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博愛と言う概念は、紀元前400−300年に、キリスト教より早く、独自に東アジアに生まれました。
http://www.asyura2.com/0406/bd36/msg/840.html
投稿者 TORA 日時 2004 年 8 月 26 日 22:26:10:CP1Vgnax47n1s
 

(回答先: ハルマゲドン思想に基づいた日蓮宗は 投稿者 PONO 日時 2004 年 8 月 25 日 21:33:42)

「アジアの人権」
アジアの社会と文化を考えるシンポジウム
平成10年11月19日
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/bushco/chandora.htm

クリストファー・スピルマン拓殖大学客員教授

皆さんご存知のように、人権は第2次大戦後、国際社会において重要な問題とされてきました。国連憲章と世界人権宣言は、国際的に最も有名な文書であろうと思いますが、それが示しているように、人権保護促進と人権状況の改善は国連の任務です。ソ連ブロックの崩壊と冷戦の終焉の結果、国際関係において、人権の役割とその重要性は著しく高まったと思います。「冷戦外交」に代わり「人権外交」が登場したとすら言えます。けれども「人権」はしばしば自己の立場を正当化し、相手を攻撃する切り札として用いられてきたという事実を見落としてはいけません。

 現在、人権の定義について学者の間で必ずしも同意があるとは言えません。大雑把に言いますと、人権は広義で解釈するか、
或いは狭義で解釈するかという問題について、まず議論が行われています。狭義での人権には身体の自由、表現の自由、宗教の自由などがありますが、そういう人権には経済的発展への権利、そして政治的安定への権利は含まれていません。また、平和、或いは国民の安全、例えば、夜、恐怖なく街を歩く権利なども含まれていません。

 さらに、人権は普遍的なものであるのか、あるいは、文化、経済発展、政治体制などによって、異なり得る相対的なものであるのか、論争の的となっています。具体的に言いますと次のような問題に帰すると思います。すなわち、発展途上国は先ず経済発展を目指し、しかる後に人権の実現を図るべきか、それとも、逆に経済発展や政治的安定を犠牲にしても狭義でも人権を優先させるのかということです。これに関して学者の間だけでなく、外交官や政治家の間でも、厳しく論争が行われています。

 今日のご発表をお伺いして、感じたのはやはり狭義の人権は欧米文明を中心にできており、文化的、宗教的な理由からアジアにおいて受け入れられ難い側面があるということです。人権は欧米文化、なかんづくアメリカが専売特許を有する産物乃至概念では決してありません。回教文明に人権の伝統がありますように、東アジアにおいても立派な人権の伝統が古代から存在していると思います。

 人間性の尊重は、儒教の先哲である孔子孟子の教えにも内在していると思います。確かに、仁議の概念は基本的に人間性の尊重を前提としています。家庭を大事にする、社会を大事にする、人間関係を大事にする、全ての人間を愛するという価値観は孔子孟子の教えにあります。その価値観に、人間性の尊重に基づく広義での人権概念である社会・政治安定の理想が見出されると思います。儒教以外にもそういう伝統は残っています。

 博愛と言う概念は、紀元前400−300年に、キリスト教より早く、独自に東アジアに生まれました。墨子という中国の哲人が唱えた兼愛がそれであります。墨子もまた人権論と切り離せない平和主義も唱えました。平和は人類の一つの理想であるということは誰しも否めないと思います。この理想もヨーロッパより早く、しかも独自に東アジアに起きたのであります。墨子の平和主義の基礎には人間性の尊重、人間の尊厳があります。

 東アジアには、こういう例はいくらでもあります。仏教にも人権に当たるような概念が見出されると思います。仏教にある命を尊重する強い理想は東洋、就中、東アジアの一つの伝統をなしていると思います。

 けれども現在、一般的に使われる人権は欧米文明が作り出した狭義での人権であり、言うまでもなく、ヨーロッパの価値観に基づいております。そのヨーロッパの人権概念について歴史的な立場から言及したいと思います。

 ヨーロッパでの人権の起源はキリスト教の始まりまで遡れますが、狭義での人権はアメリカ独立戦争、言いかえればアメリカ革命、フランス革命以来、つまり欧米の近代が始まってから唱えられるようになった自由・平等・博愛という理想とともに登場したと思います。

 既に申し上げましたように、主流になったのは、戦後で、人権を欧米諸国の外交の第一目的として初めて掲げたのはカーター大統領だと思います。このような人権外交は冷戦が終わり米ソのイデオロギー的対立がなくなった1990年以後特に目立ち始めたと思います。ある意味では、反共に代わり、人権は一つの政治的なイデオロギーになってしまったと思います。

 欧米の人権擁護の実現に矛盾がないとも言えません。アメリカの憲法は最初から個人の自由・平等などを保障しながら、奴隷制度を黙認しました。南北戦争の後、この憲法の下で、奴隷制度が廃止されたあとにも長年1960年代の半ばまで、人種差別、人種隔離政策も行われていたことを忘れてはなりません。

(私のコメント)
◆明治以降洋学ばかりが持てはやされて漢学は廃れてしまった。それでも明治時代の知識人はまだ漢学にも通じた人が多かった。ところが昭和ぐらいになると知識人でも洋学しか知らない人が増えてしまった。キリスト教の博愛も墨子の兼愛の影響を受けたものなのだ。


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