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ポパー信奉者J・ソロスの「開かれた社会」
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投稿者 小魚骨 日時 2004 年 6 月 02 日 20:28:22:5fM4yUMte5cr2
 

(回答先: あのJ・ソロスはカール・ポパー哲学を崇敬しているらしい。 投稿者 小魚骨 日時 2004 年 6 月 02 日 15:03:31)


04.グローバリズムvs開かれた社会

 以上においてわれわれは,ソロスの哲学の根幹にある「再帰性」の概念と,そこから構築された「ブーム=バースト理論」を検討した.最後に本節では,ソロスのいう「開かれた社会」という理念を,グローバリズムとの対比において検討したい.

04-a.グローバリズム

 均衡分析によって市場を理解することはできないというソロスの批判は,他方では同時に,グローバル経済に対する批判として現われる.グローバリズムは,たとえ均衡分析によって理論的に正当化されるとしても,市場の本質を理解しようとする経済哲学の観点からすれば,決して正当化されるわけではない.グローバリズムの正当化根拠は薄弱なものであり,われわれはこれを「開かれた社会」という別の社会理念に置き換えなければならない.これがソロスの中心的なメッセージである.

 しかしこれに対して斎藤精一郎氏は,ソロスの本音がどうもよく見えないとして,「市場主義で巨額な富を築きながら,何故に『市場原理が開かれた社会の基盤を崩す』と断定するのか」と疑問を呈し,ソロスを便宜主義者であると批判している[★22].なるほどソロス自身,次のように述べている.「私は証券アナリスト時代に,仕事の都合でゆがめられた理論を承知のうえで支持していたのだから,私はほかの誰よりもずるいのだ」.グローバル市場を舞台に巨万の富を手に入れながら,他方においてグローバリズムを批判するというソロスの態度は,確かに矛盾している.最近のソロスは,金融市場に対していっそう強い規制を求めているが,クルーグマンはそのメッセージを,「私がこれ以上儲ける前に,私の行動を止めてくれ!」という意味だと揶揄している.しかし私はむしろ,「これから先,私よりも儲ける人を出さないでくれ!」という権力への関心の現われであると思う.

 いずれにせよ,ソロスの野心が何であれ,その思想的メッセージが妥当なものであれば,われわれはこれを社会構想の基本理念として受け入れることができるはずだ.以下では,ソロスの社会理念について検討してみたい. 経済におけるグローバリズムは,「市場原理主義」[★23]と呼ぶこともできる.その思想的特徴は,次の四つである.第一に,市場はその自動修正機能によって均衡に向かうのであるから,人々はこのことを共通の信念とすべきであると考える.第二に,すべての人に自己利益の追求を認めることが,全体の繁栄につながると考える.第三に,集団的な決定によって全体の利益を守ろうとする試みは,市場メカニズムを歪めるものであるから,望ましくないと考える.第四に,マネーは権力であり,権力はそれ自体で目的になりうるが,マネーを求め続ける人々が最大の社会的影響力をもったとしても,これを承認すべきであると考える.以上である.

 ソロスによれば,「グローバリズム資本主義システムの大きな欠点の一つは,それが市場メカニズムと利益追求願望を,本来はそれらとはまったく関係のない活動分野にまで侵食することを許してしまったことにある」.例えば,市民的公共性や慈愛や家族のスキンシップなどは,グローバル経済によって侵食されるべきではない.

 また投機道徳の問題がある.動的不均衡過程をたどるグローバル市場において,投機家の行動は社会に破壊的な影響をもたすことがある.しかし投機家は,自分がそのように行為しなくても,別の人がそのように行為することによって,事態は同じように進行したであろうと予測できるから,道義的責任を感じる理由をもたない.つまり,自分の行為が代替性と匿名性の高いものである場合には,全体としての社会的損害は,各参与者の内面の道徳的問題まで喚起しないのである.グローバリズムにおいてはこのように,投機家の道徳を問えないことが,大きな問題である.ソロスによれば,グローバリズムは「開かれた社会」の歪められた形態であり,何らかの道徳的規範によって是正されなければならない.

