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「れんだいこ」氏による小泉首相の経歴についての考証
http://www.asyura2.com/0403/senkyo3/msg/974.html
投稿者 らくだ 日時 2004 年 6 月 16 日 06:03:51:bZcL6nRNDZWPQ
 

小泉首相の経歴について次の記事がくわしいので参考にして下さい。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/2003seihendrama/koizumiseikenco.htm

38―3 小泉首相、飯島秘書の資質失格考

大項目Cとして、個人的資質を検討する。れんだいこは、人の下半身問題を滅多に問わないが、小泉の場合「下半身気質」と政策に色濃い相関性が認められる故に取り上げざるを得ない。果たして、一国の運命をこの御仁に委ねて良いものかどうか、論議の素材にしてみたい。

 小泉首相の「下半身気質」を問う論拠は、「@・その暴力性と政治における暴君性との相関、A・異常苛虐性と政治における軍事マニア性との相関、B・事件揉み消しと政治における治安警察性との相関」に見られる因果関係を解析せんが為である。

 ブッシュもかなり変態人士であるが、それは小泉の変態性とハーモニーしているように思える。ブッシュのそれは他の人に任すとして、ここでは小泉の首相としてあるまじき軽薄頭脳性ヒステリー症状、異常性癖気質を詮議してみたい。思えば、山拓との親密ぶりも又「下半身気質」の同調性つまり「俗に云う、ウマが合う」からきていたものと思われる。

 マスコミがはたまた与野党問わず一部の政治家が、今尚「小泉の政治姿勢は正しい。それが中途半端であることにより掛け声倒れになって居る。抵抗勢力と頑として闘うべきである」的観点からのエールが相変わらず聞こえてくる。果たして、この謂いに正当性があるのだろうか。あまりにもお粗末な「ミソとクソとの識別のできない」ジャーナル性を示しているのではないのか、この辺りを切開して見たい。

 2003.10.14日 れんだいこ拝

【小泉首相の「履歴不詳」考、れんだいこが「空白の12年」を紐解く】
 さほど注目されていないが小泉首相の履歴に不祥な面がある。なぜこのように曖昧なのか解せないがあまりにも杜撰である。以下、経歴順に列挙してみる。「首相官邸」サイトの中の「小泉首相プロフィール」の「足跡」を最も信頼せねばならぬものとして参照する。

 それによれば、「1960年、神奈川県立横須賀高等学校卒業。1967年、慶応義塾大学経済学部卒業、ロンドン大学留学。1970年、衆議院議員福田赳夫氏秘書。1972年、衆議院議員初当選(30歳) 以来11期連続当選」とあるのみで、この間1960年から1970年までの12年間について「異常な履歴不詳」が認められる。 @ 慶応大学入学前は一浪なのか二浪なのか。
A 慶応大学留年は一留なのか二留なのか三留なのか。
B ロンドン留学は在学中なのか卒業後なのか。
C 小泉首相はいつ卒業したのか。「5月卒」とは何ぞ。
D ロンドン留学の期間は何時なのか。
E ロンドン留学の間、どこで学んでいたのか。
F ロンドン留学の間、何を学んでいたのか。
G 1969年年の衆議院議員選挙落選の際の前後の動静がはっきりしない。
H 年金疑惑問題で露呈したが、不動産会社勤務時代とはいつなのか。
I 福田代議士の秘書時代はいつなのか。
J 1972年の衆議院議員初当選の際の前後の動静がはっきりしない。

 @の「慶応大学入学前は一浪なのか二浪なのか」について。一浪説に対し、二浪説もあり定かでない。こういうことは単に事実問題であり、紛れることが解せない。「百科事典ウィキぺディア(Wikipedia)・小泉純一郎経歴」には、「1960年3月、県立横須賀高等学校卒。1962年4月、2浪の後、慶応義塾大学に入学」とある。「足跡」には慶応大学入学年次が記されていない。「1962年4月、慶応大学に入学」であれば「二浪説」が正しいということになる。

 Aの「慶応大学留年は一留なのか二留なのか三留なのか」について。一留説に対し、二留説、三留説もあり定かでない。こういうことは単に事実問題であり、紛れることが解せない。「百科事典ウィキぺディア(Wikipedia)・小泉純一郎経歴」には、「1967年5月、1留の後、同大学を5月に卒業」とある。通説は「2浪して慶大経済学部に入学。1年留年し5年がかりで同大を卒業」とあるが、「1962年入学、1967年卒業」とあれば、在学年数は6年である。つまり、一留説は成り立たず二留説が正しいということになる。ところが、実際には三留の可能性が強い。

 Bの「ロンドン留学は在学中なのか卒業後なのか」について。「ロンドン留学」の背景事情に「慶応大女学生レイプ事件」があるようである。この事件の考察はここではしない。ここで問うのは、「在学中のロンドン留学説」に対し、「卒業後のロンドン留学説」もあり、いずれか定かでない。こういうことは単に事実問題であり、紛れることが解せない。

 当時の慶大教授・加藤寛氏の首相就任直後の雑誌手記「わが教え子小泉純一郎君へ」には、「小泉君は慶應在学中にロンドン大学へ留学する」とある。これに拠れば「在学中のロンドン留学説」が正しいということになる。しかし、「足跡」、「百科事典ウィキぺディア(Wikipedia)・小泉純一郎経歴」とも「卒業後のロンドン留学」が書かれており、してみれば加藤教授はボケ老人的に勘違いしているのだろうか。

 ちなみに、加藤寛氏は、同手記で、小泉首相の学生時分の様子を次のように寸評している。「まじめで勉強家だった」例として「ロンドン大学留学」に触れている。人物像として、「政界へ進んだ卒業生の中では、橋本龍太郎君と小沢一郎君も勉強家だった。彼ら二人と比べると、小泉君は勘を働かせてスイスイといくタイプで、試験などでも、勘が当たったときはすごい力を発揮した。小泉君の人柄を喩えるなら、佐々木小次郎ではなかろうか。剣豪小説に描かれる彼は、切れ味鋭い『燕返し』によって、突如歴史の表舞台へ登場した。その颯爽とした登場のしかたや、一匹狼の印象が、私には小泉首相と二重写しに感じられる」と述べている。加藤教授の「ヨイショ癖」が如実に出ている貴重文であるが、「ロンドン留学の真相」について隠蔽しているのか真実知らなかったのであろうか。 

