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日本経済の軸足を移す時代がやってきた 対米依存やめ東アジアを重視せよ【BUND_WebSite記事】
http://www.asyura2.com/0403/senkyo3/msg/894.html
投稿者 クエスチョン 日時 2004 年 6 月 10 日 18:46:13:WmYnAkBebEg4M
 

日本経済の軸足を移す時代がやってきた 対米依存やめ東アジアを重視せよ【BUND_WebSite記事】
http://www.bund.org/editorial/20040325-2.htm

虎田五郎

T 日本の貿易における構造変化

@垂直分業から水平分業へ

 アフガニスタン、イラクと国際法・国際秩序無視の戦争拡大を続けるアメリカ。このまま対米追随を続ければ日本は、アメリカの戦争に次々と自衛隊を派遣し戦費負担を強いられることになる。もういい加減日本も、アメリカの従属国・保護領であることをやめ、政治的外交的に自立していくべきだ。ところでアメリカからの自立を主張すると、「日本(経済)はアメリカなしで生きていけるのか?」という反論がしばしば返ってくる。確かに戦後の日本経済は、「アメリカ経済がくしゃみをすると日本経済が風邪をひく」と言われるほど対米輸出依存型の経済だった。

 だが21世紀の今日、アメリカがダントツの経済大国だった時代は完全に終わった。EU圏は自立の道を選択し、急速な経済成長を続ける中国を筆頭にアジア諸国も確実に経済力を蓄えつつある。「アメリカが、ドルのタレ流しと裏腹に世界のアブソーバー(需要吸収者)としての役を演じる時代は去りつつある。日本経済は軸足をアジアにかけざるをえない」。故廣松渉の最後の提起「東北アジアが歴史の主役に」から10年。対米輸出依存から東アジア地域統合への転換の条件が次第に整いつつある。

 それを端的に示しているのが日本の貿易における構造的な変化だ。日本の貿易構造といえば、アジアを中心とする第三世界から原材料を輸入し、これを加工して先進国(とりわけアメリカ)に輸出する垂直分業(加工貿易)の図式を思い浮かべる人が今でも多いかもしれない。だが近年、日本の貿易構造は大きく変化している。結論的にいえば、今日、日本の貿易構造はかつての垂直分業体制から水平分業体制へと、ダイナミックに転換しつつあるのだ。

 それは日本の商品別輸入構造の変化を見れば分かりやすい(グラフ1参照)。1980年代半ばまでは食料品、鉄鉱石や羊毛などの原材料、石油を中心とする鉱物性燃料の割合が高く、工業製品のシェアが低い状態が続いていた。だが、その後こうした輸入構造は大きく変化する。原材料や鉱物性燃料のシェアが低下する一方で、製品類のシェアが年々高まっている。全輸入品に占める製品輸入比率は80年代後半以降50%を上回っており、2002年段階で60%以上を占めるにいたっている。

 製品輸入比率増大の決定的な要因は、アジア諸国の工業化である。かつて原材料の輸入先としてあったアジアから工業製品が大量に輸入されはじめたのだ。加えて90年代の円高にともない輸入品の価格が低下し、価格の変化に最も敏感な工業製品の輸入に拍車がかかった。

 21世紀に入り日本経済は、東アジア経済との結びつきを急速に深めている。それも東アジア諸国同士の、工業製品生産を中心とした水平分業的結びつきの強まりだ。もはや日本はアジアにおける唯一の先進工業国ではない。今では日本は作業工程間の水平分業における技術的に比較的高度な過程を担う国となりつつある。

 東アジア経済との結びつきの強まりは、アジアに進出した日系企業との貿易増大という側面もある。また現時点では日系企業の下請け的な生産を行っている現地企業も少なくない。だが日本企業の優位がいつまでも続くと考えるのは誤りだ。日本企業との取り引き増大に伴って東アジアの企業も技術力を飛躍的に高度化させつつある。例えばハイテク部門では日本はアジア諸国の厳しい追い上げをうけている。東アジアの国々との対等なパートナーシップの形成は、経済的な側面からも今後の日本に求められていることは間違いない。

Aアメリカからアジアへ

 すでに日本の貿易相手は、アメリカからアジア諸国へと大きくシフトしている。日本の対米輸出は80年代前半、ドル高や米国の景気拡大の過程で増加を続け、86年には38・4%にまで達した。だがこの86年時点をピークにその後、対米輸出のシェアは、@円高による輸出競争力の低下、A貿易摩擦緩和を目的とした現地生産シフトなどにより減少に転ずる。アメリカ向けに代わってシェアを拡大したのが、アジア向けの輸出だ。アジアへの輸出拡大は、アジア諸国の所得水準の向上、工業化の進展、日本等からの直接投資の増加にともなう資本財・消費財への需要の増加等による。

