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米英軍のイラク捕虜・民間人・拷問・虐待の前史にドイツ捕虜拷問
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投稿者 木村愛二 日時 2004 年 5 月 09 日 06:21:52:CjMHiEP28ibKM
 

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『亜空間通信』767号(2004/05/09)
【米英軍のイラク捕虜・民間人・拷問・虐待の前史にドイツ人捕虜拷問ホロコーストでっち上げあり】

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 転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
 
 今の今、世界中の耳目を集めている米英軍のイラクの前史には、ドイツ人捕虜への拷問、ホロコースト(最初の成功を博した造語は「ジェノサイド」)でっち上げがある。
 
 そのどちらの底流にも、これまた今の今、パレスチナで暴虐の限りを尽くしているユダヤ人の主流、シオニストの「大イスラエル」の狂信があるのである。
 
 戦前の大日本帝国の軍隊は、八紘一宇、天皇は生き神様、「東洋平和の為ならば、何で命が惜しかろか」と歌って、今の米英軍の「中東民主化の為」の大嘘の基づく侵略、捕虜・民間人・拷問・虐待を、繰り広げたのである。
 
 以下は、拙著からの関係部分のみの抜粋である。(若干、先の別途投稿と重複)

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http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-12.html
『アウシュヴィッツの争点』
(その12)ホェスを「拷問」した英国籍ユダヤ人軍曹の確信犯的「自慢」

 フランスの歴史家フォーリソンは、「イギリスはどうやってルドルフ・ホェスの告白をえたか」(『歴史見直しジャーナル』86〜87冬)という題名の論文で、くわしい分析をしている。
 ホェスは最後にポーランドのクラコウで裁判にかけられ、一九四七年四月一七日にアウシュヴィッツ収容所内(写真3,4.Web では省略)で処刑されたが、その死の直前に書いたとされている「回想録」には、つぎのような部分がある。

「わたしは一九四六年三月一一日に逮捕された。[中略]わたしにたいする最初の尋問における証言は、わたしをなぐってえたものである。わたしはサインはしたが、そこになにが書かれてあるのかは知らない。アルコールと鞭でわたしはまいってしまった。鞭はわたしのものだが、偶然、妻の荷物のなかにはいっていた。それは馬にふれたことすらなく、ましてや収容者にむけられたことなど、まったくなかったというのに」

 わたしの手元には、フォーリソンが引用した英語の原文のとおりの『アウシュヴィッツの司令官/ルドルフ・ホェスの自伝』の英語版のコピーがある。この箇所は、日本の研究者にとって重大な問題をはらんでいる。

 なぜなら、日本語訳の『アウシュヴィッツ収容所/所長ルドルフ・ヘスの告白遺録』でも、イギリス軍による最初の尋問について、「調書に署名はしたものの、それに何と書いてあるか私は知らない」となっている。だがなぜか、「わたしをなぐってえたもの」という決定的な箇所に相当する部分がかけているのだ。しかも、「私の最初の取り調べがはじめられた」の前に、「決定的な証拠にもとづいて」という英語版にはない字句がくわわっている。

 訳者の序文には「全訳」とあるが、そうだとすればその元のドイツ語の原文があやしい。決定的な部分の削除と追加による情報操作の疑いがある。「歴史見直し研究所」でウィーバーに質問したところ、その版は手元にないがドイツ語のテキストには問題がおおいということだった。この件はまだ追跡調査が必要である。

 日本語訳の『アウシュヴィッツ収容所/所長ルドルフ・ヘスの告白遺録』には、この直後に、つぎのような英語版と基本的に一致する部分がある。

「数日後、私は、英軍占領地中央取調機関のある、ウェーゼル河畔ミンデンに送られた。そこでも、私は、英軍首席検察官(陸軍少佐)にいっそういためつけられた。刑務所も、この扱いに応じたものだった」

 文中の「いっそういためつけられた」は、私の訳では、「さらに乱暴なとりあつかいをうけた」である。この部分の「さらに」は、さきの部分の「証言はわたしをなぐってえたもの」の内の「なぐって」がなければ意味をなさない。また、「検察官」の仕事なのだから、「乱暴なとりあつかい」の目的は、それで尋問の効果をあげて、ねらいどおりの「証言」をえること以外にはないはずである。
 フォーリソンの前記論文では、ホェスの手記の公開の仕方自体をも問題にしている。それによると、公開は「やっと11年後」であり、西ドイツ(当時)国立現代史研究所のマーティン・ブロシャット所長の編集の仕方は、「学問的方法を無視」したものである。