http://www.ntticc.or.jp/pub/ic_mag/ic031/html/172.html


04-b.批判的人間

 では,「開かれた社会」とは,どのような道徳を要求する社会なのだろうか.ソロスはポパーを継承しつつ,「開かれた社会」の思想的基礎を「批判的合理主義」[★24]においている.「われわれは,誤っているかもしれないし,正しいかもしれない.そしてお互いに努力すれば,よりよい真理に到達できるだろう」.批判的合理主義はこのように,自らの理性の「可謬性」[★25]を承認し,批判的理性の共同行使によって,よりよい社会を模索するという道徳を要求している.ソロスによれば,投資家としての自己と,「開かれた社会」の啓蒙家としての自己を首尾一貫したものにする観点は,こうした「理性の可謬性」に対する信仰にある.「自分が常に間違っているのではないかと考えるんだ.そうすると『不安』になる.不安感があるから,いつも状況に敏感でいられるし,自分の間違いをすぐに正せる.これには二つのレベルがある.抽象的には,自らの誤謬可能性を基礎にして,綿密な哲学を築く.もっと個人的なレベルでは,私は,自分自身についても他人についても欠陥を探し回る,非常に批判的な人間だ」.

 例えばソロスは,1983年からファンド・マネージャーとして雇ったジム・マルケス(当時33歳)に対して,一日の取引が終わると厳しい反省会を行なっている.ソロスはマルケスを質問攻めにして,予測の仮説を批判的に検証した.反省会はしばしば深夜にまでおよび,ソロスの批判は,マルケスの行動の自尊心を傷つけるほど厳しく続けられたのであった.このように,ソロスの「可謬性」に対する信仰は,批判的理性を行使するパートナーにもきびしく要求するものであり,ある種の知的格闘技でさえある.「何しろ私は非常に抽象的な人間だし,自分自身について考える場合も含めて,ものごとを外部から眺めるのが本当に楽しいと思っている」.

 ソロスの批判的理性は,しかし単なる知識人タイプのそれではなく,市場社会を生きるための「野性」的な能力でもある.「私は,市場での出来事に対し,ジャングルに生きる動物のように反応する」「精神を集中させるためには,危険を冒すのが最も有効だ.物事をはっきり考えるために,リスク絡みの興奮が私には必要なんだ.私の思考能力にとって不可欠な部分だね.リスクを冒すことは,私が明瞭に物事を考える上で必須の要素なんだ」.

 こうした可謬性に基づく批判的理性は,しかしともすれば過剰になるだろう.ソロスは「可謬性」の概念を,次の二つに分類している.一つは,「開かれた社会」を正当化するために必要なもので,批判的検討によって社会をよりよくしていこうとする穏当な要求である.もう一つは,いかなる精神や制度にも必ず欠陥があるという悲観的な信念であり,社会を不安定化させるような,過剰な要求である.ソロスの再帰性理論は,この後者のような特徴をもつ点で,批判を免れない.というのも再帰性理論は,それ自体が再帰的に作用するという自己破壊的メカニズムをもっているので,本質的な価値への信念をぐらつかせてしまうからである.人々がみなソロスのように行動すれば,市場経済は不安定なものになるだろう.

 「開かれた社会」においては,各人は批判的に認識することを課されているものの,批判の過剰に陥ってはならない.近代社会は,伝統社会を脱却するために,主体の自律的反省を促してきたが,しかしそうした反省が増大するならば,そこに再帰的メカニズムが働いて,社会はかえって不安定化してしまう.伝統社会や閉じた共産社会に対して批判的思考の重要性を掲げたのが「第一近代」のフェーズであるとすれば,増大するリスク(不安定性)に対して主体的・社会的に対処していこうとするのが「第二近代」のフェーズである.第二近代は,自律的反省意識の行為化が孕むリスクの問題を中心としている.その問題圏においては,ますます不安定化するグローバル資本主義に対応して,政治的・道徳的な対処法が求められている.「開かれた社会」とは,まさにこの課題に取り組むための理念である.

http://www.ntticc.or.jp/pub/ic_mag/ic031/html/173.html

04-c.開かれた会社:グローバリズムへの対処

 1962年に執筆されたソロスの草稿「認識の重荷」は,加筆修正の後に,『民主主義への資金提供』[★26](1980年)に収録された.ソロスはそのなかで,社会を三つの類型に区別している.すなわち,「伝統的社会」(有機的社会),「開かれた社会」(批判的モデル),「閉じた社会」(教条的モデル)である.ソロスはここで「開かれた社会」を,「伝統的社会」や「閉じた社会」と対比して論じているが,しかし最近の著作『グローバル資本主義の危機』[★27]では,開かれた社会を「グローバリズム」と対比している.「閉じた社会」では,思考と現実が大きく離れ,「静的不均衡」の状態にある.これに対してグローバル社会においては,事態の成り行きがあまりにも激しく変化するので,人々の理解がこれについていけず,思考と現実のあいだに「動的不均衡」が生じる.このために,現実は,もはや期待に対する錨の役割を果たせなくなってしまう.

