★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ37 > 1255.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
〈朝鮮歴史民俗の旅〉 姓名 [朝鮮新報]【今なお人々を規定する姓と本貫】
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/1255.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 12 月 07 日 16:28:40:Mo7ApAlflbQ6s
 


〈朝鮮歴史民俗の旅〉 姓名(1)


--------------------------------------------------------------------------------

 「虎は死んで皮をのこし人は崩じて名を遺す」ということわざがある。人はその名において自己の存在を現し、死後においては歴史に刻んで足跡を残す。

 朝鮮の姓氏を理解するうえで鍵となる言葉がある。姓と本貫と行列である。まずは姓について見ることにする。

 朝鮮の姓氏は父系の血縁主義にもとづいている。一族の始祖を元祖にして代をついで姓を引き継ぐのである。朴氏と李氏と金氏は、昔も今も朴氏、李氏、金氏である。朝鮮は姓氏発生以来一貫してこの姓不変の原則を貫いてきている。朝鮮人が「私は金○○です」というとき、そこには「金」という血族集団のメンバーであるとの意味が込められる。

 朝鮮の血縁主義に対して日本は家(いえ)中心主義である。先の国語辞典は名字について「名字=@かばね。A氏から出た家の名。あるいは、名田の名を自分の字としたもの。平氏から出た千葉・三浦の類」と説明している。平たく言えば、名字とは、先祖や血縁と無関係の一家族や個人が所属する家の呼称である。

 朝鮮の姓氏は、日本の名字に比べてはるかに少ない。1987年の調査によると朝鮮人の姓氏は全部あわせて274姓に過ぎない。使用人口の多い順から、大姓・著姓・貴姓・稀姓・僻姓などと分類されるが、大姓だけで人口のほぼ半分を網羅する。ソウル南山の頂上に登って石を投げれば、必ず金、李、朴、崔、鄭のいずれかの家の屋根に落ちる、と言う例えさえある。

 家中心主義では名字を勝手につけてもかまわない。実際に、現在役場に登録されている日本人の名字の多くは、明治政府が発令した「名字必称令」以後につけられ届けられたものである。名字は家を表す呼称であるから、家元を離れて独立した子は、親とは別の自分の名字を名乗ることもできる。場合によっては旧姓を捨て、まったく新しい名字を持つことも可能だ。

 姓不変の朝鮮では姓氏が増えることがほとんどない。先祖伝来の姓を発祥以後数百年、あるいは千数百年にわたってかたくなに守られ伝えられるからである。この点からすれば、朝鮮人の各家庭はすべて万世一系であると言えなくもない。

 本貫とは家門のルーツともいえるもの。始祖が姓をおこした由緒あるところが本貫である。例えば、金氏に古代の駕洛国の金首露王が起こした姓がある。この場合、始祖の姓が金でありその発祥地が金海であったことから、本貫を金海とし金海金氏を名乗ることになった。同じ金氏に慶州金氏がある。これは、新羅の金門智王が始祖で慶州が発祥の地であったので慶州金氏となった。両者はいずれも姓は同じ金姓であっても始祖が異なるから一族でない。朝鮮の姓氏は、その数は限られ少ないが本貫の数は2000ほどある。

 朝鮮の姓氏に本貫が取り入れられたのは、姓氏の数が少なく、姓だけでその出自が明らかにされない、という不便さを補うためであったかもしれない。しかし、より本質的には、人々の生活が血縁集団からなっていたことにある。つまり、郡や面に集落をおいて生活を営んでいた一族が、国家による中央集権化が進む中で、一族の政治的、経済的地盤を固めることを目的として、本貫という族中結束のよりどころを置くことになった。

 本貫は大きく、神話に基づくもの、国王から賜ったもの、後世が特別の人物を始祖にみたてたものの大きく3つがある。

 三国時代の姓氏の多くは神話や伝説によるものであった。高句麗の高氏、百済の扶余氏、新羅の朴氏などはそれらの国の建国神話から発したものだ。先に述べた金海金氏も慶州金氏も神話によるものである。済州島に高、梁、夫氏の姓があるが、これらも恥羅建国神話にまつわるもので、済州島の三姓穴伝説に由来する。