 ホェスの尋問調書の一つは英語でタイプされており、下部にホェスのサインがある。本人の母国語のドイツ語でないだけでも大いに偽造の疑いがあるが、ホェスの尋問にあたったイギリス軍の尋問者自身が、のちに拷問の事実をみとめている。

 ホェスを逮捕し、尋問したイギリス軍の軍曹、バーナード・クラークは、イギリス国籍のユダヤ人だった。わたしはさきに紹介したフォーリソンの論文、「いかにしてイギリスはルドルフ・ホェスの告白をえたか」によって、その拷問の経過を知った。出典は一九八三年に発表された『死の軍団』という本で、著者、ルパート・バトラーはクラークとインタヴューしている。『死の軍団』はすでに絶版で入手は不可能だが、これも「歴史見直し研究所」のウィーバーにたのんでおいたら、帰国してから該当部分のコピーをおくってくれた。表紙の部分を見ると、カナダのトロント州、オンタリオ地方裁判所のゴム印がおされていて、名前や日付などが手がきでしるされている。のちにくわしく紹介する「ツンデル裁判」の書証のコピーであった。

 ルパート・バトラーによると、クラークには拷問について「なんら後悔をしめさない。それどころか正反対に、“ナチ”を拷問したことについてかなり自慢した」という。いわゆる確信犯である。
 クラークが目的とした「すじのとおった供述」をえるまでには「三日間の拷問が必要だった」。ホェスが調書にサインした時刻は午前二時三〇分だった。バトラーは、「尋問でもっともくるしんだのは捕虜ではなくてバーナード・クラークのほうだった」という奇妙な書きかたをしている。その理由は、クラーク自身の言葉としてしるされているが、つぎのようである。

「逮捕の前には、わたしの髪の毛は真っ黒だった。その三日後には突然、まんなかに白いすじがあらわれた」

 クラーク軍曹はまた、一農夫の姿で身をひそめていたホェスの捜査にあたって、ホェスの妻を子供からひきはなして尋問したが、そのさいには暴力は「まったく必要ではなかった」。決め手は、あれこれと長いなだめすかしの最後に、つぎのようにどなりつけたセリフだった。

「白状しないと、おまえらをロシア軍にひきわたす。やつらはおまえを銃殺隊のまえにひっぱりだす。息子はシベリア送りになるぞ」

 三日間のホェスの尋問にあたって、クラークが、どういうおどしのセリフをつかったかはさだかでない。だが、ホェスの妻を最後におとした「息子はシベリアおくりになるぞ」という自慢の台詞をクラークが遠慮してつかわなかったという状況は、想像するほうが困難である。しかも、この「シベリアおくり」または「ロシア軍にひきわたす」というおどし文句は、クラーク軍曹の独自の思いつきではなかった可能性が非常にたかいのである。

 ニュルンベルグ裁判についての最新の総合的な研究として見のがせないのは、『歴史見直しジャーナル』(92夏)に編集長のマーク・ウィーバーがみずから執筆した五六ページの大論文、「“戦争犯罪”裁判は絶滅政策を立証したか?/ニュルンベルグ裁判とホロコースト」(以下では「ニュルンベルグ裁判とホロコースト」に省略)である。

 ウィーバーによれば、ニュルンベルグ裁判で死刑を宣告された元労働大臣ザウケルは、「妻と子どもをソ連にひきわたす」とおどかされて「罪の告白」に署名をし、のちにそのおどしをうけた事実を公表した。国際検察局のボスのケンプナー検事は、元ドイツ外務省高官のガウスから同僚を告発する証言をひきだすために、「ソ連にひきわたして絞首刑にさせる」というおどし文句をつかっていた。

 シュテークリッヒ判事の『アウシュヴィッツ/判事の証拠調べ』にも、バッツ博士の『二〇世紀の大嘘』にも、やはり、おなじ「おどし文句」の指摘がある。

 イギリス軍による拷問の事実についても、ウィーバーは二例を紹介している。一例は、アウシュヴィッツ時代のホェスの副官で、その後、ビルケナウ(アウシュヴィッツ第二収容所)の司令官、ベルゲン・ベルゼン収容所司令官などを歴任したヨーゼフ・クラマーにたいしての拷問である。もう一つの例は、収容所全体の管理責任者で、親衛隊の経営管理本部長だったオズヴァルド・ポールにたいする拷問である。ポールはイギリス軍に逮捕された際、椅子にしばりつけられて失神するまでなぐられ、歯を二本うしなった。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus-13.html
(その13)シンプソン陸軍委員会が報告した「特高」顔まけの「拷問」の数々

