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太平洋戦争下の労働運動
http://www.asyura2.com/0403/senkyo3/msg/733.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2004 年 5 月 30 日 07:57:44:0iYhrg5rK5QpI
 

(回答先: 幕末に似た時代は戦時中もあるも志士不在、労働者、連行朝鮮人・中国人が主役(日本労働年鑑 特集版) 投稿者 竹中半兵衛 日時 2004 年 5 月 30 日 07:26:23)

戦後58年を過ぎた今日、満足にストさえ打てない労働者階級の現実に比して、労組は解散させられ、前衛党不在の状況下、戦時下でも資本家と戦った人々がいる。
「思想的背景がなかった」とされているが、弾圧を免れた主因は、国家総動員法で徴用された人たちのあまりにもひどい生活が官憲を動かしたのではないか、さえとらえられる。

現代の「攘夷」をアメリカ幕府への「倒幕」にたとえるならば、だれが「倒幕(革命)の主体」であるかがわかるのではないか。攘夷から倒幕へと進まねば有事法を発動する支配階級のほしいままとなるであろう。


日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
The Labour Year Book of Japan special ed.
第一編 労働者運動
第三章 自然発生的抵抗
第二節 自然発生的抵抗の諸形態

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-020.html

内務省警保局編「社会運動の状況」(昭和一七年)は、すでに引用したような理由から発生した一九四二年後半における「労働情勢の悪化」現象について、つぎのように要約している。

(一)遅刻早退者の増加せること。
(二)欠勤者の激増せること。
(三)逃走者の続出(徴用工員)せること。
(四)職場移動就中脱法的移動者尠からざること。
(五)俗に「鮟鱇稼」と称する二重稼動傾向著しきこと。
(六)職場に於ける怠業傾向全国的に顕著なるものありたること。
(七)不良化傾向顕著なるものありしこと。
(八)労務管理の拙劣に基く集団暴行事件の頻発を見たること。


 第一に、遅刻早退者の増加について、「社会運動の状況」は、具体的な事実を挙げていない。おそらく、あまりに広範な現象となったからであろう。時期的には一年後の資料になるが、「航空機関係工場第三回行政査察報告」(一九四三年一〇月)によると、当時もっとも労務管理の徹底していた代表的な軍需工場―― 三菱重工業株式会社名古屋航空機製作所についてすら、「下級現場監督者ハ工員ノ反抗ヲ怖レ、厳正ナル規律ノ要求ヲ躊躇シアルノ実状」が指摘されている。これは、当時の状況を端的に示す記録といえよう。

 第二に、欠勤者の激増については、これを労働者の自然発生的抵抗の最大のあらわれとみることができる。中島飛行機太田工場で一九四〇〜四二年の三年間について、毎年九月一〜一一日の欠勤率を調査した数字によれば、一九四〇年は一二・八%、四一年もほぼ同じ、四二年は一四・八%となっている。一九四三年一〇月の厚生省調査では、重要工場の欠勤率は、全体で一四・二%、新徴用者のそれは一七・一%であり、従業員一万人以上の工場では一四・八%が欠勤している。しかもこの率は、戦局が不利になり、国民の生活が極度に悪くなるにつれて、ますます増大した。一九四三年一〇月から一九四四年九月までの欠勤率は二〇%、空襲がはじまってからは、じつに四九%となっている。一九四四年五月には、軍需省動員本部でも、労働者の一ヵ月当り就業日数は、全国平均二三日にすぎないことを認めていた。敗戦前の一年間に、造船業の欠勤率は二四%から五二%に、飛行機工業では二一%から五一%に増加していた(J・B・コーヘン「戦時戦後の日本経済」)。

 欠勤者の異常な増大については、「社会運動の状況」も、つぎのような事例を紹介している。
 

イ、兵庫県播磨造船所に於ける八月三十一日現在の欠勤状況は当日在籍工員七、二一〇名中一、五一七名の欠勤者あり、又岐阜県川崎航空機工業株式会社岐阜工場に於ける八月二十七日現在の欠勤者は、当在籍徴用工員一〇、四〇五名中一、七三二名の欠勤者あり。

 ロ、工場労務者の欠勤増加傾向は全国的に一割二、三分から三割強に達する欠勤率を示し、甚だしきに至っては岡山県品川白煉瓦株式会社岡山第三工場に於ける、七月中の欠勤状況は職工九七七名中の欠勤率四割九分強に達したり

 「講座」は、太平洋戦争中期における欠勤者激増の理由について、「たとえば、鶴見の三菱硝子工場では、婦人労働者・年少労働者の約三〇%が、重労働と食糧不足のために脚気になったことが報告され(一九四四年一月)、古河製鋼労働者の約二三%に上る欠勤率は、一般的な肉体的な疲労であると報告された」と述べている。

 第三に、逃走者の続出、つまり工場逃亡については、コーヘンが「戦時戦後の日本経済」のなかで、もっとも大量的なケースを書いている。すなわち、とくに徴用工は、農繁期になると「病気」を理由に帰農するものが増加し、その多くは、警察官が必死になって職場復帰を命じても、ふたたび帰ってこなかったのである。

