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うたごえ運動と反戦運動〜くたばれ!フヌケと冷笑
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投稿者 手ポリオ 日時 2004 年 12 月 02 日 01:03:12:HcDLIonJaW4jM
 

うたごえ運動も最近はフヌケている。(もっと前からだそうだ。)でも、下記のような歌も歌っていた時代があったそうだ。1973年。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
♪赤旗はゆれ 胸おどる 見よこの旗を 色そめた 人民の血の したたりは われらの国の 花と咲く
 我等 未来を語るもの 世界を一つに結ぶもの ―――(『世界をつなげ花の輪に』)

―――1973年5月1日、メーデーの日に日本のうたごえ実行委員長・関鑑子(せきあきこ)先生は、50万人の「世界をつなげ花の輪に」の大合唱指揮をやりとげた直後、意識不明になり死去されました。73歳の全生涯にわたって「大衆こそ音楽創造の主人公である」「うたごえは平和の力」「うたは闘いとともに」を貫き、うたごえ運動の今日を築きあげた関先生のこの理念をますます輝やかせていくことが私達の肩にかけられたことでしょう。―――
【1973年5月21日 うたごえ運動・第27回定期音楽会「5月の音楽会」(大阪青少年会館文化ホール)プログラム】より
関西合唱団のごあいさつ、でした。
http://www.geocities.jp/kansaigasshoudan/dan-ensoukai27.htm
 
それでは、みなさんと共に、♪『世界をつなげ花の輪に』
http://bunbun.boo.jp/okera/saso/sekai_tunage.htm
http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/sekaiwo.html
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/sekaiwo.html
1946年
作詞 篠崎  正
作曲 箕作 秋圭 

1.太陽はよぶ 地はさけぶ
  起てたくましい 労働者
  働くものの 赤い血で
  世界をつなげ 花の輪に
  *我等未来を語るもの
   世界を一つに結ぶもの
2.若者よ今 旗高く
  行けさわやかな 朝風に
  乙女のかみに 花かおり
  解放のかねは 鳴り響く
  *くりかえし
3.赤旗はゆれ 胸おどる
  見よこの旗を 色そめた
  人民の血の したたりは
  われらの国の 花と咲く
  *くりかえし
4.大空は晴れ 波光る
  ああ太陽の 情熱で
  東と西の 兄弟よ
  はげましあって 戦おう

