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反対派への排除激化 業者、水中で“危険行為”[琉球新報]
http://www.asyura2.com/0403/ishihara8/msg/546.html
投稿者 なるほど 日時 2004 年 11 月 21 日 07:46:22:dfhdU2/i2Qkk2
 

(回答先: HPで普天間基地のライブ映像 宜野湾市[琉球新報] 投稿者 なるほど 日時 2004 年 11 月 17 日 01:12:45)

2隻の作業船の間に入り込み、足場組み立て作業を阻止する住民らのカヌー隊=17日午後1時半ごろ、名護市の辺野古沖
【名護】米軍普天間飛行場代替施設建設に向けたボーリング地質調査の足場設置などが本格化した17日、那覇防衛施設局側と反対派住民らの衝突が激しさを増した。住民らによると、海中で作業阻止活動をしていた平良夏芽さん(42)の潜水器具を施設局側業者のダイバーが外すなど危険な場面もあったという。作業が終了した同日夕方、ヘリ基地反対協議会と基地の県内移設に反対する県民会議は辺野古漁港で、抗議声明を発表し、今後は法的手段も検討するとしている。施設局は海中での危険行為に対し「調査会社に確認したが、そのような事実はないと報告を受けた」としている。
 単管足場建設が行われた辺野古漁港沖では午前に行動を始めたカヌー隊が午後も作業を阻止。キャンプ・シュワブ沖には住民らがいないため作業が進んだ。午後2時40分ごろ、現場に駆けつけた平良さんが潜水し、単管パイプをつかむなどして妨害すると、業者の潜水士4人が平良さんを「パイプでたたく」「ける」「水中眼鏡を外す」「潜水タンクの空気を放出させる」などしたという。
 危険を感じて阻止を断念した平良さんは、船上で顔を赤らめて「こちらは相手に危害を加えないよう厳に慎んできた。邪魔をされて腹が立つと思うが、本当に殺す気か」と怒りをあらわにした。
 施設局は業者からの報告として「妨害的な行為に対して注意喚起したと聞いている」と話し「安全には最大限の注意を払って進めたい」と基本方針を説明した。
 反対協の安次富浩代表委員は「施設局は、私たちにも刃を突き刺そうとしている」と激しく非難。反対協と県民会議は県や施設局に抗議を申し入れるとしている。
(琉球新報) - 11月18日11時5分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041118-00000015-ryu-oki
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/futenma/


調査ポイントを完全に阻止!!! 2004,11,17 シンさんの辺野古日記

11月17日(水)
・防衛施設局による違法なやぐら建設に対して阻止行動を行いました。

昨日に続き辺野古は緊迫した朝を迎えています。中城湾からスーパー固定ブイを積んだ作業台船は大浦湾に停泊しています。今日、作業台船はスーパー固定ブイの組み立て作業に入っており、外洋での調査強行はありませんでした。
昨日よりも今日はとても波が高く、リーフ内の波も3mにも達し非常に危険な中での阻止行動となりました。
午前8時、カヌー隊および阻止船は準備を整え待機。午前9時には辺野古漁港より大型船4隻、小型船8隻が出航。全ては「警戒」のための船として出航したと思われました。
午前中に東村(名護よりも北)のカワタ漁港より「タンカン(リーフ内のボーリング調査のために使う資材・鉄パイプ)」を乗せた作業船が出航した、との連絡を受けていました。しかし、これは明らかな「ダミー」であり、リーフ内の資材自体はキャンプシュワブから搬入されたものと思われます。

アメリカでのジュゴン裁判で米政府は「基地建設は日本政府が行うもので米政府はなんら責任を負っていない」として裁判自体を否定しました。しかし、米政府は今の事態にどう責任を取るのか。実際には資材はシュワブ内から搬入し、防衛施設局の「現場監督事務所」もシュワブ内に建設されている。そして作業台船もシュワブの「絶対禁止海域」に置き、ガードマンらによって守られている。絶対におかしい。米政府はジュゴン保護の世界的な声に耳を傾け、その責任に基づいて基地建設を止めるべきです。

