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ウイグル分離主義は、ロシアと中国の共通問題となりつつある。(対外情報調査部)
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投稿者 愚民党 日時 2004 年 7 月 06 日 07:30:28:ogcGl0q1DMbpk
 



ウイグル分離主義は、ロシアと中国の共通問題となりつつある。

エクスペルト、第31号(242)、2000年8月28日
アレクサンドル・ソビャニン

http://www2.odn.ne.jp/~cae02800/uigur/russia.htm

 8月末、ロシア当局は、チェチェンでの軍事作戦中に以前に捕虜とされたウイグル民族の中国市民2人を中国に引き渡す決定を採択した。FSBの情報によれば、チェチェン共和国内でのゲリラ行動には、中国からの数十人の傭兵も参加している。ウズベキスタン及びキルギスに対する最近の「襲撃」中でも、ウイグル人戦闘員が際立っていた。専門家は、主として中国の新疆に居住するウイグル人が、中央アジア及びロシアのムスリム地区の状況を不安定化しようとする各種過激イスラム集団の活動にますます活発に参加していることを指摘している。ウイグル人分離主義は、北京だけではなく、モスクワにとっても頭痛の種となりつつある。

■不穏地区

 中国新疆ウイグル自治区と、ロシアは、手の平大の国境を有している!この地において、中国とロシア連邦は、ロシア、モンゴル、カザフスタン及び中国が集まる地点において、1本の国境標柱を共にしている。何故、かつてロシア帝国、後にソ連は、天山とタクラマカン砂漠の間に位置するこの広大で、形式的には我々にいかなる関係もない領域の状態安定化のために、少なからない力を費やしたのか?

 「新疆」は、中国語で「新しい国土」を意味する。1759年になって初めて、西域、未来の新疆は、中国の構成に入った。そこには、チュルク系民族(ウイグル人、カザフ人、キルギス人)と今に至るまで彼らの地方への中国人(漢人)移住者の出現に非常に不満なモンゴル人が住んでいた。開墾に適した土地は、新疆には余り多くないため、ここでの農業人口過剰は、暴力の常時突発をもたらした。1862年に隣の省でムスリム中国人が蜂起した後、新疆において現地チュルク人の蜂起が始まり、1865年、地区は、もはや完全に中国から分離された。ここでは、複数の独立都市国家が建国され、間もなく、ウイグル人出身の統治者ヤクブベクが、7都市を統一国家(イエッチ-シャール)に統一した。

 間もなく、イエッチ-シャールが中国自体よりも遥かに大きく、ロシア帝国の東部国境を脅かしていることが明らかになった。ヤクブベクの宮廷の下では、アフガニスタン、パミール、カフカーズにおいてロシアと対峙していた英国の将校と外交官が、余りに大きな重みを獲得していた。英国人の影響下、ヤクブベクは、天山の数ヶ所の戦略的峠を奪取し、ロシアに依存するコーカンド汗国の市場に対する支配のための闘争を始めた。東部国境を安全にするために、ペテルブルグ公式筋は、1871年、遂に中国人の秩序回復の援助要請に応え、イエッチ-シャールと国境を接する地区に、G.A.コルパコフスキー将軍指揮下の部隊を派遣した。

 1874年、中国軍は、中国人ムスリムの蜂起を鎮圧した。この後、イエッチ-シャールの皇帝の権力下への返還に関する問題が提起された。北京の好戦派は、中国の海港を封鎖するという欧州諸国の脅迫を軽く見て、清朝史で最も高くついた戦役である西征が始まった。中国人は、老いも若きも容赦せず、7都市国家中を通り過ぎた。成功を確保するため、領土は、新疆と改称され、今や、永遠に帝国の一部となった。1881年、ペテルブルグ条約の条件により、ロシア軍は、「国際責務」の執行場所から撤退した。彼らと一緒に、7万人のムスリムがロシア国籍に去った。

