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八九式中戦車乙型 イ号 燃料消費率の少ないディーゼル・エンジンを用いることが国策
http://www.asyura2.com/0403/hasan35/msg/302.html
投稿者 hou 日時 2004 年 5 月 23 日 06:29:17:HWYlsG4gs5FRk
 

(回答先: 新規石油の供給参入は日本海軍に対して燃料供給の鍵を握っている米国のくびきから逃れることを意味 投稿者 hou 日時 2004 年 5 月 23 日 06:22:48)

http://combat1.hp.infoseek.co.jp/89SHIK-O.htm

●開発

1932年から、三菱重工業の大井工場で戦車用ディーゼル・エンジンの開発が始められた。
それは1934年に、出力120hpの直列6気筒空冷ディーゼル・エンジン「イ号機」として実用化された。
燃焼方式は直接噴射式で、ドイツのフンボルト、ダイムラー、クルップ、ユンカース等のトラック用小型ディーゼル・エンジンが参考になっている。

1935年以降に生産された八九式中戦車は、このディーゼル・エンジンに換装されたため、それまでのガソリン・エンジン搭載型と区別するために、ガソリン・エンジン搭載型が「八九式中戦車甲型」、ディーゼル・エンジン搭載型が「八九式中戦車乙型」と名称が変更された。

このディーゼル・エンジンへの換装は、燃料となる石油のほとんどを外国からの輸入に頼らなければならないという日本の国情を考慮して、燃料消費率の少ないディーゼル・エンジンを用いることが国策として決定されたためで、同時に、被弾時の火災の危険も減じるというメリットも生まれている。
反面、ディーゼル・エンジンは、ガソリン・エンジンに比べて大きく、重くなり、同一排気量当たりの出力も、ガソリン・エンジンの1/3程度しかない。

ディーゼル・エンジンは、空気の利用率が低いのである。
また、乙型ではこのエンジンの焼き付きが多発した。
なお、乙型のディーゼル・エンジンについては、「8150」という、出力150hpの直列8気筒のものがあったとする異説もある。

八九式中戦車乙型は、エンジンがディーゼルに換装された以外に、車体各部の形状にも改良が加えられており、外見も甲型と少々異なっている。
主な変更点を挙げると、

1.トルコ帽型車長展望塔が無くなり、車長ほか乗員の出入口が大きくなった新型砲塔となり、周りにスリットが付
  き、視察能力が向上した。

2.車体前側面に付いていた大型のライトは姿を消し、車体後部には超堤能力を増すための尾体が付いた。

3.車体前部の形状が、これまで途中に段が付いていたのが無くなって、真直ぐに落ちている。
  さらに、車体前部左側にあった操縦手席が前部右側へ移り、前方銃手の席が前部左側に移っている。
  つまり、操縦手と銃手が入れ替わったわけである。
  また、銃手席前方の乗降用ハッチの装甲板が、従来は中央で2枚に分かれていたものが1枚板となり、それに
  連れて、ハッチの蝶番も4個から3個に変化しており、ハッチの形状も異なる。

4.操縦手席前方の窓が、甲型では、直径10cm位の円盤型に放射状の切込みを付け、これを回転させて前方を
  視察していたが、乙型ではこの窓は廃止され、代わりに防弾板の付いた視察窓ができた。
  さらに、視界を良くするよう、視察窓だけが出窓のようになった。
  また、履帯前方両側に死界ができるのを防止するため、操縦手席の右側に長方形のスリット入り小窓が付い
  た。

5.前部フェンダーの支えも、甲型では下に2本付いていたのが、乙型では上に付くように変更されている。

6.車体機関銃のマウント取り付け部も、初期の甲型から見ると次第に変化している。

7.車体背面の両脇に付いていたガソリン・タンクや水タンクの蓋が、甲型では片面5個ずつだったのが4個になっ
  ている。

●八九式中戦車の生産と部隊配備

八九式中戦車の生産にあたっては、初めに大阪工廠、次いで汽車製造(株)が少数生産し(後者の製品は部隊から不評であった)、後に三菱重工業の大井工場と丸子工場が主力工場となった。
生産開始の1931年には12両、翌32年には20両だったものが、1933年以降、本格的な量産体制に入り、甲型は1934年までに220両、乙型は1935年から1939年までに184両という記録があるが、乙型は1934年にも少数生産されているので、正確な数字ははっきりしない。

陸軍は戦車の質を軽視したが、量は軽視しておらず、単価の高額な戦車が陸軍装備予算に占める比重は漸次大となった。
たかが数百両でも、貧しい中の大奮発といえた。
八九式中戦車乙型は、ノモンハン、日華事変と、主に大陸で歴戦した。

中でも、戦車第七連隊所属車両は、フィリピン侵攻作戦に参加し、1945年まで同地で第一線に踏みとどまった。
そして、日本陸軍が対米戦に使用した最も古い戦車となった。
内地には、もっと多数の八九式中戦車が、本土決戦用に動員されていた。


<参考文献>
・「世界の戦車(1) 第1次〜第2次世界大戦編」  デルタ出版
・「帝国陸海軍の戦闘用車両」  デルタ出版
・「日本の戦車と装甲車両」  アルゴノート社
・「戦車名鑑 1939〜45」  コーエー

<八九式中戦車乙型>

全長:    5.75m
全幅:    2.18m
全高:    2.56m
全備重量: 13.0t
乗員:    4名
エンジン:  イ号 4ストローク直列6気筒空冷ディーゼル
最大出力: 120hp/1,800rpm
最大速度: 25km/h
航続距離: 170km
武装:    九〇式18口径57mm戦車砲×1 (100発)
        九一式車載6.5mm軽機関銃×2 (2,745発)
装甲厚:   10〜17mm


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