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(更新板) 青龍三年銘の「方格規矩四神鏡」出土:太田南古墳群【歴史倶楽部】丹後半島の旅:弥生時代末〜古墳時代前期
http://www.asyura2.com/0403/ishihara8/msg/322.html
投稿者 エイドリアン 日時 2004 年 7 月 04 日 13:36:02:SoCnfA7pPD5s2
 

(回答先: (更新板) 日本海を眼下に見下ろす古代丹後の王墓:大風呂南遺跡群【歴史倶楽部】弥生時代後期 投稿者 エイドリアン 日時 2004 年 7 月 04 日 13:33:57)

(初版は、引用元のURL変更により、画像の殆どが表示不能となったので、管理人さんに削除して頂きました。今回、変更後のURLを引用して、更新版をUPします。)

★ 我がルーツを辿る_(2)遺跡概観_(2-4)太田南古墳群:弥生時代末〜古墳時代前期


太田南古墳群
[引用: 京都府・弥栄町/峰山町 2002.6.30

■ 大田南5号墳

弥生時代終末期〜古墳時代前期初頭(4世紀終末〜5世紀初頭)の方墳。竹野川西岸の丘陵に広がる古墳群だが、現在、古墳群は崩壊寸前である。切り崩されつつある採石場の頂に古墳群が並んでいるが、その根元はブルドーザーが削り続けている。この調子で削られたら山そのものが、何時かなくなってしまうのではないだろうか。
被葬者は複数の石材を組み合わせた棺に葬られ、頭の右側に銅鏡が、足元には鉄刀が納められていた。平成6年1月、石棺の中から、日本で出土した中では最古の紀年「青龍三年」(235)銘を持つ青銅鏡「方格規矩四神鏡」が見つかった。これは中国の三国時代・魏の年号であり、玄武・青龍・朱雀・白虎と十二支銘も刻まれている。魏志倭人伝に、239年に卑弥呼の使者が中国から「魏の鏡」を百枚持ちかえったという記事があることから、その時の鏡ではないかと騒がれた。大阪府高槻市の「安満宮山古墳」からも、同型の鏡が出土していることから、中国大陸−朝鮮半島−丹後半島−大阪摂津地方となんらかの交流があった事が推測され、何となく継体天皇の近畿入りなどを思い浮かべてしまう。鏡は通常、宮津市の「京都府丹後郷土資料館」に展示されている。平成8年に、国の重要文化財に指定された。


◇ 青龍三年銘 方格規矩四神鏡

古代丹後地方には、邪馬台国や大和政権に支配されない独自の文化を持つ強大な国があり、大陸との交流も盛んに行われていたのではないかと思われる証拠が、最近相次いで発見されている。最古の玉作り工房跡といわれる奈良岡遺跡、一大製鉄コンビナート跡の遠所遺跡をはじめとする広大な遺跡群。神明山(丹後町)・網野銚子山(網野町)・黒部銚子山など大型の前方後円墳のほか、青龍三年鏡が出土した大田南5号墳等、数多くの古墳群があり、かつての「丹後王国」の存在を彷彿とさせる。大田南5号墳から出土したこの「青龍三年(235年)」の年号を持つ国内最古の紀年銘鏡、「方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)」は、大阪府高槻市の「安満宮山古墳」から出土したものと同型鏡である。同型鏡とは、鋳型は違うが同じ鏡をいう。つまり元になった文様が同じで、ひいては同じ工人或いは工房で製作された可能性が大きいことを物語っている。この事は全国的に話題になり、丹後と北大阪に何らかの交流があった事を推測させる。

下は、私が買ったこの大田南5号墳出土の方格規矩四神鏡のレプリカである。後漢前半の方格規矩鏡をモデルにつくられたもので、偏平な半球状の鈕のまわりを方格で区画し、内部に直線的な交字で十二支を配している。 内区には線描の「玄武」「青龍」「朱雀」「白虎」の4神と瑞獣を置き、四方の要所にTVL字形の規矩文を配している。L字は正L字形で、外区は鋸歯交と、珠点付複波文と、鋸歯文で構成されている。 銘文は時計回りに七言句で、「青龍三年 顔氏作鏡成文章 左龍右虎辟不詳 朱爵玄武順陰陽 八子九孫治中央 壽如金石宜侯王」と鋳造された39文字が並んでいる。方格規矩鏡の型式変化の流れからすると、本鏡は復古的な意匠を示すものといえる。直径は17.4cm。