 次回、不快な隣国は、ソビエト権力の下で自らについて思い出した。1922〜1933年、新疆領内において、バスマーチのキャンプが増加し、そこから、匪賊達は、ウズベキスタン及びキルギスに対して襲撃を実行した。今回、ウイグル人を片付けるのを助けたのは、1933年に中国で始まった日本人に対する解放戦争だった。新疆領内では、一連の独立チュルク人国家が生まれ、その最大のものである東トルケスタン共和国は、ソ連の非公式支援のおかげで建国された。東トルケスタン共和国は、地域内のギャング行為を葬り去り、ソビエト連邦が国民党に納入する武器を積んだ自動車縦列の安全を保障した。西側では、ソ連が地域の併合を希求していたという意見が存在するが、日本人に対する勝利後、武器を含む中国への全ての納入が鉄道で行われ始めたとき、新疆に対するモスクワの支配の必要性はなくなった。それ故、1946年に中国人民解放軍が東トルケスタンに入ったとき、ソ連は反対しなかった。

■同化

 中国への新疆の最終的併合後、そこでは、中国人(漢人)の入植が強制的に組織され始めた。今日、元の主要住民であるウイグル人の割合は約40%(770万人)であるにも拘らず、地区における中国人の数は、ほぼ60%(900万人以上)に達している。中国への併合時から今日までに、新疆ウイグル自治区では、15回の大規模な分離蜂起が起こった。これら全ては、宗教的色調を帯び、中華民族と異なり、ウイグル人の大部分は、ムスリムである。

 新疆における過剰な人口圧力は、常に非常に大きかった。中国のチュルク人の家族は、伝統的に大きいため、新疆ウイグル自治区では、誰も、有名な「一家族−一人っ子」政策を流布しようとは試みすらしなかった。しかし、家族に2人以上の子供を有さないという要求は、ここでは、悪意を以って受け入れられている。高い出生率は、失業をもたらしている。今日、祖国で居場所を見つけられなかったウイグル人青年の一部は、あらゆる傾向のムスリム・テロリストの隊列に合流するため、密かに中国を離れている。

 隣のパキスタンにおいて、ウイグル人の若者からは、神学者だけではなく、戦闘員も訓練されており、訓練キャンプが国境北西部の州に存在する。両者の教育に従事しているのは、駐イスラマバード中国大使館の情報によれば、ハルカート・ウリ-ムジャヒディン組織である。組織は、パキスタンのスンニー派主流派の1つの代表であるデオバンディー教徒により創設された。特に彼らは、バーブ教徒では全くなく、我々の考えによれば、全ムスリム世界で最強のテロ・グループを保有している。

 かつて、パキスタン省庁間情報部(ISI)の斡旋により、ハルカート・ウリ-ムジャヒディン、並びにラシュカル及びタヤブ(バーブ教徒)の武装部隊は、アフガニスタンの旧ドゥシュマンのアル・バドル、サルマン・ファルシー・グフンド、第9軍団等の基地を管轄下に得た。今ここで、全世界からの若きテロリストは、ムスリムの理論の基礎、高射機関砲、無反動砲、ロケット発射機及び全種類の小火器の動作習熟等、40日間の「青年戦士課程」を受けている。キャンプの卒業生は、パシュトゥン人、チェチェン人、ウズベク人、ウイグル人、キルギス人等が入っている「国際旅団」の編成下において、タジキスタンで戦闘の手慣らしを行う。破壊工作作業を習った戦闘員は、山道で新疆ウイグル自治区に去る。そこで、彼らは、麻薬貿易とムスリム・ビジネスマンに対する恐喝で生活費を稼ぎつつ、「X時」を待って、戦力と資金を蓄えている。隣国への出撃も着手されており、例えば、キルギスでは、2000年3月、「独立ウイグル人国家の建国のための闘士」への援助に大金を支払うことを拒否したウイグル人文化団体「イッチパク」の指導者が殺された。

■自由の闘士

 山地は、新疆を二分する。北部のジュンガリアは、ロシアのアルタイとカザフスタンに隣接する。南部のカシュガリアは、キルギス、タジキスタン、アフガニスタン及びパキスタンと国境を接する。ジュンガリアでは、独立世俗国家、「ウイグルスタン」建国のための闘争が行われている。カシュガリアでは、パキスタンと同盟する東トルケスタン・イスラム共和国の建国構想が支配的で、ビン・ラディンのイメージが人気を得ている。