 第四に、脱法的職場移動については、前記の工場逃亡とともに、厭戦気分が大きく作用しているわけだが、「社会運動の状況」も、具体的な事実を挙げてはいない。現在までのところ、他にも客観的な資料は見当らなかった。ただし、敗戦の色が濃くなるとともにひろがった厭戦気分については、一九四五年七月の実態調査にもとづく安藤政吉「罹災者・壕舎・仮小屋生活者の生活断面」(「日本評論」、一九四六年一月号)などの資料が知られている。

 第五に、二重稼働傾向については、「社会運動の状況」に、つぎのような「代表的言動」の例示がある。だれの「言動」かは明らかでない。

 

会社では厚生省の通達に依って工員の保健を考慮し殆ど残業を行て居りませんが、定時間では初給者月給五十四円、経験工約七十二円位でそれに若干の諸手当がありますが、現在の物価高では家庭経済は維持出来ないと言って居り口々に商工省では公定価格で品物が買へる様に思ってゐるから全く困ると不平不満は深刻に横溢して居ります。職工は食へないので残業を実施して呉れる様幾度か陳情しましたが、会社側で許して呉れないので一考を案出し人夫として他の工場に就労しどうやら生活を維持して居ります。其の方法は午後四時定時間で家に帰り自宅で夕食を済ませてから近所の町工場へ五時半頃から自由労働者として就労、翌朝午前五時半終業して七時半迄に会社に出勤するのであります。彼等は徹夜就労する為め非常に疲れて昼間作業は生気がなく怠業状態であり、中には倉庫等に入って昼寝をして居る者も相当多い様です。何とか対策を講じなければ今に由々敷き問題を惹起するのではないかと必配して居ります。

 第六に、職場における怠業傾向について、「講座」は、一九四四年当時の「動員学徒」からのつぎのような報告(読者の手記)を引用している。すなわち、「東京芝浦製作所に動員され、寄宿舎につめこまれていた学生数百名は、舎監の食糧ピンハネを理由に、二日にわたって全生産をサボタージュし、また、流れ作業をーグループずつ交替で欠勤することによって完成品のできるのをおくらせ、徹夜業の強要に対しても、体力を維持するために交替で職制の見廻りを注意しながら休息をとった」と。

 「社会運動の状況」も、すでに問題の一九四二年後半から、一般に「工員の相当部分が作業に生気を欠き合法的なる怠業傾向を馴致し、或は監督者の前のみを繕ひ、或は職場に於て私物品を製作し又は勤労精神に燃へて敢闘する他工員の妨害を為す等、生産増強上尠からざる暗影を投じたり。而して右傾向は必ずしも労働者の思想的悪化の結果なりと断定することを得ざるものにして………賃金其の他に対する不満より概して自己責任工程乃至一定限度以上の能率を挙げざるが如き態度を以て終始したり」と述べている。

 第七に、労働者の不良化傾向について、「社会運動の状況」は、つぎのように説明している。「工場内外に於て単独若は集団を為して強盗・窃盗・暴行・詐欺・脅迫を為し或は職場に於て公然賭博を為し、又不良団を組織して各種犯罪を敢行する等………其の大部分は養成工・徴用工員等の年少者に多き実情にありたり」と。たしかに、不良化傾向そのものを労働者の抵抗と呼ぶことはできないかも知れない。しかし、明日は侵略戦争のために生命を捨てなければならぬ当時の青少年たちが、ほかにどう生きる道を見出せたであろうか。

 第八に、「集団暴行事件」(正当な抵抗)について、朝鮮人労働者の闘争を描いた労働運動史もあるが、「講座」は、中国人労働者の抵抗を引用した。中国人労働者の抵抗についての資料としては、一九四六年に発表された外務省管理局「華人労務者就業事情調査報告」もある。

 また、「社会運動の状況」は、一九四二年後半における日本人労働者の「集団暴行事件」のいくつかを例示している。
 

▽ 六月十八日門司鉄道局小倉保線区青年寮に収容中の鉄道従業員(線路工夫)三十六人は同寮舎監田中村治に対する反感より、集団暴力行為をなしたり。

 ▽ 八月二十五日三菱重工業名古屋金属工業所鍛冶工場組長中川留次郎が同所産報懇談会の席上能率増進に関する建設的意見を為したるが、之に反感を抱ける徴用工員百三十名は中川をして謝罪せしむると共に暴行を加へ負傷せしめたり。

 ▽ 東京市蒲田区西六郷三−四九−四平塚製作所に於て十一月十六日労務係と従業員との感情同題に端を発し激昂せる従業員八名は、同工場に於て製作中の日本電気株式会社玉川製作所発註に係る海軍超短波無電筐体二十五箇をハンマーにて破壊したるが、其の状況は次の如し。(以下略)

日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
発行 1965年10月30日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 労働旬報社
2000年2月22日公開開始
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なお、つづきは下記URL

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http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-025.html

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-027.html(既出)

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