邪馬台国問題に詳しい人なら、「三角縁神獣鏡」をめぐる論争は既にご存知だろうと思う。この鏡が、卑弥呼の鏡であるかどうかをめぐって一大論争が展開されている。そしてそれは「九州」か「近畿(奈良)」かといういわゆる「位置論」にも発展して、未だに決着はついていない。三角縁神獣鏡が、卑弥呼の使いが「魏」から貰ってきた「銅鏡100枚」だとする人たちは、これが主に近畿から出土する事から「邪馬台国」はやっぱり近畿なのだと主張し、そうではないという立場の人たちは、現在、日本からは既に500枚以上も三角縁神獣鏡は出土し、いくらなんでも多すぎる、これは日本で製作された国産鏡だと反論するのである。論争の要点をまとめれば以下のようになる。

<邪馬台国=畿内説>(三角縁神獣鏡は卑弥呼の使いが魏から貰ってきた鏡である。)
 ・鏡に、卑弥呼が魏に使いを送った景初3年や正始元年の銘がある。(魏鏡説)
 ・500枚超という数については、幾度にもわたる朝見のためその都度貰って(或いは買い集めて)きたためだ。(239〜266年間で6〜7回以上渡海しており、1回に100枚持って帰れば600枚になる。)
 ・中国本土で1枚も出土しないというが、これは(三角縁神獣鏡)日本向けの特注品だからである。(特鋳説)

<邪馬台国=九州説>(三角縁神獣鏡は国産品)
 ・銘のなかに、魏には存在しない「景初4年」という年号を持った鏡もある。これは魏の年号が変わった事を知らない日本の工人が作ったものである証拠である。(国産説)
 ・既に国内で500枚以上が出土している。この数は「銅鏡100枚」をはるかに超えており、日本で量産したあかしだ。
 ・三角縁神獣鏡は呉の工人が日本で作ったもので(呉鏡説)、卑弥呼の鏡は「漢」時代の「方格規矩神獣鏡」などの方が可能性があり、前漢鏡・後漢鏡は九州から多く出土する。
 ・三角縁神獣鏡は中国から1枚も出土しない。いくら特注品だと言っても、1,2枚はサンプルとしてあるはずだ。

とまぁ、こんな感じである。何の先入観もなしにこの論争を聞くと、どうも九州説のほうに分がありそうである。卑弥呼が使いを送った年の年号よりも、もっと古くから存在していた鏡を100枚貰ったと考える方が自然ではなかろうか。

「青龍三年」銘鏡の出土は、こういう論争の中での出来事だっただけにその反響は大きかった。西暦235年銘の銅鏡が出土したのである。卑弥呼が朝見した景初三年(238)の3年前の年号である。これこそ年代から判断して卑弥呼の鏡だとする人達も多かった。この鏡は「方格規矩四神鏡」(ほうかくきくししんきょう)とよばれる、中国の戦国時代後期(紀元前300年頃〜221年)から前漢(紀元前202年〜西暦8年)、後漢(西暦25年〜220年)そして三国時代(西暦220年〜280年)にかけて大流行した鏡である。勿論中国にも多く存在し、北部九州でも多数出土している。紀年の無い方格規矩四神鏡は以下のように西日本各地で出土している。

 ・佐賀県桜馬場遺跡
 ・同  寄居古墳群
 ・同  椛島山一号及び二号石棺墓
 ・同  横田遺跡
 ・福岡県一貴山銚子塚古墳
 ・福岡県平原遺跡
 ・奈良県天理市天神山古墳
 ・京都府椿井大塚山古墳
 ・香川県高松市鶴尾神社4号墳
 ・高知県田村遺跡群
 ・兵庫県豊岡市森尾古墳
 ・大阪府茨木市府紫金山古墳  等々

青龍三年銘鏡はその後、大阪府高槻市の安満宮山古墳からも出土し、さらに2002年になって茨城の収集家が保有していた鏡も青龍三年銘を持つ方格規矩神獣鏡と確認され(東京国立博物館、都文化財研究センター)、計3面となった。今後さらに出現する可能性はあるが、この1種類の鏡だけが、各地から100枚に達するほど出土するとも思えない。「卑弥呼の鏡」は、それまでのいろいろな種類の鏡を取り混ぜて100枚にした可能性もある。
いずれにしても、現在では未だ邪馬台国の所在はあきらかになっていないということである。卑弥呼の鏡は、九州地方から多く出土する「漢鏡」か、それとも畿内から多く出土する「三角縁神獣鏡」なのか。しばらくはまだ論争に決着が着くとは思えない。

