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イギリス:MI-5の対テロ活動
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投稿者 エンセン 日時 2004 年 5 月 10 日 02:57:51:ieVyGVASbNhvI
 

 
イギリス:MI-5の対テロ活動

 長い間、英国防諜部では、テロリストではなく、ソビエト・ブロック諸国のスパイ、国家制度の基盤を破壊する過激な政治運動及び労働組合が主敵と考えられていた。MI5の方法は、左翼陣営へのエージェントの浸透及び徴募、政党党首の電話の盗聴、スパイ発見の際は、長期、時には何年にも及ぶ作戦ゲームを目的とすることだった。

 この点において、英国人は、エリート職員の閉鎖的なクラブ、自国民に対する監視、スパイと裏切り者の危惧等、KGBの同僚と似ていた。創設されたシステムにおいて、英国防諜員は、全く居心地が良かった。ソビエト諜報部からの亡命者が、80年代末、KGBが英国で全く想像されているほど上手く働いていないと英国人に語ったとき、MI5指導部がこれに耳を傾けなかったことは興味深い。彼らには、KGBが英国にとって恐るべき脅威であり、その対策に多額の資金を得られる方が都合が良かったはずである。

 しかしながら、冷戦が終わり、テロリストが主敵となった。既に70年代から、英国は、全近東からの政治的反体制派の避難所に徐々に変わった。その結果、非常迅速に、国は、イスラム系テロリストの戦場に変わった。英国特務機関は、変わらざるを得なかった。しかしながら、彼らが選んだ改革の道は、ロシアには似ていない。

■アイルランド問題

 歴史的に、MI5は、北アイルランドでは事実上活動しておらず、そこ(ベルファスト)には1人の連絡幹部しか有していない。IRA対策には、Royal Ulster Constabulary (RUC) (2003年11月4日、RUCは、Police Service of Northern Ireland(PSNI)に改称された。公式サイト:www.psni.police.uk)、軍事諜報部及び現地警察の特殊部署が従事した。MI5内では、長い間、テロ行為は警察が捜査すべきだと考えられていた。英国本国において、アイルランド人テロリスト対策は、現地警察の特殊部署(Metropolitan Police Special Branch − MPSB)が担当した。

 防諜部を英国のテロ対策の主要官庁に変えることに決めたステラ・リミントンがMI5を指揮した90年代初め、状況が変わった。このことは、MI5にテロリスト対策の経験がないことを引用して、MPSB幹部の抵抗を引き起こした。1992年春、ロンドンでのテロ行為の波の後、MI5は、この対立に勝利した。間もなく、庁内に、新しい対テロ部署、75人から成るT Branchが創設された。90年代中盤、T Branchには、F Branch(破壊活動対策)とK Branch(対スパイ)の最良の幹部が異動させられた。その時から、MI5は、テロ対策において、現地警察の特殊部署を調整し始めた。MI5の課自体からは、北アイルランドでは、A4監視課だけが行動している。

■方法の転換

 業務過程により、テロリスト対策にとって、テロ・グループの長期工作という以前の技術が効果的ではないことが明らかになった。90年代中盤、MI5が長年に渡る作戦ゲームを潰したくないためだけに、IRA側からのいくつかのテロ行為を許したことが起こった。

 しかしながら、アル-カイダは、IRAよりも遥かに危険だった。犠牲者数が比較にならない外、シャヒドの利用のため、テロ・ネットワークを追跡することは、困難になった。そして、テロ細胞の機構は、IRAより活動的だった。その結果、今日、警察は、明らかになるや否や、テロリストの即時逮捕を主張しているが、同時に、MI5は、古き「長期ゲーム」方法を保持しようとしている。

 今、MI5の主任務は、早期段階に脅威を発見することである。英国の電波電子諜報部GCHQとそのアメリカの同僚NSAの情報に基づき、MI5は、関係省庁、並びに大企業、特に潜在的にその施設への高い脅威であるために、British PetroleumとShellに保護された電子メールで当該警告を定期的に発送している。

