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霊廟をモンゴル西部で発見 合同調査団(毎日新聞) ― ↑の「12キロ」の根拠は『元史』
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/326.html
投稿者 シジミ 日時 2004 年 10 月 04 日 22:13:19:eWn45SEFYZ1R.
 

(回答先: チンギス・ハーンの霊廟発見 陵墓発見へ手がかり(朝日新聞) ― ”陵墓は霊廟から12キロ以内に想定できる” 投稿者 シジミ 日時 2004 年 10 月 04 日 22:03:48)

左からウシ・ウマ・ヒツジの第1頚椎=モンゴル・アウラガ遺跡で8月、日本・モンゴル合同調査団提供


http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20041005k0000m040055000c.html

モンゴル帝国を建設した英雄、チンギス・ハンの霊をまつる霊廟(れいびょう)をモンゴル西部で発見したと、国学院大、新潟大とモンゴル科学アカデミー考古学研究所の合同調査団(団長、加藤晋平・元国学院大教授)が4日、発表した。チンギス・ハンの墓の所在は不明で、世界史上の謎といわれる。しかし、墓と霊廟の位置関係を示す史料が残されており、今回の霊廟発見は墓の所在地に直結する重要な手がかりとして注目を集めそうだ。

 霊廟とわかったのは、モンゴルの首都ウランバートルから東約250キロのヘルレン川沿いの草原地帯にあるアウラガ遺跡。東西約1200メートル、南北約500メートルと、13〜15世紀のモンゴルでは隔絶した規模を持ち、チンギス・ハンの最大根拠地の「大オルド」とされる。01年から昨年までの調査でチンギス・ハンやその子、オゴタイ・ハンの宮殿が発掘されていた。

 今年になって、宮殿の基壇周辺で馬や羊などの動物の焼けた骨や灰が詰まった直径1.5メートル、深さ1メートルほどの穴が見つかった。中国の正史「元史」によると、君主が死ぬと、送葬官という役人が派遣され、馬、羊、馬乳、酒、絹織物を穴に入れて焼く「焼飯(しょうはん)」と呼ばれる祭りが3年間毎日、霊廟で行われた。今回発掘された穴は4基だけだが、周辺の地中をレーダー探査したところ、数百以上の穴が集まっていることがわかった。これらの多数の穴は、この祭りの実態を反映したものとして、調査団はチンギス・ハンの霊廟と判断。モンゴル国立歴史民族博物館のオチル館長も「間違いない」と太鼓判を押したという。

 注目されるのは、「元史」に「この霊廟から君主の墓までの距離は5里(3キロ弱)の外」とある点だ。発掘に当たった白石典之・新潟大助教授は「チンギス・ハンが国家制度を学んだ遼の皇陵の場合、霊廟から墓までの距離が3〜12キロなので、少なくともアウラガから半径12キロ以内には、チンギス・ハンやその後継君主たちの墓があるとみていいのではないか」と述べている。しかし、英雄の墓の発掘を望まないモンゴルの国民感情に配慮し、「陵墓探索は考えていない」という。

 【ことば】チンギス・ハン(1167?〜1227) モンゴル帝国の初代君主で、在位1206〜27年。本名テムジン。諸部族を統合し1206年、クリルタイ(国会)を開いてモンゴル帝国のハン(君主)の地位についた。精強な軍事力で周辺国家を次々に征服して内陸アジアに版図を広げ、一代で史上空前となる大帝国の基礎をつくった。

毎日新聞 2004年10月4日 20時05分

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