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サウジ政治の二重構造と反米主義  [フォーリン・アフェアーズ]
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投稿者 あっしら 日時 2004 年 3 月 10 日 21:53:32:Mo7ApAlflbQ6s
 


 マイケル・スコット・ドーラン/米外交問題評議会準シニア・フェロー
The Saudi Paradox / Michael Scott Doran

目次

・サウジ政治の二重構造 公開中
・タウヒードの好戦性  公開中
・タカラブが求める平和的共存 公開中
・タクフィールの脅威 公開中
・遠くの敵と近くの敵
・アメリカとシーア派の陰謀?
・イラク・コネクション    

・著者紹介

マイケル・スコット・ドーラン
米外交問題評議会
シニア・フェロー

以下は論文の一部です。全文はフォーリン・アフェアーズ日本語版および日本語インターネット版2004年1月号に掲載いたします。
各誌の詳細及びお申し込みはこちら
インターネット版2004年1月号の目次はこちら


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サウジ政治の二重構造

 二〇〇三年十一月初旬、リヤドの住宅地で爆破テロが起き、十七人の犠牲者、百二十二人の負傷者が出た。ワシントンの官僚たちは、この事件がサウジアラビア政治に大きな衝撃を与えることになるとは当時考えてもいなかったようだ。事実、リヤドを訪問していたリチャード・アーミテージ米国務副長官は「アブドラ皇太子がサウジアラビアのために決定した政治・経済改革路線が、こうした忌むべきテロリストの行動によって揺らぐことはないと信じている」とコメントを発表した。

 アメリカ側が本当にそう信じていたとすれば、それは間違っていた。アブドラ皇太子の改革路線はすでに放棄されつつあった。二〇〇三年五月にサウジで起きた自爆テロ以降、アブドラの改革路線は後退し始めていた。米紙の報道とは裏腹に、改革路線を終わらせることこそ、テロ実行犯、そして彼らとイデオロギーを共有する人物たちの狙いだったのだ。どういうロジックでそのようなことになるのか、そして、サウジというワシントンの堅固な同盟国の一つが、なぜ血生臭い反米主義の温床となっているのだろうか。その理由を知るには、サウジの国内政治の詳細に目を向ける必要がある。

 サウジという国家は、王室のメンバーがそれぞれの領地を支配する分裂した国家である。四、五人いる有力な王子のなかでも、アブドラ皇太子と彼の異母兄弟で内務相のナエフ王子が特に大きな力を持っている。だが、二人の指導者の関係ははた目にも緊張している。アメリカではアブドラのほうが有名だが、サウジ国内では秘密警察を率いるナエフのほうが大きな影響力を持っている。ファハド国王が脳卒中を起こした一九九五年以降、王位継承問題がこの国のシステム全体に暗い影を落としているが、これまでのところ、王位を手にできるだけの影響力を二人とも確立できていない。

 サウジは危機に苦しんでいる。人口増加のペースに経済成長がついていけないし、石油利益からの歳入を前提とする福祉国家の枠組みも形骸化し、王室に対する地域的、宗派・部族的な反発が表面化している。イスラム主義過激派の攻勢がさらに追い打ちをかけている。こうしたなか、多くの人が、サウジの政治システムを改善し、進化させる必要があると考えているのだが、それでも、この国の分裂気味の文化ゆえに、エリートたちは改革の詳細をめぐっていまも合意できずにいる。

 サウジでは君主制が二つの政治コミュニティー間の仲介役を果たしている。一つのコミュニティーは米欧社会の制度を政治改革のモデルとみなす西洋化されたエリートたちで構成され、もう一つのコミュニティーはイスラムの黄金期を現在の指針として重視するワッハーブ派の指導者たちで構成されている。宗教指導者たちはワッハーブ派以外の主張に耳を貸すのは「偶像崇拝」であると主張し、二人の王子はこの論争をめぐって正反対の立場をとっている。アブドラがリベラルな改革主義勢力を支持してアメリカとの和解を望んでいるのに対して、ナエフは宗教指導者側に立ち、アルカイダと目的の多くを共有する反米派の宗教指導層の意向を受け入れている。

タウヒードの好戦性

 宗教指導層の力を弱めるべきか。アブドラとナエフが率いる二つの陣営はこの問題をめぐって割れている。ナエフと保守派宗教指導層は、ワッハーブ派の始祖であるムハンマド・イブン・アブドゥル・ワッハーブが定義したタウヒード(一神教)の原則を支持し、「一神教を口先で唱える者の多くが、実際には多神論者であるか、偶像崇拝者である」とみている。実際、サウジの保守派宗教指導層のなかの急進派は「キリスト教徒やユダヤ人だけでなく、シーア派、そして、信心深くなければ、スンニ派イスラム教徒さえも敵である」とみなしている。彼らは、こうした勢力は真のイスラムを破壊するための壮大な陰謀をめぐらせていると考えている。