 国王から下賜された姓氏は高麗の時代になって多く見られる。高麗建国の祖・王建は、封建体制の確立の必要性から多くの臣下に姓と本貫を与えている。その代表格が平山申氏である。平山は黄海道の地名。始祖は高麗の名将・申崇謙。崇謙が平山申氏を受け賜った事情については、すでに「弓術」の項で述べた。

 異民族でありながら帰化して朝鮮人になった例もある。朝鮮の帰化姓には、中国系、蒙古系、女真系、ウイグル系、アラブ系、ベトナム系、日本系などがある。帰化の動機は、政治亡命、投降帰順、漂着、政略結婚などいろいろだが、注目すべきは、多くの者が国王と政府の厚い保護を受け、姓と本貫を下賜されていることだ。

 日本系は金海金氏(友鹿洞金氏)に代表される。その家訓には次のような記録が残されている。

 「始祖・金忠善の日本名は沙也可。加藤清正の右先鋒将として壬辰倭乱に参戦したが、朝鮮の文物と人情に心うたれ、朝鮮軍兵馬節度使・朴晋に帰順する。その後、朝鮮の軍人として参戦して功を成し嘉善大夫の名誉を得る。都元帥などの奏請で金忠善の姓名を受け賜る。戦後、北方の辺境地の警備をまかされ、女真軍五百名を討ち取った戦功で正憲大夫となる。大邱の牧使・張春点の娘と結婚し子孫を残す。金忠善の金姓は、本名が沙(砂)であったことから、砂金を念頭において金姓を名のり、砂金のなかでも海中の金が一番すぐれているからと、金海をもって本貫とした」(朴禮緒、朝鮮大学校文学歴史学部非常勤講師)

[朝鮮新報 2004.11.13]

http://210.145.168.243/sinboj/j-2004/06/0406j1113-00001.htm

〈朝鮮歴史民俗の旅〉 姓名(2)


--------------------------------------------------------------------------------

 朝鮮の姓氏、本貫のなかで一番多いのは、後世が特定の人物を始祖に見たてて始めたものである。いずれも当代一流の人物を始祖に奉りその地名を本貫にしている。

 慶州崔氏の始祖は新羅の碩学・崔致遠。12歳の若さで唐に渡って学問し科挙に合格して故郷に帰るが、時の新羅はすでに力尽き秀才の能力は活かされなかった。彼は各地を放浪し余生を伽ー山・海印寺で送った。高麗王朝は彼に死後文昌候を追奉してその能力と功績を称えた。その子孫たちは慶州を本貫とする慶州崔氏を起こしてその姓を継いだ。

 文化柳氏は新羅の豪族で高麗建国の功労者であった車達が始祖である。咸安趙氏の始祖・鼎は高麗の開国壁上功臣、安東権氏の始祖も同じく功労者であった。

 主要な姓氏に限らず使用人口の少ない姓氏も立派な始祖をたてている。木川馬氏は温祚とともに百済建国にたずさわった黎が始祖であったし、塊山皮氏の始祖は朝鮮王朝開国功臣・兵゙判書・得昌であった。

 本貫には中国の聖人君子やその子孫を始祖に置いたものもある。曲阜孔氏は孔子の五三世の孫・紹が起こした姓氏であるが、本貫の曲阜は孔子の故郷魯国の地名である。また、清州韓氏は箕子の四一世の孫・鋭が始祖であるとされている。

 これら本貫は史実に照らして真実であると確認できるものもあるが、神話や伝説となって潤色され誇張されたものもある。また、子孫が意図的に歴史的人物を取り込んで本貫に仕立てたものもあるようだ。

