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夷振り(ひなぶり)について【雛元 昌弘】
http://www.asyura2.com/0406/bd36/msg/410.html
投稿者 愚民党 日時 2004 年 7 月 19 日 18:29:39:ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: 『日向(ひなた)』現象 2004 投稿者 愚民党 日時 2004 年 7 月 19 日 17:57:49)



8.夷振り(ひなぶり)について

http://www.toshikozo.co.jp/kousatu/kokumeinohensen4.htm

前回、「天ざかる 夷の長道ゆ恋来れば 明石の門より大和島みゆ」(柿本人麻呂)など、万葉集に出てくる「ひな(夷)」が「鄙(いなか)」の意味ではなく、「ひな」の故国の歌をさしている可能性を述べました。

さらにホームページの検索で、宮廷の楽府に伝えられた歌曲の名称の一つとして、夷振(ひなぶり)、夷振の上歌(ひなぶりのあげうた)、夷振の片下し(ひなぶりのかたおろし)などの歌い方があることがわかりました。

詳しくは調べていませんが、単に「田舎風」ということではなく、「ひな(夷)」から伝わる文化の1つである可能性があります。

ちなみに、最初の和歌は、スサノオが櫛稲田姫(くしひなたひめ)に送った「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」とされていることから、和歌(わか)の前に夷歌(ひなうた)があり、その歌集から一部が選ばれて万葉集がつくられた可能性があります。


9.地名にのこる「ひな=いな」探しについて

アナウンスで「いなもと」さんが呼ばれた時、私はよく「ひなもと」と自分が呼ばれたと勘違いすることがあります。また、電話で「雛元」というと、相手はなかなか聞き取れず何度も聞き返され、「いなもと」や「しなもと」と聞き返されることがあります。

「ひ」は「い」に変わることが多いのではないか、という旧仮名遣いの例は、私自身の身近なところにもありました。

前回、「ひな」の付く地名を調べましたが、西日本、特に中国地方が中心で、かつての出雲を中心とした連合国の全体にスサノオ系の神社(熊野神社、八坂神社、祇園神社、恵比須神社、稲荷神社、諏訪神社など、全神社の8割を占める)が広がったのと較べて、「ひな」の地名は少ないと言えます。

言語学については無知ですので、単なる現代音の音あわせになりますが、旧仮名遣いの「ひ」が「い」として表現されている可能性があるとすると、「ひな」のつく地名は次のように全国、特に東北から関東にかけて増えてきます。

「いな=ひな」のつく地名


伊那(いな)
ほとんどが長野県の地名ですが、山梨県、奈良県にも1つみられます。

伊奈(いな)
茨城県の伊奈町、埼玉県の伊奈町をはじめ、東京、山梨、長野、岐阜、愛知、三重、長崎に少数例があります。

稲(いな)
稲山、稲田、稲本、稲沢、稲生、稲川、稲森、稲瀬、稲村、稲岡、稲尾、稲嶺など、全国に無数の地名がみられ、特に、東日本に多くみられます。

稲荷(いなり)
稲荷神社は、もともと京都の伊奈利山から起こっていますが、全国に無数の稲荷の地名があります。

井波等(いなみ)
井波(富山)、伊波(沖縄)、稲美(兵庫)、稲見(山口)、伊南(福島)、印南(千葉、和歌山)など、各地で漢字表記が異なります。

日名・比奈・日南・日向(ひな、ひなた)などが西日本に多いのと較べて、「稲」が東日本に多いのが対照的です。もともと、稲作が盛んな西日本に「稲」が少なく、「稲作」に適さない東北に多いことは、稲が「いな」でなく「ひな」である可能性をうかがわせます。

これらの地名の分布や、名字の多さからみても、「ひな国」の可能性は裏付けられると思います。

11.「ひな国」の経済・生活・文化

この日本の地には、繰り返しいろんな民族が南、東、西からやってきました。特に、中国や朝鮮の戦乱を逃れてやってきた人々も多かったと思います。それらの渡来人はそのたびに殺しあいを行っていたのではなく、動物がテリトリーを守って共存していたように、縄文時代から弥生時代にかけて長い期間、平和裏に暮らしていたと考えられます。

スサノオがやってきて、その子孫が「ひな国」(部族連合)をうち立て、縄文から弥生への移行が進んだ頃の様子は、彼らが信仰した神の姿から、火を起こし、生産技術を広め、稲作、林業、漁業、製鉄を盛んにし、薬と医療を広め、歌を読み、音楽を楽しんだ時代と考えられます。

それは、「東夷」が記録にでてくる西周の時代から考えると、紀元前11〜7世紀の頃になります。

この、縄文時代からゆるやかに弥生世界へ移行する長い期間の歴史が、神話の世界としてスサノオの国の神話に凝縮されたのではないでしょうか。

日国(ひなこく)の中心=都の「日本(ひなもと)」では日本火出初社で火起こしの神事が行われ、スサノオは木の国づくり(植林)と造船を広め、その息子達は稲作、製鉄、医療などの神々となるとともに、年に一度、八百万の神々の集いが行われ、スサノオとクシヒナタヒメに始まる夷歌(後の和歌)を広めます。この神話からは、生産的で文化的な建国の歴史、「日国(ひなこく)」の建国の歴史が浮かび上がってきます。

この「日(ひな=いな)」国の歴史は、次の各神社(神社全体の8割を占めるといわれる)の信仰の中に今も生きています。

・熊野神社(スサノオ。火起こしや植樹、製鉄、造船、商売など)

・八坂神社、祇園神社(スサノオ。くしひなたひめなどを祭る)