もしかしたら卑弥呼は、まだ誰にも知られず、100枚の鏡を胸に抱いたまま、人知れず「径100歩」の墓のなかで眠り続けているかもしれないのである。


青龍三年鏡:新たに発見、学会で発表 邪馬台国資料として注目【毎日新聞】


中国・三国時代の魏の年号「青龍三年」(235年)の銘文が入った銅鏡が新たに見つかり、19日、東京で行われた日本考古学会の例会で詳細が発表された。同型の鏡は3例目。出土地が不明という難点があるが、邪馬台国の所在地論争に結びつく新資料として注目される。東京都台東区の東京国立博物館で展示されている。
鏡は直径約17・3センチで、「方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)」と呼ばれる形式。茨城県のコレクターが古美術商から入手した。車崎正彦・早稲田大非常勤講師が調査したところ、94年に京都府の大田南5号墳で、また97年に大阪府の安満宮山(あまみややま)古墳で見つかった青龍三年鏡と大きさ、重さともほぼ同じで、3枚は同じ型からつくられたことが分かった。また、平尾良光・東京文化財研究所化学研究室長の分析で、国内で多数出土している三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)と同様の材料でつくられていることも判明した。

 「魏志倭人伝」によると、邪馬台国の女王・卑弥呼は239年、魏に使いを送り、「銅鏡百枚」をもらった。この100枚について、「邪馬台国畿内説」論者は近畿を中心に分布する三角縁神獣鏡だと主張する。しかし、中国で1枚も出ないことなどから「九州説」論者は否定している。94年の新発見以降、遣使直前の年号を持つ青龍三年鏡も候補の一つに挙げられる。

 畿内説の福永伸哉・大阪大大学院助教授は「今回、3枚の青龍三年鏡の製法の解明が進み、三角縁神獣鏡ともつくり方が共通していることが分かった。三角縁神獣鏡の魏鏡説を補強する資料だ。青龍三年鏡は卑弥呼の使いが下賜された100枚とは別に現地で入手したものではないか」と述べる。
 一方、九州説の奥野正男・宮崎公立大教授は「方格規矩鏡が卑弥呼の鏡の一つの可能性が強いと以前から指摘してきたが、その材料がまた一つ増えた」と話している。
(2002-01-19-19:25)


■ 大田南2号墳

5号墳のすぐ北の大田南2号墳からは、中国も含め10数例しか出土がないという竜形のつまみのある「画文帯環状乳神獣鏡」が出ている。古墳時代前期の築造で鉄剣も出土した。石室内には舟底状の木棺が納められ、棺内から「画文帯環状乳神獣鏡」(がもんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう)が出土した。この鏡は、中央(鈕)に龍の文様が描かれた珍しいもので、国内では初めての出土例であり2世紀後半(後漢)に中国で製作されたもののようだ。


■ 大田南6号墳

古墳時代前期後半頃の円墳で、墳頂の平坦面には巨大な墓壙(墓穴)があり、墓壙内には木を組み合わせた棺を納め、遺体の安置部分に
は丁寧に小石が敷かれていた。棺の中からは石製の腕輪[石釧(いしくしろ)]や鉄鏃などの鉄製品が見つかっている。

「青龍三年」銘の「方格規矩四神鏡」といい、「画文帯環状乳神獣鏡」といい、実に貴重な文化財が出土した遺跡だというのにこの有様はいただけない。歴史マニアとしては、怒るとか、なげかわしいとか言う前に、悲しくなってくる。情けない。自分たちの偉大な祖先の墓を根元から切り崩すとは。以前長野県を旅していた時、乗ったタクシーの運ちゃんが、私の訪ねた遺跡を見て「こんなもんに金なんか使わんともっとマシなもんに使えばええで。」と言ったのを聞いて、大激論の果て車を降りてしまった事がある。運ちゃんの言い分は、「死んでしもうたもんより今の人間に金を使うべきじゃ。」というものだったが、1日に車が1台通るような滑走路のような農道なんかがそんなに必要なんかという私の言い分には返答しなかった。この遺跡を見て、5,6千円を取り損ねたあの時の運ちゃんを思いだしてしまった。

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