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Re: ローゼンベルク (5) 反ユダヤ主義の根拠
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投稿者 ジャック・どんどん 日時 2004 年 5 月 22 日 01:25:18:V/iHBd5bUIubc
 

(回答先: ローゼンベルク (4) 反ユダヤ主義の根拠 投稿者 ジャック・どんどん 日時 2004 年 5 月 19 日 06:10:26)

スパルタコスさん、よろしければもう少しおつきあいを。

真実を語るものは、ルイ・フェルディナンド・セリーヌやチャールズ・リンドバーグのようにファシスト呼ばわりされて、社会的に抹殺されてしまいます。

セリーヌは、国家反逆罪で死刑を宣告されましたっけ。今でも、生田耕作さん(故人・京大名誉教授)他の名訳で中公文庫(「世の果てへの旅」「虫けらどもをひねりつぶせ!」こちらは河出文庫やったかな?)でよむことができます。

リンドバーグについては、「孤高の鷲」学研文庫あり。

ネタ元は最終回に明示します。あと3回ぐらいで終わる予定です。

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前回のローゼンベルク(4)の終わりのあたりから続けます。

とりわけ、世界大戦後の「世界トラスト化」によって旧来のナショナリズムを世界経済に隷従させることに成功した、とされるユダヤ金融資本は、文化を蹂躙し破壊する焦眉の敵として、激しく弾劾されている。国際資本主義そのものであるユダヤ人勢力との闘争こそ、いままさに人類の興亡を賭けた最後の決戦でなければならないのである。

『二十世紀の神話』におけるこうした反ユダヤ主義の展開は、ただ単なる感情的名扇動の次元にとどまってはいないという点で、ナチズム陣営が展開したもっとも理論的名反ユダヤ主義の学説と目されるものだった。

この理論闘争を、しかしローゼンベルクが単独で行っていたのではなかったのである。じつは、ディートリッヒ・エッカルトとの直接的な共闘の日々に構築されたのであった。

バイエルン革命が鎮圧され、「安寧と秩序」がミュンヘンを支配するようになった1919年秋、エッカルトの雑誌『アウフ・グート・ドイチェ』の十月二十三日号にローゼンベルクは「ユダヤ人という時事問題」と題する論評を書いた。

その中でかれは、「ユダヤ教正統派というのはそもそも初めから、宗教というよりはむしろ、ユダヤ民族を維持するための、宗教の衣をまとった闘争組織だった」という確認から出発する。彼によれば、「いかなるユダヤ団体もこの観点から見なければならない』のである。ユダヤ教の教典であるタルムードえお拠り所とする結束は、何一つこれに比肩するものがないくらい強固なものだったが、時代の流れとともにそこから分離する部分も出てくるようになり、それらは別の種類の闘争組織を創設したり、あるいは、別の団体をユダヤ人世界勢力の特攻隊に改造したりしたのだった。

博愛主義を標榜する秘密結社「フリーメーソン」、社会主義・共産主義革命のための国際組織である「インターナショナル」、ユダヤ人国家の再建をめざす「シオニズム」等など。しかしそれらのいずれもが、ユダヤ民族維持のための闘争組織であるという本質に変わりはないのである。
これら、脱宗教の色彩を強く打ち出した諸組織のうちで、ローゼンベルクはとりわけ「自由(リベラル)ユダヤ人」に矛先を向ける。彼がそれを攻撃対象に選んだのは理解できないことではない。前述の扇動文書『ユダヤ人ハンドブック』の著者、テオドール・フリッチェもユダヤ人と自由主義(リベラリズム)との密接な関係を取り上げて、『自由主義を撃つものはユダヤ人を撃つのである。ユダヤ人を撃つものは自由主義を撃つのである。・・・ユダヤ人はドイツにおける自由主義の先遣隊であった」と述べている。
  
フリッチェによれば「人間の平等と個人の「自由」という教説を掲げる自由主義(リベラリズム)は、かれら(ユダヤ人たち)が中立的な個人の仮面をかぶって自分たちの連帯のための共同作業を行うことを可能にした」のであり、「自由主義という民間的、非英雄的、商売人的、『私的』、利己的な態度は、ユダヤ人の人種的資質にぴったりだった」からである。

十八世紀の銀行家や工場主の家庭、文化的サロンで、つまりメンデルスゾーンやロートシルト(ロスチャイルド)の世界で生じた態度および志操としてのリベラリズムは、やがて1848年の革命の時代に「国民はすべて平等である」という基本的人権の思想となる。これは、革命の挫折とともに没落したが、曲折を経ながらマルクス主義的社会主義の中で政治的主張として蘇生し、二十世紀至ってロシアの革命運動におけるプロレタリア独裁の実践のなかで、ユダヤ人が大きな位置を占めるところまで行き着くのである。

この経過を跡付けて、フリッチェは1901年から1903年の間に当局に逮捕されたロシア革命家のうち29.1パーセント、1905年には34パーセントがユダヤ人だった、と指摘する。
かれによると、1917年の十月革命で権力を握ったボルシェビキは、トロツキー(ブロンシュタイン)、ジノビエフ(アプフェルバウム)、カーメネフ(ローゼンフェルト)、ボグダーノフ(ジルベルシュテイン)ピアトニツキー(レーヴィン)リトビノフ(フィルケンシュタイン)ラデック(ゾーベルゾーン)など、最高幹部のうちに多くのユダヤ人を擁していたばかりでなく、革命の過程で反ボルシェビキ派として排除されたメンシェビキのマルトフ(ツーデルバウム)
やスハーノフ(ギンメル)、社会革命党(エス・エル)のチェルノフ(リーベルマン)らもまた、ユダヤ人だったのである。

ドイツ革命のリーダーたちにあってもまた、ユダヤ人が大きな役割を果たしたことに変わりはない。しかしそれに加えて、アルベルト・アインシュタイン、エルビン・ピスカール、ジークフリート・クラカウアーらの自由主義的(リベラル)なユダヤ人科学者・文化人たちが、共産主義や社会民主主義によるユダヤ人支配に協力したのである。―だが、フリッチェはさらに、こうしたユダヤ人の支配に抗しては「ドイツ民族の組織的な防御運動」が生まれずにはいなかった、というところにとき及ぶ。

そしてその運動はさしあたり「反ユダヤ主義」(Antisemitismus)と呼ばれたと、かれは書いている。

(つづく)


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