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「坂本一家殺害事件」:大マスコミ書き立てる「リーク情報」ここがおかしい! [97年6月23日号「週刊現代」:野田峯雄氏]【4日午前3時の犯行ならバレバレの現場】
http://www.asyura2.com/0403/nihon12/msg/213.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 3 月 10 日 19:03:25:Mo7ApAlflbQ6s
 

(回答先: 「坂本一家殺害事件」:現役公安幹部の告白:「オウムとは別の存在」 4日午前3時ではなく3日午後8時過ぎが犯行時刻! [97年10月3日号「週刊プレイボーイ」] 投稿者 あっしら 日時 2004 年 3 月 10 日 17:29:42)


“オウム騒動”当時に出版されたメディアからの転載である。
時期が早いので、事件の構図などが第一審で検察が主張したものとは異なるものをベースにして書かれているが、「11月4日午前3時犯行説」の妥当性を考えるのには参考になると考えている。

97年「週刊現代 6・23」に野田峯雄氏が書いている記事(P.43〜45):

表題:「大マスコミ書き立てる「リーク情報」ここがおかしい! 坂本一家拉致事件1989年11月3日」

   「元幹部の上申書」への新たな謎」

記事:

「 フトンで簀巻にして拉致!?

 いくら注意深く、いくらゆっくり昇っても、その階段(幅1メートル余、14段)はギシギシッと音を立てた。あの日・・・5年前の1990年6月の取材とまったく同じだった。
 ここは横浜市洋光台の、坂本堤弁護士一家が89年11月3日まで暮らしていたプレハブアパートである。麻原彰晃が地下鉄サリン事件で起訴された翌日の6月7日、私は、再び例の奇怪な「坂本弁護士一家拉致事件」の現場(2階)へ戻った。
 同アパート周辺を歩く。ひどく軋む階段を昇り降りする。さらに坂本弁護士一家の住んでいた部屋の横幅80センチ、高さ2メートルのドアの前に立つ。すると、いまさらながら事件に関するこの間のマスコミ報道の矛盾と奇妙さを思い知らされるのだ。報道によれば、事件はこのようにして始まる。
 「89年11月3日の深夜11時30分、青山吉伸弁護士が呼び鈴を押し、しばらくドア越しにやりとりをして、坂本弁護士の妻・都子さんがやむなくドアを開けたところ、身を隠していた早川紀代秀、新実智光、村井秀夫、中川智正など10人が押し入り、坂本弁護士一家3人に注射を打って、ぐったりとなった彼らを連れ去った。坂本弁護士はフトンで簀巻にされて運ばれた」
 押し入ったものの人数は6〜7人。あるいは3〜4人といった報道もある。さらに別のメディアはこう書いている。
 「早川、新実、村井、中川に一般出家信者2名を加えた6名の犯行。もともとこの件は、坂本さんの帰宅を襲って、本人のみ拉致しようという計画でした。ところが自宅に着いたのが日付の変わった(11月4日の)午前3時で・・・部屋に侵入したあと(侵入方法の説明はない)、一家3人を取り押さえ、中川が薬物を注射した。そこで坂本さんたちは息絶えたようです」
 これらのレポートは捜査当局談話(リーク)とかオウム真理教の元幹部の証言というスタイルをとっている。しかし、出所はひとつ。90年2月にオウムから去った坂本弁護士事件の実行とも目される「元幹部・S氏」(引用者注:岡崎被告のことで、岡崎は当時佐伯と呼ばれていたのでS氏となったと推測)である。
 彼は上申書を警察に渡しているといわれる。が、そのことは後に詳しく触れるとして・・・いずれにせよ、犯人たちは都子さんがドアを開けるまで、ここ(ひどく軋む階段と、階段からドアまでの2メートル70センチの通路)に並んで立っていたということになる。いや、もしかしたら彼らは屈んでいたのかもしれない。しかし、通路と階段に1メートル前後の柵があるものの、その一部は鉄棒になっているし、おまけに「自動点滅のためスイッチの付いていない外灯」が近くにあり、かなり明るい。
 つまり、ここは「うまく隠れることのできない場所」なのだ。仮にそれがたとえ数分間であれ、本当に、犯人たちはこんな場所にいたのだろうか?
 とともに、もうひとつの疑問が生まれる。坂本弁護士を簀巻にして運んだという点だ―坂本一家といっしょに夫婦の使っていたセミダブルのフトンや毛布や枕などがかき消えている。大柄で体格が良く、体重が90キロぐらいあると思われる坂本さんをセミダブルの大きなフトンでくるんだ場合、横幅80センチのドアを通すには、不可能とはいいきれないものの、「きわめてきつい作業」になったのではないだろうか?しかも、数人がかりで運ぶ・・・としたら、階段はひどく軋んだに違いない。ひどく揺れ、音を立てたに違いないのだ。

 「3時ごろミルクをやった」

「階段を昇り降りする音は、よく聞こえました。私は、いつも、その足音で夫の帰りを知ったんですから」
 事件発生当時、坂本一家の隣に住んでいたA子さんはそういった。ちなみに、彼女は事件から約7ヶ月後、夫や子供たちと洋光台のアパートを出た。私立ちは彼女を追った。彼女なら何かを知っているかもしれない・・・その結果、引越しを繰り返し、いま東京近郊の町にいる彼女を発見することができたのだ。

