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ブッシュ奥大使日記我田引水と大手メディア追随に拙著抜粋で対抗
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投稿者 木村愛二 日時 2004 年 3 月 21 日 08:35:06:CjMHiEP28ibKM
 

ブッシュ奥大使日記我田引水と日本大手メディア追随報道に拙著抜粋で対抗

国連事務総長は、「国連支援チームのイラク派遣の用意あり」と発表した。これこそが、奥大使の遺言に答える本筋の道である。

ブッシュが奥大使の日記を我田引水した暴挙に関する日本の大手メディアの無批判な追随報道の弁解は、「ストレートニュース」の手法ということになるのだが、当局または権力者の発表、演説、個人的リークの報道操作を、せっせ、せっせと流すことで、常に体制の重要な一部としての「高札」による民衆支配の役割を果たしているのである。

しかし、奥大使と、その事績を、あくまでも独断・独善・妄想的・趣味的「暴言」を排して、正確に跡付け、位置付けた拙著、緊急出版、『外交官惨殺事件の真相と背景』の一部抜粋と、以下の最新の国連情報誌SUN記事、「事務総長、国連支援チームのイラク派遣の用意あり」とは、見事に符合するのである。

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■■■■□■□□■□■□□□◆ 国連情報誌SUN
■□□□□■□□■□■■□□■ http://www.issue.net/~sun/
■■■■□■□□■□■□■□■ mailto:sun@issue.net
□□□■□■□□■□■□□■■ 3月18日(木)の出来事
■■■■□□■■□□■□□□■ 文責:KENICHI mailto:kenichi@issue.net
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▼国連情報誌SUNは、日本語では入手しにくい国連関連ニュースをいち早く翻訳、
配信するニュース情報誌です。NYからの特別リポートや翻訳者の「今日の一言」等
トピック解説記事も読める、コンパクトで頼りになる国連情報誌です。
▼▼以下の記事は、国連広報局(UN/DPI)の了承のもと、国連HPに掲載される最新
ニュースを翻訳したものです。 http://www.un.org/News/
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[中略]
■事務総長、国連支援チームのイラク派遣の用意あり

 イラク統治評議会と米英の暫定占領当局(CPA)からのイラクの暫定政府作りにお
 ける国連の支援を要請する書簡を受けて、アナン事務総長は、近くブラヒミ事務総
 長特別顧問が率いる支援チームをイラクに派遣する用意があることを表明した。派
 遣の時期は「実行可能なできるだけ早い時期」としていいる。
[後略] 
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 以下が、2004.01.30.発行の拙著、緊急出版『外交官惨殺事件の真相と背景』の該当部分抜粋である。

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国連外交と米日軍事同盟の狭間に翻弄された若き血気の日本人外交官の悲劇
兵力1万以上の米英イスラエルの傭兵暗殺軍団はクルド地帯で何をやっているのか
[中略]
第6章 若き外交官の無駄死は国連外交と米=日軍事同盟(安保)の二重権力構造による必然の悲劇

●吉田茂は拉致同然の状態で米軍基地に連れ込まれ日米安保条約に署名をさせられた

 日本は敗戦後、内外から「部分講和」とか「単独講和を否定したポツダム協定などの国際協定に違反している」との批判を受けながら、サンフランシスコで、一応の講和条約を締結し、独立と称してきた。だが、時の首相、吉田茂は、この講和条約に調印した直後、一人だけで米軍のジープに乗せられ、拉致同然の状態で米軍基地に連れ込まれ、「日米安保条約」にも、署名をさせられたのである。この事実上のアメリカ優位、米=日・軍事条約は、日本国憲法の「戦力放棄」条項とは、まったく相反するのだが、戦後の日本の国際的な位置の基本になっていた。この状況が、日本の戦後から現在に至る政治の根本的な矛盾なのである。

 その「拉致同然」の状況が今もなお続いているのだが、奥大使は、この矛盾のまっただ中で育ちながらも、国連を過度に理想化する戦後日本の教育を受けており、つぎの2つの『毎日新聞』記事のような「決意」を抱いていたのである。