 Cの「小泉首相はいつ卒業したのか。『5月卒』とは何ぞ」について。諸説あり定かでない。こういうことは単に事実問題であり、紛れることが解せない。「足跡」には、単に「1967年、慶応義塾大学経済学部卒業」とあるが、「百科事典ウィキぺディア(Wikipedia)・小泉純一郎経歴」には、「1967年5月に卒業」とある。卒業年次の1967年は間違いないようだが、「5月卒」とはこれ如何に。尋常ではない卒業の仕方であることが分かる。

 木村愛二氏の引用文に「慶応大学の4年生(すでに、2浪、2留年をしていたが、1967年の3月にも卒業できなかったため、3留年が決定していた」とあり、3留確定後何らかの事情で「5月卒」となった可能性が強い。どういう事情によって「5月卒」となっているのだろうか。考えられることは、「1967.3月の卒業ができず3留年が決定し直後の慶応大女学生暴行事件」が関係しており、退学処分になるところを政治力で「5月卒」にした可能性である。この観点からの考察は未だ為されていない。

 Dの「ロンドン留学の期間は何時なのか」について。諸説あり定かでない。こういうことは単に事実問題であり、紛れることが解せない。「足跡」には単に「1967年、慶応義塾大学経済学部卒業、ロンドン大学留学」とあるのみである。「百科事典ウィキぺディア(Wikipedia)・小泉純一郎経歴」には、「1967年〜、ロンドンにある大学へ2年間留学したとされる」とあるのみである。

 そこで、さまざまな興信録や人名録をひもとくと、留学していた時期がバラバラなことに気づかされる。たとえば、興信データ社刊の「人事興信録」では、「1968(昭和43)年ロンドン大政経学部に留学」とあり、東京大学出版会刊の「日本近現代人物履歴事典」では「1967(昭和42)年7月ロンドン大政治学部留学」となっており、1年ズレている。なお、加藤寛氏は、「わが教え子小泉純一郎君へ」に「小泉君は慶應在学中にロンドン大へ留学」と記している。小泉事務所は、「首相は慶応大卒業後の1967年から、父親の急死で衆院選に初出馬する69年までロンドン大学政治経済学部に留学していた」と説明している。

 なぜこれほど混乱しているのだろうか。A・慶大経済学部卒業はいつなのか、B・ロンドン大政治経済学部留学は卒業後なのか、在学中なのか、C・正確なロンドン留学の期間は何時なのか、等々を廻ってさっぱり要領を得ないという疑惑が発生している。推測するのに、「1967年春の異常なロンドンへの高飛び」を「通常のロンドン留学」にする為の辻褄合わせに苦労している、ということではなかろうか。

 推理するのに、「1967.3月後の婦女暴行事件」直後にロンドンへ逃亡したとすれば、「ロンドン留学」の始発は1967年春頃ということになるだろう。そこでブラブラしつつ語学スクールに通い、やがて聴講生ないしパートタイム身分の学生で「1968年、ロンドン大へ在籍」することになったのではなかろうか。

 「ロンドン大の在籍期間は、受講時間が週15時間以内のパートタイムの学生で、1年にも満たなかった」との説がある。2004.2.9日発売の週刊ポストによると、「小泉首相がロンドン大に学生として登録されていたのは1968年から69年6月20日まで」とある。これが正しいとすると、ほぼ1年間「遊学」した後の1968年にロンドン大学へ入学にしたことになる。その期間は約1年であり、してみれば「留学2年説」は、ロンドン逃亡後から語学スクールへ通っていた時期の分も合わせての「ロンドン滞在期間」の単なる総計期間ということになるようである。

 Eの「ロンドン留学の間、どこで学んでいたのか」について。諸説あり定かでない。こういうことは単に事実問題であり、紛れることが解せない。この疑惑について、2004.2.27日号の週間ポスト「小泉首相の慶応大学5月卒業の怪」、3.5日号「『小泉醜聞』を報じない大新聞は腰抜けだ」が追跡している。

 それによると、小泉首相が初挑戦した69.12月の衆院選挙の際の選挙公報、初当選した72年12月の衆院選挙の選挙公報に届出されていた小泉首相の履歴は、「慶応経済大学卒。ロンドン大学政治経済学部留学」とあることを確認し、これが虚偽記載に当たることを指摘している。なぜなら、「ロンドン大学(UCL、ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン)には政治経済学部は無い」、「ロンドン大にはいくつかのカレッジがあり、政治経済学部といえば、一般的にロンドン大学政治経済学院を指し、優秀な学生が集まることで知られている。小泉首相が在籍したのはここではない」、「ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(ロンドン大)の経済学部に1年足らず聴講生のような形で遊学していただけである」。つまり、経歴詐称に当たるという。

 Fの「ロンドン留学の間、何を学んでいたのか」について。上述の通りで、概要「恐るべきは単位取得が一切無い留学だった」ということのようである。ならば、小泉首相は2002.3月にロンドン大学の学長らの表敬訪問を受け、「小泉首相は伊藤博文以来、わが校出身2人目の首相だ。ぜひ、名誉教授になってほしい」などと持ち上げられているが、ロンドン大学の学長の見識が疑われることになる。もっとも、小泉首相は名誉教授授与を断っている。この時の小泉首相の心情はいかばかりであっただろうか。 

 Gの「1969年年の衆議院議員選挙落選の際の動静がはっきりしない」について。1969.8.10日、不肖の息子を抱えて心労がピークに達したのか元防衛庁長官であった父親純也が急死する。小泉首相はこれにより帰国する。8.16日に横須賀市民葬が営まれこれに参列しているのでこの頃の帰国は間違いない。12月の総選挙に出馬し落選している。「百科事典ウィキぺディア(Wikipedia)・小泉純一郎経歴」には、「父純也の死亡に伴い急遽帰国、衆議院議員選挙に立候補するも落選」と記されている。

 Hの「年金疑惑問題で露呈したが、不動産会社勤務時代とはいつなのか」について。これも伏せられており、この経緯の概要さえはっきりしない。「年金未納問題」で突如露見した事実であり、この観点からの考察は未だ為されていない。週間ポスト5.21日号によると、概要「福田の私設秘書を務める傍ら、横浜市内の不動産会社に社員として勤務している。この間、1970.4.1日から74.11.1日までの55ヶ月間厚生年金に加入している。1972.12月に衆議院議員に初当選した後も1年半以上、議員と不動産会社社員を兼職していたことになる」ことを明らかにしている。

 れんだいこは、これを年金問題の視点から見るのではなく、小泉首相の隠された履歴問題として捉えようと思う。露呈した「小泉首相の不動産会社勤務時代」とはどのようなものであったのか。通常ならば怪しむに足りないことであるのにこれまでなぜ隠されてきたのか。そこに何らかの事情があるのか等々につき興味があるが、この観点からの考察は未だ為されていない。