 MI5により発行されるオリエンテーションは、非常に狭い層で流通する。これは、ダウニング街、10(首相官邸)と緊要閣僚を含む。Если 情報は、排他性を帯びており、安全保障・情報問題担当内閣調整官サー・デービッド・オマンド(David Omand)により、直接トニー・ブレア首相に送られる。例えば、テロ行為の脅威のため、ヒースロー空港領域に特殊部隊と戦車が導入された2003年2月がそうだった。

 MI5の対テロ対策の優先度の1つは、過激主義者による徴募の対象である以上、ムスリム諸国からの学生の追跡である。しかし、ここでも、人権を遵守せざるを得ない。MI5筋は、「ガーディアン」にこう表明した。「我々は、これらの者を摘発することができるが、人権が遵守されていない祖国に彼らを送還することはできない。その多くは、インド、エジプト、ロシア又はトルコにより手配されており、帰国すれば、テロリズムで起訴されるだろう。我々は、彼らがムスリムというだけで、追い出すことはできない」。

 それにも拘らず、90年代末、青年ムスリムの監視のために、MI5において、特殊課が創設された。その外、防諜員は、近東からの学生、特に大量破壊兵器開発に使用され得る学科を勉強している者に特別の注意を向けるように大学当局に要請した。

■要員

 アル-カイダに直面したMI5指導部は、定員を25%増やし、職員を2,400人にした。しかしながら、これは不十分であり、特務機関の充足原則自体を変える必要があった。

 MI5は、常に新職員の募集に問題を経験した。新規採用者は、家族関係、大学、共通の知り合い等により選抜された。その結果、MI5は、オックスフォード及びケンブリッジの卒業生、元植民地官僚及び軍の退役者のある種の閉鎖的クラブに変わった。これらの人々は、ホワイトホールで良く働いたが、東ベルファストのどこかで行動するには、問題があった。

 KGBに徴募され、MI5に浸透した裏切り者の大部分が、正にケンブリッジ又はオックスフォードを卒業していたことが明らかになった70年代中盤になって初めて、充足原則を変えることが決定された。当時、より広範囲な社会層から人々を集めることが決定された。しかしながら、マーガレット・サッチャーの下、改革は空回りした。野心的な青年は、都市での仕事を好み、新規採用者の主流は、元警官と除隊軍人が形成した。

 90年代になって初めて、MI5は、別の層の人々を勤務に誘致することができた。何よりも、プレス上での念入りな広告キャンペーンのおかげで。つまり、後に自分の庁の多数の秘密を暴露した元MI5職員デービッド・シェイラーは、創造的かつ教育された人間として、「神は決して現れない」というフレーズで始まる広告で募集された。広告の本質は、海の天候を待つべきものはなく、自分の手に運命を委ね、防諜部に入るべきだということである。

 デービッド・シェイラーの情報によれば、1994年まで、MI5幹部は、英国生まれの祖母と祖父を有する者からのみ募集された。その結果、庁内には、イスラム過激派組織への浸透に従事し得る職員がほとんどいなかった。最初の黒人幹部は、90年代中盤になって初めて、MI5に現れた。今、黒人は、庁の定員の3%で、MI5の最高指導部には1人もいない。庁は、1998年になって初めてその政策を変え、紙上に英国のムスリムに入庁を呼びかける広告文が掲載された。2000年、そのような広告は、「日常性を欠いた生活」のスローガンと共に、Eastern Eye及びNew Nationのような民族紙に現れた。

■本部庁舎

 90年代初め、MI5の局は、ロンドン中央部の5ヶ所の各庁舎に陣取っていた。このことは、文書の錯綜、紛失をもたらし、重要なのは、英国人が特殊作戦を調整する暇がなかったことである。それ故、全防諜職員は、新しい本部庁舎の建物に集められた。そのために、1928年に議会から300mの河岸にサー・フランク・ベインスにより建設された新古典主義風の建物、「テムズ・ハウス」が選ばれた。改築には3年かかり、1994年、MI5が移転した。