戦時中禁止されていたメーデーは1946年に第17回メーデーとして復活しました。
その時に募集された新しい労働歌として第2位になったのがこの曲です。第1位は「町から村から工場から」。
(♪町から村から工場から 働く者の叫びが聞こえる〜) http://bunbun.boo.jp/okera/mawa/machi_mura.htm
さて、メーデーについて。そして、うたごえ運動について。
1886年5月1日アメリカの各種労働団体が「8時間の労働、8時間の休息、8時間の教育」をスローガンとして
ストライキ、デモ行進を行なったのが始まり。運動の中心地シカゴでは参加者と武装警官が衝突しましたが、
大きな成果をあげました。 
1889年にそれを受けて第2インターナショナルがパリの大会において5月1日を国際労働運動の示威運動の日と
決めたことが今日に引き継がれています。
日本では、1905年に平民社で開催された「メーデー茶話会」がメーデー集会の最初といわれています。
1920年5月2日(日曜日)、上野公園で労働組合主催のメーデーがはじめて公然と行われ、これを第1回とし、
1935年まで16回開催されましたが、1936年に政府により禁止されました。
1946年、第17回メーデーとして復活し、総同盟・産業別・文部省・NHK(当時はラジオのみ)・各新聞社と
現代音楽協会が協力して新しい労働歌を募集。この時第二位に選ばれたのが「世界をつなげ花の輪に」である。
1948年2月10日、戦後の民衆の平和と民主主義、しあわせを求める要求や行動、たたかいが大きくたちあがる中で、
関鑑子の指導のもとに、中央合唱団が創立したことを出発点として、うたごえ運動ははじまりました。
1953年11月29日、東京・日比谷公会堂と共立講堂で「第一回日本のうたごえ祭典」を開催。
1954年3月1日、ビキニ環礁水爆実験で第五福竜丸が死の灰を浴びた。原水爆禁止運動が一気に盛り上がり、
うたごえ運動の中でも原水爆反対を訴える歌の創作を呼びかけ、
7月28日、当時、都立日比谷高校の社会科教師で中央合唱団作曲班の作曲者木下航二が、
大井の町工場の工員で東京南部文化集団の作詞者浅田石二と共に創った曲「原爆を許すまじ」が発表されました。
9月23日、被爆から半年後に亡くなった久保山愛吉無線長は、静岡県漁民葬において、静岡大生らが歌うこの歌で
送られました。40歳でした。今、東京・江東区の夢の島公園にその第五福竜丸は展示されている。
しかし、核兵器は形を変え、劣化ウラン弾や原子力関連の様々なものになり、今もヒバクシャを次々と発生させている。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~futakoz/versoj/v-folksong/genbakuwo.htm ほか。
1956年9月、第3回九州のうたごえ祭典で発表された「沖縄を返せ」(荒木栄)の、怒りに燃える歌は、
その後の沖縄返還闘争の中で歌い継がれていきます。
60年安保条約反対・三池闘争では、働く者のたたかいと反戦運動との連帯がひとつになり国中にひろがり、
以来うたいつがれている「がんばろう」のうた(荒木栄)。
1970年と72年に、沖縄返還の国民的悲願をテーマにした歌劇「沖縄」は全国で60ステージ10数万人を集める大成功を
かちとり、うたごえ20年の頂点をつくる運動となりました。70年代には、革新自治体がつぎつぎと生まれていき、
ベトナム反戦運動のたたかいと結びつきながら、うたごえ運動はすすんでいきました。
http://www.utagoe.gr.jp/rekisi.html ほかより。
―――このような過去の歌には、たたかいの息吹き、意気込み、苦しみ、悲しみ、怒り、つらさなどの生きた人間の魂の歴史が刻み込まれている。今、そういうことを消し去ったり避けようとする者がいる。
……………………………………………………………………………………………………………………………………………
【資料】
●関鑑子(セキ アキコ)明治32(1899)年〜昭和48(1973)年 ソプラノ歌手 歌曲訳詩家 中央合唱団創立。うたごえ運動の中心人物。戦後、共産党の躍進を背後の追い風として関鑑子も歌の分野で大車輪の活躍をした。平和運動や労働運動に歌を結びつけた。共産党の大会、集会、イベントなどで彼女の指揮するコーラス隊の参加はとても有効だった。
◇お墓→ http://www007.upp.so-net.ne.jp/oh-history/tokusyuinsyotekihakathree.htm
◇『大きな紅ばら―関鑑子追想集』伝記叢書 (209) 関鑑子追想集編集委員会 1996年4月 大空社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872365089/qid%3D1098289846/250-2276401-7280230
〜ソプラノ歌手で「日本うたごえ」運動の創始者・指導者の関鑑子の追想集。東京音楽学校を卒業後は演奏家として活躍する一方、プロレタリア運動に力を傾注。ロシア民謡の普及の功により国際レーニン平和賞を受賞。
◇♪「カチューシャ」日本語訳詞:関 鑑子 http://www.kbn.ne.jp/home/miyazak/sub3-8.htm
http://www5f.biglobe.ne.jp/~futakoz/versoj/v-gaikokuminyo/katyusha.htm
●小野宮吉【関鑑子の夫、新協劇団演出家】日本プロレタリア演劇同盟、「前進座」創立メンバーで演劇の脚本家。戦前の特高警察が荒れ狂う中で壷井繁治や中野重治らと中野沼袋の豊多摩刑務所に思想犯として収監されたりして左翼者にとって受難が続いた。宮本(中條(ちゅうじょう))百合子なども関連。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/gokuchueno_tegami_jinbutsu.html
●[参考文献]「メーデー“世界を結べ花の輪の意味”」日本生活文化史学会編『暦と日本人の生活』生活文化史2,1984  
http://www.tabiken.com/history/doc/S/S097R200.HTM
〜労働者の祭典・メーデー,これは1884年アメリカの各種労働団体が始めた8時間労働実現の示威運動。ストライキを決議の日と定め,1886年5月1日,アメリカ労働団体がゼネストと示威を行い,それを受けて1889年に第2インターナショナルがパリの大会において国際労働運動の示威運動の日と決めた。ただしかし,メーデーを単なる共産主義者の運動と間違えられることをおそれ,ローマ以来の農作祈願祭の日,春の花祭りの5月1日を選ぶこととなった。そこで当日は若枝と花を集めて出かけた。これはイギリスの農村の風習であるために,メーデー歌に〈世界をつなげ花の輪に〉とうたわれる。ローマ以来5月の女王が選ばれ,花をかざしてダンスを踊り,それが各地での花祭りの原型となっている。こうした習俗を生かした形で,労働者の祭典の日と化した。今再び平和のつづくなかで,しだいにデモ・ストライキより,花の祭典化しているのは,もとへ戻ったものといえようか。
↑――――――【手ポリオのいらだち】―――――――――――――――――――――――――――――――――――
└・・・ということでは、いけません。今は戦時下。「今再び平和のつづくなか」ではありません。先の「15年戦争」も始めのうちは戦時下の自覚はほとんどなかったそうだ。清沢きよしの『暗黒日記』で昭和20年1月1日に空襲が来て始めて戦時下だと意識したなどというマヌケ・フヌケを繰り返すな。すでに銃後の戦時下なのだ。趣味や道楽の反戦ゴッコや、うすっぺらなラブ&ピースのハッピー・カムカム・エブリボディー・パレード・ウォークなどをやっている場合ではない。