「陰謀をめぐらせている張本人は、現代における偶像崇拝者の象徴であるアメリカである。その証拠に、アメリカはシーア派と手を組んでアフガニスタンとイラクのスンニ派を攻撃しているだけでなく、パレスチナのスンニ派イスラム教徒を攻撃するユダヤ人を助け、イラクでのシーア派の利益を促進し、サウジ政府に対しても教育カリキュラムの非ワッハーブ化を求めて圧力をかけている。ケーブルテレビやインターネットを通じても偶像崇拝の潮流をつくり出している。セックスへの許容的な姿勢をとり、キリスト教の強い影響を受け、女性の自由を無節操に唱えるアメリカ文化は、サウジ社会を内側からむしばんでいる」

 ジハードとは、武力、あるいは厳格な説得という形で偶像崇拝に対抗していく抗争のことを意味する。そして、タウヒードはこのジハードの概念と密接に結びついている。宗教指導者たちにしてみれば、国内における異教徒の文化や政治規範を粉砕することと、アフガニスタンやイラクにおけるアメリカとの戦いを支援することは同じコインの裏表であり、要は同じことなのだ。宗教指導者が繰り返し唱える「偶像崇拝者に対するジハード」に終わりはない。戦いは真の一神教が多神教を破壊し尽くす審判の日まで続く。

 このタウヒードの原則ゆえに、サウジの宗教指導者たちにはユニークな政治的立場が約束されている。結局のところ、彼らだけでも、王国の純粋を守るために偶像崇拝者をみつけて根こそぎにするだけの力を持っている。つまり、タウヒードは不寛容な宗教原則であるだけでなく、サウジ国家の抑圧体制を正当化する政治原則でもあるのだ。当然、秘密警察を率いるナエフがタウヒードの原則を支持していることには何の不思議もない。彼個人は敬虔な人物とは思われていないが、ナエフは、ワッハーブ派の純粋主義を強く支持している。抑圧体制に利益を見いだしている他の人物たち同様に、彼もまたどちらの宗教解釈を支持するのが自分にとって有利かをわきまえているからだ。

 外交政策領域でも、ナエフはタウヒードの概念をとり、ジハードを肯定している。パレスチナのインティファーダ(民衆蜂起)を助ける支援資金を国内でとりまとめたのもナエフだった(サウジの宗教指導者たちは、インティファーダのことをユダヤ・十字軍同盟の猛攻に対する防衛的なジハードとみなしている)。ナエフは、とかく問題を起こす宗教警察として有名な「勧善懲悪委員会」(CPVPV)も間接的に管理下に置いている。二〇〇二年三月には、CPVPVのメンバーが、火事になった寮からチャドルをまとわずに逃げ出そうとした女生徒を警棒で殴って押し返す事件が起き、この組織は厳しく批判された。

 報道によれば、女生徒たちはたしかにチャドルをまとっていなかったが、事情などおかまいなしに宗教規律を振りかざすCPVPVは、十人を超える女生徒たちを警棒で殴り、死亡させた。この報道がすべての側面で真実を伝えているかどうかはわからないが、少なくともCPVPVが火事から逃れようとする女生徒たちの救済活動を妨げたことを示すかなりの状況証拠はある。しかしナエフはあっさりと言ってのけた。「CPVPVは何も悪いことはしていない」と。

タカラブが求める平和的共存

 タウヒードがサウジ政治のパラダイムにおける保守思想の支えであるのに対して、タカラブはイスラムと非イスラムの和解を説く改革派の思想を支えている。非イスラム教徒との平和的共存を説くタカラブの思想を支持する人々は、シーア派、世俗主義者、フェミニストなど、ワッハーブ派がイスラム教徒とは認めていない集団の政治への関与を認めて、参加型政治コミュニティーの間口を拡大させることを求めている。外交領域においてもタカラブの支持派はジハードをそれほど重視していない。彼らは、キリスト教徒のアメリカ人、ユダヤ教徒のイスラエル人、そしてシーア派のイラン人とさえも平和的に共存することを認めている。つまり、タウヒードが求める攻撃性の対極に位置するのが、平和的共存を求めるタカラブの思想なのだ。

