★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ37 > 211.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
「民衆の力」を左右する「国語力」の問題
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/211.html
投稿者 鷹眼乃見物 日時 2004 年 9 月 28 日 13:02:48:YqqS.BdzuYk56
 

 2004年8月16日に、アルダ-ティ・ロイ(Arudhanti Roy/イラク戦争、環境問題などについて積極的な発言を続けており、今、世界で最も注目されている女流作家の一人/http://website.lineone.net/~jon.simmons/roy/)女史が、サンフランシスコのアメリカ社会学会・大会で『帝国時代におけるパブリック・パワー(民衆の力)』という講演を行いました。
<注>アメリカ社会学会については、http://www.asanet.org/を参照。
<注>帝国の時代・・・これはイギリスの歴史家、ホブズボーム(Hobsbawm E.J./1917− )の名著『帝国の時代』の書名。1993年に邦訳(訳:野口建彦・照子、みすず書房刊、¥5,040円(税込))が出版されている。この本でホブズボームは、アメリカ中心のほんの一握りの覇権国家によって地球の表面積が殖民地として再分割・再支配されているという認識を示している。
 2004年5月に終わったインドの総選挙(投票率55.0%)では、前与党・インド人民党(BJP/保守的なヒンズー民族主義路線)が極貧層の反発を受けて敗北し、ソニア・ガンディ党首が率いるコングレス党(Congress/国民会議派)を中心とする連合政権が成立することになり、コングレス党のマンモハン・シン元財務相を首相とする新政権が発足しました。しかし、 シン首相は90年代前半の経済「改革」の功労者であり、経済「改革」の基本方針は前政権から継承されると考えられています。(http://www.marubeni.co.jp/research/3_pl_ec_world/040603imamura/index.html
 この講演の記録(http://home.att.ne.jp/sun/RUR55/J/Others/ArundhatiRoy.htm)を読んで大変に驚かされました。それは、インドがここ10年ほどの間に辿ってきた道程が、日本がこれから進む方向に酷似していると思われたからです。つまり、ワシントン・コンセンサス(新自由主義の基本構想)の筋書きどおりに展開されているアメリカ発・グローバル市場原理主義の圧倒的な風圧に晒されてきた現在のインドの姿が、ソックリそのまま近未来の日本の政治・経済状況に重なるように思われるのです。今、日本では民主党支持の気運が高まっており、理想的な二大政党政治の時代が近づいたと一部のマスコミは囃しています。が、果たして事態はそんな単純なことでしょうか?
 アルダ-ティ・ロイによると、ここ10年位のインド社会の状況は、おおよそ次のようなことのようです。今までのBJP(インド人民党)政権は、日本の小泉政権と同じくワシントン・コンセンサスの新自由主義路線に忠実な「改革政策」に積極的に取り組んできました。その結果として起こったのは、中央(都市部)と地方(農村部)との間の「貧富の差が一層拡大」するとともに、治安維持のための「テロ防止法」(POTA/Prevention of Terrorism Act /参考、http://www.hrwatch.org/english/docs/2004/09/22/india9370.htm)によって警察権力の横暴が強まり、少数民族や社会的弱者及び彼らを支援する側に立つ一般市民に対する迫害や弾圧が頻発するようになったのです。しかし、今回の総選挙の結果による政権交代では、このような「現代インドの暗黒時代」が終わったと手放しで喜ぶわけには行かないとアルダ-ティ・ロイは語っています。