 推測するところ、12月の総選挙で父・純也の地盤を引き継いで立候補したが落選し、父・純也の有力支持者であった横浜市内の不動産会社三福不動産の社長に面倒見てもらうことになったようである。1970.4.1日より同社社員として厚生年金に加入している。

 Iの「福田代議士の秘書時代はいつなのか」について。「足跡」には、「1970年、衆議院議員福田赳夫氏秘書」とある。「百科事典ウィキぺディア(Wikipedia)・小泉純一郎経歴」には、「1969年、父純也の死亡に伴い急遽帰国、衆議院議員選挙に立候補するも落選。福田赳夫元首相の自宅で書生となる」とあることからすれば、落選後の1969年に「住み込み書生」となり、翌1970年「秘書採用」されたということであろうか。

 しかし、上記Fの「不動産会社勤務時代」のことが全く欠落していることになる。「住み込み書生時代」と「不動産会社勤務時代」の関係が曖昧である。推測するのに、「住み込み書生」は虚説であり、まず三福不動産社長付き社員として雇用され、二股で福田代議士の私設秘書として政治家の見習い稼業に入ったようである。この状態が1972年の初当選まで続くことになる。三福不動産に実質勤務していたのかどうかは不明である。小泉首相は、年金問題答弁の際に実質勤務を否定しているが、逆に勤務が為されていたことも考えられる。それをなぜ伏せたがるのかは分からない。

 三福不動産時代の給与の動きについて「週間ポスト」が次のように記している。概要「入社当時の月給は10万円、翌71年11月に昇給し月給は13万4000円。72年12月、総選挙で念願の初当選を果たしたが、三福不動産にはそのまま在籍し、国会議員になって1年後の73年11月に再び昇給して月給はドーンと20万円に跳ね上がった。今の物価で換算すれば70万円くらいに相当する。同社には引き続き在職し、ほぼ1年後の74年10月に退社した。と同時に、厚生年金を脱退した。社歴は4年7か月に及んだ。国会議員になってから1年11か月間は議員年金と厚生年金に二重に加入していたことになる」。

 Jの「1972年の衆議院議員初当選の際の前後の動静がはっきりしない」について。「足跡」には、「1972年、衆議院議員初当選(30歳) 以来11期連続当選」とある。「百科事典ウィキぺディア(Wikipedia)・小泉純一郎経歴」には、「1972年、前回の雪辱を果たし衆議院議員に初当選、以後連続当選」とある。さすがにこの時よりの履歴は確定しているようである。

 国会議員後の1年11か月間、議員と三福不動産勤務の二股であったことは間違いない。国会議員としての生活が軌道に乗ったことで三福不動産勤務を取り消したと思われる。


(私論.私見)三福不動産勤務履歴の隠蔽について

 この問題につき、2004.5.26日の参院本会議、5.27日の参院イラク・武力攻撃事態特別委員会で、小泉首相は次のように述べた。横浜市の不動産会社社員として厚生年金に加入していた70年4月から74年11月の間の勤務について、「初めての選挙で落選した後、私を応援していた社長から『これからも応援するから、私の会社の社員になれ』と言ってくれた」、「69年12月の衆院選落選後に入社した」、「当時の社長から『あんたの仕事は次の選挙に当選することだ。会社なんか来なくていい』と告げられた」、「たまに会社の旅行会とか『今日は大事な人が来るから来たらどうか』というお誘いは受けた」、「『一、二年何もしないでぶらぶら遊んでいろ』と言った会社、大した社長だと思う」、「30年以上前はそういう太っ腹な、見返りを期待しない、いい社長がたくさんいた」、「首相を辞めたら社長さんのお墓参りをしたい」と述べた。

 これまで、2003.9.29日衆院本会議での管直人氏の質問に対して「私にはサラリーマンや中小企業勤務の経験は有りません」と答弁してきたことに関連して、「(三福不動産での勤務について)勤務実態がなかったということはない」、「全部、社員と同じように仕事をすればいいというものではない」、「議員秘書、後に衆院議員との兼職という立場にあり、『サラリーマン』と聞いて国民が一般的に思い浮かべるいわゆる会社員ではなかった」と述べた。 

 小泉首相自身の口から「落選後の一時期、非常勤預かり社員」の形で民間企業に名義を置いていたことが判明した。従来、「当時の福田赳夫衆議院議員の自宅で書生」とのみ記述し「サラリーマンの経験がない」としてきた履歴が訂正されることになった。斉藤勁氏(民主)は、「勤務実態がないのに厚生年金に加入するのは違法ではないか」と質問し、「本当なら法にふれる行為だ」(川端達夫・民主党国対委員長)との観点から批判した。

 社会保険庁によると、企業の厚生年金加入の前提は常用的な使用関係が基本となっており、勤務実態がない会社員が厚生年金に加入した場合、事業主が厚生年金保険法違反となる可能性がある。悪質な事例は詐欺罪に問われることもある。社会保険庁の小林和弘次長は「被保険者の資格があるかは、就労形態や職務内容などを踏まえ、個々の状況に応じて総合的な観点から判断する」と答弁し、首相のケースについて判断を避けた。

 そういう事情によってと思われるが、5.27日夜、小泉首相は、記者団に「(勤務の)実態はありましたよ。社長の指示ですもん」と述べた。厚生年金の保険料を本人分も会社側が負担していたのではないか、との指摘に対しては「忘れました。知りません」などと答えた、とある。

 れんだいこが思うに、より重要なことは、履歴の不正確さの由来を衝くことにあろう。翻って、小泉首相は「三福不動産勤務時代」を何故に隠蔽してきたのだろう。特段隠さねばならないことではないように思われるが。れんだいこは、履歴のこういう不透明さそのものこそを問題にしたい。

 なお、小泉首相は同特別委で、この当時の社長について、「いい人でした。総理を辞めたら社長さんのお墓参りをしたいと思っている」と述べたが、ところが、社長は94歳の今も健在であることが判明した。小泉首相の諸事万事何とも軽率な性格が又も露呈した格好となった。「家族によると、小泉首相はここ10年以上も社長の元を訪れていないが、数年前に首相が『恩人』と呼んでいるのを人づてに聞いた社長は、喜んでいたという」(2004.5.28日付毎日新聞東京朝刊)とあるが、軽率の謗りは免れまい。