 輸入面ではどうだろう。以前は、日本の輸入は、原材料や鉱物性燃料の主たる輸入先であるアメリカ、中近東のシェアが高かった。垂直貿易・加工貿易立国としては当然のことだ。しかしこちらも80年代中期以降、原油価格の低下、円高による製品輸入の増大にともない大きく変化。アメリカや中近東からの輸入シェアは相対的に低下し、アジアからの輸入シェアが確実に増大している。特に今日、中国からの輸入増が顕著だ。

 本年1月26日に財務省が発表した03年の貿易統計(速報)によると、中国と香港、台湾を合わせた「中国圏」への輸出は暦年で初めてアメリカ向けを上回った。内訳は中国が前年比33・2%大幅増の6兆6348億円。香港、台湾を加えると約13兆7000億円にものぼる。香港、台湾への輸出の多くは両地域を経由して中国へ輸出されている。これに対して対米輸出は前年比9・8%減の約13兆4000億円だ。ちなみに日本の輸出総額は前年比4・7%増で54兆5589億円となっている。

 一方03年の日本の輸入総額は、前年比5%増の44兆3202億円。アメリカからの輸入は5・8%減って6兆8202億円となり3年連続減少した。これに対して中国からの輸入は13%増加して8兆7309億円となり過去最高を更新。2年連続でアメリカを上回って最大の輸入相手国となった。

 つまり、中国経済のめざましい発展こそが、日本の対アジア貿易増大――貿易構造自体の変化を根本的に規定しているのだ。「日本(経済)はアメリカなしでは生きていけない」などと、対米依存をことさら強調するのは事実を見誤らせるものでしかない。むしろ日本経済は、中国およびアジア諸国なしでは生きていけなくなっている。

U 東アジア経済圏構想とその頓挫

@急成長する中国経済

 世界経済が低迷する中、最近の中国経済の急成長には目を見張るものがある。昨年第3四半期(7―9月期)における中国経済は7・9%の成長率を維持し、年平均は8%に達することが確実となった。中国のGDPは1989年から現在まで13年連続で8兆元を超えており、年平均成長率は9・3%となっている。

 IMF(国際通貨基金)は、1人当たりGDP成長率3%以上を「高度成長」と規定しているが、中国の発展速度は20年前の日本の高度成長期よりもさらに2%上回っている。中国はすでに特定の分野では世界一のシェアを確立しており、例えばエアコンやオートバイなどは全世界の生産台数の約半数を占めている。中国のGDPは、2015年には日本を追い越し、2025年にはアメリカに追いつくという予測さえある。

 2001年12月21日、中国は念願のWTO(世界貿易機関)加盟を果たした。中国がWTOの前身GATT(関税及び貿易に関する一般協定)に加盟申請したのは1986年。実現までに15年が経過した。それは中国における市場経済の「産みの苦しみ」の時期と符合している。143番目のWTO加盟国・中国は、安く豊富な労働力を背景とした「世界の工場」として、13億の人口を抱える巨大市場として、揺るぎないプレゼンスを獲得しつつある。もはや21世紀の世界経済は、中国経済抜きで語ることはできない。

Aマハティールの見果てぬ夢

 中国のかかる世界史的台頭と軌を一にして、東アジア地域においては地域統合の動きが目立ってきた。発端は、1990年12月、マレーシアのマハティール首相が東アジア経済圏(EAEG)構想を提起したことに遡る。EAEGとは、ASEANに日本・韓国・中国・台湾・香港・インドシナ諸国を加えて、東アジアの域内貿易・投資の政策協調をめざそうとしたものだった。背景には、先進国主導のAPEC(アジア太平洋経済協力会議)に対する不信感、GATTウルグアイラウンド交渉がアメリカとEU主導で行われていることへの反発がある。マハティールは、ASEANと日本・中国・NIESが協力すれば、欧米と対等に渡り合えるようになるのではないかと考えたのだ。