それは、国民会議派を中心とする新連立政権と従来のBJPの間には、政策上でさしたる違いがなく、しかも新自由主義政策に基づく「改革」と「過剰な治安維持」が今回の総選挙の明確な争点とはならず、極貧層の反発による僅かの票差が選挙結果を左右しただけであったからです。このような点が目立つ争点とならないという背景には、政治家・官僚・財界人などインドの支配層による巧妙なメディアコントロールが功を奏したこと、強いて言うなら、彼らが「民衆の国語力」の弱さに乗じて巧妙に政権を維持したと考えられる節があるからです。これは、仮に日本で民主党政権が誕生したとしても、現在の民主党が掲げる政策と小泉政権が掲げる政策には根本的な違いがあるとは考えられないこと(新自由主義に基づく改革路線という意味で・・・アメリカ従属の発想ではなく、例えばオランダやデンマークなどのように貧富差の縮小をめざす欧州型の新しい資本主義の形を目指すなら別ですが・・・)と同じです。しかも、インドでも日本の場合でも、このような点に問題があることを一般国民(民衆)が殆ど意識しておらず、敢えて主要なジャーナリズムもそこから一般国民の眼を逸らすように仕向けている節があるからです。更に深刻なのは、新自由主義思想には社会における支配層(勝ち組)と被支配層(負け組)の二極化が定着することを当然とする「暗黙のルール」が存在するということです。インドでも日本でも、現在の「構造改革路線」を支える「新自由主義思想」の奥底に“このように冷酷な「暗黙のルール」が隠れていること”を隠蔽しカムフラージュするためには、実は一般「民衆の国語力」が弱体化するに任せておき、彼らが真実に気付かぬ方が都合がよいということになる訳です。
 それはともかくとして、まずアルダ-ティ・ロイの講演の要点を抽出すると次のようなことになります。
●現在の新自由主義思想の下では、自由を守るという名目で真の自由が制限されている。
・・・現在、インドや日本などの“選挙が抱える共通の深刻な問題”は、一般民衆に対して「政策評価のための本当の選択肢」が「意図的に示されない」ということである。このため、このような反民主主義的な状態を放置すると、いずれは真の自由を取り戻すために革命が必要となるような深刻な事態が到来するかもしれない。
●「民衆の国語力」を弱めるため、為政者やマスメディアが巧妙に「言葉の意味のすり替え」を行っている。
・・・例えば、「占領→自由」、「新自由主義→民主主義」、「抑圧→改革」、「中央集権→分権」、「侵略→平和維持」、「戦争→治安維持」、「強権→権限付与」などのような意味のすり替えが巧妙かつ平然と行われている。
●カースト制度の伝統を引きずるインド社会は、元来、身分と貧富の格差が非常に大きかったが、その構造が根本的に変革されないまま、つまり極貧層を最下層とする封建的ヒエラルキー構造のまま近代国民国家として独立したという経緯がある。これはインドの特殊性だが、伝習的な精神構造という意味で捉えると、それは日本にも当てはまる。
・・・このため、インドのエリート層は自分たちの意識を国家から分離することができず、一方で貧困層を主体とする「一般民衆」は国家に保護してもらう、とにかく国家へ縋る、国家へ頼るという意識が強い。日本の民衆意識の深層に根強く蔓延る“お上意識、官尊民卑、親方日の丸”などの伝統意識もまったく同じことで、これらの意識は、近代民主主義国家の構成員たるべき市民社会の意識から遠くかけ離れた特異なものとなっている。
●今のアメリカは、違った意味でもっと深刻な市民意識の危機が進行しており、政府・企業・マスメディア・娯楽産業が提携して紡ぎだす巧妙なパラノイア(偏執狂)製造システムが「果てしない恐怖心」を「一般民衆」へ植え付けている。
・・・今のアメリカでは、政府と一般民衆が「果てしない恐怖心」という一点で融合し、これが強引な一国主義の押付けとなって世界へ向かい溢れ続けている。このため、世界中の市民社会で反米意識が高まり、アメリカの一般民衆の孤立感(なぜアメリカ人は嫌われるのか!という)が深まり、さらに一層、政府と一般民衆のパラノイア的な抱擁が強まる、という悪循環の罠に落ちている。