 2004.5.29日 れんだいこ拝


【「厚生年金違法加入違反」で政治家が厳罰された事例】

 厚生年金の違法加入をめぐって政治家が厳罰された事例は数多い。いずれも「勤務実態がないにもかかわらず、厚生年金など社会保険に違法加入」していたことが問題とされ、社会保険を使っての治療、厚生年金受給が犯罪要件を構成するとして逮捕された。同一事例で暴力団員が逮捕された例も多い。その中でも、「現役の東大阪市長事件」、「民主党副代表・鹿野道彦事件」の二例が大物政治家逮捕に波及した例として注目される。 【東大阪市長事件】

 1998.5月、東大阪市の現役市長のA(64歳=当時)氏が、厚生年金を詐取した詐欺容疑に問われた。A氏は、東大阪市議と大阪府議時代の71年6月〜90年1月の約18年間、後援会企業に勤務したことにして、労使が負担する社会保険料月額3万円を全額同社に支払わせていた。市議になるまで勤めた財団法人の期間を合わせ、25年加入となって受給資格を満たし、60歳になった95年2月から総額約700万円の厚生年金を詐取していた。大阪地裁の一審判決(98年12月18日)では、懲役2年6か月(執行猶予4年)の有罪判決が下された。

【民主党副代表・鹿野道彦事件】
 2002.2月、当時の民主党副代表、鹿野道彦氏の厚生年金違法加入事件が発生した。鹿野氏は、76年から義弟が勤める建設会社の顧問に就任し、91年2月から同社の“社員”として厚生年金と健康保険に加入していた。三重社会保険事務局の聞き取り調査によって、鹿野氏はほとんど出社せず、電話でアドバイスする程度だったため、勤務実態がないと判断され、被保険者の資格が取り消された。
 鹿野氏はそれまでに同氏と家族が受けた医療費の保険給付分の返還を迫られて、年金加入歴も抹消された。また同時に鹿野氏が違法加入をもとに社会保険料控除を受けていれば、その分が脱税にあたるとも指摘された。結局、刑事事件としての立件は見送られたが、鹿野氏は民主党を離党して政治責任を取ったのである。

【小泉首相の「学歴詐術」考】 れんだいこ 2004/02/21

 民主党の古賀潤一郎衆院議員の学歴疑惑はあちこちに飛び火し始め、安倍晋三幹事長のみならず小泉首相にまで及び始めた。これより先福田官房長官は、「ウソは泥棒の始まりなり」なるコメントで古賀議員の辞職を要請している。

 2004.2.6日付け「日刊ゲンダイ」の「どうなってるの? 小泉首相のロンドン留学にも疑惑」によれば、「学歴表記や恩師の証言がバラバラ」で、「小泉首相にも学歴疑惑がくすぶり始めてきた」とある。

 記事の内容を概略引用すると次のようになる。「小泉首相は、地元の横須賀高校を出た後、2浪して慶大経済学部に入学。1年留年し5年がかりで同大を卒業し、英・ロンドン大に2年間留学」したことになっている。だが、さまざまな興信録や人名録をひもとくと、留学していた時期がバラバラなのだ。たとえば、興信データ社刊の「人事興信録」では「昭和43年ロンドン大政経学部に留学」とあるのが、東京大学出版会刊の「日本近現代人物履歴事典」では「昭和42年7月ロンドン大政治学部留学」となっており、1年ズレている。また、小泉首相が学生時代に慕っていた加藤寛・元慶大教授は首相就任直後の雑誌手記の中で「小泉君は慶應在学中にロンドン大へ留学」と記している。小泉事務所は、「首相は慶応大卒業後の1967年から、父親の急死で衆院選に初出馬する69年までロンドン大学政治経済学部に留学していた」と説明している。

 以上を踏まえて、「一体、どれが本当の経歴なのか。政権党の幹事長に続き、首相の留学経歴まで“闇の中”なんて国は日本だけだろう」とコメントしている。つまり、小泉首相の学歴疑惑は、@・慶大経済学部卒業はいつなのか、A・ロンドン大政治経済学部留学は卒業後なのか、在学中なのかを廻ってさっぱり要領を得ない、という疑惑を生んでおり、何やら釈然としなくなったことは確かだ。

 この疑惑について、2004.2.27日号の週間ポスト「小泉首相の慶応大学5月卒業の怪」、3.5日号「『小泉醜聞』を報じない大新聞は腰抜けだ」が追跡している。69.12月総選挙の際の選挙公報に届出されていた小泉首相の履歴は、「慶応経済大学卒。ロンドン大学政治経済学部留学」とあることを確認し、これが虚偽記載に当たることを指摘している。なぜなら、ロンドン大学(UCL、ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン)には政治経済学部は無く、小泉純一郎は1年足らず聴講生のような形で遊学していただけであり、恐るべきは単位取得も一切無い、と云う。こうなると、民主党の古賀潤一郎衆院議員の「単位不足学歴疑惑」よりも疑惑の程度が重くなる。

 しかも、慶応大学卒業が通常の3月ではなく、5月となっていることを凝視している。どういう事情によるのかにつき本人及び当時の関係者の証言無くしては明らかになりにくいが、正規の卒業の仕方ではないことだけは確かである。これをれんだいこ流に分かりやすく云えば、「慶応大学経済学部に入学するのに二浪し、在学中一留し、3月末の卒業さえしていない」愚昧さが浮き彫りになるという訳である。こうなると、「民主党の古賀潤一郎衆院議員の学歴疑惑」は、小泉首相の同様ないしはそれを上回る「学歴疑惑」を生みそうな気配である。「藪を突付いてヘビがでてきた」構図である。

 3.5日号「『小泉醜聞』を報じない大新聞は腰抜けだ」は、次のようなコメントで結んでいる。「自分自身の経歴の清廉性について、正面から答えられない総理大臣は、異常であり、そういう最高指導者をいただくこの国の政治も又正常ではない」。

 れんだいこが「小泉首相の学歴疑惑」に拘るのは、何も氏のプライバシーの詮索をしようという観点からではない。「わが国の首相の任に預かるものの資質問題」として捉えようとしており、あまりにも愚劣無能なとんでも御仁なのではないのか、ということを明らかにせんが為である。

 思えば、小泉首相は、イラク特措法の審議中であったと思うが、「神学論争には興味ない」などの言辞を弄した。これは、小泉首相の政治主義的乗り切り策ではなくて、つまり言葉通りに「神学論争に興味ない」のではなくて、我が国の防衛問題に関して過去積み上げられてきた論理を踏まえ、現段階の論争点を理解し、これに如何なる対応策を呈示していくのかという、本来の意味での政治家としての能力が資質的に欠損している人士なのではないのか、あるのは単に「強い者に巻かれろ、さすれば御身安泰式処世法」に依拠して傲慢な物言いしているだけではないのか、そういう意味での権力闘争に明け暮れているだけではないのか、ということを確認したい訳である。

