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Re: ニ邦人の使用していた部屋、少し前まで生活の気配
http://www.asyura2.com/0403/war52/msg/723.html
投稿者 小円楽 日時 2004 年 4 月 16 日 00:06:29:6XeiU32wavjGw
 

(回答先: Re: ニ邦人拘束される模様伝える、イラク人からのメール:毎日新聞WEB記事 投稿者 小円楽 日時 2004 年 4 月 15 日 23:54:00)

これは報ステで映像でも流されてましたが、部屋の鍵があいていることに、
訪れたテレ朝専属現地取材記者の綿井健陽さんでしたか、が慌てて驚いてました。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20040416k0000m030104000c.html
より抜粋
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【バグダッド小倉孝保】安田純平さんと渡辺修孝さんが借りていたバグダッド・オルウィア地区のアパートの部屋は3階建ての建物の屋上にある。部屋の中には、ベッドが二つとソファ、冷蔵庫、電話、テーブルがあり小さな炊事場も備え付けられている。大きな旅行かばん近くに衣類が散らかり、少し前まで人2人が暮らしていた気配がうかがえた。

 テーブルの上にはコンピューターが1台あり、その横には安田さんが取材に使っていたとみられるノートが2冊あり、小さな字で記事の構想案などが書いてあった。

 近くの住民によると、2人のことを詳しく知るイラク人はほとんどいないという。

毎日新聞 2004年4月15日 22時50分
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まだWEB上には、あのイスラム聖職者教会の
「邦人3人の解放は日本政府の働きかけでは無い」
と明言したことを記す記事出て無いでしょうか。

記事ページ全文(既報でしょうが)
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20040416k0000m030104000c.html
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イラク人質:
不明の2人、同宿で知り合い共同生活

 イラクで知り合った2人。サマワでの自衛隊の活動や現地の反応を、安田純平さん(30)はジャーナリストとして、渡辺修孝さん(36)は市民活動家として、それぞれ日本にメールなどで報告していた。安田さんは、駐留米軍とスンニ派武装勢力が激しい戦闘を繰り広げたファルージャに「行きたい」と訴えてもいた。知人らの証言や2人のメールなどから、足取りを追った。

 3月14日に出発した安田さんは、今回で4回目のイラク訪問。2月26日に日本を立った渡辺さんも少なくとも92年ごろには、現地に入った経験がある。

 渡辺さんは2月23日夜、所属している「米兵・自衛官自衛隊ホットライン」主催の壮行会に出席した。小西誠・事務局長が「安全に気をつけてじっくり見てきてほしい」と激励すると、「マイペースでゆっくりやります」と応じていた。

 アンマンから2月29日にバグダッド入りした渡辺さんは、ホットラインのホームページ(HP)に「現地到着報告」をメールで送ってきた。自衛隊の宿営地のサマワには、3月7日に入った。「考えていたより、ずっと大きな町で活気にあふれていた」。メールで、渡辺さんはそう印象を記していた。

 約2週間遅く、日本を出発した安田さんは、機内で知り合いのフォトジャーナリスト、渡部陽一さん(31)と一緒になった。イラク情勢について情報交換しながら現地に向かった。
 
出発前に優先的に記事を掲載する約束のあった東京新聞に、安田さんから最初の連絡があったのは3月22日だ。「28日ごろ、バグダッド郊外の爆弾投下現場に行く」との内容。藤本直紀・編集局次長は「衛星携帯電話の調子が悪く、連絡はほとんどメールでのやり取りだった」と振り返る。

 別々に行動していた2人がめぐり合うのは、渡辺さんがサマワからバグダッドに戻った後の今月初めごろだ。安田さんと機内で居合わせた渡部さんは2日午後、バグダッド中心部のシーア派合同金曜礼拝の取材に来た2人に出会った。

 バグダッドに滞在中の渡部さんは、毎日新聞の電話取材に「2人は同じホテルに宿泊していて知り合ったようだ。この日ホテルをチェックアウトし、アパートを借りて共同生活を始めた。滞在費を浮かせて取材費に回そうとしたのだろう」と話した。

 安田さんのサマワでの自衛隊取材は5日だ。単独で取材中の安田さんと会った渡部さんは、安田さんが記者証を持っていなかったため、宿営地まで一緒に申請に行った。その際、安田さんが「8日までサマワ取材をする。女性自衛官を取材したい」と話していたのを渡部さんは覚えている。

 安田さんは、日本人3人が人質になった事件が発覚した後の12日、日本の知人らに「今は街中で『出歩いているとさらわれるぞ』とからかわれます。相変わらず『日本人は友達だ』というイラク人は多いです。今回の事件で『自衛隊以外の日本人は米国に味方しに来たわけではない』という認識をした人もいるかもしれません」と、メールを送っていた。

 同じ12日に、安田さんは東京新聞社会部記者に「(戦闘が激化している)ファルージャに行きたい」と連絡を入れてきた。藤本局次長によると、記者は「大変危険なので絶対にだめ。命を大切にしてほしい」と制止したという。

 安田さんは14日午前3時ごろ、日本にいる友人の秋貞早苗さん(40)にメールを寄せている。「自衛隊撤退要求運動は日本人のためだけにやるのか、イラク人を含めた市民社会そのもののためにやるのか、その点が問われていると思います」。武装グループに拘束されたとの情報が日本国内を駆けめぐるのは、15日午前0時過ぎだ。
 日本からの問い合わせで、拘束情報を聞いた渡部さんが2人が住むアパートを訪ねたのは、午前1時。渡部さんは、生活臭が漂う室内を見て「出張ではなく事件に巻き込まれた」との思いを強くしたという。

 また、同1時半ごろには、渡辺さんが所属するホットラインの小西事務局長が「無事なら至急連絡を。もし連絡がない場合には拉致されたと見なします」と緊急メールを2回出したが、返信はなかった。

 ◇少し前まで生活の気配

 【バグダッド小倉孝保】安田純平さんと渡辺修孝さんが借りていたバグダッド・オルウィア地区のアパートの部屋は3階建ての建物の屋上にある。部屋の中には、ベッドが二つとソファ、冷蔵庫、電話、テーブルがあり小さな炊事場も備え付けられている。大きな旅行かばん近くに衣類が散らかり、少し前まで人2人が暮らしていた気配がうかがえた。

 テーブルの上にはコンピューターが1台あり、その横には安田さんが取材に使っていたとみられるノートが2冊あり、小さな字で記事の構想案などが書いてあった。

 近くの住民によると、2人のことを詳しく知るイラク人はほとんどいないという。

毎日新聞 2004年4月15日 22時50分

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