●民主主義を標榜する殆どの各国政府は、自らを選出した「一般民衆」に対して正しい意味での説明責任を果たしておらず、逆に、「一般民衆」が政府の失敗の責任を一方的に取らされている。
・・・一般「民衆の国語力」の弱体化を“意図的に善しとして”放置することの政府の罪がここで浮かび上がってくる。つまり、政府が正しい言葉で真実を語らぬため、「一般民衆」は何も意識せず、問題の根本を考えることができないまま、政府の失敗の責任だけを取らされている。このように考えると「テロとの戦い」の論理が、実は「テロリストの論理」とソックリ同じであることがわかる。なぜなら、いずれも、自らがやったことの失敗を償うために「一般民衆」に対して、冷酷な態度で犠牲を強いるばかりであるから。
●従来の政治思想によれば、パブリック・パワー(一般民衆の力)は「選挙の投票」を通して行使されることになっているが、現実には、今回のインドの総選挙のように、投票が終わった後の彼らには、さっさと家に帰ることだけが期待されている。
・・・自らの「国語力」の弱体化ゆえに“勘違いし”て投票を終えた一般民衆に残された仕事は、真っ直ぐに家路に着くことだけである。その結果、たとえ政権交代が起こったとしても、「真の問題」は新政権のもとで継続することになる。その背後では真に政治を動かす黒幕たちが政策決定に大きな影響を及ぼし続ける。この点はアメリカでも同じことで、仮に大統領選挙でブッシュが倒れても、ブッシュなしのブッシズムが続くことになるであろう。その場合の黒幕たちとは、選挙の洗礼を受けないキリスト教右派勢力であり、ネオコン一派であり、産軍複合体の幹部・CEOそして銀行家たちである。
●アメリカなど先進民主主義諸国では、国家が「自由と民主主義」を守るための「野蛮で残忍なテロとの戦い」を標榜する一方、政府・企業・マスメディア・映画産業・ゲーム業界がらみで一般国民の無意識の中へ「暴力の神聖化」のイメージを送り込む作業が続けられている。
・・・本来であれば、毎日のような米軍の爆撃で無慈悲に殺され続けるイラクの子どもたちや、テロリストの嫌疑で収容されたアブグレイブ刑務所で過酷な拷問にかけられた囚人たちの一人ひとりが、我われと同じ一般の市民であるという「現実」が、この「暴力の神聖化」作戦によって無意識のうちに忘却させられている。また、この作戦は、先進民主主義諸国の青少年たちに「脱感作訓練」(米軍で行われている、無感動に人殺しを実行させるための心理訓練)を施すという、恐るべき副作用をもたらしており、各国で青少年の暴力犯罪や異常な殺人事件を増加させる一因となっている。(このことは、デーブ・グロスマン著『戦争における人殺しの心理学』(ちくま学芸文庫・刊)も取り上げている)
 このような深刻な世界の事例を列挙した上で、アルダ-ティ・ロイは次のように締めくくります。・・・テロリズムは一種の「戦争の民営化」であり、テロリストは戦争を自由市場で売り歩く人たちです。しかも、この人たちは近代民主主義諸国の政府だけが暴力の合法的使用についての“専売特許”(=「テロとの戦い」の大義名分を行使する権利)を持っているとは絶対に思わない人々です。このため、際限のない殺し合いが地球上に広がりつつあるのです。人間の社会は、ひどい場所となりつつあります。・・・
<注>ブッシュ政権は、文字通りの「戦争の民営化」をイラク戦争を契機にますます拡大しようとしており、それは「トランス・フォーメーション」(米軍再編成)構想の中で明確に位置づけられている。また、 この恐るべきジェノサイド・マシン稼動の指揮を採るのが米ブッシュ大統領で、その背中を押し続ける力強い一本の腕が「アメリカの産軍複合体」であることは周知の事実です。1991年までの米ソ対立期、つまり冷戦時代における軍事関連産業は戦車・ミサイル・戦闘機などの兵器そのものに特化していましたが、東西冷戦が終了するとともに軍装備関連の予算を民間の受け皿に手渡すという、いわゆる「軍装備民営化」という新たなビジネスモデル(戦争関連産業の外注化)が考案されました。この結果、今や軍事関連産業の裾野は広がる一方となっており、資源エネルギー・宇宙開発・情報・医薬品・食料関係などあらゆる産業部門と軍需産業部門のオーバーラップ現象が進んでいます。