 こういうレベルの首相が今の日本の首相にふさわしいという我が日本の能力的お似合いをも浮き彫りにしたい訳である。時に発するカナキリ調の絶叫も、低能人士特有の仕草とみなせられまいか。文化人的に通ぶるパフォーマンスも、政治を芸能的にしか考えられないお粗末さを示しているに過ぎないと考えられないだろうか。首相として署名した日朝共同声明の反故も、「首相署名」の重みを思慮する能力の欠損者であることを証していまいか等々。

 もう一つある。小泉首相の婦女暴行癖も囁かれているが、在任中に奇しくも慶応・早稲田に跨るレイプサークルの存在が浮き彫りになった。この時のリーダーが30年後に首相になる構図を想像してみ給え。小泉という御仁はその先例者という風には考えられまいか。

 こういう小泉ご一統の下で進行していくアーミテージ最高司令官のシナリオ通りの日本の米奴化、軍事予算の突出化、戦後初の自衛隊の公然武装出動等々は、恐らく国家百年の煩いをもたらすであろう。これ、れんだいこがご託宣しておく。

 2004.2.7日、2.21日再編集 れんだいこ拝

 ちなみに、安倍晋三幹事長は、民主党の古賀衆院議員の学歴詐称疑惑に対して、「異なる事実を公にしていたのであれば、法律上の責任は問われる。経歴は有権者が投票する際に重要な事柄だ」、「政治的、道義的責任は極めて重い」、「事実なら当然、議員辞職に相当する」、「経歴は有権者が投票する際に重要な事柄で、経歴を詐称したのであれば、大きな問題であり、公選法違反に当たる可能性もある」、「度重なる軽率極まる言動に批判が高まっており、公人としての資質を疑う」と批判してきた経緯がある。

 ところが、安倍幹事長自身の学歴詐称疑惑が発生する羽目となった。安倍氏はホームページなどで、成蹊大卒業後に「南カリフォルニア大学政治学科留学」と公表しているが、2004.2.2日発売の週刊ポストによると、「南カリフォルニア大学で単位を取得したのは6つの講座だけ。うち3つは外国人向けの英語講座だったという。専攻はなく、政治学は単位すら取ってなかった。政治学科留学はマユツバだったようだ。そのうえ、事務所は2年間留学としているが、実際の在籍期間は1年2カ月。とても古賀議員を批判するどころではない」とある。

 マスコミ各社の論説委員は、「『しまらない話』である」程度で批判を済ませているが、かってなら即刻辞任請求に及んだであろう。批判にも至らないこの穏健さこそ「しまらない話」であろう。
 「阿修羅」の「戦争47」情報に拠れば、2004.2.10日付け「日刊ゲンダイ」は、小泉首相の学歴履歴疑惑を続報し、「ますます怪しい小泉首相のロンドン留学 − 取得単位ゼロ、所属学部でもウソ」なる見出しの記事を載せている。

 「小泉首相が“売り”にしていた2年間のロンドン留学。本紙が「怪しい」と指摘した通り、ロクなもんじゃなかったことが分かってきた。ロンドン大の在籍期間は1年にも満たず、「取得単位はゼロ」だというのだ。小泉首相はそれでも「留学は留学じゃないか」と強弁するつもりなのだろうか。

 2.9日発売の週刊ポストによると、「小泉首相がロンドン大に学生として登録されていたのは1968年から69年6月20日まで。受講時間が州15時間以内のパートタイムの学生で、取得単位はゼロだった」(ロンドン大の記録係)というのだ。これが事実ならば留学というより“遊学”だ。小泉首相はブレア首相などに「英国留学の2年間は大きな資産になった」(首相官邸)と言っていた。どうやら、ロンドン大に入る前に通っていた語学スクールの分も合わせて「留学2年」と言いたいらしいが、「だったら、滞在2年」だろう。

 小泉首相のウソはまだある。首相が在籍していたのはユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(ロンドン大)の経済学部。ところが、小泉首相が初当選した72年12月の衆院選挙の選挙公報には「ロンドン大政経学部留学」と書いているのだ。ロンドン大にはいくつかのカレッジがあり、政治経済学部といえば、一般的にロンドン大学政治経済学院を指し、優秀な学生が集まることで知られている。古い話で、公職選挙法うんぬんの話じゃないにせよ、ちゃっかりしている。

 ついでに言うと、小泉首相は2002年3月にロンドン大学の学長らの表敬訪問を受け、「小泉首相は伊藤博文以来、わが校出身2人目の首相だ。ぜひ、名誉教授になってほしい」などと持ち上げられたという。パフォーマンス大好き首相が名誉教授就任を断った理由が今、分かった」。

小泉首相の姉の厚生年金保険法違反について れんだいこ 2004/05/31

 小泉首相の三福不動産時代の厚生年金保険法違反は、その姉の同種犯罪に飛び火した。2004.5.29日号日刊ゲンダイがスクープしている。記事概要は次の通り。後援企業から勤務実態がないのに給与をもらい、年金保険料も負担させていた小泉首相。二転三転の居直り答弁に国民はア然だが、怪しいのは小泉だけじゃなかった。実姉で政策秘書の信子氏も地元のタクシー会社の役員に収まっていたのである。しかも、その期間は40年以上とされる。小泉首相も若い頃、秘書と不動産会社社員と兼務していたが、実姉もソックリなのである。

 問題の会社は川崎市にある川崎タクシー(関進社長)。民間信用調査機関によると、03年度の年商は15億円。同社の社員によると「首相の実姉が勤務していることは知っているが、姿を見たことはない」という。「無情の宰相 小泉純一郎」の著者で政治ジャーナリストの松田賢弥氏がいう。「父の時代から永田町で仕事をしていた信子氏は政治的にも私生活でも小泉首相を支えてきた。タクシー会社の役員として働くヒマなどないはずです。信子氏が役員になったのは父・純也氏が防衛庁長官になった1964年から。中選挙区時代、川崎は小泉首相の選挙地盤で、同社は強力な後援企業だったのです」とある。

 れんだいこは更に問いたい。マスコミは、田中真紀子の「秘書給与詐取疑惑」を執拗に問い続け正義を気取ったが、会社に身元を置く秘書を雇ったとして、国から支給される給与を適正に配分していたとしたら問題は無かろう。

