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「総研」やめた野村総研 シンクタンク冬の時代 バブル崩壊に有効な政策提言が出来なかったツケ
http://www.asyura2.com/0403/hasan35/msg/482.html
投稿者 TORA 日時 2004 年 6 月 11 日 16:30:28:CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu72.htm

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「総研」やめた野村総研 シンクタンク冬の時代
バブル崩壊に有効な政策提言が出来なかったツケ

2004年6月11日 金曜日

◆「総研」やめた野村総研 シンクタンク冬の時代 朝日新聞
http://www.asahi.com/money/aera/TKY200406100269.html

日本を代表する頭脳集団が研究を捨てた。商売につながらない仕事は邪魔になったのか。民間シンクタンクはどこも存亡の危機に立つ。

 「やがて研究部門は自然消滅ですかね」

 東京・大手町の野村総合研究所理事室。富田俊基研究理事(56)は、ため息まじりに語った。
 「マクロ部隊のほとんどが出ていった。主だった研究者は私を含め3人だけ」

 野村総研は3月末、政策提言などが役目の研究創発センターの中から、売り物だったマクロ経済分析の部門を切り離し、エコノミストら40人を親会社の野村証券に移籍させた。富田さんと、主席研究員のリチャード・クー氏、年金問題などを担当する中村実研究理事(54)が残った。

 「クーさんはスターだから飛び抜けた高給取り、富田さんと中村さんは野村の古賀信行社長(53)より先輩格だから」

 証券に移った研究者の一人は、配転を望まなかった3人の事情を指摘する。

 研究創発センターは、3人のほかに事務職などを含め10人ほどの小所帯になった。総研の総勢3500人の1%にも満たない。

 「クーさんも富田さんも、ご自分で活動する人で、野村として提言する方ではない。3月末で野村総研は総研でなくなった、ということです」

 野村グループの幹部はいう。

 「総研離れ」は1997年から始まっていた。アナリストなど経営分析や株価予測をする約500人が野村証券に移った。

 「アナリストやエコノミストはもともと、野村証券のカネで証券向けの仕事をしていた。それが証券に行っただけです。大きな変化はない。今回も同じです」

 森本照夫・野村総研広報部長はいう。株取引などの商売につながる研究・分析は証券会社でやった方が効率的というわけだ。

 ○人事抗争の影響も背景

 では、「総研」とは何だったのか。

 財政と金融が分離される以前、大蔵省証券局は「野村証券霞ケ関出張所」とも呼ばれた。それほど野村は政策に強い影響力を持ち、戦略の立案が総研の役割だった。

 「銀行から証券へ。日本の資本市場の流れを明確に指し示すのがシンクタンクたる総研の役割だ」

 故・北裏喜一郎・野村証券社長は言っていた。野村総研は65年、日本初の民間シンクタンクとして発足した輝かしい伝統がある。

 「政策提言などは利益追求と相いれない。総研が上場を目指したときから今日は決まっていた」

 野村総研で理事長を務めた鈴木淑夫氏(元自由党衆議院議員)は言う。マクロ分析や政策提言は、カネにならない。そのスタッフを抱えていては利益率は下がる。上場すれば株価を上げなければならない。収益部門を強化し、コスト部門は外に出す、という選択になると指摘する。

 「野村で社長になってもおかしくない人が社内抗争に敗れ、総研に出た。見返してやれ、と頑張れば頑張るほど、利益重視になった」

 と事情を知る人は言う。

 ○投資家への背任の声も

 87年から社長を務めた水口弘一氏(現・中小企業金融公庫総裁)は総研の針路を大きく変えた。野村電算センター(NCC)との合併である。94年に社長を引き継いだ橋本昌三氏(現・会長)は上場を果たし、後継社長にNCC出身の技術者・藤沼彰久氏を選んだ。

 NCCは計算業務の会社だった。野村総研の一分野だった経営コンサルタント業務と連結させて、企業や官庁のシステム開発の受注に力を入れる。それが水口・橋本路線だった。時流に乗った事業は成功し、今や野村総研は年商2500億円、NTTデータなどと並び「ITゼネコン」の一角に食い込んだ。その陰で「総研機能」はお荷物になっていた。

 野村グループでの位置も微妙になった。コンピューター会社に景気や企業を分析する部門があっても、存在感は希薄になるばかり。結局、野村証券は自前で「金融研究所」をつくり、ここに統合するという道を選んだ。