 さらにマハティールは、経済的な対抗だけでなく、価値観的にも西洋の価値を超える「アジア的価値」の優位性を押し出した。アジアの経済発展は、秩序と安定、規律、家族や社会への責任、勤勉、質素、倹約、集団主義などを重視する「アジア的価値」の成果であり、経済の停滞、犯罪の増加、教育の荒廃、家庭の崩壊をもたらしている西洋の価値よりも優れているという主張をおこなった。「欧米的価値=世界の普遍的価値」という構図に挑戦したのである。

 これに対してべーカー米国務長官は猛反対した。当時世界の成長センターとなりつつあった東アジアでは日本のプレゼンスが急上昇し、アメリカのプレゼンスは後退しつつあった。こうした状況下でマハティールの構想が進めば、日本をリーディング・カントリーとした強大な経済圏ができかねないという危惧をアメリカは抱いたのだ。1991年11月、来日したベーカー米国務長官は、渡辺外相との歓迎夕食会で、「アメリカが入らない組織には、日本も入らない」と事実上のEAEG不参加の密約を交わしたという。アメリカ政府に釘を刺された日本政府は、蛇ににらまれたカエルのようにすくみ上がってしまったのだ。

 マハティールの夢は叶わなかった。東アジア経済圏(EAEG)は東アジア経済協議会(EAEC)と名称を変更、APECの内部機構となることとなり換骨奪胎されてしまった。日本のアメリカ追随により、アジア経済統合への道は、その第一歩からとん挫してしまったのだ。

Bアジア通貨基金構想

 マハティール提案直後、アジア情勢は激変する。1991年バブル崩壊以降の日本経済は出口のない長期不況に突入、アジア経済活況のシンボルともなった「日本神話」は崩壊した。一方90年代半ば以降、アメリカ経済は再活性化を開始する。グローバリゼーションやIT革命の波に乗り、アメリカはアジア地域で再び影響力を拡大していく。

 決定的だったのは97年7月、アメリカのヘッジ・ファンドが仕掛けたタイ・バーツ危機だった。タイ・バーツ危機はアジア全域に波及し、アジア全体の通貨危機へと発展していってしまう(中国は例外だった)。アジア経済危機を機にアメリカは、IMFによる経済再建(市場開放と自由化の押しつけ)を通じてアジア地域における支配力を再び強化していった。

 97年9月、日本はIMF総会で、「アジア通貨基金(AMF)構想」を提案した。AMF構想は、ASEAN諸国・日本・中国・韓国の通貨当局からなる協議体をつくり、約600億ドルの外貨準備を保有。バーツ暴落のような短期の流動性危機にアジア独自で対処しようというものだった。しかしAMF構想は、日本のアジア地域における主導的地位の確立を危惧するアメリカと中国の反対でつぶれてしまった。ASEANからのサポートも弱かった。

 こうした流れを変えるきっかけとなったのが、1998年10月、日本・韓国・ASEAN5カ国の蔵相・中央銀行総裁会議だった。この会議で日本は、アジア経済危機に対処するための総額800億ドルにものぼるアジア支援策(いわゆる「新宮沢構想」)を発表する。新宮沢構想は、アジア経済危機によって経営困難に陥った現地日系企業救済策という側面も大きかったが、グローバル・スタンダードならざるアメリカン・スタンダードを押しつけるアメリカン・グローバリズムへの反発を深めていた韓国やASEAN諸国からは高く評価された。

 新宮沢構想がステップとなり、東アジア経済統合の気運は、再び息を吹き返した。99年11月には「ASEAN+3首脳(中、日、韓)会議」が正式に発足し、2000年5月にはこのメンバー域内で通貨スワップ取り決めが合意された(会議が開かれたタイの地方都市チェンマイに因んで「チェンマイ・イニシアティブ」という)。チェンマイ・イニシアティブは、97年につぶれた「アジア通貨基金(AMF)構想」に向けた一つの布石となりうるものだ。AMFの先には、EUのユーロのようなアジア共通通貨の導入に向けた可能性が広がっている。日本と東アジア諸国が対等なパートナーとして東アジアの地域統合を語りうる時代がやってきている。

V 環境と人権の東アジアへ

@アジアのFTAラッシュ

 アジアから世界へと目を転じると、現在世界各地で地域統合が急速に進展している。主にFTA(自由貿易協定)の締結によるものだ。FTAは締結国間どおしの関税の壁を取っ払い、人・モノの域内移動の自由をもたらすことが目的である。1990年段階で、全世界で締結されたFTAは31だったが、2003年末にその数は180を超え200の大台に乗るのも時間の問題となっている。世界各国は今、先を争って2国間ないし多国間のFTA締結を進めている。