「うたごえ運動」も、最近はフヌケている。もっと反逆の歌こそを歌え!
同じ花を歌っても、そこらへんの今のヤワな若者の流行歌などではだめだ。たんぽぽだの、バラだの、りんごの花だの、みかんの花や、いろんな花が、どれもきれいに、野に咲いて、ふるさとの青い空のもと、春のうららに、青春の愛でやさしく、なんとやら・・・なんぞと、ゆでがえるの大合唱をしている場合ではない。同じ花を歌うにしても、「赤旗を染めた人民の血が、われら未来の花と咲く」というこの歌ぐらいに、命をかけて抗う歌が、反戦うたごえ運動だ!ジョン・レノンや坂本龍一やスマップなんぞ足元にも及ばない。それでは現代版の「新・小国民の時間」になってしまい、今の戦争への道を裏から応援してしまうことになるのだ。【 http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/929.html 参照。】私は元々、これらの歌が歌われたころは生まれていないか、小さな子供だったかで、それに身近に労働運動やこういう歌が聞ける環境にはなかったから、ほとんど知らない歌ばかり。だから、懐かしがっているのではない。ノスタルジーになるわけがない。新しいもののように感じる。いまどきの歌よりよほどいい。直接的な歌を歌い、直接的な行動をしろ。

下記のCDのような一連の歌も、あまり歌おうとしない。30年ほど前までは、何十万人・何百万人も歌っていたのに。インチキ社会主義の旧ソ連の崩壊や、カンチガイ共産主義のあさま山荘や内ゲバなどのトラウマにかかっていなくてもよい。それを極端に避けて、ふぬけの日本共産党になるな。それは、1968年ごろの再検証や、その中で芽生えた「市民的不服従、非暴力直接行動」や、労働運動・市民運動と反戦運動のつながりや、抵抗・対立・政治的緊張の意味や、戦争・軍事・国家・権力の構造などを調べ考えることから始めていけば、もっとましな方法が出てくるはずだ。昔はこれらの歌も日本共産党が歌っていたのだ。