 アブドラ皇太子がタカラブの思想を重視していることは歴然としている。彼は世論における論争を封じ込める規制を緩和し、民主的な改革を促進し、宗教指導者の権限を弱めるように求めている。実際、アブドラは二〇〇三年の一〜五月にかけて、例外的なまでに開放的な雰囲気のなかでサウジのリベラル派との政治的対話を行い、その過程で二つの文書が嘆願書としてまとめられた。一つはサウジの民主主義への道筋を示した「国家改革文書」、もう一つは、抑圧されているサウジのシーア派コミュニティーが、より大きな自由が実現されることを求めて提出した「祖国におけるパートナー」と題された嘆願書だ。直接選挙、独立した司法制度、女性の社会的役割の拡大への支持を表明した国家改革文書には、一方で(保守派の反発に配慮して)イスラム法を尊重するという表現も盛り込まれていた。だからといってサウジの宗教指導者たちがこの文書を受け入れたわけではないが、彼らがシーア派の嘆願書に示した激しい敵意に比べれば、その反応は穏やかだった。

 サウジの宗教指導層はシーア派を心底嫌っている。彼らに対する敵意を公言することもはばからない。サウジの人口の一〇〜一五%はシーア派であるにもかかわらず、シーア派には宗教の自由が認められていない。しかしアブドラは、政治的対話プロセスのなかでシーア派の指導者たちと会見し、彼らの嘆願書さえ受け取ってみせた。政府が管理するサウジの新聞はシーア派の嘆願書の内容はもちろん、そうした嘆願書が出されたことさえ報道しなかったが、こうしたアブドラの行動にサウジの宗教指導層は大いに反発した。

 これまでも、アブドラは中東和平に向けた「サウジ案」を表明し、二〇〇二年四月にはブッシュ大統領と和平案の詳細を議論するためにテキサス州のクロフォードに出向くという行動をみせていた。そして今度は保守派が忌み嫌うシーア派の嘆願書さえも受け取った。アブドラは、タウヒードを標榜する強硬派の宗教指導層を相手にタカラブの思想を実践しているのだ。米欧人は、アブドラが掲げる国内改革アジェンダと、彼が非イスラム諸国や国内のシーア派に和解的姿勢を示すことの間に思想的一貫性を見いだせないかもしれないが、ワッハーブ教学が規定する政治文化においては、これらは同じ思想に基づく行動とみなされる。

タクフィールの脅威

 アブドラが米欧世界への友好的な姿勢を示す一方で、ナエフはジハードを奨励し、アルカイダに暗黙の支持さえも与えている。事実、ナエフは二〇〇二年十一月の時点で、「9・11の実行犯であるサウジアラビア人に罪はない」と述べ、サウジの活字メディアのインタビューで「アルカイダがあれほどの規模の作戦を計画できたとは思えない」と語っている。むしろ彼が支持しているのはイスラエル陰謀説で、「テロ攻撃によってイスラムへの敵意が掻き立てられている以上、テロはイスラムの敵による画策であるに違いない」という見方を示している。こうした発言からも、サウジの宗教指導者たちが抱く偏執的な陰謀論をナエフが支持していることは明らかである。これらの発言は「国内のアルカイダ分子を摘発しなくてもよい」という秘密警察への暗黙のメッセージだったのだ。

 ナエフの姿勢は、サウジの急進派宗教指導者であるアリ・ビンクダヤルへの対応からも明らかだ。アルカイダと近い関係にあるビンクダヤルは、イスラム過激派タクフィーリ・ジハードの指導者として知られている。この集団は、変節したスンニ派教徒に背教者の烙印を押し、(死罪をも意味する)タクフィールを宣言する組織として有名だ。

 9・11以降、自分の信奉者たちにタクフィールを実行することを喜びとするようにというファトワ(宗教見解)を出したビンクダヤルは、アメリカのことを「これまでにイスラム世界が出会った最大の敵の一つ」と位置づけた。罪もない数多くの民間人を殺すことにためらいを覚える者を批判し、攻撃と殺害を正当化しようとアメリカの罪状を並べたてた。「アメリカはイスラム教徒を殺戮し、そうでなくても慣れ親しんだ故郷から追い出し、イスラム教徒と戦う敵を支援し、世俗主義を蔓延させ、神を冒涜する行為を人々や国に強要し、ムジャヒディン(イスラム戦士)を迫害している」と。