 朝鮮王朝になって、同姓同本の系譜を代々記録した系図である族譜が現れた。一族の血統に箔をつけ、両班階級としての正統姓を誇示する証でもあった。始祖がすぐれ大臣や学者など有名人を多く輩出すれば名門となって権勢を振るった。由緒ある家柄の族譜は数十、数百巻にものぼった。やがて庶民のなかにも広まり、18世紀後半になると、それを持たぬ家庭はほとんどいなくなっていった。

 族譜は一族の来歴などを記した序文に始まる。次に傑出した人物の功績を書き、彼ら祖先の墓などが記載される。その後に一族の系譜図が列挙されるが、系譜に乗せられる人物が、一族のなかの何世代目の誰であるかを明らかにする独特の命名法が、その時代に確立するのである。これが朝鮮姓氏制度を理解するうえで重要な三つ目の鍵となる行列というものである。

 行列とは同じ一族の同一世代の者が、木、火、土、金、水の五行の順に従って一字を共有することによって、一族内の世代の序列を明らかにする文字で、その原理は陰陽五行説に基づいている。

 例えば、永川李氏の場合、一四世から一八世の行列字は、模(一四)、炳(一五)、圭(一六)、錫(一七)、漢(一八)である。これらの文字をあてれば、欽模、炳三、成圭、錫寿、斗漢などと命名されるが、この場合、行列の文字は世代を表し、残りの一字は本人であることの認識文字となるのである。

 見てきたように、朝鮮人にとって姓名は父系血族の構成メンバーであるという証であり、個人的には、自分の出自と置かれた位置を歴史のなかで表わす、もっとも重要なアイデンティティーである。ひとむかし前まで、朝鮮には絶対守らなければならない重大な約束をするとき、「破れば姓を変える」という悲壮な誓いを建てるならわしがあったが、このことは、朝鮮人にとって姓名は命ほど大切なものであったことを物語るのである。

 今日、社会の近代化が進むなかで、姓名をとりまく環境が大きく変わり、族譜や行列に対する関心も薄くなりつつある。血縁主義の時代は遠のき、人々は自らが主人となって運命を切り拓いて生きているのだ。にもかかわらず、朝鮮人は姓氏と本貫だけは変えることなく引き継いでいる。

 朝鮮の姓氏について語る時、日本が強要した悪名高い「創氏改名」を避けて通ることが出来ない。「創氏改名」は、一九三九年一一月、「朝鮮民事令改正」という法令のもとで断行されたが、その目的は朝鮮固有の姓名を日本式にかえさせることで、朝鮮民族を抹殺し日本人化、皇国臣民化をおし進めることにあった。

 もちろん朝鮮人は「創氏改名」に反対して闘った。断固反対を貫いて投獄されたり、職を奪われたり、徴兵徴用にかりだされた人もいた。時の朝鮮総督南次郎に対抗して「南太郎」と付けたり、日本の天皇の名をもじって「裕川仁」と付けて抵抗の意志を表わした人もいた。

 また、なんとか日本名のなかに固有の姓を残そうと、「金本」、「張本」、「安本」を名字に付けたり、本貫を氏名にして「水原」、「星山」、「玉川」を使う人々もいた。いずれにせよ、創氏改名は屈辱であったので先祖に申しわけなく、自ら「犬子」と付けてわびのしるしにした人もいた。

 しかし、「創氏改名」は一時の出来事で、祖国の解放とともに日本名は捨てられ、祖国では南北とも伝統の姓名がよみがえっている。唯一、在日同胞社会だけが通名という形で「創氏改名」の屈辱を引きずっている。やむをえないとはいえ、はなはだ残念なことである。(朴禮緒、朝鮮大学校文学歴史学部非常勤講師)

[朝鮮新報 2004.12.5]


http://210.145.168.243/sinboj/j-2004/06/0406j1205-00002.htm

 次へ  前へ

Ψ空耳の丘Ψ37掲示板へ



フォローアップ:


 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。