最早、軍需と民需の境界線が見えにくくなっているのが現状です。例えば、ブッシュ政権のチェイニー副大統領が直前までCEOを務めていたハリバートンの子会社KBR社(ケロッグ・ブラウン・アンド・ルート)やPMC シエラ社などがその代表格です。これら戦争関連事業の下請け会社の約1万人以上の社員が、今まさにイラクの「戦場」で軍事訓練請負・郵便・ロジスティックス・各種コンサルタントなど多様な業務に取り組んでいるのです。しかも、今やアメリカの軍事費が世界に占める割合は約4割という驚くべき数字になっているのです。更に、見逃してならないのは経済活動で目立つ主な国々の軍事費の伸び率の大きさです。1985年を100とした対2000年の軍事費の伸び率を大きい順から並べると日本40%、中国40%、アメリカ26%etcであり、日本と中国の伸びが異常な大きさで目立っています。日本では、このような軍事費の大きな伸びと逆に農業・福祉・教育関係の予算が着実に減らされています。ごく近い報道(共同通信、2004.3.6付)では、中国が新年度の軍事予算の伸び率(実績比)11.6%を確保したことが報じられています。これは前年度の実績9.4%増を大きく上回ります。日本も、日米同盟の路線上に位置づけられている(北朝鮮の脅威を想定したとされる)MD(ミサイル防衛)システムやイラク派兵関連予算を中心に世界でトップクラスの軍事予算の伸びが確保されています。
ところで、昨日、第二次小泉内閣がスタートして、愈々、護憲か?改憲か?創憲か?の論議が本格化する時期にさしかかります。日本国憲法についてどのような立場から議論をするにせよ、最低限度のこととして次の6つの点を押さえるべきだと思います。
(1)社会的な階層(階級)、利益集団などの間で成立する社会関係とは、つまるところ人間関係のことだが、この人間関係で作用する力には「物理的な力」と「脳内表象へ作用する力」の二つがある。国家というものは何らかの統制力がなければ存在できないので、その国家に一定の「統制的な権力」が必要であることは当然のことである。そして、この「統制的な権力」に一定の基準を与えるものが「憲法」だと考えられる。(絶対知的な存在として憲法を定位する視点=規定的契機(prescriptive))
(2)どのように厳しい刑罰を定めても殺人事件を皆無とすることができないように、どのように先制攻撃論的な内容を理念とする過激な憲法をつくったとしても戦争を皆無にすることはできない。また、どんな内容の憲法であっても、そんなものは破ってあたりまえという暴政論者が政治権力を掌握した場合は憲法など存在しないに等しくなる。
(3)現代の民主主義国家では、歴史的な経験から学んだ知恵を生かして人間関係へ作用する二つの力のうち「物理的な力」、つまり暴力(戦力、警察力など)の行使を最小限度にするよう、合理性と人権尊重の意識を十分調和させなければならない。これは、人間が過去の歴史から学ぶべきだという意味である。これが、正しい意味での「現実的な政治感覚」(政治的リアリズム感覚)の土台である。(相対知から学ぶという視点=記述的契機(descriptive))しかし、それでも「公正」や「公共善」に対する適切な配慮を失った暴政による極限状況が浮上する可能性は絶えずつきまとっている。
(4)従って、最高裁判所の違憲立法審査権の補強または憲法裁判所の創設も併せて検討されなければならない。
・・・本年5月頃、小泉首相の靖国神社参拝を憲法違反と断じた福岡地裁の判決に関して、与野党の間から「憲法裁判所」を創設すべきだとの意見が出たことがある。この「憲法裁判所」とは、国会が作った法律や、それに従う行政の行為が憲法に違反していないかどうかを専門の立場で判断する機関と考えられる。与党・自民党が「憲法裁判所」の創設を求めることの背景にある思惑の一つは、内閣法制局の“集団的自衛権の行使は憲法違反である”という解釈を否定することにあると考えられる。つまり、憲法9条をめぐる内閣法制局の解釈を「憲法裁判所」の裁定によって否定することを狙っているわけである。また、改憲の発議に必要な“国会議院の2/3の賛成”という厳しい条件を、例えば“過半数で可”まで緩和するという思惑もある。