 第2次大戦後発足したGATTは加盟国に、「最恵国待遇」というルールを定めた。最恵国待遇とは、加盟国が特定の国に対して貿易上の優遇措置をとる場合、特定の国以外の加盟国に対しても優遇措置が適用されるというものだ。GATTがこうしたルールを定めたのは、1929年の世界恐慌以降、長期不況に対処するため世界各国が行ったブロック化――関税引き上げ―為替切り下げ競争による自国経済圏(本国および植民地)の囲い込み――が第二次大戦をもたらした総括から、無差別で自由な貿易を促進するためだった。

 FTAは、「最恵国待遇」というGATT―WTOの原則には本来反するものだ。しかしWTOは、貿易自由化促進効果のゆえに、@「実質上のすべての貿易」について「関税その他の制限的通商規則を廃止」する、A「域外国に対して関税その他の通商規則を高めてはならない」など、いくつかの条件をつけてFTAを認めている。

 FTAには、NAFTA(アメリカ・カナダ・メキシコ)、ANZCERTA(オーストラリア・ニュージーランド)、CEFTA(チェコ・ハンガリー・ポーランド・ルーマニア・スロヴァキア・スロヴェニア・ブルガリア)、カナダ・チリFTA、などがある。域内ですべての関税を廃止した上に共通通貨までもつEUは、最も緊密に統合した形態だ。

 ところが、東アジアだけは世界の地域統合の流れに遅れをとってきた。漸くにして突破口を開いたのは1998年における日韓のFTA共同研究の政府間合意だった。すぐさまシンガポールがこれに呼応し、日本との間でFTA交渉を進め、2002年1月に締結、11月発効となった。先陣を切った日韓FTAも昨年12月、締結に向けた政府間協議の初会合を開き、2005年中までの合意をゴールに設定。関税障壁の撤廃をはじめ、投資環境の整備や知的財産権など幅広い分野での連携をめざすことに合意した。

 さらに日本は、マレーシア・フィリピン・タイとの間で2国間FTAの協議を始めており、インドネシアのメガワティ大統領も対日FTA協議への希望を表明している。これに連なるかのように中国も2000年11月ASEAN10カ国とのFTA交渉に入った。中国が本格的な東アジア地域統合に参入してきたことの影響は大きい。中国に先手を取られた形となった日本は、2001年、ASEANとの経済連携協定の協議にはいることで合意。韓国もシンガポールとFTAの共同研究を2003年に始めた。

 本年3月10日、日本とメキシコの間に続いていたFTA交渉が大筋合意に達した。メキシコとのFTAは、農産品の市場開放を含む初の本格的なFTA締結であり、日本とアジア諸国とのFTA締結交渉にも弾みがつくことは間違いない。

 90年代にはFTA「空白地帯」と呼ばれた東アジア地域は、21世紀を前後して堰を切ったようにFTA締結に向かって動き始めている。もはや東アジアにおける地域統合の奔流を押しとどめることはできない。

A独仏関係と日中関係

 97年の通貨危機を経験した東アジア各国は、いつまでもドルに依拠していては、アメリカのいいように翻弄されるばかりであることに気づき始めている。「ドル離れ」=対米依存からの離脱を本当に目指すのなら、EUのように通貨統合まで展望した東アジアの地域統合という大戦略を構想していく以外ない。東アジア各国とのFTAの締結は、東アジア地域統合という大戦略実現に向けた大きな一歩ともなりうるものだ。

 ところが日本の政官財の主流は、東アジア諸国とのFTA締結を、アメリカとのFTA締結における交渉力を高める上での戦術的なアドバンテージぐらいにしか考えることができない。対米依存体質が骨の髄まで染みこんでしまっているのだ。

 東アジア地域統合の実現に向けて日本には、対米依存体質の克服とともにもう一つ問われていることがある。それは東アジア諸国との歴史的「和解」の実現だ。現在の東アジアの実状は、和解にはほど遠い。靖国問題や教科書問題が解決されないばかりか、経済的にも共存共栄というよりは国益第一の経済競争が繰り広げられている。わけても中国と日本の競争は激化するばかりで、アジアでの市場争奪戦の様相さえ呈している。日本の財界の一部からは「中国脅威論」が叫ばれたりもしている。こうした現状を打破することは喫緊の課題だ。