午前9時、カヌー隊および阻止船が出航。外洋はものすごい高波のためリーフ内での攻防戦となる。
午前9時半、長島、大浦湾側から警戒船8隻が隊列をなしてリーフ内に侵入。阻止船4隻とカヌー隊16艇によって阻止行動に入りました。
辺野古漁港から出航した小型船の内の4隻が資材を積み「作業船」の立て札を。その他の4隻が「警戒船」の立て札をつけていました。その8隻が2グループに分かれ作業のための行動に移りました。
カヌー隊、阻止船も2グループに分かれて行動。しかし、一点に集中することとなる。
2グループに分かれた作業船は私達を撹乱するために海を右から左へ、左から右へと猛スピードで進みました。30分ほどして、豊原、松田の集落の沖合い二キロの地点で資材を積んだ1隻と他3隻が停止、アンカーを打つ。
すぐさまカヌー隊が阻止行動のために展開。作業船2隻を取り囲む。やぐらを建てるための「オイルフェンス」を降ろしはじめる。急いでカヌー隊が中に入る。夏芽さんはタンクを背負い潜る。
作業船は作業をすることがれ出来ず、こう着状態に入る。波が高いためカヌー隊が自身の身を守るため作業船に手をかけると作業員がものすごい剣幕でカヌー隊の手を払いのける。作業員の行動がエスカーレートして暴力的になる。正当な阻止行動に対する暴力です。絶対に許されない。阻止船からスピーカーを使って猛抗議します。
「カヌー隊に対する暴力をやめなさい!!」「暴力は法律に反した行為だ!!やめなさい!!」声を張り上げる。海上が緊迫する。
海上保安庁4隻もの船を出しながらその暴力行為を見て見ぬふりをし、暖かく見守っていた。一体なんのための海上保安庁なのか。都合の良い時にしかその法律を適用しない。強い憤りを感じました。
その暴力行為を責任において真っ先に止めにははいらなければならない防衛施設局も笑顔で眺めている。絶対に許せない。
私達の猛抗議に暴力的な行為は少しおさまりました。

他の作業船グループがキャンプシュワブ沖合いに置いて足場建設を始めたとの連絡が入り、私はカヌー隊を二つに分けて行動しようと6艇を曳航するため現場のカヌー隊に呼びかける。するとそれを聞いた作業員達がここぞとばかりに無理やり鉄パイプを海に投げ込もうとする。カヌー隊から叫び声が上がる。
鉄パイプにカヌー隊がしがみつく。カヌー隊の女性が勇猛果敢に鉄パイプを降ろす作業を止めに入る。興奮した作業員がカヌー隊の女性を船に引きづり上げ、何度も持ち上げ船にたたきつけた。私は怒りのあまり声が大きくなる。
「何をやっている!!やめなさい!!女性に対して暴力を振るうな!!やっていいことと悪いこととあるだろう!!全て写真、ビデオに収めている。やめなさい!!許されないぞこんなことは!!」カヌー隊の女性はしばらく横たわり動けなかった。こんなことをする権利がどこにある!!女性に対して力のある男性が暴力を振るうのは女性に対する差別だ!!絶対に許さない!!私は抗議する!!防衛施設局員はこの行為を見ても何もしなかった。この責任をどうとるんだ!!許さない!!
現場の緊張は続いているが、昼休みに入りました。作業員との交渉のもと、「昼休みの間だけ休戦」ということとなりました。

午後に入ってもこう着状態が続く。波がしだいに高くなりカヌー隊は過酷な持久戦を強いられていました。
私と他の2隻、合計3隻が監視体制をとり、夏芽さんの船はキャンプシュワブ沖合いで足場建設作業をしている作業船へと向かいました。
20分ほどして私の船に連絡が入る。「夏芽さんが一人で潜って、海底での調査の阻止を試みたところ、海底にいた作業員のダイバー達が夏芽さんの酸素マスクを無理やりむしりとり、さらに重りを外され、スーツに無理やり空気を注入された。殺人未遂の行為が海中で行われている。こっちに来てほしい。」とのこと。
私は余りのことに頭に血が上っていた。しかし、冷静でいなければならない。私が離れれば、こちらの作業員達がカヌー隊に何をするかわからない。他の阻止船に行ってもらうことにしました。
少ししてこちらに夏芽さんも戻ってきました。「一人では危険であり、向こうは殺人未遂的な行為をしてくる。今は戻る他ない。」と夏芽さん。
本当に憤りを感じます。この八年間に渡ってどれだけの誠意を見せてきたのか。この海上においても私達は作業員に配慮をしてきた。殺人未遂行為に及ばれるようなことは決してない。一人一人の人間性に訴えかけ、行動してきたはずです。それをこういう形で示すのか。ダイバーなら、他のダイバーの機材に触れることがいかに危険か分かるはずだ。私達は生命に関することは譲れない。ボーリング調査という不当な調査をしているにも関わらず、それ以上に卑劣なことをしている。
調査に進まないことに焦った防衛施設局が追い込まれている。このような行為に及んでいるのは私達の阻止行動によって追い込まれている証拠です。