それは憲法改正を容易にしてしまおうとする思惑であろう。つまり、与党の思惑には、「憲法裁判所」で違憲判決が乱発されるような事態になる可能性を予想し、「憲法裁判所」と「国会」の権限をバランスさせる必要性を根拠として“国会による憲法改正の手続き条件を緩和しようとする意図”が隠れているのだと考えられる。逆に、野党側の思惑は、現在の最高裁判所の違憲立法審査権が形骸化(政治問題に関する判断の留保)していることの補完・補強ということであろう。このように、同じ「憲法裁判所」の創設という問題にしても、与野党の立場の違いで、全く異なる「政治的リアリズム」が想定(認識)されている。一方、ヨーロッパ各国で「憲法裁判所」に期待される最大の役割は「人権の保障」ということである。例えば、ドイツの「憲法裁判所」には、ナチズムなど歴史上の苦い経験から「民主主義における多数の横暴」や「独裁政権」による「主権在民の原則」の無視を厳しく監視することが期待されている。つまり、政治から独立した「憲法裁判所」が、独立公正な立場(法の支配の原則)で「憲法違反」を見張るわけである。このように、同じ「憲法裁判所」という制度に関しても異なった三様の「現実」が想定されるが、我われ一般国民(市民)は、余程の関心を持つ国民でなければ、これらの「政治的リアリズム」の違いに気が付かないであろう。結局、どのような制度を創り、工夫するにせよ、一般国民の「批判・監視の眼」(主権在民を尊重する意識)が働かなければ、結局は「政治権力の暴走」を許すことになってしまうのである。
(5)一般の法律でも同じことだが、特に憲法の制定内容を検討・審議・討論するにあたっては、それにかかわる議論が、情報公開の原則に則って文字通りオープンに、民主的かつ公正に進められなければならない。また、その決定プロセスが民主主義のルールで行われなければならないのは当然のことである。
(6)(1)〜(5)の全てにかかわる関連情報を正確に国民へ伝達し、難解な法律用語や法制関連の知識を正しく、わかり易く一般国民へ解説し、最終的な手続き(国民投票、選挙など)までの行政手続のプロセスを評価・監視するのはマスコミの重要な役割である。横暴な一部の政治権力者や、情報源と思しき特定の側近に平伏しながら取材するスタイルを是とする、現在のようなサラリーマン・ジャーナリズムの姿では、このような重責が全うできるとはとても思われない。
 以上のような日本の民主主義の現況とアルダ-ティ・ロイの講演内容を照らし合わせて考えさせられるのは、やはり「『民衆の力』を左右する『国語力』の問題」ということです。先に述べたとおり、現代の民主主義国家では、歴史的な経験から学んだ知恵を生かして人間関係へ作用する二つの力のうち「物理的な力」、つまり暴力(戦力、警察力など)の行使を最小限度にするよう十分配慮されているはずですが、それでも「公正」や「公共善」に対する適切な配慮を失った暴政による極限状況が浮上する可能性は絶えずつきまとっています。そして、もし、そうなった場合にはどのような民主主義国家であるとしても「脳内の表象へ作用する力」という指導・指示・命令的な統制権力だけでは制御不能な民衆側からの反発が噴出する可能性を内包しています。これは、普段の生活の中では、あまり考えたくもないことですが、人間も動物の一種として生きている以上は絶対に避けられない原点、いわば生物個体に埋め込まれた『逆鱗』(生物個体としての自己防衛本能)のようなものです。誤ってこの『逆鱗』を踏んだ権力者は直接的な反撃を食らう恐れがあります。アルダーティ・ロイが上の講演で“このような反民主主義的な状態を放置すると、いずれは真の自由を取り戻すために革命が必要となるような深刻な事態が到来するかもしれない。”と言っているのはこのことを指している訳です。まことに厳しいことながら、これが現実です。また、民主主義国家における政治権力者といえども、このような現実社会の原理・原則的メカニズムをリアルに、かつシビアに認識しなければなりません。だからこそ、現代の民主主義国家では貴重な歴史体験から学び取った議会制度、選挙制度など人間の英知を結集した政治システムが工夫され採用されている訳です。