 要は、アクドイやり方だったかどうかであり、むしろ賢明にして進んだやり方という場合も考えられる。共産党、社民党の党ぐるみの詐取の方こそモロでありアコギであったろうに。民主党の議員で、真紀子の不正をがなり立てていた議員を調べて見れば、自民党員席の秘書を雇用していたとの記事を読んだことがあるが、それこそ問題だろうに。年金問題のようにブーメランが飛んでこなかったからよいようなものの。

 それはさておき、小泉首相の姉が政策秘書というのも変な気がするではないか。そもそも政策秘書というのは秘書の中でも最高給与職の要職である。身の回りの世話をする身内を秘書として抱えるのは咎めはないけれど、政策秘書にするなぞは政策秘書制度を馬鹿にしてやいないか。その姉が、かなり長期の厚生年金保険法違反をしているというのが、日刊ゲンダイスクープの記事の重みである。

 とにかく、小泉つうのは姉も含めてろくでもない見識の御仁たちであることが判明する。こういうお粗末組をトップに据えて、軍事費に湯水の如く金を使い、自衛隊を派兵し、外交官が死んでも調査もせず、民間人が捕まっても飲食し続け(それを太っ腹などと提灯する馬鹿もいるが)、続いて裏詮索ばかりし、人命を軽視し、あぁこんなこと書き出したらきりが無いからやめる。

 先日、文芸春秋社は「表現の自由、言論の自由のためには百年戦争辞さず論」を聞かしてくれた。文芸春秋社よ、週間文春よ、「小泉の姉問題」は「真紀子の娘問題」より現役の今現に進行中のイカガワシキことであるぜよ。一言弁明聞かせておくれよ。真紀子の娘で百年闘うなら千年闘うぐらいの事件ではあるように思われるがね。

 2004.5.31日 れんだいこ拝

Re:、「小泉首相の履歴不詳問題」について れんだいこ 2004/06/03

 飽き足らずさん福助さん皆さんちわぁ。「年金未納問題」に食傷気味な様子ですね。れんだいこもアバウト派ですから、強制加入以前の問題をあれこれ云って咎めるのを良しとしません。しかし、この追求を通して浮かび上がってきた副産物には非常に注目しています。今やこちらの方こそ重大とみなしております。

 副産物とは、「小泉首相の履歴不詳問題」です。三福不動産勤務時代もこたびの追及過程で初めて本人の口から訂正されたものです。一体、一国の首相を務める者の履歴が不祥なぞということは、それ自体極めて不気味なものがあります。その不祥が今日の小泉政治と何らかの関係があるのならやはり問い詰めねばならないと考えます。

「小泉首相の履歴不詳問題」の最たる問題はロンドン遊学の真相にあります。やはりこれは明らかにせねばなりません。真相次第で、首相職に携わることのできる資質ではないことが判明いたします。

 例えば、先だって慶応−早稲田の学生がレイプ事件で逮捕されましたが、この連中が三十年後に日本の政府中枢に陣取っている姿を思い浮かべればよい。それはあり得てならないのです。色事秘め事一般の問題ではない。女性をレイプする資質の者は国をもレイプする可能性が(因果関係が)認められると思うからです。

 だいたい、慶応入学前が一浪だったのか二浪だったのか。慶応在学中が一留だったのか二留だったのか三留だったのか。ロンドン遊学は在学中だったのか卒業後だったのか、小泉の5月卒とは何を意味するのか。

 これらのことは隠すべきことではないのです。事実問題だからはっきりさせておけばよいのです。三福不動産勤務時代も然り。何も隠されねばならないことではないでせう。

 この種の疑惑に目を向けさせることになったのが「年金未納問題」であったことを思えば、かなり重要なことを明らかにした騒動だったと思います。「年金未納問題」に食傷した者はたらいの中の赤子まで流してはならない。今や、この問題を追及していくべきだと考えます。

 権力者は我々の生活のみならず国家百年の計に影響を及ぼします。「日本を創る」などと云ってもろくなものを創らないのは火を見るより明らかです。最悪の御仁たちを国家権力の上層部に棲みつかせていることを知るべきで、後釜がいようがいまいが即刻引き摺り下ろすべきです。

 れんだいこは、中曽根−小泉ラインの変態組の政治活動の全軌跡を明らかにすべきと考えております。とてもではないが「まとも」ではないと考えております。これが普通の感覚になるべきで、田原総一朗のように「その変態なところが魅力」なんて口舌していくのは許されることではないと考えております。

 木村愛二氏の小泉レイプ事件訴訟こそまっとうな感覚であり、我々は支援せねばなりません。それは興味本位のことではなく政治の重みを考えたときの責任追求であり、ジャーナリズムの姿勢を廻っても争われていると考えております。

 2004.6.3日 れんだいこ拝

「人生えろえろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」 れんだいこ 2004/06/03
 2004.5.10日、民主党の菅直人代表が国民年金保険料未払いの責任を取り代表を辞任している。同日、小泉首相は、衆院議員に当選する前の国民年金保険料納付に関し、「(未納は)ありません」と明言している。

 この間マスコミは猛然と管に襲い掛かり、管は責任を取らされた。ところが、小泉首相の「(未納は)ありません」のウソが露見した際には「いつまでも年金問題に拘るのはどうか」と云いはじめ、小泉は蛙の面にションベンでやり過ごしている。こうして政治が悪い方へ悪い方へと誘導されている。

 それにしても、小泉首相の粗野さは目に余るものがある。れんだいこが思うに、年金問題での過去の未加入、未納そのものは許される。勘違いも許されるべきだ。しかし昔のことであろうともひと時たりとも明らかなウソをつくことまでは許されない。他に謝罪の方法はいくらでもあるのだから。

 小泉首相の予備校時代、慶応大学学生時代、ロンドン遊学時代、ロンドンより帰国後より三福不動産に在籍するまでの期間において、少なくとも予備校時代とロンドンより帰国後より三福不動産に在籍するまでの期間が明らかに未加入であることが判明した。このことは小泉首相の政治責任を論うほどの問題ではない。しかし、「(未納は)ありません」と明言したとなるとこれはいけない。しかし、この御仁は、この程度のウソは平気でつく癖がある。

 衆院議員当選後の対応も変調である。1970.4月から1974.11月まで三福不動産会社に勤めていたことになっており、社会保険・厚生年金に加入している。しかし、この間の1972.12月には衆議院選に初当選している。議員後約2年間にわたって三福不動産に勤務し続け、会社に社会保険を支払わせ厚生年金にも加入していたことになる。議員当選後の三福不動産勤務というのも変だが、「昔の良き時代の名残り故に許される」と嘯いている。その癖、存命中の当時の社長に対して墓参りに行きたいなどと平気で云い為す。この御仁は何かがオカシイ。