 結局ビンクダヤルはナエフの秘密警察に逮捕されたが、それは、三十四人が犠牲になった自爆テロが二〇〇三年五月に起き、宗教指導者内の急進派の動きが政治的現状を脅かし始めてからだった。それまでは、ビンクダヤルは自由に活動できたし、反米暴力主義を何の制約もなく実践できた。その理由は、ナエフが、保守派宗教指導層に対する批判勢力を威圧し、口を封じるには、ビンクダヤルに好きにさせることが得策だと判断していたからに他ならない。ナエフにしてみれば、ワッハーブ派の暴力的な自警主義は、改革主義者の勢いをそぐには好都合だったのだ。

 例えば、マンスール・ヌカイダンというサウジの穏健派のジャーナリストは、強硬派の宗教指導者を公然と批判してきた人物だ。彼は、若い頃には過激なイスラム主義に傾倒していた時期もあり、偶像崇拝の潮流を断ち切ろうとビデオ屋の爆破事件を起こして投獄されたこともある。こうした過激派としての過去、宗教指導者の言説や解釈への深い理解、そして、タカラブの思想への揺るぎない支持ゆえに、彼の活動を宗教指導層は大きな脅威とみなし、イスラム過激派も彼のことを特に目の敵にしていた。事実、ビンクダヤルは仲間たちとともに、ヌカイダンのインタビュー記事を引き合いに出して、彼は「背教者」であると宣言し、「世俗的な人道主義」を実践し、「宗教及び宗教的儀式、敬虔な信者」を冒涜していると批判した。

 ヌカイダンは次のような立場をとっていた。「他の人々との和解を果たすイスラム、その信条と気質ゆえに他の人々を憎むことのないイスラム、そして新たな改革、世界と和解できるようなイスラムの新たな解釈をわれわれは必要としている」。ビンクダヤルはヌカイダンのこうした信条をとりわけ罪深いと批判した。彼は、タカラブを説いたヌカイダンに死刑を宣告し、その命令は彼らのウエブサイトで公開された。この事態を前にしても、サウジ当局は五カ月にわたって何もしなかった。シーア派教学を実践する政府なら、このようなことをすれば直ちに逮捕され数年は投獄されるはずだ。ビンクダヤルがこれだけ自由に活動できたことからも、サウジの実情がどのようなものかがわかる。ビンクダヤルが、アメリカ人に対する暴力を扇動し、改革主義者を脅かす行動をとっている程度なら、ナエフには何の異論もなかったのだ。

 ビンクダヤルが逮捕されたのとほぼ同じ頃、一方でヌカイダンも職を失い、物を書くことも、外国に旅行することも禁止された。これはイスラム過激派に対する取り締まりだけでなく、改革運動に対する弾圧の締めつけが強化された結果だった。現状を維持することを重視するナエフにとって、この双方向での弾圧は何ら矛盾するものではなかった。たしかに、サウジ政府を対象とする爆破テロが起き始めると、ナエフにとってビンクダヤルは問題の一部と化したが、ヌカイダンもサウジのエリートにとって脅威となり始めていた。改革主義者の弾圧をナエフが直接的に指揮しているわけではないが、彼の配下にある秘密警察は公然と改革派の弾圧を行っている。

 こうした連鎖はサウジではおなじみのものだ。有力な宗教指導者の不満を和らげるために、宗教指導層に批判的な改革派勢力が唐突に職を奪われることはよくある。ヌカイダンの雇用主は彼の解雇をめぐって何があったのかについて具体的にコメントすることを拒んでいるが、その後もヌカイダンは、電話やインターネットでイスラム過激派に脅され、死を宣告され続けた。

 一九九九年にも、ビンクダヤルの仲間は、後に国家改革文書に署名したサウジの小説家タルキ・ハマドに死刑を宣告するファトワを宣言している。実際、ハマドは殺害を予告する脅迫を受け、彼とその家族はCPVPVによる嫌がらせも受けた。小説家はアブドラに救いを求めた。アブドラは彼の話に耳を傾け、ボディーガードを手配した。しかし、アブドラが警備の人物を手配したこと自体、彼が、自分の異母兄弟であるナエフが管理する、この国の闇の部分に手出しができないことの何よりの証拠だろう。……


Michael Scott Doran プリンストン大学助教授(近東研究)で、米外交問題評議会の準シニア・フェロー。中東政治に関する刺激的な解釈を次々と発表しており、フォーリン・アフェアーズにも「イスラム世界へと引き込まれたアメリカ」(フォーリン・アフェアーズ日本語版・日本語インターネット版2002年2月号)を発表している。

Copyright 2004 by the Council on Foreign Relations, Inc. and Foreign Affairs, Japan

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