横暴な圧力をもはねのけて今日は一ポイントを完全に阻止しました。私達の勝利です!!どんな理不尽なことがあろうとも私達は負けない。私達は譲り合って生きているしかし、生命に関することは絶対に譲れない!!
辺野古に集まってください。そして、大きな世論を作り出すために全国からの訴えを拡大してください。ピンチは最大のチャンスです。私達の力で絶対に止めましょう。

http://diary5.cgiboy.com/2/henokonikki/



沖縄のこころ、憲法のこころ 法学館憲法研究所
http://www.jicl.jp/hitokoto/index.html
2004年11月15日
大田昌秀さん(参議院議員、前沖縄県知事)
聞き手 馬奈木厳太郎さん(早稲田大学大学院)

(聞き手)
 今日は、国会開会中のお忙しいなか、ありがとうございます。憲法や沖縄に関することについて、お話を伺いたいと思うのですが、まず、つい先日、沖縄では沖縄国際大学への米軍ヘリの墜落事故がありました。この問題をめぐるアメリカ政府や日本政府などの反応について、どのような印象をもたれているのかといったあたりから、お話を聞かせてください。

(大田さん)
ヘリが落ちたとき、私はたまたま那覇にいましたので、急いで現場にかけつけました。かけつけたときには、すでに米軍がテープを貼っており、中には入れませんでした。身分を明らかにして再度、中に入れてほしいということを言いますと、警察の方から「事故が起こる危険性があるのでだめだ」と言われました。現地の警察署長さえも入れないという状況だったのです。
そのときにまず感じたのは、これでは沖縄が復帰する前、つまり日本国憲法が適用されなかった復帰前と同じ状況ではないかということです。ヘリが墜落したのは大学構内です。日本国憲法では大学の自治を認めているのに、それを勝手に踏みにじられる。これは大変重要な問題です。そして、日本は主権国家なのかという憤りも感じました。大学自治の問題にとどまらず、日本国内で起こった事故なのに一切がアメリカの思うままに処理されてしまった。このような事態は、主権国家にはありえないと思います。大学の自治が侵害されているばかりか、日本の独立国家としての主権さえも侵害されているという現状は、憲法が適用されている状況とはとても思えませんでした。いまだにアメリカの植民地下としての領土というような感じを受けました。

(聞き手)
 大田議員は、1995年の少女暴行事件のときには知事の立場にありましたが、その後の代理署名には協力せず、日米の政府に対しては、とくに普天間基地の危険性を指摘して即時の返還を求められていました。あれからもうすぐ10年が経とうとしていますが、その当時と現在を比べて、沖縄の米軍や基地をめぐる状況は変わりましたか?