 この問題の本当の在り処は、小泉首相が従来述べてきた「落選後すぐさま福田衆議院議員の草履取り修行に入った故にサラリーマン経験が無い」なる従来流布されてきた「美談」との整合性にある。この程度の脚色は許されるということなのだろうが、三福不動産勤務時代を隠蔽せねばならない理由は無かろうに。なぜ「美談」を捏造してきたのか、という詮索に波及する。

 更に、任意加入期間の未加入も明らかになった。国会議員が国民年金の「適用除外」でだった加入できなかった期間80年3月までは別として、80年4月からは国会議員も任意加入できるようになっている。その80年4月から86年3月までの6年間を含む6年11カ月間、国民年金に未加入だったことが明らかになった。

 これに対し、小泉首相は、「加入すべき期間は全部(保険料を)払っている。未加入と未納は違う。(政治責任は)まったくない」と反論した。これによれば、任意期間はまさに任意であるから未加入だったとして責任は無いという論法を駆使していることになる。しかし、「政治責任がまったくない」とは調法な口であることよ。一連の過程で「逃げ逃れできないところまで追い込まれるまで国民にウソをつき続けていた。法的にも道義的に許されない経緯も見せている」ことに対して、通常の感性なら恥ずべきことであろうに。

 6.2日、小泉純一郎首相と岡田克也民主党代表が、衆院決算行政監視委員会で初の「直接対決」に臨んだ。「首相の厚生年金加入時の勤務実態」に話が及ぶと、小泉首相は、「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」と開き直った。岡田氏は「それが総理大臣の言うことか」と声を荒らげ、質問を打ち切った。初対決終了後、岡田氏は記者団に「最悪の首相だとよく分かった。あれだけ開き直っていいのかね」と感想を述べ、直後の「次の内閣」の会合でも「首相と議論するといつも後味が悪い。むなしい議論をした」と不快感を隠さなかった、とある。

 れんだいこは、「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」節を聞きそこなったが、国会質疑の値打ちをあまりにも陵辱していよう。岡田もここを衝くべきなのに感性が弱いのだろう、単に不快と述べている。

 この御仁の特徴だが、まじめに議論するということが無い。はぐらかすか恫喝するか絶叫するかを得意とするこの話法は異色過ぎる。東映映画の見過ぎではないかと思う。

 しかしこういうことはもう分かりきったことなのだ。にも拘わらずこの御仁が首相として居座ることに違和感が醸成されない。しかし、政治をあんまり舐めるもんではないとゲンコツかます時期が来ているには違いない。

 2004.6.3日 れんだいこ拝

【小泉首相の「下半身気質」考】

 インターネット上に次のような情報が流れている。「議員・選挙@2ch掲示板」の「小泉首相にサディスト疑惑発覚か?/変態性欲者か」を参照した。この情報の真偽が定かでないままに引用するのは好みではないが、小泉首相の政治手法との共通性が認められるので、敢えて「下半身気質」を列挙させてみたい。この疑惑に対し、木村愛二氏が訴訟の挙に出た(「小泉訴訟」、「木村氏の捨身の小泉首相人格訴訟」考参照の事)。その成り行きが注目されている。

1 【逆ギレ興奮性】
 議論せねばならない事柄に対してそれを徹底できず、いわゆる逆ギレでヒステリー症状を催し、その後は恫喝と居直りで事を処理せんとする「ある種の坊ちゃん的小児性我がまま」気質が色濃く温存されている。この性分は三つ子の魂で治癒し難し、とれんだいこは認める。

 イラク特措法の審議中、「神学論争には興味ない」などの言辞を弄した「神学論争批判発言事件」もこの系譜にあると考えられる。

2 【婦女暴行常習性】
 「ロンドン留学の真相」がそれを物語っている。小泉首相の履歴として「ロンドン留学」が云われているが、その真相は、国内での婦女暴行事件(真偽判明していないが、慶応大学在学中に同学の女子大生を強姦するという事件を引き起こし、その件で神奈川県警で調書を取られているという)が表ざたになるのを恐れて、当時防衛庁長官だった父親がほとぼりがさめるまで英国に逃亡させたものらしいという噂。

 これにつき、木村愛二氏の「小泉レイプ事件は地元横須賀の市会議員の間では周知その他満載頁」を参照しつつ。以下、れんだいこが要約する。
 小泉純一郎は、二浪して慶応大学に入学。本来であれば1967年3月に卒業であったが、入学後も二留し、1967年の3月にも卒業できなかったため、3留年が決定していた。この直後、婦女暴行事件を起こして神奈川県警に逮捕されている。場所は、湘南であり、相手は慶応大学の女学生であった。警察の取調べの際に、「僕の父親は、防衛庁長官だぞ。連絡してくれ」と不貞腐れていたことが漏洩している。「この事件のことは、地元・横須賀の市会議員たちの間ではよく知られている話だ」と云う。

 元防衛庁長官であった(「当時防衛庁長官であった」との記載があるが正確でない。父の小泉純也は、第3次池田内閣、第1次佐藤内閣の防衛庁長官を務めているが、この当時は搏c甲子七氏が防衛庁長官であると思われる )父親の小泉純也氏が政治的圧力を使い、この事件をもみ消したが、学内でうわさの広まるのを恐れ、小泉純一郎氏を急遽1967年の5月にロンドンに留学という口実で日本から脱出させた。慶応大学は休学扱いしている。

 9月から通常始まるロンドンの大学に留学という形をとる予定であったが、英語ができないため、すべて合格できなかった。そのため仕方なく聴講生として一般に開放されている大学の講座をとっていた。2年 間ロンドンにいて、とった単位はゼロであった。「こういう経緯があるため、小泉は地元には滅多に帰らない。 昔のことをあれこれ詮索されるのがいや だから、帰りたくないのである」とある。

 霍見芳浩氏の次のような指摘もある。「閣僚の息子で婦女暴行で捕まった男が、留学という名目でロンドンに来ており、余り勉強もしていない」との情報が入手されており、これが小泉を指しているのではないのかと云う。この事件を確認しようとすると、『警察のガードが予想以上に固いために、非常に難渋している』とも云う。前首相・森の学生時代の破廉恥罪はスクープされたが小泉調査の壁は厚いということか」(参考サイト、ニューヨーク市立大教授・霍見芳浩氏の「歪んだ日本の情報公開」)。

 「女子高校生強姦事件」も噂されている。「代議士2年目になっても女子高校生の強姦事件を起こし、このときも逮捕されている。結局示談で処理をした」との情報も出回っている。ことらも神奈川県警所轄の事件である。