逆に言えば、現代の民主主義国家においても、現在の政治状況に対する無関心や単にシラケた心情から選挙権を放棄することは、このような『最悪の修羅場』(政治権力と国民の意志が過激に衝突する場面)が生じた場合に、自分が政治権力的な暴力的統制手段によって危害を加えられたり、あるいは、逆に自分が他人を殺戮する羽目になったり、他人へ危害を加えたりする事態を了承したことに等しい行為なのです。だからこそ「選挙権の行使」は民主主義社会を維持するための最低限度のルールであり、かつ「自分の命を守ることに次いで大切な権利」だとされている訳です。ここまで突き詰めて厳しく考えてみると、日本の国政選挙の度に異常に低い投票率が問題視され続けているのは実に嘆かわしいことです。
 参考まで、国政選挙に関する日本と主な国々の直近の投票率データを列記すると下記のとおりです。
(外国データの出典はInternational IDEA、Stockholm、Sweden/http://www.kh-web.org/links/stat.htm
<日本>衆議院・総選挙(2003.11.9)59.86% 衆議院・補欠選挙(2004.4.13)・・・東京6区40.63%、山梨3区54.5%、茨城7区53.8%、
参議院選挙(2004.7.11)56.57%
<アメリカ>議会選挙(2000)63.76%、大統領選挙(2000)67.39%<カナダ>議会選挙(2000)61.18%
<イギリス>議会選挙(1997)71.46%、議会選挙(2001)59.38%<スウエーデン>議会選挙(2002)80.11%
<ノルウエー>議会選挙(2001)74.95%<フィンラ,ンド>議会選挙(1999)65.27%、大統領選挙(2000)76.8%
<デンマーク>議会選挙(2001)87.15%<オランダ>議会選挙(2003)80.04%<スペイン>議会(総)選挙(2004)77.22%
<イタリア>議会選挙(2001)81.44%<ギリシア>議会選挙(2000)74.97%<ドイツ>議会選挙(2002)79.08%
<フランス>議会選挙(2002)79.71%<オーストラリア>議会選挙(2001)94.85%
<韓国>議会選挙(2000)57.21%、大統領選挙(2002)70.83%<台湾>議会選挙(1998)68.09%、総統選挙(2000)82.69%
<マレーシア>議会選挙(1999)68.65%<インドネシア>(1999)93.3%<タイ>議会選挙(2000)69.95%
<シンガポール>議会選挙(2001)94.61%、大統領選挙(1993)94.48%
<インド>議会選挙(2004)55.0%、大統領選挙(2002)70.8%
 この一連の投票率の比較から、近年における日本の国政選挙の投票率の異常な低さ(少なくとも欧米・アジアの民主主義国の標準よりも10ポイント程度は低い!)という真に悲しむべき現実が浮かび上がります。日本の政権を担当する与党政治家たちと責任政党自身は、このような日本の民主政治の現実をどのように見ているのでしょうか?かつて、某・与党大物政治家が、選挙期日を目前として「多くの選挙民は眠っていてくれると有難い」というホンネを漏らしたことがありますが、この辺に「日本の民主主義政治の実像」があるようです。ただ、善良なる日本の一般民衆は、その問題の深刻さに気付かされていないだけなのです。これはアルダ-ティ・ロイがインドの問題として指摘したのと同じことです。つまり、これが日本における「民衆の国語力」の問題であり、このことが国政選挙の投票率が低くなる大きな原因だと思われます。
 ここ2〜3年の間にマスコミがワンフレーズ・ポリティクスなる不可思議な言葉を流行らせたのも「民衆の国語力」の問題は放置した方がマスコミ人の身のためだという自戒からではなかったのか、と疑いたくなります。幸いにも、日本の場合は義務教育就学率が世界でもトップクラスという有利な基礎条件があるので、更なる教育方法の工夫とジャーナリズムの自覚と奮起があれば「民衆の国語力」をレベルアップして、正しい意味での市民参加型の民主主義を実現するための自覚を高めることは可能だと思います。やり方次第ですが、このような点では日本の場合は未だ希望が持てると思います。