(大田さん)
 沖縄の基地の状況は、復帰後、ほとんど変わっていないといえます。削減されたのは、せいぜい30%程度で、60%程度はそのままです。私は、基地のない平和な沖縄をつくるために、県知事をやっていたとき、具体的な計画を定めた基地返還アクションプログラムというものをつくりました。沖縄には、40の米軍施設がありましたが、2001年までに10の基地の返還、2010年までに14の基地、2015年までに残りの16の基地を返してくれという内容のものです。当時、橋本総理から優先順位をつけたらどこかと聞かれ、それは普天間の基地だと答えました。普天間基地は、宜野湾市の真ん中にドーナツの輪のように位置しており、周囲には16の学校施設もあります。かつては、近くの小学校にジェット機が墜落し、17名の小学生が死亡したという事故もありました。それと同時に、1995年の暴行事件以来、沖縄県民の基地に対する感情が悪化したという事情もあります。住民感情の変化も考慮し、政府には率直に次のように提言しました。「政府は安保が大事だというが、もしも次に人命にかかわる事故が再び起こったら安保条約どころではなくなる。沖縄の人たちは穏やかだといわれるが、追いつめられて真正面から闘ってきたという歴史も同時に持っている。行政として一番注意しなければならないのは、米軍と沖縄住民の直接対決だ。それだけは絶対に避けなければならない」と。現在、この国会前でも、半年もの間、お年よりたちが座り込みをしていることからもわかるように、基地に対する激しい住民感情の高まりがあります。私が見通していいたとおりだと思います。しかし政府は、強行しようとしている。なかなかそのへんの実情が、東京では実感できないところが残念だと思います。日本政府よりもアメリカ政府の方がよっぽど理解がありますよ。
 アメリカ政府は、代わりになる基地をつくるといっています。また私は、アメリカ訪問のたびに沖縄の現状を訴え、そのことに手ごたえも感じてきました。たとえば、ハワイの州議会などでは、沖縄の負担を軽くするためにハワイが基地を引き受けようという決議をあげ、当時のクリントン大統領に手紙を送ったものを議長がみせてくれたりしました。ハワイの場合は沖縄と違い、住民の住居地区と基地が離れているので、基地の影響をあまり住民が被らないし、むしろ歓迎するということでした。また、グアムにもがら空きになっている基地があり、そこならば移転ができるという話もあります。3500人は引き受けるといってくれました。普天間は2500人です。これで私は喜びました。
 沖縄では、辺野古が普天間の移転先にあがっていたのですが、それは絶対に反対です。辺野古は、環境調査で県が1位にランク付けしたところです。基地がつくられれば、世界でも有名な貴重な珊瑚が大量に死ぬのです。そこで、1998年の知事選のとき、選挙公約として、辺野古には作らせないということを公約として掲げました。現在の知事である相手候補も、海上には作らないと公約していました。しかし、当選したら陸上から海上へ移し、さらに軍民共用までも認めました。私はこのとき、これは滑走路が2000メートル以上の空港をつくろうとしているなとぴんときました。つまり、関西新空港なみの滑走路です。予算も5000億から7000億という見積もりだったのが、1兆円から1兆5000億くらい実際にはかかるだろうといわれています。海兵隊のハミルトン沖縄中隊長の論文には、「このような海上基地は世界のどこでもまだつくったことがない。技術的にまだ難しい。2番目に海に沈む基地になるだろう(1番目は真珠湾)」と書かれていました。さらにハミルトンは、「海兵隊の宿舎は海の中にできる。そのようなところへ押しやられた若い兵が、いざ有事になったときに日本を助けるか」というような指摘をしていました。つまり、使い物にならないということです。政府与党は、グアムやハワイにうつすのは非現実的な理想論だとして採用しませんでしたが、いまは、時間がかかったけれど、ハワイやグアムに移そうという決議をあげるまでになったのです。


(聞き手)
 沖縄の人たちは、戦後の歴史を見ると、憲法の平和主義の出発点にかかわる問題にしても、その「陰」の部分を負わされてきたということがあります。また、たとえば戦争に対するとらえ方にしても、自分たちの土地が米軍の基地になっていることで、間接的にせよ加害の側にたっているという想いを一番共有しているのではないかと感じます。「基地を生産と生活の場に」という反戦地主の方のスローガンなどは、その典型だと思いますが、一方で、では沖縄の人々のこうした想いを、日本全体としてはどれほど共有しているのだろうかという疑問もあります。この点については、どうお考えでしょうか?