 その場合参考にすべきは欧州統合の経験だろう。欧州統合を可能にしたのはEUの中枢となった独仏両国の友好関係の回復だった。第二次大戦でフランスの国土を踏みにじったドイツは、戦後、戦争責任を徹底的に取りきっていった。今でも草の根をかき分けてまでナチの戦犯を追いかけている。戦争責任をいつまでも曖昧にしている日本とは対照的だ。そうした努力がEU建設の基礎となったのである。

 日本も東アジア共同体をめざすならば、少なくともドイツと同等の努力をアジアそして中国に対しておこなうべきだ。そうでなければ、現在、東アジアで進められている各国間のFTA締結交渉も、下手をすると、日本と中国との間での主導権争いへと変質してしまうおそれがある。日本と中国が東アジア諸国とのFTA締結をめぐって競争しあい、排他的な経済圏を形成して対抗しあうようなことになれば、東アジア地域統合などとてもおぼつかない。

 中国およびアジア諸国との歴史的和解に向けて日本は、まず正式な謝罪を含め、戦争責任をきっちりと取ることだ。そのことと並行してまずはじめに東アジア随一の経済大国・中国とのFTA交渉に入ることが今、日本に問われている。東アジアの平和と安定、共生を実現する上で、日本と中国という東アジアでの大国が友好関係を築くことは決定的に重要である。それを欧州統合における独仏関係の経験から学ぶべきだ。

B天皇制廃止し、自立した共和国へ

 明治維新において日本は、天皇を押し立てて国民を民族的に統合し天皇制国家として再出発した。「ラスト・サムライ」たちの反乱を鎮圧し、欧米の列強と対抗するためには、強力な中央集権国家の存在は不可欠だった。明治新政府には、天皇制にすがる以外に、生き残る道はなかった。その後日本は、天皇を「現人神」として祭り上げ、「大東亜共栄圏」「八紘一宇」を叫んで天皇制の下にアジアの人々をも支配しようとした。だがそれはアジアの人々の広範な反日闘争を呼び起こし、敗戦によって「大日本帝国」は崩壊した。

 敗戦からすでに60年近い年月がたとうとしている。日本が対米従属から離脱し、東アジア地域統合という道を選択しようとするとき、今なお日本の戦争責任・戦争犯罪問題が大きな障害となって立ちふさがっている。

 「アジアの世紀」に相応しい国へと脱皮するために、今こそ日本は、戦争責任・戦争犯罪の謝罪と補償をきちんと行い、「戦後」を本当に終わらせなければならない。その場合、日本の戦争責任と戦争犯罪をまさに象徴する天皇制を廃止することこそ、戦争責任を果たす最も真摯かつわかりやすい方法だ。そしてそれは日本の国家が明治維新以降まとい続けてきた排他的なナショナリズムを打破し、アジアに開かれるための唯一の道でもある。

 日本はアジア最大の経済大国であり、アジア全域に戦争責任を負った国だ。日本の側が歩み寄る以外に、どうやってアジアの人々との共生の道があるというのか。

 日本は、アジアのなかでいち早く、市場経済の進展がいかに住民への被害と環境破壊をもたらすか、身をもって体験してきた国でもある。日本の教訓はアジアに生かされるべきだ。私たちの側が、身をもって侵略の被害をうけた人々の声を聞く耳を持つならば、必ずやアジアの人々も私たちの声を聞いてくれるに違いない。アジアの一挙的な経済成長は地球環境破壊の速度をいっきに加速する。京都議定書への調印国は東アジアには一国もない。エコロジカルな観点の共有化は東アジアにおいても、早急に実現されなければならない。

 私たち日本国民は、戦後憲法によって、民主主義や基本的人権などの市民社会的な権利を保証されてきた。しかしアジアには未だ民主主義も基本的人権も認めない独裁的な国家が存在する。北朝鮮・中国・ミャンマーなどでの人権抑圧に対して、私たちにできることがもっとあるはずだ。もちろん今のアメリカのような「民主主義の押しつけ」などはもってのほかだが、日本が「国際社会で名誉ある地位を占めたい」(憲法前文)と本当に思うのなら、東アジアにおいてそうした市民的権利を発信していく責務がある。再度繰り返すが、そうしたイニシアティブを発揮するためにも、まず大前提として日本が天皇制を廃止して共和制への移行を実現することだ。まさに日本自身がれっきとした民主主義的な国家になることが、東アジア地域統合に向けた扉を開く鍵なのだ。

(2004年3月25日発行 『SENKI』 1139号4〜5面から)

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