●国連を過度に理想化する戦後日本の教育を受けた奥大使の「決意」

《奥参事官、国連の重要性を強調》(24)
 岡本行夫首相補佐官は今年9月、両氏の案内でイラクを視察した。その際、奥参事官はテロで破壊された国連バグダッド事務所跡にひるがえる国連の半旗を見やり、「岡本さん、これを見て引けますか!」と腹の底から声をあげたという。『中央公論』2003年11月号への寄稿でこの経緯を紹介した岡本氏は、「肝のすわって使命感の強い」参事官を絶賛していた。

 早大在学中の1980年、外交官試験(上級)合格。2000年には本省総合外交政策局の国連政策課長に就任、国連改革に取り組んだ。

 外交専門誌『外交フォーラム』11月号に寄稿し、イラク復興における国連の重要性を強調していた。国連事務所テロで死亡した職員の血染めの名刺を掲載し、「遺志を継いで復興に貢献する」と決意を記していた。【白戸圭一】(『毎日新聞』2003年12月1日東京朝刊から)(了)
《[発信箱]奥参事官の遺志=与良正男》(24)
 イラクで殺害された奥克彦さんが外務省国連政策課長だったころ、何度か話をしたことがある。クールなタイプが多い外務省の中で、奥さんは、なぜ国連改革と日本の常任理事国入りが国益にかなうのか熱っぽく説き、時に交渉の裏話も明かしてくれるような人だった。仕事に自信と誇りを持っていた。
 外務省ホームページに掲載した彼の「イラク便り」を昨日読んだ。
 テロの犠牲になった知人の国連職員の名刺を拾った彼は、その名刺が「『何をためらっているんだ』と語りかけてくる」と自らを鼓舞し、「犠牲になった尊い命から汲(く)み取るべきは、テロとの闘いに屈しないという強い決意では」と書いた。涙がこみ上げてきた。(『毎日新聞』2003年12月2日東京朝刊から)(了)

●奥大使の「絶筆」を秘めたパソコンが見当たらない疑惑のイラク大使館の厚い壁

 さらには、つぎのような、『週刊文春』(2003年12月11日号)総力特集「新聞・テレビが絶対に報じない」「イラク外交官テロ全真相」と題する記事もある。以下は、わが電網投稿である。

《独占入手!絶筆:故奥克彦参事官が死の直前に書いた「イラク復興への思い」全文》(25)
 奥さんの遺志を継ぐと「称する」者も、本当にそうしたいと思う者も必読!

 日本人は特に、この全文を熟読玩味すべきと思い、メディアは、それをやはり、全文報道すべきであると考え、ここに掲載する。(ただし、長文なので、本書では、かなり省略して紹介する。)
「独占入手!絶筆:故奥克彦参事官が死の直前に書いたイラク復興への思い」 作家 麻生 幾
 人間は死に直面したとき、脳細胞の記憶の箱がつぎつぎと開けられ、そこから様々な映像が飛び出すという。故奥克彦・外務省参事官は、襲撃現場から病院へ搬送されてから亡くなったと伝えられている。チクリットの犯行現場で意識がなかった、というが、もしかすかにでもあったとすれば、遥か日本と約8千キロ離れたかの地で倒れた彼の脳裏には、いったいどんな映像が浮かんでいたのだろうか――。

「奥氏の脳裏に浮かんだもの? もちろん家族のことでしょう。でもそれだけじゃなかった、と確信しています。彼のイラク復興へ賭けた想いは壮絶でした。なぜなら……」
 そう語気強く口にした同誌関係者は急に声を詰まらせた。私はその想いがよく分かった。結局あの原稿は絶筆となってしまったのだから……。

 だが関係者のその想いが、2か月前の原稿とはまったく別のところにあるとは想像もしていなかった。私が聞き及んだのは、実はもう一つの“未公開の原稿”が存在すること。そしてそれこそが「本当の絶筆」である――そんな意外な秘話だった。
 奥氏は亡くなる直前、個人用パソコンを使った“未公開の原稿”を書き上げる寸前だった。その原稿とは、再来月号の『外交フォーラム』の英語版に掲載予定であったもの。しかも事件に遭遇した直後がちょうど締め切り日にあたっていた――。