―これまでの報道によると、5年半前の夜、坂本さんのところでずぶんドタバタとした動きが続いたようなのですが、もう一度、あの夜のことを思い出してください。人の声とかモノ音が聞こえましたか。

「いいえ、何も。何も聞こえませんでした。私にも生まれて3ヶ月ほどの赤ん坊が、タッちゃん(龍彦ちゃん=坂本弁護士の長男)より1才下ですけれど、いましたらから、その夜もウトウトしたあと(午前)3時ごろに起きてミルクをやったりしました。が、坂本さんの部屋のほうからも階段のほうからも、モノ音なんて全然聞こえなかった」

―ふだん隣の音や話し声が聞こえましたか。

「坂本さんとの仕切りは薄い壁でした。でも、ウチでは壁のところにタンスを置いていた。ふだん聞こえたのはタッちゃんの泣き声ぐらい・・・あの夜は何も聞こえませんでした。アパートのほかのひとたちも、何も聞かなかったといってましたよ。そんなにたくさんの人が出入りしていたんなら、何か聞こえても不思議じゃない・・・と、思うんですが」
 A子さんはそういい、次のように続けた。
「この間、麻原が逮捕されたあとに、洋光台の昔の友達に電話をしたら、『私は坂本さんの事件の前に、青山弁護士らしき人物をあのアパートのすぐ近くでみた。今度の(サリンなどの)事件で(青山が)テレビに出ているのをみて、思いだした』といっていました」
 彼女の夫のBさんはこう答えた。
「11月3日の午後、私は知り合いとマージャンをして、帰ってきたのは夜8時ごろ。それから『ジョーズ』(スピルバーグ監督の人食いザメの映画、テレビで夜9時から11時25分ごろまで放映)をみたあと、しばらくして眠ってしまいました」


 「青山は当日夜、金沢にいた」


 洋光台のアパートのすぐ近くで青山をみた? 彼を目撃した人物の名前や住所を教えてほしい―私はA子さんにそう頼んだ。しかし、彼女は拒否した。もし、この話が本当なら、S氏を情報源とする「青山弁護士がドアを開けさせた」というレポートは真実味を帯びてくる。
 私たちは横浜へ引き返した。
「89年11月3日には、青山弁護士は上祐史浩といっしょに20時30分過ぎまで金沢(石川県)にいました。そのことはわれわれが確認しています」
 と、坂本弁護士の所属していた横浜法律事務所の岡田尚弁護士は指摘する。要するに、青山が坂本弁護士一家拉致に関与することは物理的に不可能だったというのである。これに付随するような形で思い出したことがある。事件当時、青山はまだ出家していなかったのだ。
 オウムの内部資料などによると、青山の出家は事件後の89年12月5日。つまり、弁護士という職業についてはひとまずおくとしても、麻原が出家していない者に「大役」を担わせるのは、不自然な感じもする。いいかえると・・・青山関与が疑問だとすれば、「S証言全体の信憑性を問われる」(岡田弁護士)
 とはいえ、青山が事件とまったく無関係だったと断定することもできない。拉致ののために下見をしていたとみてもけっしておかしくないからである。ちなみに当時の日本弁護士連合会の名簿を繰ってみる・・・仮に、青山なら、坂本弁護士の自宅がどこなのかを容易に知ることができるたのだ。
 それにしても、マスコミの報道するS証言は、どうしてこんなにバラバラなのだろうか? たとえば侵入時間に関し、一方は「11月3日の深夜11時30分」、他方は「11月4日の午前3時」(前述)。また一方で「坂本弁護士のみ襲う」といいながら、休日(11月3日は文化の日)の自宅へ向かう矛盾、奇妙さ・・・。坂本弁護士は電車を使っていた。その最寄り駅はJR京浜東北・根岸線の洋光台駅である。ここからアパートまで歩くわけだが、所要時間は約10分。一帯は住宅地で、夜9時過ぎともなれば人通りがほとんどなくなる。おまけに暗がりの多い道だ。にもかかわらず、S証言によると、オウムの幹部たちは「自宅」を襲ったのだ。なぜ、「自宅」なのだろうか?
 S証言にはそういった基本的な疑問に対するリーズナブルな答えがまったくない。しかも、こともあろうに計画していたらしい侵入時間に大きく遅れて、なんと午前3時になってしまった、だから家族もまきぞえにしたという。このようなつい首を傾げたくなるような不自然さはいったいなぜ生まれたのだろうか?
 「その混乱報道の発端は共同電にあります」
 警視庁・記者クラブのある記者は、こう指摘する。
 「まず、S氏の坂本弁護士一家拉致事件に関する上申書が警察に出されているといわれていますが、その情報を流したのが共同通信です(5月18日午後10時半ごろ)。すると、同夜の0時15分に神奈川県警が急遽、記者会見を行い『上申書なんか出されていない』とわざわざ否定しました。また、S上申書は警視庁にも出されていません。
 結論をいいますと、上申書そのものがユーレイのようなものなのです」
 この一件からはっきりしてくるのは、いまやマスコミのほとんどが、実際に自ら事件現場での検証作業をしないまま特定情報をタレ流している無惨な現実である。
 オウム真理教は、どのようなかたちで「坂本弁護士一家拉致事件」に関与していたのか。私たちは、新たに掴んだ現場情報をもとにさらなる追及を続けていく― (文中敬称略)」


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