 「利害関係者である証券会社が経営分析や政策提言をしても、信用を得られるか。だから総研があったのではないか」

 とエコノミストの一人は言う。

 研究所として上場したのに、2年余で研究機能がなくなった。投資家への背任、という声もある。

 「味の素という会社は総合食品産業になりグルタミン酸ソーダは微細な部門になったが、社名は味の素のまま。野村総研も看板が残っていてもおかしくはない」

 そう、野村グループの幹部は言うが、橋本会長は、「会社説明会でリチャード・クーの会社ですか、と聞く人が今もいます」と苦笑する。

 野村が「総研」でなくなった3月末、三つのシンクタンクが閉鎖に追い込まれた。国民経済研究協会、セゾン総研、フジタ未来経営研究所である。

 「国民経済研究協会は戦後復興を担い、時代をリードしたシンクタンクだったが……」

 最後の代表となった伊木誠・国学院大学教授は無念を語る。

 ○成功した企業の「勲章」

 設立者の稲葉秀三は戦前、企画院で戦争に備えた経済力の推計を任され、「無謀な戦争」という結論を下し、逮捕された研究者だった。敗戦で人々が茫然自失していた45年12月、協会を立ち上げた。

 戦後の物資供給計画や産業の振興に民間から知恵を出した。70年代、会員は760社あった。産業分析や地方自治体の長期計画の策定などを得意としたが、80年代に財政の悪化で委託研究が激減し、90年代の不況で会員企業が減少、最後は180社に減り、経営が成り立たなくなった、という。

 日本には三波のシンクタンク・ブームがあった。第一波は戦後の復興期、二波が高度成長と列島改造ブーム、野村総研や三菱総研はこの時期に出来た。三波が80年代からバブルにかけて。都銀から地方銀行まで金融界が横並びで参加し、研究所ブームが全国に広がった。セゾン総研やフジタ未来研はバブルの落とし子である。

 「日本のシンクタンクは成功企業の勲章。しかし、もうけが出なくなるとカネを引く」と鈴木氏。

 UFJ総研のエコノミスト・森永卓郎氏も「イヌにエサをやるみたいに、可愛いときはカネを出すが、興味がさめると、援助がなくなる」と言う。

 寄付を母体とする基金で運営する米・英のシンクタンクと異なり、日本の民間シンクタンクは大半が株式会社。親企業から「補助金」をもらい運営している。それだけでは足らず、賛助企業から会費を集め、自治体や企業から研究や調査を請け負い、経費を捻出する。政策提言や経済分析は「カネにならない研究」とされ、経営に厳しさが増すと真っ先に切られる。

 「器を作っても魂を入れているか疑わしい。銀行が軒並みつくった総研が金融戦略をなにも描けなかったことが象徴している」

 三井物産戦略研究所長の寺島実郎氏は指摘する。銀行系シンクタンクは今や提言機能を失っている。生き残ることに必死で、公の活動に手が回らないのが実情だ。

 ○官高民低ここにも露呈

 「公の仕事を官に任せず、自分たちで担う、という考えが社会に浸透しなければ中身のあるシンクタンクは成り立たない。米国のように寄付への税優遇も必要だ」

 非営利法人・構想日本の加藤秀樹代表は言う。

 日本には寄付が非課税になる特定公益増進法人(通称・特増)に指定されるシンクタンクがあるが、ほとんどは官庁系の研究所だ。

 日本最大のシンクタンクは、霞ケ関の中央官庁といわれる。自民党の知恵袋となって長期政権を支えてきた。民間のシンクタンクには、霞ケ関からは出せない自由な発想が求められている。しかし官庁からの委託研究で食いつないでいる、というのが現状だ。

 その官庁は財政金融研究所(財務省)、経済産業研究所(経産省)など自前の研究所を持ち、研究費で学者の取り込みを図っている。税金でまかなわれる官庁シンクタンクと「冬の時代」に入った民間のシンクタンク。官高民低は、この分野でも際だっている。

 (編集委員・山田厚史)(06/10)


(私のコメント)
私が「株式日記」を書き始めたのは「どうしたらバブル崩壊の日本経済を救うか」について提言したかったからだ。90年代のエコノミスト達はろくな政策提言が出来ずに、日本の経済政策は彷徨っていたからだ。毎年30兆円も財政赤字を出しながらも財務省は増税しか頭にないのでは日本経済は破綻してしまう。その中でリチャード・クー氏だけが景気刺激政策を続けろと言い続けていた。