なお、これは共産党の宣伝ではない。その逆です。これは、共産党への文句であると共に、その他の今のほとんどの反戦運動や世間の空気へのいらだち・・・、のようなものです。今の日本共産党はとてもこの程度の歌さえ歌わない、伝えない、語り継ごうともしない。うたごえ喫茶でもあまり好まれない。歴史を抹殺したり書き変えるなと言うくせに、自分たち自体の歴史もきちんと伝えない。歌さえも伝えない。こむずかしい思想・主義・イデオロギーなどを従順に学校式に学習させるよりも前に、まず、自発的な気構えと熱気だ。歌ならわかりやすいし、とっつきやすいし、いざ、ふるいたつ。そして運動に勢いが付き、目覚め、その中で、自発的にいろいろ調べたり勉強したりする気持ちも出来ていく。そういうことを全部押さえ込み、上の言いなり、それ以外は何もするな、考えるなということになっているらしい。だいたい、「平和運動」などと言っていては、目覚めないままのフヌケになるだけだ。「反戦運動」と言わなきゃ。それでもまだ甘いけど、ひとまず・・・。

私は去年、何も知らずに日本共産党の党員に入れられました。私が三年前に入った障害者の会のいろんな人が取り巻いて勧めたからです。しかし、今年の前半にすぐにやめました。一年間だけでした。除名や追放ではありません。向こうはまだいつでも来いとか言うが、行っても、反戦運動を骨抜きにする共産党なんて共産党ではないと言うだけのことだから、行けるわけがない。福祉運動も同様です。みずから去勢して反骨精神の目覚めを拒否するなんて。目覚めたら過激になって危ない?か。それが共産党の言うことか?怒りを極端に否定し、暴力とは何か、過激・危ないとはどういうことかの中身を考えず、ただ、おとなしい従順な羊の群れをつくるだけ。上のほうはお役人・官僚みたいな人ばかりで、その他は眠ったままの「いい人たち」。それなら共産党も名前を「花と愛の党」とか「道理党」「従順なひつじ党」「ゆでがえる党」とかに変えて、羊が1匹、羊が2匹、ゆでがえるが3匹…と数えてろ。

その他のところにも、いろいろ行ってみましたが、ほかのところも似たりよったりでありました。人民を目覚めさせず、眠らせたまま呆けさせているのは、むしろ、反戦運動の側ではないか!あたらずさわらずの世の中をつくるだけ。どこもかしこもラブ&ピースごっこで、政府におねげえでごぜえますだの世界でした。「いい人」になったつもりで愛と正義の偽善に酔いしれて自己満足し、明るく楽しく健康的に安心して戦争反対と言って、うわべのヤワなヘーワ・ウンドーを一応やったつもりになって、言論の自由もあるし反戦する自由もあると戦前とは違うというつもりになっている。そしてすぐに、道理だ、お行儀だ、道徳だ、倫理だ、清く高潔な人格と、高い理性を持った人間に…?「心のノート」のことだ。

またもうひとつは、冷笑的なシニシズム。世の中どうせこんなもんさと、世渡りうまく、熱くならず、ダサイことネクラなことミットモナイことはせず、ほどほどにかっこよく暮らそう、か??安全圏の高みから見下して、叩きやすい弱い者をいじめて自己の優越性を確認し満足し安心する???それがかっこいいのか????それは、単なる「弱い者いじめ」に過ぎない。反骨精神を否定し、怒ることをバカにしさげすみ、反戦運動を横目で眺め鼻先で薄ら笑ってコケにし、何も実践せず、管理・統制・支配に服従しているくせに、支配する側に入ったつもりでいる人間たち。それがかっこいいのか????かっこいいとは、権力に怒ること、熱くなること、反骨精神を持って権力に抵抗することだ。それも、そういうことをやりにくい者ほど、それをやる時だ。かっこいいとは、どんなに体の不自由な障害者でも、みっともなくても、みにくくても、みためがわるくても、みじめでも、みすぼしくても、年金生活でも、生活保護でも、うんこ垂れ流しでも、権力に怒ること、熱くなること、反骨精神を持って権力に抵抗することだ。むしろ、できる限り日常性からはずれているほどよろしい。それこそが現代の世間の空気への抵抗だ。一方、本当のダサイことネクラなことミットモナイこととは、冷笑的なシニシズムをして、かっこいいつもりになってお高くとまっている者のことだ。サイテーだ。苦しみ、悲しみ、怒り、つらさをダサイだなどと、絶対に絶対に言わさない!♪ああ、許すまじ「冷笑」を、われらの上に〜。

