輸出することでそれらを解消するというその場しのぎの「自国経済破壊策」を採り続けてきた。
その一方で、日本など産業国家は、“変則的構造”に支えられた米国を「世界の需要者」として考え、米国に依存する経済活動を続けてきた。

このような“変則的構造”のしこりは、じりじりと進んできたドル安で実質的に緩和されているとはいえ、米国政府の債務という“澱み”として積み上がっている。
この“澱み”に米国経済がいつまで耐えることができるのかが、世界経済の行く末を決することになる。(既に、日本が金融で支えなければ維持できない状況になっていることを忘れるべきではない)

また、EUの拡大はドル圏の減少であり、ユーロの存在感が増加すことはその裏返しとしてドルの“余剰感”を増幅する。支払い手段や価値蓄蔵手段としてのドルの利用価値が減じれば、米国へのドルの還流は減少し、原油をはじめとしたドル建て国際商品の価格が上昇することになる。
(アジア統一通貨に米国政権が神経を尖らしているのは、そのような背景があるからである)

世界で最強の産業国家となった日本にとって、「円ドルレート」は、輸出競争力を左右するものではなく、企業収益を左右するものになったとも言える。
少々のレート変動があっても、それ自体が輸出入の量的変動に影響を与えることはなく、企業の収益にのみ影響を与えるという国際分業構造が既にできあがっているという意味である。
円高になると、米国経済の実状から対米輸出価格を引き上げることは難しいから企業収益が減少し、円安になれば、同じ対米輸出価格でも手取りの円が増えることで利益が増加するからである。
しかし、国内が「デフレ不況」であることから、輸出企業の収益が増加したからといって、それが追加投資に使われることはまれで、法人税や配当を別にすれば、多くが内部留保で留まったり対外投資に向かっている。
内部留保になったものも、貸し出し原資にならずに、国債引き受けの原資になっている。
貿易収支黒字は、追加的な設備投資や給与の引き上げ原資として使われてはじめて意味があるのである。

貿易収支黒字が使われないのなら、輸入財価格が下がる「円高」になって国民の可処分所得が実質的に増えるほうが国内産の財に対する支払い余力が生まれ、デフレ解消につながる“経済効果”がある。

「円高」は輸入財の物価を押し下げるのでデフレ要因だと言われているが、90年代中期の超円高期に輸入価格は下がったがGDPデフレータは逆に上がっていることに見られるようにデフレとは直接関係ない。

(93年は輸入物価指数がマイナス11.1%だがGDPデフレータはプラス0.6%であり、85年の「プラザ合意」で起きた急激な「円高」によって、86年には輸入物価指数がマイナス32.5%にもなったが、GDPデフレータはプラス1.5%だったのである。83年から88年まで輸入物価指数は下がり続けたが、GDPデフレータは上がり続けている。96年は輸入物価が11.2%も上昇しているが、GDPデフレータはマイナス1.3%である)

企業は供給する財やサービスをできるだけ高く売ろうとするものだから、見合うだけの需要額が国内にあれば、輸入物価の下落は企業の収益に貢献することになる。
逆に、輸入物価が上昇したからといって、国内の需要額が増加しない限り、それがそのまま国内物価に反映するわけではなく収益の低下につながる。その一例が96年である。

輸入物価の変動は、国内物価そのものに影響を与えるというより、企業の収益に影響を与えると考えることができる。
国内消費者価格は、可処分所得×消費性向の総需要額と財やサービスの供給量で規定されるのである。
生産性の上昇は、輸入財価格の上昇で減少した利益を回復するかたちで輸入財価格の上昇を吸収することができる。(それができなくなった国民経済は、スタグフレーションに陥ることになる)


しかし、このような条件は、中国が本格的に自立するまでのことだと考えるべきである。現在の日本経済は、中国に部品や製造装置を輸出することで縮小した対米赤字を補うだけの貿易収支黒字を計上し、企業収益も維持できている。

かつて日本企業がそうなったように、中国企業が資本財から部品までを自主開発で生産するようになり、普及品だけでなく中高級品まで自主的に生産するようになれば、国際競争環境は一変することになる。

パソコンや携帯電話に続く新規の大型消費財は見えていない。液晶TV・プラズマTV・DVDレコーダーといった消費財は、TVやビデオといった従来品の置き換えでしかなく、プラスマイナスでプラスというものである。
日本が、中国の台頭から受ける国民経済の縮小という打撃を、米国のように国際金融活動で補うというのは“夢想”でしかない。

米国が「世界の需要者」としての存在規模を縮小せざるを得ないようになれば、同じ財をより安く対米輸出する中国に米国の需要がより向かうことになる。

ドル安や中国の経済成長は、この間でも見えているように、一次産品のドル建て価格を上昇させる要因である。
日本経済が生産性上昇能力を失えば、このあおりをモロに受けスタグフレーションに陥ることになる。

このような中期的見通しを考えれば、「デフレ不況」で生産性の上昇を思うように達成できないまま、中国に製造拠点を移してそれをカバーしようとしている日本企業の動きやそれを放置どころか推進している日本政府は、これまでの米国政権と同じように、“自国破壊政策”を採っていると言える。
(覇権国家米国はそれでも金融活動でなんとかなっているが、日本にはそのような条件はない)

交際交易(貿易)の黒字は「真の利潤」であるが、それは、国内経済活動に再投資されて国民経済の活力や国民生活の向上に貢献してこそ意義があり、輸出優良企業のフロー所得もより増加するのである。

“円高恐怖症”ではなく、供給力余剰=国際余剰(貿易収支黒字)を維持しつつ、その成果を国民経済の成長を通じた国民生活の向上に役立てるための政策変更が、日本にとって緊要な課題である。