(大田さん)
非常に重要な問題ですね。沖縄は戦中、戦後にわたって戦争の悲惨さを体験してきました。「テロ」の悪さについては誰もが認識していますが、結果的に「テロ」撲滅を言い訳に、罪のない子供や市民が殺されています。それに加担しているということに敏感なのも事実です。市民の取り組みにおいても、基地をなくしていく方向でしばしば語られることは、人を殺すためではなく、生活や生産の場にしたいという沖縄の伝統的な考え方です。
 そもそも日本政府は、戦後アメリカ政府に対して、基地はできるだけ東京から離れた離島にといっていました。これがすべての基本になっています。沖縄の人は基地問題を、日米安保条約の一部なのだから日本全体の問題だという意識でいますが、本土にはそういう意識はないことがよくわかります。本土のマスコミはそれを「温度差」といいますが、ただ「鈍感」なだけです。
 先日のヘリ墜落事故のとき、小泉首相は歌舞伎などは鑑賞しながら、県知事との面会は拒否したということで、その対応に地元住民が怒ったということがありましたが、そのときに沖縄戦のことを思い出しました。当時、沖縄で住民がみんな死にゆこうとしている大変なときに、東京では大相撲の夏場所をやっていたのです。文字通り、本土と沖縄は一体とは考えられていなくて、都合のよいときだけ一体、都合が悪くなると切り離すのです。また、沖縄出身の議員がほとんどいないということも、議員が沖縄問題に口先でしか取り組まないことの要因となっています。沖縄の人は、自分の苦しみを他の地に移すことが問題の本質的解決にはならないということを考えたうえで、安保条約や地位協定の根本的な見直しを要求しています。しかし、政治家たちはそれもわかっていません。民主主義という制度のもとに、そうした問題を押しつけられているのが沖縄の現状なのです。

(聞き手)
 かつて、沖縄が米軍占領下にあったとき、確か比嘉主席の時代だったと記憶していますが、米軍から民間防衛計画が示されたことがありました。その計画によれば、琉球政府から琉球大学まで、沖縄のあらゆるものが米軍に協力することを求められていて、米軍の軍事的合理性とでもいうようなものが貫徹しているといった印象をもたせる内容でした。そうした沖縄独自の経験などにも照らしてみて、最近の「有事法制」などに対してはどういった印象をおもちですか?

(大田さん)
 「有事法制」の議論が国会で始まったときは、絶望しました。人類の理想とするような平和憲法をもっていながら、また戦争のための法を作ろうとしているということに。
 国会で、私はこう質問をしました。「法律が戦争中に守られると思いますか?」と。沖縄戦のときには、戦争が始まると、日ごろから厳しいことをいっていた学校長、県庁の部長、知事、これらの人たちが最初に逃げました。色々な策を弄して逃げたり、穴の中にとじこもって出てこなかったり。そういうことが現実に起こるということは、沖縄の経験から明らかなことだろうと思います。軍隊が国民を守るなどといわれていますが、現実にはそんなことはないと思います。それが戦争の実態です。「有事法制」を議論している人たちのうち、いったい何人が戦争を知っているのだろうかと思い、防衛庁の責任者との会議中に、戦争を体験している者がいるかと聞いたら、一人もいませんでした。
 戦争というのは、平和の時代に論理的に色々と考えて計画できるものではありません。そして、いったん国家が戦争をはじめると、とくに最近の戦争では、死者の9割くらいは軍人ではなく一般人の犠牲です。実際、イラク戦争でも、民間人の死亡者の方がはるかに多いのは周知の事実ですよね。ミサイル戦争が主流の現代で、原子力発電が多くある日本。具体的に、この島国を戦場にして戦争を行うというのは無理なことだと思います。


(聞き手)
 実際、政府も日本が戦場になることは想定していませんね。国会でも、小泉首相や防衛庁長官はそのような答弁をしています。むしろ、米軍と共同して海外にでてゆくという方向で、日米安保再定義や周辺事態法以降は考えられていますし、テロ特措法やイラク特措法などでの自衛隊の活動地域も、国内ではなく、海外の領土や公海です。そこで、私自身としては、今後は、「一国単位防衛」や「一国安全主義」といった考えではなく、地域のなかで外交や安全保障を構想し、そこで「脅威」とされているものの背景や原因を見極めていくという発想がとても大事なのではないかと考えています。そしてその際には、かつての沖縄の東南アジアとの交流や、あるいは大田知事時代に策定された国際交流のプログラムなども大変参考になるのではないかと考えていますが、大田さんは、平和を創造してゆくという観点からは、どういったご意見をおもちでしょうか?