それに対してマスコミやエコノミスト達はクー氏を袋叩き状態で、田原総一郎氏たちはゼネコン潰せと連日シュプレヒコールを上げ続けた。それに対して「株式日記」はリチャード・クー氏を応援してケインズ政策を支持し続けてきた。財務省のバカ役人が言うようにデフレの時に緊縮財政と増税なんかしていたら大恐慌に突入してしまう。それに対して民間のシンクタンクの研究者達も大胆な政策を提言できずにいた。

私は国家の通貨政策について2001年5月31日の「江戸幕府の通貨政策」と題して次のように書いた。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu23.htm

《 吉宗は「享保の改革」で幕府の財政を引き締め、米の生産を高めました。その結果米の値段は暴落し侍たちの生活は困窮しました。吉宗は米相場を高めようと米を買い上げたりしてみましたが思うように値が上がらない。米の供給が増えたのに通貨を引き締めていたから、米の値段は80文から20文まで値下がりしました。

そこで大岡越前之守は貨幣の増量を進言しましたが、吉宗はインフレを恐れて踏み切れませんでした。しかしいろいろ対策を打っても米相場は回復せず侍の生活はますます貧しくなり、やむなく大岡越前の守の進言を受け入れて、貨幣の増発に踏み切りました。その結果米価は20文から60文にまで回復し、他の物価は安定していました。(中略)

経済が好景気からバブル崩壊へと落ち込んだ理由は、システムにはなかった。低金利政策も財政による経済対策も効果を上げられる筈もなかった。じつは93年か94年に楽に景気を回復させられるシンプルな政策があった。銀行が充分なお金を創造しないから物価が下落し、需要が落ち込み、失業が増加するのだから、要するに経済に必要なのはマネーである。これほど簡単な事はない。日本銀行が印刷機のスイッチを入れればよかったのだ。 》


(私のコメント)
このような大胆な政策提言は私が始めてではありませんが、3年前当時の日本の経済学者やエコノミスト達はまったくそのような発想がなかった。ノーベル経済学賞をもらったような著名な学者達が提言しているにもかかわらず、
http://homepage2.nifty.com/niwaharuki/novel.htm
政府財務省や日銀は国民から吸い上げる税金でしか財源を考えていなかった。だから700兆円とも言われる財政赤字を国民の税金で賄うということで国民全体がショック状態に陥ってしまった。

つまり当時の大学教授や著名なエコノミストは自分の学者生命を失うのを恐れて誰も言い出せなかった事を私は提言していた。日本でもこの政策が知れ渡ったのは大蔵省財務官だった榊原英資氏が2002年7月に「政府紙幣で過剰債務を一掃せよ」と中央公論で発表して以来だ。しかしながら日本のシンクタンクは金融政策になんら新しい金融政策を発表できずにいた。

今でもリチャード・クー氏の財政出動論すら批判されて排除されているのだから、現在でも政府紙幣発行論は政府の政策にはなっていない。小泉首相も竹中金融大臣も理解できないからだ。しかし現実には国債と言う名の政府紙幣が発行されているのであり、政府が発行した国債は実質的に日銀がほとんど引き受けている。そうでなければ日本が米国債を35兆円も買い支えることなど出来なかったはずだ。

日本の中央官庁や大学の研究室や民間のシンクタンクが有効な政策提言が出来なかったのはなぜか。研究員達の経歴に問題があるのだ。いわゆる一流大学の大学院卒業者とか一流企業の研究所で何年在籍したとか言う学歴主義が大胆な政策を発案できる人材を排除してしまうのだ。

だからこそ、日本の大学や官庁の研究所や民間のシンクタンクは少し風通しをよくして、学歴や経歴による人材の採用をやめて実力や実績による採用に切り替えるべきだ。東大などの学卒者は確かに秀才ぞろいだろう。しかし彼らは教科書に書かれたことしかわからない。現在の日本経済の状況はどの教科書にも書かれていない状態だから財務省や日銀の官僚にも手に負えないのだ。

だから役に立たない政策提言しか出来ないシンクタンクは閉鎖されて当然なのだろう。むしろ個人でどこにも所属していないような民間の研究者のほうが大胆な政策提言が出来ると思う。私の「株式日記」も私一人のシンクタンクであり、活動場所はこのサイトだけだ。アメリカでは私のような個人のサイトで政策提言している人が数多くいると聞いています。それだけ層が厚いから優秀な研究者も出てくるのだろう。日本も早くこうなるといいのですが。

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