【付録:金融主義米国が急激な円高・ドル安を望まないわけ】


■ ある日突然に「1ドル=1円」なったときの日米関係

まず、ある日突然に「1ドル=1円」という為替レート変動は、日本はともかく、米国(世界支配層)は受け容れないものである。
(日本が受け容れられるわけは、輸出は供給力の余剰だから、国内で供給活動に使ったお金から輸入を差し引いたお金が全部使われるのなら、タダでないかぎり貿易収支黒字はまるまる利益だからである)

米国(世界支配層)が受け容れない理由は、多くは日本人が保有している日本円の価値が一気に100倍になり、自分たちが保有している(基盤にしている)ドルが対日本円で1/100になるからである。
端的には、日本が経済覇権を目指せば、それが実現してしまうからである。

たとえば、米国のある銀行の株式時価総額が100億ドルとする。
「1ドル=100円」であれば日本円換算で1兆円であるが、「1ドル=1円」になれば100億円になる。そう、1兆円の銀行を100億円で買えることになる。
TOBを仕掛けるにしろ、市場を通じて買い集めるにしろ、株価を上昇させることになるが、200億ドル=200億円なら可能だろう。

その銀行を実質的に支配(所有)している“彼ら”も、買収に対抗するかもしれない。
しかし、その銀行の時価総額は、様々な経営指標から100億ドルがふさわしいと評価されているのであり、200億ドルで買うと実質配当率は半減し、売却するときには100億ドルでしか売れない可能性が高い。
言ってしまえば、“彼ら”が日本円保有投資家に対抗するのは利に適わない経済行為なのである。
一方、日本円保有投資家はどうなのだろうか?
買収対象の銀行の純資産や収益は変わらないのだから、ドルベースで考えたときの利益は“彼ら”と同じでうまみがないものである。
しかし、日本では中小企業しか買収できない200億円で、昨日までは1兆円もした米国の銀行を手に入れたのである。そして、それは米国経済のある部分を支配することにも通じる。(10兆円(10兆ドル:旧1000兆円)で米国の銀行をすべて買収すればどうなるかを考えたほうが早いかもしれない)
“彼ら”は、米国経済を支配する手立てを奪われたことになる。


このような変化は、米国企業に関わらず、米国の不動産やドル建てのあらゆる商品に共通するものである。ドル建ての資産や財が日本円を保有している人は、昨日までの1/100のコストで買えるようになるのである。

日本人みんなが、輸入品を1/100とはいわないが半分以下で買えるようにはなるだろう。
(国内流通経費は円建てだから、1000円の小売価格輸入品の国内流通費が400円だとすれば、輸入価格600円が6円のとき新小売価格は406円程度でも同じ収益が得られる。機械など高額のものは価格がグンと下がる。個人輸入や企業輸入であれば、そのまま1/100になる)
日本はもうイヤという人は、米国に限らず海外の不動産をこれまでの1/100の価格で手に入れられるのだから移住も容易にできる。
2千万円持っている人なら、現在100万ドル(1億円)する物件を100万円で手に入れ、残りの1900万円を1900万ドルに換えて米国に持ち込めば、一生優雅に生活できるはずだ。(50年間米国で生きるとして、年38万ドル(3800万円相当)使える)


米国政権が「強いドルを望む」と繰り返し言明するのは、建前や嘘ではなく、“彼ら”が基盤としている通貨が強いことを心底望んでいるからである。
(一気に「1ドル=10000円」になれば、上述の日米投資家の関係が逆転することを考えれば理解できるはずである)


米国の支配層が「ドル安」を恐れ「ドル高」を望む一方で、日本の支配層は「円高」を恐れ「円安」を望んでいる。

自国通貨に対する価値観が根底的に違うわけだが、どちらが愚かなのだろうか?

たぶん、どちらも愚かではなく、立場の違いがそのような差異をもたらしていると言ったほうがいい。

立場の違いは、米国支配層は金融主義であり、日本支配層は産業主義であることである。
お金でお金を稼いでいる人は基盤としている通貨が他の通貨との関係で強いほうがいいと考え、生産した財を輸出してお金を稼いでいる人は基盤としている通貨が他の通貨との関係で弱いほうがいいと考えるものである。

金融主義の立場にある米国支配層は、ドルが相対的に高く、米国の物価が安定しているのが好ましい。現在の米国経済と世界を考えれば、ドルが相対的に高いかたちでじりじりとドル安に動き、米国の物価が安定的であるのが好ましいはずである。
(ドル安が好ましいと判断するのは、過去に積み上げた対外債務の負担が軽減するからである)

米国の物価は安定という前提で、米国投資家が日本に投資する場合を考える。
まず、ドルが相対的に高ければ、日本の資産を安く買える。そして、徐々に「円高ドル安」になれば、日本の資産を売却したとき購入したときと同じ日本円価格でもドルベースでは増えることになる。米国の物価は安定しているのだから、それで保有する貨幣的富の実質価値を増やしたことになる。
(10億ドルで1000億円の資産を購入し、10%のドル安になったときに、その資産を1000億円で売却してドルに転換すると11.1億ドルになる。バブル崩壊後の94年から95年にかけての“超円高”(1ドル=80円までいった)でぼろ儲けしたドル基盤投資家がいたということである。その一方で、間抜けな円基盤投資家はうろたえるだけで米国の資産を買い漁ることはしなかった)


また、貿易収支が恒常的に赤字である米国は、諸外国から財を安く輸入できることを意味する相対的ドル高のほうが有利である。
だからこそ、1000億ドルの貿易収支赤字を計上している中国に対して人民元の切り上げを強く求めないだけではなく、赤字幅を拡大させてきたのである。
(この間の米国貿易収支を見れば、対日輸入から対中輸入にシフトしていることがわかる)


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