こんなことなら、共産党もその他もみんなそろって一緒になって、現代の、愛と道理とシニシズムの大政翼賛会をつくれば・・・ああ、すでになってるわ。・・・ということに、私は怒っているのです。そういうことを言うと、まわりの者が引いてしまうだと?何を言ってるのか?共産党やその他の反戦運動の役目は、みんなを目覚めさせ、ふるい立たせることだろうが???眠ったままにしておきたいわけか?ラブ&ピース?!平和を、偉い人に頭を下げてお願いする?。戦争・軍事をやめて下せえ、憲法を変えないでおくんなせえ、お願げえでごぜえますだ、お代官さま・・・???。政府・権力というものは戦争をしたがるものだ。民衆を支配・管理し自発的な服従・隷属をさせたがるもの。奴隷の平和なら、治安維持・監視強化を権力に依存して服従して自発的に去勢して人間の尊厳を提供すれば、いくらでもつくられる。真の平和とは、弱い者が、人に気兼ねしたり顔色をうかがったり遠慮したり卑下したり卑屈になったりせず、自分をごまかしたつくり笑いで明るく振る舞うのではなく、本音を出し怒ってもいじめられることのない、人間の尊厳を持って生きられる世の中にすることだ。障害者として断固、断定する。絶対に屈従を許すまじ。それを押さえつける政府・権力や世間の空気と対決し縛りを掛けていくための波風を立てて緊張感を浮かび上がらせていくこと。精神的去勢をするのをやめろ。弱い者いじめや、支配統制管理して服従させるのはやめて、強い者へ怒りの反抗をせよ!反戦運動とは、常に反政府、叛権力、叛体制でありつづける抵抗運動のことだ!それには権力への「怒り」を、怒りにくい者ほど、強く、根深く、しつこく、暗く、ネチッコク、執念深く、いやみったらしく、うらみ・つらみと怨念を持って、どこでも、いつまでも、怒り続けていくことだ!権力に怒れ!いざ!奮い立て いざ ああ インターナショナル 我らがもの〜♪

それにしても、こんな基本的なところから変えていかにゃならんとは、わしゃ、かなわんよ。初心者のドシロートの身障者が、一人でできることじゃねえよな。これだから、ひきこもりにもなったんだぞ。世間の空気が30年前から、おかしかったのだ・・・。