 イギリス軍のクラーク軍曹によるホェス拷問の事実が活字になったのは、一九八三年になってからのようである。だが、アメリカ軍兵士の拷問による「証言」強要の数々の事実は、アメリカ軍自身によって調査され、一九四九年には一般むけの新聞紙上で暴露されていた。

 事実を公表したのはエドワード・ファン・ローデン判事である。ローデン判事は、アメリカ軍がダッハウ収容所でおこなった軍事裁判の経過を再検討するために任命した「シンプソン陸軍委員会」のメンバーだった。「シンプソン陸軍委員会」の同趣旨の調査報告はアメリカ上院でも発表され、一般公開の議事録にも明記されている。わたしは、日本の国会図書館で、いとも簡単に該当箇所を発見した。A3判で二五ページ分のコピーを手元に持っている。一般向けの新聞による暴露報道は、『六〇〇万人は本当に死んだか』によると、一九四九年一月九日付けのワシントンの日刊紙『デイリー・ニューズ』と、同年同月二三日付けのイギリス紙『サンデイ・ピクトリアル』でおこなわれている。

「自白」や「証言」を強要するためには、あらゆる手段がもちいられている。三ヵ月から五ヵ月の独房監禁。食料の減量。ニセ裁判で死刑を宣告したのちに署名すれば減刑という取り引き。ニセ牧師による説得と取り引き。火のついたマッチで身体をあぶる。頭や顔を歯や顎がくだけるまでなぐる。睾丸をける、などなどの暴力行使。

 そのもっとも強烈な告発はつぎのようなものである。

「われわれが調査した一九三九例のうち、二例をのぞいて、すべてのドイツ人が睾丸をけられ、治療が不可能な状態にあった」

 ただし、この引用文中の「一九三九例」に関しては「一三九」とする資料もあるので、これも「歴史見直し研究所」のウィーバーに質問したところ、かれもこの数字には確信はなくて、「一九三九」の方がミスプリではないかというだけだった。これも追跡調査が必要である。

 さらには、拷問にたえきれずに死による逃避をえらぶ自殺者もでた。

「一八歳の被告の一人は、毎日のようになぐられ、読みあげられたとおりの陳述を書いた。六〇ページになったところで、この少年は独房に監禁された。早朝、ちかくの房にいたドイツ人は、かれが、“もうこれ以上の嘘はいわない”とつぶやくのを聞いた。その後、ニセの陳述を仕上げるために彼をつれだしにきた看守は、このドイツ人の少年が独房の梁で首をつっているのを発見した。だが、サインをするのを逃れるために首をつったドイツ人の少年の陳述は、ほかの被告の裁判につかわれ、証拠として採用された」

 以上の報告は、念のためにくりかえすが、アメリカの上院の議事録にしるされ、一般公開されているのである。しかも、調査対象となったアメリカ軍の尋問チームについては、つぎのような事実さえ上院で報告されていたのだ。

「尋問チームのうちの何人かは、非常にあたらしいアメリカ市民〜〜ヒトラー時代のドイツからの避難民〜〜であって、被告たちに憎しみをいだいているので、被告たちから証言をひきだす目的で軍にやとわれていた。だからこそ、その中の一人は、そういう告白が必要だったならば、どの被告が相手だろうと、アブラハム・リンカーン殺害の告白だってさせることができたと語っている」

 シンプソン陸軍委員会の調査はダッハウでおこなわれたマルメディ事件の裁判を中心にしている。いちばんの中心になったニュルンベルグ裁判(国際軍事法廷)の被告のとりあつかいについては、同種の組織的な調査はないようだ。だが、つねに裁判進行の中心にすわっていたのは、アメリカ軍の戦争犯罪局であり、スタッフは共通していた。アメリカ人のバッツ博士は『二〇世紀の大嘘』の中で、ダッハウの実例を指摘したのちに、「ニュルンベルグ裁判でも証言を獲得するための強制はおこなわれた」と主張している。そのうちのイギリス軍がおこなった数例については、すでに紹介したところである。

 しかし、このすさまじいまでの「復讐」の仕組みと「拷問」の事実が、なぜ、これまでのアウシュヴィッツやニュルンベルグ裁判の報道や、研究、文学などの中にあらわれなかったのであろうか。ここでもまた、大手メディアが報道しないことよるブラックアウトという、実に単純で消極的な情報操作が、みごとな効果を発揮しているのである。
[後略]
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 以上。

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