(大田さん)
 沖縄は、憲法が適用されていない時期があったがゆえに、憲法に対する想いは強かったのですが、いざ復帰する段階になると、若い人たちや年配の人たちから復帰反対論も出てきました。日本国憲法の「空洞化」が認識され、基地のあり方は変えず、核も保有したまま沖縄が本土化されることに反対したのです。私は、労働権、教育基本権、福祉の享受をえるために日本国憲法下への復帰を唱えました。実際はそうはいきませんでしたが、しかし、憲法が「空洞化」したからといっても、第一歩であることにはかわりない、「やむをえない選択」だと思いました。そしていま、戦中、戦後と一番苦労してきたお年よりの想いを適えてあげたいと思っています。「孫たちだけには同じ思いをさせたくない・・・・・・」という想いを。
 非常に気になるのは、若い人たちが戦争について知らないということです。戦争の実態を知らないのはもちろんのこと、想像力を働かせることもあまりない。アメリカは、日本の軍隊を本当には信頼していません。沖縄の米軍がいなくなれば自衛隊が入るのだろうという、「ビンの蓋」論は本音だと思います。沖縄の経験からすれば、軍隊は一般国民を守りません。また、基地があるための事件や事故といった負の側面も非常に大変です。行政も本来果たすべき住民のための民生の仕事ではなく、そういった負の側面に足を引っ張られてしまいます。だから基地は要らないといっているのです。日本政府が正式に要請すれば、基地はなくなります。若い世代の人たちが、歴史的背景も含めて真剣に考えてくれることが、明るい未来につながると信じています。


(聞き手)
 それでは、最後に、今後のライフワークとしてどのようなことをお考えなのかお聞かせください。

(大田さん)
 実は、ちょうど一週間ほど前に、沖縄の経過について本を出したばかりです。戦争の実態を詳細に、客観的に残してゆこうと思いまして。知事になる前は、16年間公文書館に通い資料収集をしました。そのときの地道な調査の甲斐あって、公には語られてこなかった様々な側面が見えてきました。沖縄の人々の努力と、日米両政府が民主主義の名において政治を行いながら、マイノリティに対して実際に行ってきたことを書き記しておかねばなないと思っています。
以前、ヨハン=ガルトゥング教授から、「民衆を信頼しなさい」という言葉を聞かされました。沖縄という言葉は、いまや世界中に知られています。教授は、「沖縄の問題を沖縄の中だけで考えようとしないで、外へ広げてゆきなさい。世界に目を広げてそこで連帯感を強めてゆくことが解決へとつながるのだから」とおっしゃってくれたのです。
 今後も、日本全体の問題である沖縄のことを真剣に捉えられる人を少しでも増やし、世界中の人に広めてゆくことによって、解決への道をさぐりたいと思っています。

(聞き手)
 今日は、1995年の沖縄県民総決起大会からちょうど9年目という節目の日でした(10月21日)。こうしたときに、大変お忙しいなか、貴重なお時間を割いていただいて、本当にありがとうございました。

インタビューを終えて
 私が、ちょうど20歳だった1995年に、沖縄の少女暴行事件は起こりました。 戦後50年でもあったその年に、沖縄の基地問題などが久しぶりに焦点になったの ですが、恥ずかしながらそのときまで、私は沖縄の置かれた状況についてほとんど 何の知識ももちあわせていませんでした。その後、私は何度か沖縄を訪れ、反戦地 主の方にお会いしたり、山内徳信さん(元読谷村長・元県出納長)のお話を伺った りする機会がありました。また、本島のみならず、伊江島や石垣島、久高島などに も足を運びました。そうした私にとって、今回のインタビューの機会は、大変貴重 なものでした。大田さんのお話のなかには、沖縄戦の際の沖縄の人たちが置かれた 状況に関するものもありましたが、沖縄のガマと長野市の松代大本営を両方訪れて みると、そうしたお話に、より一層のリアリティが沸いてくるように思われます。 確かに、現在の戦争というものは、かつての戦争とは異なる側面があることは間違 いないと思います。しかし、それでもなお、およそ戦争というものに内在する共通 性があるはずです。そうしたことを理解していくためにも、過去の戦争を知ること は大変重要なことだと再認識しました。大田さんには、予定の時間を延長して、2 時間あまりにわたってお話していただきました。本当にありがとうございました。  

(馬奈木厳太郎)



在日米軍:外務省研修の実態は接待 沖縄・少女暴行事件契機の 02年12月22日[毎日新聞]【研修講師、森本敏・拓殖大学教授】
http://www.asyura2.com/0401/bd33/msg/583.html

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