 すでに原稿の仮タイトルについても、奥氏はこう提案していた。
〈(紛争後における軍隊の役割について―イラクの実例から)〉
 そして、その仕上がり間近の原稿の内容について、奥氏自身、こう綴っていたという。
〈イラク復興に関与しているアメリカ軍を中心とした各国の戦闘要員である軍隊が、ポスト・コンフリクト(地域紛争後)において果たしている役割、例えば民政部門の復興への関与について、私が見た、体験したイラクでの実例を挙げながら解説する予定。その上で、今後のイラク復興の方向づけについての意見を展開します。イラクでは、連合暫定施政当局(CPA)よりも、むしろ軍関係者が治安維持という分野を越えて、さまざまな分野に関与している。つまり、軍が事実上の「行政」を取り仕切っている。こういったイラクの実例は、これまで国連のPKOが行われたコソボ、東ティモール、またアフガニスタンと比べてもまったく異質なるものである。これからも起きるであろう紛争後の社会の安定、経済発展を考えるうえでは、さまざまな示唆を提示していることをお伝えしたい。そして最後に、日本の自衛隊の今後のあり方についても問題提起をする予定である〉

 同誌11月号の原稿とは明らかに違う。今回は、国際社会が立ち向かわなければならない現実、イラクの現状と日本に関係する生々しい部分に踏み込んでいる。そして、その行間には、イラク復興へ賭ける壮絶な想いが満ち溢れていることを私は感じた。中でも私が注目したのは、“イラクでの実例”と彼が言い切っている部分である。

 奥氏は、イラクのあらゆるところへ自ら飛んで行った。自衛隊や文民部隊の派遣においてもその準備のためにイラク中を駆けめぐった。

 そういった体験は、奥氏にしか出来なかったことだ。だからこそ奥氏は“実例”と言い切れたのだ。私はそこに、自分が命を賭して得た貴重な情報を、何としてでも日本へ伝えたい、どうか役に立てて欲しい、という強烈な意思を感じないではいられない。国連をもっとも良く知る彼だからこそ、その“現実”を語れたのだ。
 だが不幸にも、この“もう一つの原稿”は「絶筆」となってしまったのだ。
 是非、本文が読みたい――誰でも思うことだ。

 ところが不可思議なことが起こった。
 大使館の奥氏のデスクや宿舎をいくら探しても、なぜか彼のパソコンが見当たらないのだ。しかもアメリカ軍や現地警察などから渡された遺品の中からも見つかっていないという(2日現在)。発見された場合は同誌に遺稿として掲載されるだろう。だが、もし発見されなければ、その優秀な人的財産とともに、希望ある日本の未来を築くことができる貴重なメッセージまでも、我々は失ってしまったことになる。

 奥氏は“未公開の原稿”の分量について、いつになく熱っぽい調子でこう注文をつけていたという。「11月号の2倍は書きたい」「絶筆」は何としても探さなくてはならない。(了)
 しかも、これ以前に、奥大使は、つぎの文章を、「外務省編集協力」と明記されている雑誌、『外交フォーラム』(11月号)に、署名記事として寄稿していた。これも長文なので、右の記事と同じく、かなり省略して紹介する。
《『外交フォーラム』イラクの戦後復興における国連の役割(在英国大使館参事官 奥克彦)》(26)
 国連だけは自分たちを本当に助けてくれる存在だ、と大半のイラク人は受け止めている。「米国1極の世界では、国連は米国の支持なしには無能の存在だ」との批判があるが、イラクの暫定統治、憲法に基づいた政府の樹立における国連の役割は大きい。

 8月19日午後、夏休みを終えてバグダッド入りのためアンマンで待機していた私の耳に衝撃的なニュースが飛び込んできました。バグダッドの北東部にあるカナール・ホテルに本拠を構える国連事務所が爆弾テロの被害にあったというのです。

 テロの犠牲となったデメロ事務総長特別代表は、5月22日に採択された安保理決議1483を受けて、ブレマーCPA長官との間で、徐々にではありますが、国連のプレゼンスを築き始め、少なくとも現地ではCPA側も国連との協力関係を進めようとしていた矢先の爆破事件でした。これを契機に国連の腰が引けていくようであれば、テロリストの思い通りの展開となるでしょう。戦後のイラクは、米国1極といわれる現在の国際社会で、国連がどのような役割を担いうるかについて、私たちが真剣に考えるうえで、さまざまな材料を与えてくれます。