しかし、さしあたっては、かつて何百万人が歌ったこういう歌くらいは歌え!「めざめ、怒り、たたかい、圧政、暴虐、血、荒れ狂う、革命、ふるいたて」などが、じゃんじゃん入ってる歌。こうでなくっちゃ。新しい歌を作るにしてもこういう気構えが入っていなければ、フヌケた歌ではなんにもならん。本当は、もっとすごい歌を歌うべし。「全共闘の歌」とか「頭脳警察」とか「太陽肛門スパパーン」などなど・・・。
せめて、こういう歌でも、ちゃんと語り継げ。たたか〜いは ここか〜ら〜、たたかいは今から〜、オゥ![近藤和也]
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●CD『がんばろう!!決定盤 日本の労働歌ベスト』 (2001/03/07)\2850(悪税込)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HU7F/250-2276401-7280230
【収録曲】1.富の鎖(社会主義の歌) 2.革命歌 3.赤旗の歌(ドイツ民謡) 4.聞け万国の労働者(メーデー歌) 5.インターナショナル 6.くるめくわだち(ドイツ民謡) 7.ワルシャワ労働者の歌―ワルシャビャンカ―(ロシア革命歌) 8.コンミュニストのマルセーズ 9.小さい同志 10.鐘が鳴れば(ソビエト同盟赤衛軍軍歌) 11.晴れた五月 12.町から村から工場から 13.世界をつなげ花の輪に 14.若者よ 15.民族独立行動隊の歌 16.祖国の山河に 17.原爆を許すまじ 18.しあわせの歌 19.がんばろう 20.心はいつも夜明けだ 21.たんぽぽ 22.勝利をわれらに―We shall overcome―
●CD『労働歌ベストセレクション〜しあわせの歌』\2500(悪税込) 
http://www.wawawa.ne.jp/wawawa3/utagoe_o.html
【収録曲】がんばろう/世界をつなげ花の輪に/晴れた五月/国のすみずみから/しあわせの歌/原爆を許すまじ/同志は倒れぬ/赤旗の歌/聞け万国の労働者/インターナショナル/沖縄を返せ/心はいつも夜明けだ/三池の主婦の子守唄/地底のうた/花をおくろう/わが母のうた/たたかいの中に/闘うわれら/俺たちのシルクロード/未来をかけて/インターナショナル(オーケストラ)
お申し込みは、京都音楽センター http://www.wawawa.ne.jp/syoukai/index.html ほか
♪「しあわせの歌」(♪しあわせは おいらのねがい しごとはとってもくるしいが〜) 
  http://bunbun.boo.jp/okera/saso/siawase_uta.htm
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―――この歌は、戦時中の暗い谷間に、兄弟を戦争に奪われた怒りをこめた抵抗の歌としてつくられ、戦後、うたごえ運動の中で広まってゆきました。

♪もずが枯れ木で  (1935年・昭和10年)
【作詞】サトウ ハチロー
【作曲】徳富 繁
http://bunbun.boo.jp/okera/mawa/mozu_kareki.htm

1.もずが枯れ木で鳴いている
  おいらは藁(わら)を たたいてる
  綿びき車は おばあさん
  コットン水車も 廻ってる

2.みんな去年と 同じだよ
  けれども足んねえ ものがある
  兄(あん)さの薪(まき)割る 音がねえ
  バッサリ薪割る 音がねえ

3.兄(あん)さは満州へ いっただよ
  鉄砲が涙で 光っただ
  もずよ寒いと 鳴くがよい
  兄(あん)さはもっと 寒いだろ

詩は昭和10年10月にサトウハチローが『少年倶楽部』(講談社)の「僕らの詩集」欄に掲載された「百舌よ泣くな」として発表された詩に、茨城県牛久市の中学教師だった徳富繁が曲を付け、生徒たちに教え、戦時中も歌い継いでいた歌でした。
昭和29年7月、「日本のうたごえ運動・青年歌集」に茨城県民謡として紹介され、広まりました。サトウハチローの原詩は上記のものと微妙に違っています。 http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/mozugakarekide.html
枯れ枝にカエルが刺さっていると、「あっ、百舌がこの辺にいるんだ」。これは、えさの少ない時期のために食料を蓄えておくらしいのですが、干物にして保存するなんざ、頭のいい鳥ですね。

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/mozuga.html
http://www.interq.or.jp/japan/k3j/children's%20song/winter%20song/mozugakarekide.htm
http://www.city.ushiku.ibaraki.jp/new_homepage/kouhoushi/2004_01_15/05repo.htm 牛久市文化協会

http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1935.html (1935年・昭和10年)〜「非国民」…日露戦争当時から、ことば自体はあったが、このころからひんぱんに使われるようになった。非常時体制の中、国に協力的でない者を非難することば。良識を封じ込め戦争協力に駆り立てるための常套語で、弱いものいじめにも使われた。

http://www.shigaku.or.jp/hanapoem/99.12.9.htm 「兄さ」がいる満洲の「寒さ」は、場所によって違いますが、北満ならば、零下30°以下だったでしょう。

 ♪兄さはサマワに いっただよ
  鉄砲が涙で 光っただ
  もずよ暑いと 鳴くがええ
  兄さはもっと 暑いだろ

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