 しかし、自国を独立国と見る希望だけが、現地戦闘員を動かしているわけではない。彼らは、その開発が50年代になって初めて始まった現地山地の著しい自然資源を単独で処分したがっているはずである。分離主義者は、中国から欧州への輸送回廊、並びに建設中又は計画中の中国中央地区へのガス及び石油パイプラインにも関心を有している。

 公式には、世界のどの国も、分離主義者に援助を提供していない。しかしながら、西側の一連の人権擁護及び文化・歴史共同体は、ウイグル人の有利に世論を活発に形成している。これは、ドイツに本部を置く欧州東トルケスタン同盟(ETUE)、国際タクラマカン人権協会(ITHRA)、ワシントンに本部を置く非常に活発な東トルケスタン民族解放センター(ETNFC)である。CIS諸国にも、協会は少なくない。中央アジアでは、ウイグルスタン解放機構、ウイグル人共和国間協会、既に言及した「イッチパク」が活動している。アルマ・アタにおいて、90年代初め、カザフスタンの法律に違反せず、その活動において人権領域における国際法令に指導されることを約束したウイグル解放機構(ULO)が創設された。France Pressの情報によれば、カザフスタン領内において、東トルケスタン機構統合民族革命戦線(UNRFETO)も結成された。

 武装紛争の爆発間の期間、中国当局と分離主義者は、「非公然の戦争」を行っている。北京は、キルギス人、タジク人及びカザフ人がまとまって居住する新疆ウイグル自治区内の副次的民族共同体をウイグル人に上手く対峙させている。新疆ウイグル自治区の省都ウルムチは、非ウイグル人のオアシスであるトゥルファンとハミが「相殺」している。分離主義者がインターネット上で行っている情報戦に、中国は、現在のところ、全く負けている。反分離主義的資料は、ネット上にはない。恐らく、自国の主要な作用道具として逮捕と検閲を使用しつつ、中国は、かつて情報戦でチベットを既に失ったように、西側共同体の目において「新疆に対する権利」を失う危険を冒しているようである。

■ロシアの様相

 1999年10月、チェチェンでの戦闘行動の真っ最中、FSB社会関係センター長アレクサンドル・ズダノヴィッチは、中国市民がチェチェン人戦闘員側で戦っていることを認めた。

しかしながら、ロシアにとってより真剣な危険は、ウイグル人の「独立のための闘士」が今に至るまで「ロシア帝国により併合された西トルケスタン領土」以外の何物でもないと呼んでいる中央アジアにおけるウイグル人の計画である。キルギス内務相アムルベク・クトゥエフの言葉によれば、最近共和国内で拘束されたウイグル人テロ組織の数十人のメンバーの目的は、キルギス、カザフスタン及びタジキスタン政府の転覆だった。その上、ウイグル人は、その活動をアフガン及びウズベクの「同僚」と密接に調整している。ロシア特務機関の情報によれば、2000年4月、パキスタンのペシャワール市において、テロ集団の約100人の頭目が参加したウズベク人、タジク人、ウイグル人及びチェチェン人戦闘員の「大会」が行われた。会合では、次の数ヶ月間における共同行動プログラムが決められた。どう見ても、フェルガナ峡谷に突破しようとするイスラム教徒の最近の試みは、正にペシャワールでの戦闘員指導部の「大会」において計画されたものである。

 ウイグル人は、この事業において、最も直接の関心を有している。5月に「モスコフスキー・ノーヴォスチ」のインタビューにおいて、匿名のSVR職員が表明したところによれば、「ウイグル人は、中国への道が中央アジア、具体的にはフェルガナ峡谷を通して横たわっていると考えている」。タリバンとウイグル人戦闘員が峡谷への突破に成功すれば、ロシアは、ロシア連邦とカザフスタン間の名ばかりの国境が留められない麻薬、難民及び犯罪の輸入の流れに溺れる危険を冒している。その南の国境を安全にするために、ロシアは、百年前と同様、ウイグル人問題において、中国の同盟国とならなければならない。

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対外情報調査部
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