 イラクをめぐる国連の役割、特に安保理を中心とした安全保障面での関与が、世界の他の紛争国での国連の役割と一線を画しているのはなぜでしょうか。それは、イラク情勢の趨勢が中東地域全体のパワーバランスに根源的な変化をもたらしうるからです。今回の対イラク武力行使の直前の、米英をはじめとする「武力行使止むなし」の立場の国と「査察をさらに継続すべし」と主張する仏、ロ、独等との対立はいまだ記憶に新しいところです。そしてこのことが、安保理決議1483によりイラクの戦後統治に関与する国連の役割が明記された後も、国連の立場を微妙なものにしてきたといえるでしょう。
 イラクの復興支援における国連援助機関の役割は不可欠です。しかし爆弾テロにより、現地採用のイラク人以外のいわゆる国際職員が相当数引き上げられてしまった今、イラク復興のペースはかなり減速してしまったのです。

 安保理決議1483で政治プロセスへの国連の関与が認められたとはいえ、国内統治の実権を握っているのは、ブレマーCPA長官です。デメロ事務総長特別代表がバグダッド入りした数日後の6月上旬、国際協力事業団(JICA)の川上総裁がバグダッドを訪問されて、旧知であるデメロ特別代表と会談されました。私も会談に同席させてもらったのですが、「政治プロセスにも関与する」と繰り返す特別代表の言を耳にして、「張り切りすぎて大丈夫だろうか。ブレマー長官との役割分担がさぞ難しかろうな」などと気をもんだものです。

「米国1極の世界では、国連は米国の支持なしには無能の存在だ」という批判をよく耳にします。あながち全面否定できないことは今回のイラクへの武力行使決定をめぐる経緯をみても明らかです。しかし、イラクの暫定統治、憲法に基づいた政府の樹立には、なお相当のエネルギーが必要です。その重荷を米国と一部の連合参加国だけでは、いずれ背負い切れなくなるでしょう。そのとき、国連という機関の役割が必ずや大きくなってきます。

 これを見越して、たとえば安保理の非常任理事国であり、イスラム国でもある、シリアやパキスタンを前面に押し立てて、イスラム勢力との衝突ではなく、「国際社会とテロとの戦い」という構図をイラク復興の中で確立することに日本政府が関与できる余地がもっとあるかもしれません。このような策を講じてこそ、「自分が負傷しても任務を解かないでくれ」と叫びながら瓦礫の下で亡くなっていった、デメロ特別代表の遺志を生かせるのではないでしょうか。(了)

 右の「国連事務所爆破」事件に関して、アラブ・イスラム諸国では、もっぱら、モサドの仕業との観測であった。私は、それが当然の推測だと判断する。米英イスラエルは、国連を敵対視している。奥大使のこの文章の中には、爆発事件で死んだデメロ特別代表が、「政治プロセスにも関与する」と繰り返す状況と、奥大使自身が、「ブレマーCPA長官との役割分担がさぞ難しかろうな」などと「気をもんだ」ことまでが、詳しく記されている。このことからもまた、当然、奥大使の見解は、米英イスラエルから見れば、「許し難いもの」だったと判断できる。

 私は、これらの奥大使の遺稿を踏まえて、今回の自衛隊派遣が「国連の要請に基づかない」という厳然たる事実を指摘し、拙著の系列の中から、以下のように、簡略な抜粋を発表した。

第7章 アメリカの御都合主義の典型、手前勝手な国連「利用主義」に追随する日本外交の急速転落
●(第1次)湾岸戦争では国連の賛成票を金で買ったアメリカに日本は協力
[後略]
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 なお、いかなる場合にも、死者の位牌を継ぐと称して、死者の事績と遺言を、自家薬籠中に取り込み、宗教的な儀礼までを挙行し、自らの主張を補強し、群れの中での自らの地位を有利にしようとするのは、古今東西、裸の猿が、自己中心の遺伝子の命ずるままに繰り返してきた習慣、常套手段なのである。

私は、自分自身がそうしていることを、十分に自覚している。

問題は、そういう自覚もなしに、我田引水の愚挙を繰り返す「右も左も}ド阿呆揃いの実態を、これまた正確に見抜く能力を、いかにして身に付けるか、なのである。

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