 むしろ、この問題が深刻化しつつあるのは、約1ヵ月後に大統領選挙が迫っているアメリカの場合だと思われます。「9.11N.Y.同時多発テロ事件」の後遺症ともいえる特別な「恐怖心パラノイア」に取り憑かれたアメリカの「一般民衆」の心にに大きな影響を与えると言う意味で、また現実的に大統領選挙の結果を左右する力(選挙の投票数を確保する力)を持つといういう意味でブッシュ政権を支える大きな政治的圧力の一つが、アメリカの「キリスト教原理主義」(Fundamentalism)、または「キリスト教右派」(キリスト教保守主義)と呼ばれる一大勢力です。様々な統計データがあるので判然としないのですが、この「キリスト教右派」勢力は、アメリカの有権者総数の少なくとも3〜4割程度(4,800〜6,400万人)は占めているようです。現実に、彼らも様々な分派に分かれていますが、ブッシュ政権を支えるという一点で大きく纏まっています。恐るべきことですが、彼らアメリカのキリス教右派勢力には色濃くカルト(狂信)の臭いが立ち込めています。
 例えば、彼らの共通な信仰の原点にデイスペンセーショナリズム(dispensationalism)という考え方があります。それは、“父なる神の絶対的な摂理による新しい統治制度(dinpensation)を、この現実の世界で実現し、新たな神の国を創る”という強固な信念です。その手段は武力(聖戦)によって新イスラエル王国を建設し、その新生イスラエルを中心として、この地球上の世界を再構築するという信念です。もう一つ、ブッシュ政権を支持する基盤が選挙登録者総数の3〜4%(50〜70万人)に過ぎないながら、前回の「ブッシュ対ゴアの大接戦」が予想される来月の大統領選挙の結果を左右する決定権を握る立場に立っているのがユダヤ人たちです。また、アラブ・テロリストに対する「先制攻撃論」を標榜するネオコン一派がブッシュ政権の方向を左右していることは周知のことですが、彼らのルーツはコミュニスト(共産主義者)から転向したインテリ・ユダヤ人たちです。キリスト教徒とユダヤ教徒は同じ「啓典の民」であるため、現実的な利害関係から、今のところ(将来は?・・・「啓典」どおり原理的に理解すれば、これらユダヤ教徒たちとキリスト教原理主義者たちの間で殺戮戦争が起こる可能性もある)は強固に結びついているようです。
 ただ、アメリカ国内で貧富の差が拡大しつつあることを反映して、アメリカのユダヤ人社会も勝ち組(富めるユダヤ人層)と負け組み(貧しいユダヤ人層)に分かれつつあり、大統領選挙でキリスト教右派と手を携えてブッシュ政権を支持するユダヤ人たちは後者に、つまり貧困層に集中しているようです。一方、ジョージ・ソロスに代表されるような富めるユダヤ人たちは、ブッシュ政権とは距離を置いています。いずれにしても、本来は勝ち組層の支持が多いはずの共和党・ブッシュ政権の選挙結果を左右するのは、アメリカ国民の中で「国語力」に問題を抱える「一般の貧困層とユダヤ人の貧困層」に属する人々なのです。このように自由と民主主義の先進国・アメリカでも、その貧困な「国語力」ゆえに真実の「政治的リアリズム」を知ることができない(敢えて知らされない)悲惨な「一般民衆」が存在するのです。つまり、自由と民主主義の国・アメリカ合衆国のブッシュ政権も、インドや日本と同様に、選挙結果を制するために一般民衆の「貧困な国語力」を利用している訳です。「帝国の時代」と呼ばれる現代社会の奥底には、このように中々解決の難しい深刻な問題が潜んでいるのです。
<参考URL>
http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/
http://blog.nettribe.org/btblog.php?bid=9816b255425415106544e90ea752fa1d

 次へ  前へ

Ψ空耳の丘Ψ37掲示板へ



フォローアップ:


 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。