3 【家庭内暴力(D・V)】 
 小泉首相は、1978(昭和53).1月、宮本佳代子と結婚(媒酌、福田赳夫夫妻)。1983(昭和58)年に離婚しているが、「離婚の真相」として「離婚の直接の原因は、妻への家庭内暴力(ドメスティック・バイオレンス)だったとの噂」(「アサヒ芸能」02.2.23)、「3人子供を生ませて、離婚をしているが、その離婚の動機も、妻が、小泉の殴る蹴る のドメステイックバイオレンス・家庭内暴力に耐えられずに離婚をした」と云われている。

4 【本格SM趣味】
 「小泉という男がいる。この男、極度のハードS(サディスト)というのは政治家の間では有名な話である。なんでも、『小泉部屋』なるSMルームを作らせ、日夜励んでいるとか。このハードSの小泉という男は、女の子のクビを絞めながらプレイするのが好きなんだそうだ。なんでも『締りがよくなるから』らしいのだが、全くもって噂どおりの変人、変態である」(「噂の真相」)とある。

5 【SM事件もみ消し疑惑】
 「その小泉がいつものように女の子の首を絞めてハードSプレイをしていたある日、興奮して女の子のクビを絞めすぎてしまったらしく、女の子があと一歩で死にそうになったことがある。一命は取り止めたが、その女の子は深いトラウマに襲われて大変なことになった。どうしたかといえば、小泉という男の部下に飯島という男がいるのだが、その飯島が即刻、現金500万円を持ってその女の子のところに謝罪に行ってとりあえずは収まったとか」。

 「小泉氏は、サドの趣味があり、よく相手の首をしめてプレイするという。それで一度 死にそうに相手がなり、半死の状態になってしまった。驚いた 飯島秘書官が500万円を支払い、示談にしたことがあるという」。

6 【女性関係トラブル事件】
 「鈴木宗男が官房副長官だった頃、小泉に起きた女性関係のトラブルを鈴木宗男がカネで解決したとの噂、そして、そのカネの出所が官房機密費だったとの噂」(「アサヒ芸能」02.5.23)。

7 【芸者「小はん」変死事件】
 「小泉の愛人」と言われていた新橋芸者「小はん」が謎の自殺。かつて、小泉が郵政大臣に就任する直前、彼の愛人と噂された新橋芸者(源氏名「小はん」、当時31歳で、小泉が所属した旧福田派のアイドルともいわれた花形芸者)が自宅のマンションで不可解な自殺を遂げた。自殺として処理されたが、別に悩みもなく、人気もあ り、死ぬ理由も動機などなかったという。 
 当時、この「小はん」の自殺を報じた複数のマスコミに対し、小泉は彼女との関係を否定した。しかし、「ヤジ将軍」ともいわれたハマコーは、小泉を公の席で「この芸者殺し野郎!」と罵倒したと伝えられている。真相は闇の中だが、小泉の不気味な素顔を垣間みた気にさせるエピソードだ。(参考文献「噂の真相」01.8、「週刊新潮」03.1.2―9)。

8 【その他顰蹙(ひんしゅく)系噂】
●「小泉の恥ずかしい写真が出回っている」との怪情報も。(「論談:記者クラブ」02.4.22)

●小泉と親交のあった飲食店関係者との「ただならぬ関係」についての情報。(「アサヒ芸能」02.5.23)

●「小泉には愛人と隠し子がいる」との噂。(「週刊新潮」03.9.11)

【噂が真相なら国家の一大事】
 こうした胡散臭さを持つ小泉首相の暗い影を英米の諜報機関は握っている、という噂も流れている。真偽を確かめようが無いが、もしこれが事実とすると、こういう人物を国家のトップに据えていることは一大不祥事であり、国家主権問題からも早急な対応が為されねばならないということになろう。れんだいこは、このことを云いたいがために敢えてこの問題を整理してみた。

【「慶応学生強姦事件」】
 2004.6.3日、東京地裁(中谷雄二郎裁判長)は、「早稲田大学のサークル『スーパーフリー』(解散)のメンバーによる集団強姦(ごうかん)事件」で、3件の準強姦の罪に問われた元早大生の小林潤一郎被告(22)に対し、懲役10年(求刑懲役13年)、2件の同罪に問われた元日大生の藤村翔被告(22)には懲役6年(同9年)を言い渡した。一連の事件では、これまでで最も重い量刑判断となった。

 事件は、元早大生でスーパーフリー代表だった和田真一郎被告(29)=公判中=が主役で、小林被告、藤村被告らが逮捕されている。

【小泉首相の「懐刀」、飯島秘書官の資産急増疑惑】
 小泉首相がトンデモ御仁であるとすれば、類を類を呼ぶで、政務秘書官・飯島の人となりも無茶苦茶である。こういうグループに政権が委ねられていたことに対し、後世はどのように評するだろう。

 「日刊べりタ」に概要次のような記事が載っている。首相官邸ではもともと領収書の要らない官房機密費が10数億円の規模で予算化されているほか、さまざまな誘惑もある。もともと秘書官は資産公開を定めた「大臣規範」の対象者ではなく、閣僚の資産が24日に公表されたのを機に、朝日新聞が調査した。それによると、「26日付の朝日新聞(東京本社版)が社会面で伝えたところによると、小泉首相の秘書官飯島勲氏(58)の資産がこの4年間で急増しているという。飯島氏は出身地の長野県内に別荘を建て、高級車2台も購入。別荘を取得するために借りた2000万円余は2年足らずで返済していた」と云う。

 朝日記事によると、「別荘」は長野県駒ケ根市にあり、飯島氏は年に数回、訪れて数日滞在するという。そのほかにも飯島氏は99年12月に米国車キャデラック(排気量4・6リットル)、02年12月に限定生産1000台のトヨタのクラウンの復刻車オリジン(同3リットル)を購入していたが、メーカーによると新車の車両価格はいずれも700万円超という。飯島氏の年齢や経験年数の国会議員の秘書の場合、年収は1200万円前後とも。

 飯島氏は「(別荘は)大したものじゃない。著書の印税で返した」、「別荘建築時に組んだ銀行ローンは、完成から7カ月後の2001年3月に発刊した自著の文庫『代議士秘書』の印税が入り、繰り上げ返済した」と説明しているという。いう。但し、発行部数は明らかにしなかったという。「公式収入に比べ明らかに急増した資産に、釈明を求める声も上がりそうだ」とある。

(私論.私見)


松岡外相が国際連盟を脱退した時、狂ったような喝采で迎えたのは、他ならぬマスコミと国民であった。

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