 新しい庁舎において、幹部の部屋は、明灰トーンとガラスの仕切り等、近代的スタイルで内装された。体育館及びエアロビ室の外、2ヶ所のバーすら予定されたが、実際、庁内では、禁煙が有効である。長官の書斎は、図書館の向かい側の5階にある。

 当初、MI5の新本部庁舎のファッショナブルな外見は、観光客だけではなく、より情報に通じた人々も惑わした。例えば、シン・フェイン党(アイルランド民族主義者の合法部門)党首マルチン・マクギネスは、労働党の本部庁舎だと思って、MI5に立ち寄った。彼は、ホールのカウンターに近づき、自己紹介して、自分の友人を呼ぶように頼んだ。ショックを受けた保安職員は、彼に座るように要請し、指導部を呼んだ。この瞬間、パニックの波が全庁舎を覆った。結局、誰かがマクギネスに近寄り、彼が必要な場所に行けるように、どこを通るべきかを非常に穏やかに彼に指し示した。

■技術

 MI5のファイルのコンピュータ記録は、1977年末に初めて現れた。しかしながら、防諜部の統一データベースを創設する構想は、10年後になって初めて現れた。プロジェクトは、「Grant」の名を受けたが、他所で開発されたソフトウェアの使用をMI5が拒否したことから、直ちに悪運が用意された。安全保障上の利益に立脚して、MI5は、庁内で全てが開発されることを好んだ。その結果、やはり、肩章のない人々に要請せざるを得ず、しかるべき会社の専門家が雇われた。彼らには、市場価格で支払わざるを得ず、Grantの開発費は急上昇した。その結果、Grantは、2,500万ポンドかかり、極めて使いづらいものとなった。新しい情報システムは、MI5、MI6及びGCHQの3機関に対して統一的であるものと想定された。しかしながら、1997年、MI5職員の40%だけが、それへのアクセスを得た。その結果、MI5は、当初Grantが余計な紙から庁を解放すると予想されていたにも拘らず、各幹部にプリンターを買わざるを得なかった。

 MI5の他のコンピュータ・システムも、ついていなかった。例えば、データベースHawkには、F Branch部署が追跡する政治的に危険な運動に関する情報の入ったファイルが保管されるはずだった。Hawkは創設されたが、これらの運動からの脅威は急減し、データベースは、不必要となった。Hawkが政治活動の監視用に特別に開発された以上、MI5の他の部署に対して、プログラムは適していなかった。対テロ部署T Branchも、ついていなかった。そのために、データベースDurbarが開発された。これは、大量のバグ(例えば、多くの文書が日付なしのままであり、テロリスト工作者の通信による照会に対して、コンピュータは、「yes」か「no」しか出さず、名前を出さなかった。)のため、却下せざるを得なかった。

■隊員

 武力行為の実施、外部監視の実施、エージェントの徴募等のために、MI5は、現地警察の特殊部署、いわゆるMetropolitan Police Special Branch(MPSB)を活発に利用する。彼らは、MI5の「目と耳」と呼ばれる。彼らの役割は、現場水準での防諜作戦の支援である。良く教育されたMI5幹部は、彼らを「労働馬」と考えて、MPSB職員を見下している。彼らは、実際、頻繁に「野外で働く」。その1つ、スコットランド・ヤードのMPSBは、首相の安全を保障している。ちなみに、この部署の新しい長には、2003年12月1日、史上初めて、女性のジャネット・ウィリアムスが任命された。

 テロリスト、スパイ等の逮捕のため、陸軍特殊部隊SAS(特殊空挺勤務)が使用される。FSBと異なり、MI5は、独自の特殊部隊、監獄、航空部隊、国境軍等を創設して、卵を1つの籠に入れようとは決してしていない。


最終更新日:2004/05/04

http://www2.odn.ne.jp/~cae02800/uk/ss/antiterror.htm

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