 これに対して「開かれた社会」は,「動的均衡」の状態であるということができる.「動的均衡」を達成するためには,しかし,市場がファンダメンタルズのもつ価値を信奉すればよいというわけではない.ファンダメンタルズは,再帰性の作用によって変化する以上,市場は常にそれを裏切る可能性がある.したがって,市場を安定化させるために人々が信奉すべきは,市場の示す価値によっては測れないような,社会的価値であるということになる.ソロスは,経済行動の指標となる価値と,社会一般で通用する価値を区別し,市場の安定のためには後者が必要であるという.

 とすれば,「開かれた社会」は,単に政府の介入がない状態ではなく,法律や機構を基盤として,共通の思想体系や行動規範(「社会的価値」)を必要とする社会だということになろう.市場社会は,なるほど再帰的な「ブーム=バースト」のメカニズムがなければ安定性を保っていけるが,市場参加者たちが市場の再帰的関係に反応するならば,その安定性は,市場参加者たちだけでは保っていけなくなる.「開かれた社会」の課題は,市場を社会的価値のなかに埋め込み,その安定性を維持することにある.このことは,国際的な公共政策の目的としなければならない.「開かれた社会」においては,各人の「可謬性」は,協力したいという積極的な衝動を伴わなければならない.それは例えば,核戦争の回避,環境保護,グローバルな金融・貿易システムの維持,といった諸目標に結びつけられなければならない.「開かれた社会」は,われわれが共有すべき一定の善を必要としているのである.

 しかし他方で「開かれた社会」は,常に価値観の欠如という危機に晒されており,人間の無知から派生する諸問題に直面している.人間は,自分が本来何を欲しているのか,何を欲すべきなのかについて,実際にはよく知らない.また,経済活動が高めるべき「本来的価値」とは何かについても,十分には理解していない.こうした価値問題は,「開かれた社会」においても完全に解決することはできない.社会の本質的価値は,常に推測されるのみであり,時代とともに変化するだろう.とすれば,社会の本質的価値を知るとは,その実質的内容を確定することではなく,むしろそうした価値に対する道徳感覚をもつことにほかならない.ソロスの考え方には,人々が洗練された道徳感覚をもって,未知の価値を実現するために,「成長への共同投企」をするという理念が想定されている.

 以上われわれは,ソロスの言う「開かれた社会」の理念についてみてきた.ソロスの考えはきわめて抽象的であるが,実際にはそこに,次のような具体的政策案が結びついている.すなわち,デリヴァティヴに対する「最大限の監督」と「最小限の規制」,途上国への直接の資金供給,IMFによる融資保証,タイと韓国における債務の証券化,長期的には,新設の融資保証機関が各国ごとに保証限度を決めて事実上の信用量管理を世界的に行なうこと,流入した外貨には準備率を課して資本移動を規制すること,ヘッジ・ファンド取引には証拠金を積ませること,などである.こうしたソロスの提案は,少しずつではあるが,その意義を認められつつある.実際,クリントン大統領は,ソロスの著作を読んでその提案に共鳴し,1998年9月ニューヨークにおける外交問題評議会では「50年ぶりの世界経済の大きな危機」を訴え,国際金融改革を政策の柱に据えるに至っている.同様の主張は,同年10月のIMF・世銀総会でもくり返し強調されている.

 ソロスの提案は,再帰性認識への過剰な負担を減らし,新しい公共性を構築することにあるから,その点では,インターネットが作り出す公共的世界にも期待できるだろう.すでに述べたように,ソロスの慈善事業はネット上のメディア芸術にも及んでいるが,そうした芸術は,個々の国の政治体制を超えて,純粋な美的関心の共同体をネット上に打ち立てることができる.人々はそのようなネットワークに自由に参加することによって,主体的な市民感覚を陶冶することができるだろう.芸術に関するネット上の共同社会は,しかし「開かれた社会」とは違っていつでも退出できるので,参加主体のコミットメントを弱め,道徳規範や知的資本を蓄積していかないのではないかという疑念が生じている.それゆえソロスの慈善事業が果たすべき任務は,ネットワーク上の知的交流をヘゲモニカルに展開することによって,そこから退出することが不利となるような,公共的な空間を構築していくことでなければならないだろう.「開かれた社会」とは,われわれがそこから逃れることのできないフレームワークであるが,そこに豊穣なネットワークを作るならば,各人は強いコミットメントをもって,応答責任を果たしていくことができるにちがいない.ネット上のコミュニティにおいても,ソロスのいう「開かれた社会」の理念が求められる所以である.

http://www.ntticc.or.jp/pub/ic_mag/ic031/html/174.html

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