・氷川神社(スサノオの次男の稲倉魂命を祭る)

・出雲大社や三輪神社(大国さまを祭る)

・恵比須さま(恵比須神社の神のうち、2つの神は身体障害者です)
 
・諏訪神社(巨木信仰が今に伝わっており、三内丸山遺跡や出雲大社と同じ文化を示しています

ここには、古代史の殺伐としただまし討ちの権力奪取と王族間の殺し合いの権力闘争である古代史、天皇家の中央集権国家樹立の歴史(これは、中国の国家統一や動乱への抵抗措置であったとも考えられます)=政治・軍事史とは別の、縄文から弥生へのもう一つの豊かな移行を示す神話の世界が広がっています。

古代史=侵略史として記紀が軍国主義に利用された時代をへて、その中に見える「日(ひな=いな)」国の古代世界を明らかにすることで、縄文から弥生へ豊かな、平和的な移行を示す初期古代史の姿を明らかにしたいものです。


12.鉄の歴史について

ニジェール川流域が原産のヒョウタンと種子が縄文時代の鳥浜遺跡(紀元前5000年頃)で発見されたことは、人類がその頃より以前に、ヒョウタンをペットボトルとして世界に広がり、アフリカ大陸から日本まで旅したことを示しています。

その道は、水も食料も乏しいシルクロードの砂漠地帯を越えるのではなく、食料の豊富な海沿いの道であったと考えられます。河口や海から川を遡るところに古代文明は生じたのです。

この海に道を中心に考えると、先進地の中国から朝鮮半島をへて段階的、波状的にあらゆる文化や技術が伝わった、という考え方には疑問が出てきます。

例えば、ポルトガルからもたらされた鉄砲が、やがて日本が世界一の鉄砲国(全ヨーロッパの鉄砲の数を超える)になるまでに時間がかからなかったように、そして、その途中のアラビアやインド、火薬の発明国の中国などの国々では鉄砲は普及しなかったように、必要な技術は海を通してワープして伝搬する可能性を示しています。

そして、わが国は、当時、鉄砲をすぐに生産できる高度な鉄加工技術が存在していたのです。

あらゆる文明は、熱伝導のように高いところから低いところへと段階的に順番に伝わるとは限らず、船をつかえば、輻射熱のように遠くへ直接伝わる可能性があります。また、縄文式土器が世界でもっとも古くわが国で制作されて高度に発達した例にみられるように(古田武彦氏の提起)、わが国の方が技術の先進地であった分野もあると考えます。

私は、火山の溶岩流の熱から土器の生成現象が発見されたという古田説の例に習って、同じように自然の溶岩熱で鉄塊が生じたことがあったのではないか、それが早期の鉄生産へと発展したのではないか、という仮説を考えています。鉄文化発祥の地のヒッタイトも火山国であり、日本も鉄文化の先進地であった可能性が考えられます。

これまで、石器・木製品から青銅器、青銅器から鉄器へと、段階的に技術が発展し、その順番にわが国に中国から技術が伝わったというように考えられ、遺跡(主に墓)の出土品から、銅剣、銅矛、銅鐸などの時代(紀元前3世紀ころ)のあとに鉄器の時代がくるように習ってきましたが、果たして、正しいのでしょうか。

剣などの武器は別として、鉄は産業用途(農機具等の道具)、赤銅色に輝く青銅器は価値のある飾り物、というような使い分けがなされているとすると、墓から出る鉄器は少なく、さびて朽ちる日用品の鉄器はほとんど発見されない、ということになります。

わが国の鉄生産の起源は、記紀や出雲風土記などの神話からみると、スサノオが鉄生産を行っていたと考えられるオロチ族の族長を殺し、鉄剣(布津魂)を奪った頃より以前ということになります。この神話(歴史的事実を反映した物語)がいつごろのことかわかりませんが、神武天皇よりさらに前の時代であるとすると、文献解釈では紀元160年〜紀元前660年(今のところ、この年代問題を調べる余裕はありませんので、諸説の幅だけ示します)より以前ということになります。

西周(前11世紀〜7世紀)の頃に「夷=日(ひな)」があり、その後にスサノオが建国した時までの間に鉄生産が始まったと考えられます。

スサノオが植樹を行い、舟を作ったと言われ木の神とされていることに注目したいと思います。オロチ族の製鉄によって木が切り倒されて山が荒れ、洪水によって稲作に大きな害を与えていた時に、スサノオは荒れた山に木を植え、自然の回復を図ったのではないでしょうか。稲作の部族であった櫛稲田姫(くしひなたひめ)を助けたことと、木の神として祭られていることが符号するのです。

このリアリティのある話は、稲作と鉄生産が同時並行的に進んだ時に、ひなた部族とオロチ部族の間で環境問題から衝突が起こった、ということを示していると考えます。

最後に、もしこの神話のとおりにスサノオが奪ったオロチ族の鉄生産の遺跡(島根県か岡山県)が発見されれば、スサノオの日(ひな)国のはじまりとなる年代が確定され、初期古代の姿は大きく変わると確信しています。「出雲のシュリーマン」が現れることを期待したいと思います。

前回、「日本中央」の石碑が見つかった「都母」「石文」の地から、「ひな族」の集落が見つかることを期待しました。もし、この両方の遺跡が発見されれば、「ひな国」の最初と最後が確定することになります。

古代史は面白いではありませんか?

http://www.toshikozo.co.jp/kousatu/kokumeinohensen4.htm


http://www.toshikozo.co.jp/tutuuraura/tutuurauratop.htm

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